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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
52/86

52「四〇〇年前」

 息が上がる。苦しさよりも楽しさが勝る呼吸を零しながら、森の中を駆ける。


 視線を動かせば、想定よりも低い視点から並ぶ木々が映し出される。

 つい先程まで、石で構成された空間にいたはずだが、とシラーフェは眉根を寄せる。と、ここで違和感に気付いた。


 視点が低い上に体が思うように動かせない。

 拘束されているのとは違う。今、シラーフェの体は走っており、四肢の不自由さは感じられない。

 ただ思うように動かせないという感覚は、自らの意思に反して走っている状況が助長させる。


『記憶を見せられているのか?』


 森の中を駆けていた時期の心当たりから呟く。

 呟いたつもりだったが、喉は音を発さず、心の声に近い形で音となった。


 過去の出来事を見せられているのであれば、突然一変した景色も低くなった視点も頷ける。


 引っ掛かることがあるとすれば、記憶よりも視点が高いことだろうか。

 シラーフェの記憶を映し出しているのなら、今の視点は十に満たない時分のもののはずだ。

 しかし、今の視点は十代前半くらいのもので、実際のシラーフェの視点よりやや低い程度である。


「お兄様、こちらに何があるのですか?」


 考え込むシラーフェの耳に聞き覚えのない声が届いた。

 可憐な、鈴を転がすような声音に振り向けば、見知らぬ少女が腕を引かれている。


 長い睫毛に縁取られた赤目が不思議そうにこちらを見ている。軌跡を描いて揺れるピンクがかった白髪は長く、頭には二本の黒い角を生やしている。

 アンフェルディア王族の特徴を持った少女はドレスの裾を絡ませながら、腕を引かれるままに足を動かしている。

 年の頃はシラーフェの妹、ネリスとりもいくらか幼いくらいである。


「見てからのお楽しみだ」


 シラーフェのものではない声が少女の問いに答える。

 こちらは聞き覚えのある声だ。自身の声ほどではないにしろ、耳馴染みのするものであった。


 知っているものとは微妙に色合いが異なり、すぐに答えを導き出せない。

 ただ見知らぬ少女の姿と、自分のものではない声に、この世界はシラーフェの記憶から作り出されたものではないことだけは分かった。


「ルヴィお兄様ったら、さっきからそればっかりだわ」


 不貞腐れた物言いに妹の姿を思い浮かべ、小さく笑む。二、三ほど離れた小さな妹の抗議に手を引く少年、ルヴィと呼ばれた彼は気にせず、先ばかりを見つめている。


 この先に余程楽しみにしているものがあるのか、ルヴィの心はそちらばかりに気を取られている。

 シラーフェの支店ではルヴィの表情を見ることができないが、足取りから弾む期待が窺える。


「セニアもすぐ気に入るさ」


「それは楽しみですけれど……お兄様、もう少し速度を…わっ、きゃ」


 妹に見せたい気持ちが先走り、配慮の足りない速度で走るルヴィに、ついに少女、セニアがよろめいた。

 足場の悪い森の中を長いことは知らされ、絡みつくドレスの裾に足が引っ掛かってしまったようだ。


 突然体勢崩した妹に驚き、ルヴィもまた大きく体勢を崩す。このままでは二人揃って地面に倒れてしまうだろう。

 分かっていても、動かさせる体を持たないシラーフェには見守ることしかできない。


「ったく、レディは優しくエスコートしてやんなきゃなんねぇぜ。ほら、プリンセス、怪我はないか?」


 よろめいたセニアの体を、物陰から現れた人物が優しく抱き止める。

 快活な声の主を、シラーフェは尻餅をついた視点で見上げる。ルヴィはあのまま倒れてしまっていた。


「れでぃ? ぷり……? ええと、なんと仰いましたの?」


 耳馴染みのない言葉を並べられ、セニアは困惑を露わにする。

 シラーフェも知らぬ言葉ばかりで、同じ色を含んだ視線を声の主へ向けた。


