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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
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56「ルーケサの使者」

 ルヴィの継承の儀は恙無く行われた。特に大きな問題もなく、王位はルヴィは継承された。

 アンフェルディアに戻れば、シラーフェもまた継承の儀を行うことになるわけだが、こんな形で経験することになるとは思わなかった。継承の儀を二度も経験する者などそういないだろう。


 ルヴィの演説を聞きながら見た民の姿、その表情一つ一つがシラーフェの胸を満たした。

 各々に思いを抱えて、こちらを見上げるその姿をこの先忘れることはないだろう。


 四〇〇年前を生きていた人々だ。シラーフェの生きる時代には、一人もいないとしても、今の時代に繋がる一欠片と胸に刻み付ける。


 先日の宣言通りにアッシュは、ルーケサに戻ったらしい。挨拶は特になく、セニア伝手にルーケサに帰ったと聞いたくらいの素っ気なさである。らしいと言えばらしい態度であった。

 それを気にする間もなく、ルヴィは公務に終われる日々を送っていた。


「……まじない師について、まだ何も掴めないのか?」


 仄かに苛立ちを含んだ問いかけに、諜報を担う影たちはひたすら低頭する。

 未だ、先王の心を囚えてやまないまじない師についての調査に難航していた。それほど巧みに素性を隠しているのである。優秀な諜報部隊でも、尻尾すら掴めていない有り様だ。


「いっそ追い出せられたら、悩みの種も一つ立ち消えるのだがな」


 眉間を揉み、疲労を息として吐き出す。慣れない公務を追われる中で、悩みの種を抱え続ける心労が苛立ちとして零れる。


「先王がお許しにはならないでしょう」


「……分かっている」


 進言したトラストは一礼ののちに引き下がる。


 退いた身と言えども、先王の意向は決して無視できないものだ。

 件のまじない師を心酔している先王は手放すことを受け入れることはしない。


 正当な理由があれば別だが、諜報活動が実らない現状ではそれも難しい。

 息として吐き出そうとも疲労が消えることはなく、眉間の皺は深く刻まれたままだ。


「引き続き、調査を続けろ」


 最早、無駄だと分かっていても、他に打つ手もない。

 深く頭を下げ、諜報部隊の者たちは影に溶けるように消える。


 トラストと二人きり、気の許せる者だけになった中で、ルヴィは再度息を吐く。

 先程より思いを持った息に、トラストはただ無言で新しいお茶を入れる。影の気遣いを味わい、渇きを潤す。


 一息を吐くルヴィに水を差すようにノック音が鳴った。

 また何か厄介事でも起こったか、と何度目か分からない息を吐くルヴィ。

 中継ぎをするトラストの反応を横目に、胸に重いものを落とす。


「ルヴィ様、ルーケサ聖王国よりお客様がお越しのようです」


「今日は客が来る話はなかったはずだが……それも聖国の者だと?」


 積み重なる問題のさらに上、自らやってきた新たな問題に、より深く眉間の皺が刻まれる。


 敵対関係にある国の者がそう易々と来訪してもらっては困る。友好国であっても、王城を訪れるとなると少なくとも数日前には先触れがあるはずだ。

 最低限の定義すらない訪問とはいえ、無碍にできるものではない。


「すぐに支度をする。応接の間に案内してくれ」


 トラストが外の使用人に指示を出す姿を横目に、ルヴィは執務を中断させて立ち上がる。

 気乗りしない心を表すがごとく思い足取りで応接の間に向かう。その重さを表情には出さないように努め、すまし顔を貫いて扉を開け――。


「よっ、ルヴィ。数週間ぶり」


 ここに来るまでの間、ルーケサの者と相対する覚悟を決めたところへ、呑気な挨拶が投げかけられる。

 思いつめていた心が拍子抜けし、呆気に取られる。


 思考が白に染まり、あけすけに笑う金髪碧眼の青年を見つめる。


