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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
53/89

53「その身を支えた人々」

 快活に、重みを感じさせない口調でアッシュはここに至るまでの道のりを語った。

 異世界に召喚されたアッシュはまずこの世界について教えられることから始まったが、


「座って勉強なんてオレの性に合わねえ」


 と、サクマに似た言葉で纏めたアッシュは最低限の常識だけを頭に入れるのみで、座学の類はすべてさぼってきたらしい。


 語学は、神の加護のお陰か、勉強せずとも問題なく通じており、それで充分だと笑っている。

 言葉は似ていても、サクマに比べて楽観的な性格をしているようだ。


 生活に必要な常識の他にも座学ではルーケサの歴史についても教えられていたが。


「過去を見るのはオレらしくねぇ! オレは今を生きる男だ」


 と言って、渋る聖王や聖女の説得を悉く突っ撥ねた。


 異世界に来てばかりの無垢な勇者を献身的に支え、ルーケサにとって都合の良い知識を植え込み、少しずつ思考を染めていくのがルーケサの基本方針だ。それが出鼻を挫かれる形となった聖王はかなり気を揉んでいることだろう。


 その上、アッシュの語りはここで終わらない。勇者として剣術の鍛錬を強いられたときには、


「ちまちました練習よりも実戦を積む方が上達する」


 なんて言って、こちらもすっぽかした。


 自分の感情に従い、突き進んでいく性質らしいと苦笑に近い感情を聞くより他ない。

 容易く染められない勇者はアンフェルディアには好都合ではあるが、あまりにも自由奔放なアッシュの姿を見ていると敵方たる聖王にすら同情してしまうほどだ。


 勇者を召喚するにあたって、様々な計画がなされていただろうに、と。


「でも、あいつら、うるさいからさ。今は聖王宮を抜け出して、準冒険者として町を転々としてるとこだ」


 なんてことのない口調で語るアッシュを見ていれば、シラーフェの胸の内に湧く同情心も仕方ないことだ。


 アッシュは修学や剣の稽古を勧めるルーケサの者たちに辟易し、警備が緩む隙を見計らって聖王宮から抜け出したのだという。その後、身分を明かさずともなれる準冒険者に登録し、依頼をこなしながらルーケサ国内を見て回っている状態だ。


 準冒険者は、単独では雑用に近い依頼しか受けられないが、正冒険者に同行するなら難易度の依頼を受けるところができる。そうして実戦を積んで、ギルドから推薦を受けることができれば、正冒険者に昇格することも可能だ。

 アッシュの言う、「実戦で学ぶ」を実行するにはこれ以上ない環境と言えるだろう。


「んで、二週間前までいた村で知り合った冒険者に便乗してこっちまで来たわけ。この辺で魔獣が増えてるって話だぜ? けっこー、いろんな冒険者が来てるみたいだぜ」


「まあ、そうなのですの。恐ろしいお話ですわね……」


「アンフェルディアにまでは来てないという話だ。セニアが怖がる必要はない」


 シラーフェの時代では、ルーケサの土地であったこの花畑も、四〇〇年前はまだアンフェルディアが所有する土地であった。

 ルーケサとの国境とも距離があり、アッシュが滞在している村での被害もこちらまで流れてきていないようだ。

 しかし、それを聞いても、セニアの表情は晴れないままだ。


「それでも、ルーケサの民の中には被害が出ていると思うと……とても悲しいことです」


 兄へ返す言葉の中には、悲哀が多分に含んでいる。憂いが満ちた表情を映し出す顔の美しさも気にならないほど、見る者の間を詰まらせる情緒的な姿だ。

 他国、それも敵国の民にすら心を砕く姿は顔立ちだけではなく、心根の美しさも映し出す。


「心配はいらないぜ、プリンセス。弱き者を守るため、オレっていうヒーローがいるんだぜ」


 言いながら、アッシュはセニアへ歩み寄る。今にも泣きそうなセニアに笑いかけ、手近な花を手折ってセニアの髪を飾り付ける。淡くピンクを纏う白髪にリラックの紫がよく映える。


