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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
45/88

45「水精の女王」

 横に並ぶサクマは感動を輝きとして映して目の前の宮殿を見ている。きっとシラーフェも似たような顔をしているのだろう。


 その外観の美しさに魅入られ、立ち尽くす二人に白イルカが泳ぎ寄る。

 わずかに傾げて見えるその姿は「入らないの?」と問うているようだ。


「すっげぇな、竜宮城みてえ」


「なんだ、それは?」


「俺のいた世界に伝わる昔話だよ。いじめられていたカメを助けた男が海の中にある城に案内されてもてなされるっつう話だ」


 海の中に城があるとは、サクマのいた世界にもこちらと似た部分があるらしい。

 水精の女王の加護を持つ者を助け、水の王宮――青籃の宮で歓待を受けることがあると聞く。

 思わぬところで共通点を見つけ、少し嬉しくなる。時間が許せば、他の話も聞いてみたいものだ。


「海の城、竜宮城で過ごした後、陸に戻ったら、すっげぇ時間が経っててさ。絶対に開けるなって渡された箱を開けちまって、その時間のぶんだけ年を取っておじいさんになるんだよ」


「時に干渉する魔法があるのか……」


「ん?」


 シラーフェの呟きを聞き咎めたサクマが怪訝な顔でこちらを見る。しばし互いに黙したまま、見つめ合い、ようやく理解が追いついたサクマが笑声をあげた。

 突然笑い出したサクマの姿に今度はシラーフェの方が怪訝な表情をする番だ。


「違う、違う。昔話つっても、実際にあった話じゃねぇよ。作り話だって」


 笑声が混じった言葉に「そうなのか」と頷く。


「俺がいた世界には魔法とか、そういう特別な力みたいなもんはなかったぜ」


「そう、なのか。こちらに伝わる技術を聞くに発展した環境だと思っていたのだが」


「あー、俺の前の勇者とかがいろいろ残してんっだっけ」


 サクマが勇者として召喚されたのは四〇〇年ぶりであるが、それが前はもっと短い感覚で召喚されていた。

 複数の勇者がいた時代もあり、その歴代勇者たちが異世界の技術を伝授したという話はもちろん、記録としても多く残されている。


「魔法はなかったけど、科学……つっても分かんねぇか。なんか、こう…別の技術があって、それでまあ……発展してるのは発展してんじゃねぇか?」


 途中、説明することを諦めたサクマは投げ槍に近い言葉で締め括る。

 サクマの口にした「科学」というものには興味があったが、詳しく説明できるほどの知識はないようなので深く聞くまではしない。ケイトであれば、構わずサクマに迫っていただろう。

 ふとそんなことを考え、確かにケイトが好きそうな話だと目元を和らげる。


 いつまでも話してばかりで動く気配のない二人に痺れをきらした白イルカは甲高い鳴き声をあげ、急かすように周囲を泳ぐ。


「悪いって。ほら、今行くから」


 鼻先で背中を押され、シラーフェとサクマはようやく水で構成された宮殿の方へ泳ぎ進む。

 淡い光を放つ宮殿に向け、二人はゆっくり下降していく。


 やがて足が海底を踏みしめる。洞窟を出て以来、数十分ぶりの地に足をつけ、目の前に存在する夢のような建造物と向かい合う。


 いざ、目の前にしてみれば、その美しさに圧倒される。

 触れれば、解けて消えてしまいそうとすら思える宮殿の中へ、白イルカは勝手知ったると言わんばかりに入っていく。尾鰭が残す水の流れに誘われ、シラーフェもまた中へ足を踏み入れる。


「すっげ、中もめちゃくちゃきれー。アニメみてぇ」


 天井、壁、床、すべてが透き通った青で構成されている。実施に中に入ってみても、これあ建造物だとはとても思えない。ましてや人が住まう場所だとは、とても信じられない気分だ。