「……使者、などと大仰な。そも、貴様はルーケサに戻ったのではなかったか?」


 最早、説明は不要。継承の儀の見物を終えて、早々にルーケサに戻った異世界人の勇者、アッシュ・イアンである。

 十年近く離れていたルーケサに戻ってまだ数週間しか経っていない。

 戻ってくるには早いとかあらかいの意味を込めて、問いかけた。


「だから使者だろ? それに今回はオレ一人だけじゃないんだぜ」


 にやつくアッシュの後ろ、隠れるように立っていた人物が一歩、姿を現す。

 今の今まで隠れおおせていたことが不思議なほどの色香が甘く漂う。


「アンフェルディア王、お初にお目にかかります。私はアルミダ・フォン・ルーケサウスと申します」


 恭しく礼をするのは美しい女性だ。淡い金髪を背中に流し、同じ色の瞳は和らいでこちらに向けられる。

 女性らしい起伏に富んだ体を包むのは白を基調としたドレスである。ルーケサが信仰する光神教の聖職衣を基にしたものようだ。


 その姓から察するに、聖王の血族――アッシュとともにいることを考えるに当時の聖女なのだろう。

 聖女という肩書きに似合わない色香を纏い、弧を描く唇は妙に蠱惑的だ。

 匂い立つ妖しさは相手を容易く吞み込んでしまいそうなほどだ。


「先触れも寄越さぬ突然の訪問をまず謝罪いたします」


 全身から立ち昇る妖しさに反して、その立ち振る舞いは謙虚なものだ。

 一挙手一投足、洗練された姿は自然を抱く警戒を緩めさせる。警戒させるに至ったその色香が彼女の振舞いに説得直を与えている。


「オレが言ったことだから、アルミダを責めるなよ」


 やけに親しげな様子で、ルーケサの聖女を語るアッシュに、ルヴィはわずかに眉根を寄せた。


 勇者と聖女の関係を思えば、親しくあっても不思議はない。ただセニアの関係を知り、長年それを見守り続けてきたルヴィは複雑な思いもあろう。

 妹姫と思って湧き起こる彼女は何とか飲み下し、改めて口を開く。


「して、此度の訪問はどのような用向きで?」


「アンフェルディアの皆様に是非お耳に入れていただきたい、ご提案がございます」


 妙に得意げなアッシュの顔は無視して、眉根を寄せたまま、続きを促す。


「我が国、ルーケサ聖王国とアンフェルディア王国と和平の申し入れをさせていただきたく存じます」


 ルヴィの眉間に刻まれた皺が濃くなる。ルーケサとアンフェルディアの和平は悪いものではない。

 むしろ、ルヴィが望むところでもあろう。いちもにもなく申し出を受け入れたくなる心を押しやって、ルヴィは一国の王としての顔を貫く。


 あまりにも急な申し出への不審を全面に出し、口を開く。


「……真にそれを望むのであれば、正式な使者として来訪するのが筋であろう」


「当然のお言葉です。我が国としても、後日正式に申し入れる機会を設けたいと考えております」


「今回はオレが急かしたんだよ。すぐにでもルヴィに話したいってさ」


 どこまでも恭しく振る舞うアルミダに対して、アッシュは軽く馴れ馴れしい。

 アッシュならば言い出しかねないという思いがある故に抱える不審が揺らぐ。


「ほら、よく話してただろ? ルーケサとアンフェルディアが仲良くしたらいいのにって、セニアと一緒にさ」


「それはそうだが……ルーケサが容易く受け入れるとは信じ難い」


 ルーケサの人間であるアルミダの反応を気にしながらも、渋い声で低く紡ぐ。

 その言葉が本音であることは間違いなく、心の引っ掛かりをそのまま音にした。


「そうお考えになるのも無理はないことでしょう」


 自国に対する侮辱と受け取られてもおかしくはない。ルヴィを言葉をアルミダは柔らかな笑みを持って受け止める。

 重なる問題に疲弊しきった心を包み込む笑みに目を奪われる。

 第三者として状況を見守るだけのシラーフェすらも魅了される、不思議な力を持っている。


「実際、アッシュ様からお話を伺ったとき、受け入れ難い思いがありました。我が国は祖先の思いを継ぐ意識の強いものですから、とても恐れ多いことを考えずにいられませんでした」