「体だけじゃなく、心まで守るのがオレの仕事で、オレがここに来た理由だ! だから悲しそうな顔はしないでくれ。セニア姫には笑っていてほしい。スマイル、だ」


「すまいる、ですか……?」


「笑顔ってこと! さあ、笑って」


 暗い色を持たぬアッシュの振舞いに引き摺られるようにセニアは薄い唇で弧を描く。

 柔らかに、美貌を飾る微笑をアッシュは快活な笑顔で迫る。


「エクセレント!」


 ここまで見る限り、アッシュは実に好感の持てる人物だ。

 他者に染まることのない真っ直ぐで強い自我を持ち、他者の幸福のために力を尽くせる少年。

 それがどのようにして、ルヴァンシュがあそこのまでの憎悪を向けることとなったのか。


 今の状況では到底信じられない姿へ、続く未来をシラーフェはルヴィの目を通して知っていこうと思う。

 紙上ではなく、体感を持って歴史に触れる経験は貴重なものだ。


 〈復讐(フリュズ)の種〉が生まれるに至った経緯はシラーフェが知りたかったことでもある。

 戻る方法を探すことは後回しに、もう少しこの三人の行く末を見守っていこうと思う。





 短く時間を花畑で過ごしたのち、ルヴィとセニアはシュタイン城に戻った。


 記憶にあるよりもやや綺麗ではあるが、王城の姿はほとんど変わりない。馴染み深い景色に対して、行き交う人々の顔は見知らぬ者ばかり。その齟齬が奇妙な気分にさせる。


 四〇〇年という月日を改めて実感しながら、移り行く景色を眺める。

 顔並びは変わろうとも、人々の表情は同じ。行き交う人々の活気ある表情はシラーフェの胸に快いものを届ける。


「ルヴィ様、ようやくお戻りになりましたか。まったく今回はセニア様もお連れして……」


「まあまあ、そんなに厳しなくてもいいじゃないのぉ」


「リスティ、君は甘すぎるんだ! それにこれはこちらの問題だ。口を挟まないでいただきたい」


「あらあら、それとか、これとかよく分からないわねえ」


 姦しく言い合いながら、近付いてくる男女の二人組がいる。

 生真面目な印象な青年と、のんびりとした印象の少女。対照的名な空気を持つ二人ではあるが、灰色の髪と蒼の角という共通点があった。


 影人の特徴を持つ二人はそれぞれルヴィとセニアの影なのだろう。

 主とは違って親しい間柄ではないらしい。激しく言い合ってというより、青年の方が女性に噛みついているといった印象だ。女性の方はのらりくらりと交わしている。


「トラスト、あまりリスティに噛みつくな」


「そもそも貴方様が奔放な振る舞いをしなければ、私もここまで言う必要もないのですよ、ルヴァンシュ様?」


 青年は本来の標的へと、釣り上がった赤目を向ける。責める色の強い視線を受けるルヴィは分かりやすく表情を顰める。

 どうやらルヴィは自身の影に苦手意識があるらしい。

 なんだかんだ信頼しあっている主従の姿ばかりを見ていたシラーフェには新鮮な距離感である。


『トラスト・ツェル・ラァークか』


 影人はその性質上、歴史に名を残ることは少ない。

 精々、王族の影として系譜を綴る書物の中で目にすることができるくらいだ。


 その中でもルヴァンシュの影であったトラスト・ツェル・ラァーウは歴史に名を遺した数少ない影人である。

 無念の中に沈むことになったルヴァンシュの遺志を王家に持ち帰った人物として記されている。


 遺志の詳細までは記されていないが、今なら分かる。〈復讐(フリュズ)の種〉のことだろう。

 何を思い、主の残した妄執を繋ぐ選択肢をしたのか。四〇〇年後もなお、秘匿の宝として扱われていたことを思うと、そこにはトラスト自身の強い意思をも想像させる。

 〈復讐(フリュズ)の種〉の誕生に関わる者の一人として、トラストの存在もシラーフェん興味を引く。


「あと二年もすれば、成人なのですよ。王位継承者ともあろうお方がいるまでも物分かりの悪い子供のように振る舞うものではありません。ご理解くださいまし」


 どうやらトラストはルヴィが城を抜き出して、町歩きしていることに苦言を呈しているようだ。


 町歩きでいえば、シラーフェやライもよくしていることだ。違うのはライも、本来であればシラーフェも王位継承とは縁遠いところにいたことだろう。

 今やシラーフェは次期王ではあるが、選王の儀を経るまでは奔放な振る舞いをしていた。


 しかし、ルヴィ――ルヴァンシュ・フリュズ・アンフェルディアは第一王子であり、早い段階から王位継承者として広く知れ渡っていた。


 この時代で王位継承権を有する者は、ルヴィの他にセニアと、年の離れた第二王子、王弟の三人がいる。

 王弟は王位を譲ることを、ルヴィが生まれた時点で表明しており、第二王子はおそらくまだ生まれていないはずだ。残るセニアも、ルヴィを差し置いて王位につく気はない。


 つまり正真正銘誰もが認める形で王位継承者の地位にいるルヴィ。それが課せられた責も思わせず、自由な振る舞いをするルヴィへ、トラストが苦言を零すのも仕方がないことだろう。