 周辺には美しい彩りの魚たちが泳いでおり、それがまた神秘的に飾り立てた。

 魚たちはシラーフェたちの存在に気付くと共に二つに分かれ道を進んでいく。やがて荘厳な装飾が施された一室に辿り着く。


「待っていたわ」


 そう言って、二人を出迎えたのは美しい女性であった。

 波打つ髪を背中に流し、同じく波打つようなドレスに豊かな体を包んでいる。

 髪には冠を飾り、その手には王笏が握られている。長い睫毛で縁取られた濃藍の瞳は慈愛を含んでいる。


「ロキン、ここまで案内してくれてありがとう」


 白イルカの名前はロキンと言うらしい。役目を終えたロキンは誇らしげに、女性にへ擦り寄り。撫でられている。

 主人に撫でられ、嬉しそうな声をあげるロキン。やがて満足したのか、くるりと一回転して、女性のもとを離れた。

 歓喜を全身で表現しながら泳ぎ行くロキンを見送り、女性は改めてシラーフェとサクマに濃藍の瞳を向ける。


「改めて、私がこの青籃宮アトランティの主、シャトリーネ・アムフィ・シレーヌよ。初めまして、聖国の勇者さん。それと、久しぶりね……シラン」


 今はそう呼んだ方がいいでしょう、と女性――シャトリーネは片目を瞑る。

 どうやら、ここに来るまでの会話は把握されているようで、シラーフェは首肯で応える。

 シラーフェが偽名を名乗る理由すらも悟るシャトリーネは悪戯めいた表情を見せる。


「シャトリーネ様、この度は青籃宮にご招待いただき、感謝したします。直接お目通りでき、光栄です」


「あーと、サクマ・ナオエです。あんま、この手の作法分かんねぇすけど、よろしくお願いします」


 ある種、対照的とも言える二人の挨拶にシャトリーネは笑みを零す。


「無理しないで、いつ通りで構わないわよ。水精の女王なんて言われてても、ちょっと長く生きているってだけのことだもの」


 ちょっと、なんて言っているが、シャトリーネは神話の時代、千を超える年数を生きている。

 それでなくとも、水の精霊の頂点に立つ彼女は敬意を払うべき存在ではある。

 ただシャトリーネ本人はあまり己の肩書きに頓着せず、近い距離で接することを好むお人だ。


「状況は大体把握しているわ。と、その前に……」


 話を一度切ったシャトリーネは手にする王笏で地を叩いた。

 瞬間、シラーフェの服や髪が含んでいた水が宙に浮かぶ。落水して以来、感じていた水を含んだ服の気持ち悪さから解放される。


 服や髪が含んだ水のみを取り除くなんて、実に繊細な技である。簡単にしているように見えて、高度な技術が隠されている。

 横を見れば、サクマの服や髪が含んでいた水も取り除かれているようであった。


 周囲に浮かぶ複数の水滴は宙を舞い踊り、やがて渦を巻きながら、高く舞い上がる。

 高く、高く青籃宮の天井近くまで上り、散った。最初の水滴よりも細かく、光り輝く粒となって消え去った。


「すっげぇ……今のってどうやったんすか?」


 輝いた黒瞳が、水が消えたばかりの虚空を忙しなく見ている。

 その姿は幼子のそれで、エマリを彷彿させる。シャトリーネも似たようなことを感じたのか、口元で弧を描く。


「水たちに呼びかけただけよ。悪戯はやめて、元の場所に戻りなさいって」


「呼びかけてって、ここの水は生き物だったり……?」


 シャトリーネの言い回しは独特で、サクマは泥機と困惑を露わにする。

 水の中に入ったら、服や髪が濡れる。自然の摂理を悪戯なんて称するのはシャトリーネくらいなものである。


 サクマはこちらの世界に来て日も浅く、余計に困惑が大きいのだろう。

 非常識に思える事象もこの世界では常識なのかもしれない、と思案する姿にシラーフェは仄かに笑んだ。

 考えていることが表情にも、態度にも分かりやすいサクマを好ましいと思う。


「この広い海に、川、湖……雨の一粒一粒、自然界にある水のすべてと私は繋がっているの。言わば、私の分身ね。自分の身体を少し動かすのに難しい理屈はいらないでしょ?」


「んー、分かったような、分からないような……」


「精霊族の感覚を理解するのは難しかろう」


 多くの種族は五感で周囲の情報を認識している中、精霊族はマナを通じて認識する。

 魔族は角を介して、周辺のマナを感じ取ることができる分、多少は理解できる程度だ。

 シャトリーネほど格のある精霊ともなると規模も、年季も違うので、多少の理解では届かないが。


「精霊族はマナから生まれる存在だ。故にマナとの結び付き、が強い。シャトリーネ様は水が含むマナと笑っておられるのだ」