 身長はルヴィよりもいくらか高く、鍛えていることが窺える体つきをしている。金髪碧眼、年の頃はルヴィと同じくらいだろうか。

 ルヴィの声と同様に、どこか見覚えのある顔に、シラーフェは眉根を寄せた。


「大して中身のない言葉だ。セニアは気にしなくていい」


「おいおい、自分は手を貸してもらえなかったからって不貞腐れんなよ、ルヴァンシュ」


 笑声を交えた言葉にルヴィは「不貞腐れてなどいない」と不機嫌に答える。

 シラーフェはルヴィの反応に意識を向けるどころではなかった。


 金髪碧眼の少年が最後に口にした名前、それには嫌というほど聞き覚えがあった。

 ルヴァンシュ。それはシラーフェの胸の内に巣食う〈復讐(フリュズ)の種〉を生み出した四〇〇年前のアンフェルディア王族の名前だ。


 幾度と言葉を交わしたことも、顔を合わせたこともある人物。

 名を呼ばれるまで気付かなかったのは、声がまだ若いのと、シラーフェのよく知る声とは色合いが異なったからだ。


 シラーフェの知るルヴァンシュの声は、憎しみに囚われ、暗く澱んだものであった。対して、今のルヴァンシュの声は暗く染めるものを知らないと言った純真さを纏っている。

 年齢よりも、やや幼い印象を抱かせるほどだ。


『ここはルヴァンシュの記憶の中なのだな』


 動揺を落ち着けるように紡ぐ。つまりここは四〇〇年前の世界であり、シラーフェは十代の頃のルヴァンシュの体に寄生している形なのだと理解し、自嘲気味に笑む。


 現実ではルヴァンシュの方がシラーフェの体に寄生していると考えると皮肉なものである。

 などと考えているうちに金髪碧眼の少年はルヴィと妹姫セニアに先程の言葉の意味を教えていた。


「どれも聞いたことのない言葉ばかりですわ。どちらで伝わる言葉なのですか?」


「オレの偉大なる母国、アメリカの言葉さ!」


 腕を広げ、言葉通り自らが生まれた国を誇る少年。

 紡ぐ国名に聞き覚えはなく、シラーフェは抱いていた考えを確信に変える。


「あめ、りか? 浅学で申し訳ありません。どちらにあるお国ですの?」


「遥か遠く、ずっとずーっと遠く、異世界にある国だぜ」


「いせかい……それってもしかして」


 驚きを映し出し、見開かれた赤目に少年は得意げな表情を見せる。

 相手が驚き、注がれる視線に酔い知れる時間を堪能してから少年は口を開く。


「こいつは異世界から召喚された聖国の勇者だ」


「ちょっ、なに、先に明かしてんだよ」


 立ち上がったルヴィは服についた土を払いながら、端的に少年の正体を明かす。

 名乗りの場を奪われた形となった少年は、不満のままにルヴィへと迫る。ルヴィは素知らぬ顔を貫く。

 二人の距離感は近く、心を許し合った友人を思わせる空気感を漂わせている。


「勇者様なのですか?」


 話に聞くだけの存在を目の前にした感動をセニアは大きな瞳に映し出す。

 赤目が宿す光に、機嫌を上向けた勇者の少年は改めてセニアに向き直る。


「オレの名前はアッシュ・イアン。この世界を救うヒーロー様だ⁉」


 堂々たる名乗りあげにセニアは大きな感動を映しながらも、わずかに首を傾げた。


「ひぃろぉ、ですか……?」


「オレのいた世界で、英雄とか、勇者を指す言葉だ。最高にかっこいい男ってわけ」


 四〇〇年前、ルーケサ聖王国に召喚された勇者。サクマの先代にあたる勇者である。

 今より成長した姿を、シラーフェはルヴァンシュの記憶の欠片として目にしたことがある。


 ルヴァンシュのときがそうであったように、成長前の姿は顔かたちが微妙に異なるので、すぐに答えには辿り着けなかった。刹那の時間、目にしただけの人物ならばなおのこと。


『サクマ、聞こえるか?』


 金髪碧眼の少年が四〇〇年前の勇者ならば、シラーフェと同じようにサクマが宿っているかもしれない。

 駄目元で声をかけ、返ってくる言葉はやはりない。今の今まで声が聞こえてこないことを考えるに、互いの声が届かないか、そもそもサクマは宿っていないかのどちらかであろう。