「まあまあ、トラストったら、主にそんな顔で迫ったらダメよぉ。怖いわぁ」


「この顔は生まれつきだ! それに君こそ怒って然るべきだ。君の主を連れ出されているのだぞ! 護衛もなしに出歩くことがどれだけ危険なことか……」


「セニア姫、楽しかったですかぁ?」


「聞け!」


 いっそ仲良しにも見える二人のやりとり。すぐ傍で言い募るトラストに一瞥すらくれない影人の少女は膝を折り、セニアと目線を合わせる。

 温和な顔はさらに和らげられ、優しさに愛を奏でる。


「ええ、とっても楽しかったわ。美しい花畑があったの。リスティ、貴方にも見せたいわ」


「あらあら、それは気になりますねぇ。セニア様、次は是非私も案内してくださいな」


 恭しい申し出にセニアは花咲かせた笑みで頷く。妹主従は仲睦まじく、姉妹を思わせる距離が胸を温かにしてくれる。

 自身の影と笑みを交わすセニアはその大きな瞳をルヴィへと向ける。


「お兄様、次はリスティも連れて行っても、構いませんか?」


「お前が望むであれば」


 妹の心根を尊重せんとするルヴィの返答にセニアは嬉しそうな顔を見せる。それを見て、ルヴィとセニアの影――リスティはそれぞれに目元を緩める。

 穏やかな空気を纏う三人の中で、一人不満の色を消さない人物がいる。説明する必要もないトラストである。

 すっかり場の空気に取り残された状況のトラストは周囲の色には染まらないままに口を開く。


「次は私も同行します」


 話の流れとしては自然なトラストの申し出にルヴィは苦い顔を見せる。

 トラストの同行を忌避しているとは違うルヴィの反応に、トラストはその意味として受け取って頭を下げる。


「出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」


「いや、同行するのは構わない」


 苦々しい表情のまま、苦々しく紡ぐルヴィ。トラストへの気遣いを窺わせるその姿は苦手意識はあろうとも、嫌っているわけではないことを伝える。

 それでも苦々しさが消えないのは、アッシュのことがあるからだろう。


 短い間しか見ていないシラーフェでも分かるくらい、トラストは真面目な性情をしている。

 魔族にとって天敵とも言える勇者と、交流を重ねている事実を受け入れがたく思うことだろう。


 召喚主たる聖王の許を離れていると言っても、それがどこまで本当か分からないのも事実だ。間者の可能性を指摘されれば、否定はできない。

 なんだかんだ言いながらも、ルヴィはアッシュとの関係が切れることを嫌っているようだ。


「トラスト、リスティにも一つ言っておくことがある」


 意を決したようにルヴィは言葉を紡ぐ。

 トラストは一音も漏らさぬよう、真摯な目を受け、リスティは笑みを持って続く言葉を待つ。

 シラーフェはまた何を言うつもりなのかと期待と不安を入り混ぜた状態で見守る。


「同行するのは構わない。ただそこで見たものは他言無用だ。決して父上たちには口にするな」


「それはどういう……ルヴィ様は一体城下で何をなさっているのですか?」


 当然の問いにルヴィは首を振って答えない。王城という場で、勇者の話題を口にすることを避けているようだ。


 奔放に振る舞っているようでも決して浅慮なわけではない。

 年不相応な純真さを持ち、年不相応な浅さを抱えながらも、ルヴィなりに考えを巡らせているのだと。


「トラスト、心配は無用です。人々と話、触れ合っているだけですわ。お兄様はそれをお父様に邪魔されたくないとお思いなのです」


 不審を募らせるトラストに向けて、セニアは嫣然と微笑む。

 愛らしさを輝きとして纏う少女を前に、トラストも強くは出られない。ルヴィへの糾弾の声を息として呑み込んだ。


「お兄様は何も考えなしに城下を歩いているのではありません。民の暮らしを直接目にすることも王位を継ぐ者として必要なことですわ」


 蝶よ花よと育てられた姫君とは思えない毅然とした態度を見せるセニア。

 十歳前後の少女ながらその佇まいは、王族という立場に引けを取らない芯の強さを持っている。

 その時代でも、やはり女性は強いものだと、自らの姉妹を思い浮かべながらしみじみ思う。


「民を知らず王になることも可能でしょう。けれど、ルヴィお兄様は民を知る王でありたいと、慈悲深く思っておられるのですわ。その心根をわたくしは尊いものと思っております」


 強い芯を内に宿したままにセニアはトラストの正面に立つ。可憐に微笑むセニアはトラストの手を取り、笑みを深めた。

 人の目を惹きつけてやまない笑顔を正面に、当然トラストの目も奪われる。


「傍で寄り添う者として、共にお兄様を支えてはくださいませんか?」


「……っ…。至らぬ身に勿体なきお言葉、感謝いたします。影の役割を賜ったときより、この身、この魂はすべてルヴィ様に捧げるつもりでございます」


 膝をつき、最大限の礼を示してトラストは告げる。

 セニアの輝きに負けず劣らずの強さを持つ赤目には、従者としての覚悟が灯っている。


「わたくしが言うまでもないことでしたね。共にお兄様を支えられること、嬉しく思います。とても頼もしいですわ」


「私も共にお支えしますわぁ。セニア姫のことも、フリュズ様のことも、大事に大事にお支えいたします」


 その肩を抱くようにセニアに寄り添うリスティもまた嫣然と微笑む。

 女性二人の柔らかな笑みを受け、トラストは戸惑いながらも口元を纏める。三人の様子を眺め、妹姫が作り上げた空気を味わうルヴィもまた微かな笑みを浮かべた。今ある幸福を味わうように。


「俺は随分と頼もしい者に囲まれているのだな」

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