 流れるように紡ぐ美声は甘く、鼓膜を震わせる。妙な心地にさせる声である。


「けれど、アッシュ様の熱心なお言葉に引かれ、和平の道を行く決心がつきました」


「アルミダが聖王のおっさんも説得してくれたんだぜ。あのときの啖呵はルヴィにも見せたいくらいだったぜ」


「まあ、恥ずかしいですわ」


「恥ずかしがる必要はない、最高にクールで、かっこよかったぜ」


 妙に親しげな二人へ浮かぶ複雑な感情は他所に、ルヴィは真正面からアルミダという女性を評価する。

 纏う空気は妖しく、得体の知れないものである。敵国の人間と考えれば、警戒にたる人物という評価が真っ先に来る。


 しかし、ルヴィが心から信頼を寄せる数少ない人物、アッシュが信頼を寄せる相手となれば話は少し変わる。

 アッシュも馬鹿ではない。美人というだけで他者を評価することはないはずだ。


「前向きに検討しよう」


 アルミダではなく、アッシュへの信頼から判断を下した。

 アンフェルディアとルーケサの和平が為されることはないと知っているシラーフェは、ざわつく心を抱えながら、一連のやりとりを見守る。


 和平は土壇場で破棄され、〈復讐(フリュズ)の種〉が生まれることとなる。

 その物語がいよいよ始まるのだと緊張感がシラーフェを包む。


「寛大なお言葉、感謝いたします。アンフェルディア王のその優しさに付け入るようで申し訳ないのですけれど、私とアッシュ様の滞在許可を重ねてお願い申し上げます」


「構わない。好きなだけ滞在するがいい。急な手配で不足はあろうが、こちらで必要なものは用意しよう」


「ご配慮感謝いたします。ふふっ、アッシュ様からお聞きした通り、お優しい方ですのね」


 ふわりと花咲く笑顔は先程の妖しさが鳴りを潜め、どこか幼さも含んだものであった。

 警戒を抱く心を知らず、解してしまう笑顔もまた人の心を囚える魅力を持っていた。

 そっとルヴィへ歩み寄るアルミダはその笑顔のまま首を傾げ、その手を取った。


「私ももっとアンフェルディアのことを、魔族の方々のことを知りたいと思っております。アンフェルディア王、ルヴァンシュ様も是非とも仲良くしてくださいね」


 甘い香りを漂わせる微笑みに理性を保てる者はどれだけいるだろうか。

 目を奪われるルヴィを感覚的に感じ取るシラーフェは一人、不安を募らせる。


 外野として見守る故に、アルミダという女性の恐ろしさをありありと感じていた。

 他者の心を惹き込むことに長けた振る舞いの巧みさ。女性との関わりが薄いシラーフェであっても、はっきりと感じられる。人を見ることに長けたライであれば、より深く詳細にアルミダの行いを見抜くだろう。


「お近づきの印にこちらを」


 言って、アルミダが差し出すのは赤い石のペンダント。知らず、シラーフェの胸が跳ねる。


 たった一日の間、三度目となる赤い石の登場に妙な因縁を抱かせる。

 その上、あの赤い石がルーケサ由来のものである可能性の浮上は、シラーフェを落ち着かない気持ちにさせる。


 勇者の召喚、魔獣の魔物化と合わせても、最近のルーケサの動きには空恐ろしいものを感じる。

 ルーケサは一体何を企んでいるのか。最悪の想像がどうしても離れないでいる。


 思考を巡らせている間にアッシュとアルミダは退室し、部屋にはルヴィとトラストのみが残される。

 ルヴィは黙して考え込み、トラストは気遣うように沈黙を守っている。


 ルヴィが何を考えているのか、シラーフェは想像すらできない。

 アンフェルディアとルーケサの和平のことか、アルミダのことか、アッシュのことか。


 王という立場につき、多くのものを抱え込むルヴィ。その重荷を分かち合い、弱さを見せられる存在であるはずのアッシュとの距離が開いてしまったと外野のシラーフェですらありありと感じる状況。

 黙した胸には様々な感情が渦巻いていることだろう。


「仕事に戻る」


 どれだけ時間が経った頃だろうか。短くもあり、長くもある時間の後にルヴィはそれだけ呟いて、執務室に戻る。

 あらゆる感情を押し隠した背中をトラストが慌てて追いかける。


 シラーフェはその顔を横目で見る。主に何と声をかけるべきか迷うトラストの表情を。


「ルヴァンシュ様、お戻りになったのですね。ルーケサから使者がいらしたとお聞きしましたが……」


「……イリティアか。お前には関係のないことだ、気にするな」


 執務室に戻ったルヴィを迎えたのは正妃であるイリティア・アンフェルディアである。


 類稀な美貌を持つセニアや妖しさを艶めかしく纏うアルミダに比べると、やや見劣りする容貌の女性である。

 癖のある髪は濃い紫、赤目はおっとりとした印象を与える。

 器量は見劣りするものの、妃となる者として行き届いた教育から身のこなしにはそつがなく、全体を見れば品がある。


「そう、ですか。差し出がましいことを申しました」


 素っ気ないルヴィの返答に目を伏せて、引き下がる姿は慎ましやかである。

 憂いを帯びた眼差しにすら、ルヴィは視線を寄越さず、夫婦の距離感を感じさせる。


 夫へ心を傾けながら、一歩下がって付き従う振る舞いを見せるイリティア。おっとりとした赤目を愛情深くルヴィに注ぎつつ、そっと口を開く。


「お疲れのことと思い、お茶をご用意いたしました。少しでもルヴァンシュ様の御心が休まればと思います」


「感謝する」


 短い返答に表情を晴れさせる姿は実に謙虚である。

 口元を綻ばせ、穏やかに笑うイリティアはそっとルヴィへ手を伸ばし――


「……っ…!」


 ルヴィに弾かれる。お互いが瞳に驚きを映し出し、数秒見つめ合う。そしてすぐに目を逸らした。


「すまない」


「いえ、私の方こそ……」


 近づきかけた距離が再度離れる。

 関係性の不協和音があらゆるところで奏でられ、悲劇の前奏の終わりをにわかに告げていた。

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