「それで、レディ。君の名前を聞かせてくれないか?」


「わたくしとしたことが、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。わたくしはアンフェルディア王国第一王女、セドウニア・リニカ・アンフェルディアと申します。どうか、セニアとお呼びくださいまし」


 セニアの名乗りを聞きながら、シラーフェは歴史の授業で聞いた話を引っ張り出し、当時の王族の情報を脳裏に描く。


 四〇〇年前の王族の中で、もっとも有名なのはやはりルヴァンシュ・フリュズ・アンフェルディアだ。

 ルヴァンシュが悪名を背負うことになるきっかけとなった人物として、セニアの名前は後世にも語り継がれている。


 セドウニア・リニカ・アンフェルディアは類稀な美貌の持ち主であるとも伝えられている。

 自他関係なく、様々な国の有力者から求婚されていたという話が残っているほどだ。

 数ある縁談は、セニア自身の申し出により、どれも実現しなかったという。そこにはルヴァンシュの口添えもあったのだとか。


 今、シラーフェが目の前にしているセニアの姿は幼いながらも、美しさの片鱗を全身に纏っている。

 姉のリリィや妹のネリスと、美しい女性を目にする機会の多いシラーフェでも思わず息を零してしまうほどの美貌を、まだ欠片として宿していた。


「お兄様が見せたいものというのは、アッシュ様のことでしたの?」


 シラーフェの感覚で言うと、アンフェルディア王族と勇者が親しく語り合う姿は実に罪深い。

 しかし、セニアの問いかけに責める色はなく、勇者に対して特別嫌悪感や忌避感は感じられない。


 当時は今ほどアンフェルディアとルーケサの仲も悪くなかったのかもしれない。つい先程まで勇者と親しくしていた自分を棚にあげて、シラーフェはそんなことを考える。


「いや、こいつはたまたまここにいただけだ」


「おいおい、親友に向かってそんな口の聞きの仕方をしていいのか?」


「生憎、悪い理由が見つからないな」


 親友という言葉を否定しないルヴィを意外な思いで見つめる。

 現在のルヴァンシュからは到底想像できない表情をシラーフェに注いでいる。

 ぞんざいに扱っているようでも、ルヴィもまたアッシュのことを親友だと思っていることが伝わってくる。


「この馬鹿は放っておいて、セニア、こちらへ」


 不満を訴えるアッシュを無視して、ルヴィは妹姫の手を引いて奥の方へと進む。

 先程と違って、繊細で、丁重な扱いで、セニアを案内する。


 森の景色など、どこも同じ。違いを言われても言葉にできるほど明瞭なものはなく四〇〇年もの時間隔たりがある。それでもシラーフェは辿る森の景色に強い既視感を覚えた。

 幼い頃、期待に胸を膨らませかとっていた景色と重なる。


 ルヴィがセニアに見せたがっているものが何か知っている気がした。期待とは別のものを宿し、ルヴィの歩みに合わせて変わる景色を見つめる。

 と、ルヴィが足を止めた。セニアは不思議そうに少し高い位置にある兄の顔を見上げる。


「セニア、目を瞑ってくれ」


 やはり不思議そうな表情を見せながらも、セニアは言われるがままに目を瞑る。

 その素直が愛らしい妹姫の手を、先程よりも慎重に引いて歩を進める。

 目を瞑り、先が見えない不安を兄への信頼で塗り潰し、セニアは自然な歩みで進む。


『……っ…』


 先にそれを目にしたシラーフェは堪えきれずに息を詰める。知らず、心臓が大きく跳ねた。


「目を開けてくれ」


 ルヴィの声を聞き、セニアはゆっくりと、恐る恐る目を開ける。

 宝石を思わせる澄んだ赤目が目の前の景色を映し出す。瞬間、感動が波打ち、感嘆の息が薄い唇から零れる。


「とても……とても素晴らしい景色ですね。まるで夢の景色のようです」


 視界に収まる万位すべてを埋め尽くすように咲く紫色の花々。

 一面を紫に染めあげるそれが“リラック”という名前であることを、シラーフェはもう知っている。


 今も記憶に残る幻想的な光景が四〇〇年前の世界でも変わらず作り出されていた。

 感動を輝きとして宿す瞳が圧倒されるとうにリラックの花畑を見つめる。セニアは、男二人に促され、そっと花畑の中へ足を踏み入れた。


 先に花畑の中で待つ兄の方へ、花弁を知らさないよう慎重に歩みを進める。

 揺れるドレスに合わせて、リラックの花がさらさらと揺れる。


 幻想的な世界を、きらめく美貌の欠片を窺わせる少女が佇む姿。

 息を零すほど美しい姿をルヴィの目を通して見るシラーフェはただ魅了される。


 思い出されるのは、同じ花畑であった想い人のこと。四〇〇年にも花畑があったことへの感慨よりも、かつての記憶から奮い起こされる感情がシラーフェの胸を疼かせる。

 もはや馴染み深い〈復讐(フリュズ)の種〉が与える疼きではなく、シラーフェ自身の感情が疼かせる。


 揺れる白髪に赤髪を幻視し、もっとも心に残る光景の愛しさを思い出す。

 堪らない気持ちになり、今、表情に映せない状況であることを感謝する。きっと他者に魅せられない顔をしていただろうから。


「いろいろ散策しているうちに見つけたんだ。セニアはきっと気に入ると思って」


「ええ、とても素敵な場所ですわ。ルヴィお兄様、教えていただきありがとうございます」


「ここに来たくなったら、いつでも言ってくれ。案内する」


 語りかける声は優しく、その内容も相俟って、セニアのことを大切に思っていることが伝わってくる。

 シラーフェは表情を見ることは叶わないが、きっと声と同じく優しい顔をしていることだろう。返すセニアの表情も幸福の満ちようを思えば、容易く分かる。


 柔らかな視線を交わし合うアッシュは口元をにやつかせて見ている。

 数秒見つめ合ったのちにアッシュの視線に気付いたルヴィは不満げにそちらへ視線を遣る。


「見せ物ではないぞ」


「美しい兄妹仲は人の目を奪うもんってことさ」


 掴み所のない返答があっけらかんとした調子で、ルヴィはただ視線のみを返す。

 独特な距離感の二人を今度はセニアが見ている。その目は花畑を始めて目にしたときと同じく、感動で輝いている。


「お二人はとても仲良しなのですね。お兄様に気を許せる方ができて、嬉しく思いますわ」


「別に仲良くはない」


「そうだぜ~。オレたちは大大大大大親友様だぜ」


 真逆な反応を見せる二人ながら、セニアは嬉しそうに笑っている。

 花の顔に宿る笑顔は年相応の幼さを含んで実に愛らしい。男二人はそんなセニアを愛おしそうに見ている。

 ルヴィはもちろん、アッシュもまたセニアのことを妹同然に思っているようだ。


 三人三様に相手に心を砕き、信頼を注ぎ合っている姿はシラーフェの心をも満たしてくれる。

 魔王族と勇者が気兼ねなく友愛を結ぶ姿は、シラーフェが簡単には手に入れられないものであった。


「お二人はどうやってお知り合いになったのですか?」


「ここでたまたま会ったんだ」


「いろいろ散策しててさ、綺麗な花畑があるって話を聞いてこっちまで来たんだ」


 なんてことのない口調で語るアッシュにセニアはやや首を傾げる。


「ルーケサの王都とはかなり距離があるように思いますけれど……?」


「今は近くの村で宿を取ってるのさ」

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