「精霊ってあのほわほわしたヤツらのことじゃねえのか?」


「あの子たちが成長すると私みたいな人の姿やロキンみたいな動物の姿を取れるようになるのよ」


 ロキンが精霊であることに気付いていなかったらしいサクマは「へえ」と零しながら、白イルカに目を向ける。

 話を聞いていないロキンは向けられた視線に、遊んでもらえると思ったのか、一回転して主張する。

 今にも寄って来そうなロキンの様子に微笑して、シャトリーネは制止を示す。


「年数だったり、糧にしたマナの質だったり、成長に至る理由は様々ね。得る姿も様々、こっちは本人の好みもあるわ」


「じゃあ、シャトリーネ様は自分で選んでその姿ってことっすか?」


「ええ、そう。精霊たちの代表として他種族と話すことも多いから、この姿の方が都合がいいの。それにほら、とっても可愛いでしょう?」


 見せびらかすように両手を広げるシャトリーネ。

 自分の姿を気に入っていることが伝わってくる、自信に満ちた表情を見せている。

 感情のままに笑うその姿は本人が口にしたように実に愛らしい。


「この姿はとても好きよ。愛しい存在を撫でることも、抱きしめることもできるの。とっても素敵なことだわ」


 明瞭な形を持たず生まれた者として、いっそうその気持ちが強いのだろう。

 シャトリーネは他の誰よりも、どの種族よりも、人型であることを満喫している。


「さて、お話の脱線はここまでにして、そろそろ本題に入りましょうか」


 広げた両の手を合わせ、シャトリーネはそう言った。本題、シラーフェたちがこの場を訪れた理由へとようやく触れる。

 水が含むマナと繋がっているシャトリーネは説明せずとも、シラーフェとサクマがここに至るまでの状況を正しく把握している。


「一先ず、お仲間さんたちに無事を知らせた方がいいかしらね。合流場所に希望はあるかしら?」


「では、リントスで」


「あ、俺もリントスで。多分、戻ってるだろうし」


 二人の希望に頷き返すシャトリーネは王笏を揺らす。装飾が擦れ合い、軽やかに音を立てた。

 その音に応じて、二つのマナの塊が生まれた。青色の塊はすぐに小さな少女の姿を作り出す。

 掌ほどの大きさしかない少女二人はそれぞれに大きく伸びをしてシャトリーネに向き直る。


「イオス、ピネル。おつかいを頼まれてくれるかしら?」


「はあい」


「女王様の仰せのままに」


 シャトリーネから、伝言の内容を聞いてすぐに二人は解け消える。現れたときと同じようにマナの塊となって、解けて消えた。


 合流地点の確認が取れたなら、後はリントスまで向かうだけ。

 ライたちがリントスに到着するよりも早くついてしまうだろうが、空いた時間を観光に使うのも悪くはない。とはいかないだろうな、とシャトリーネの表情を見て考える。


 話は終わっていないと、濃藍の瞳が告げている。


「貸し、というわけではないけれど」


 温度感を変えないままにシャトリーネは切り出した。

 その内容を窺わせない姿に緊張めいたものを抱きながら続く言葉を待つ。


「一つ、貴方たちに手伝ってほしいことがあるの」


「助力いただいている身で断る理由はありません」


 シャトリーネが無理難題を押し付けてくることはないという信頼と、作った借りは早いうちに返すべきという打算から、ほとんど間もなく受ける姿勢を示す。


「世話になるんだし、俺にできることだったら、何でも手伝うっすよ」


 二人の言葉を聞き、シャトリーネは笑んで頷いた。


「助かるわ。うちはあまり戦闘に長けた子がいないから困っていたの」


 ということは荒事を含むことなのか。何気なく、サクマを横目で見ながら、剣の柄に触れる。

 サクマの、今代の勇者の実力を測るにはいい機会だと訴える声がある。

 疼く胸に気付かないふりをし、シラーフェはそっと柄から手を離した。


「エニスとアビスもたまには気の利いたことをするってことかしらね」


「エニスとアビスって?」


「ルーケサが信仰しているエーテルアニス神と魔族が信仰するアポスビュート神のことだ。シャトリーネ様は二柱と旧知の仲であられるのだ」


「えっ、神様と知り合いなんすか⁉」


 サクマが驚くのも無理はない。神はまさしく雲のような存在であり、あまりにも遠く現実感がない。

 不敬ではありながらも、実在の認識が薄い存在と知り合いと言われても信じ難いものだ。


「友人、と私は思っているわ。何千年も会ってはいないけれど、私は変わらずそう思ってる」


「なんぜんねん……あのー、もしかしてシャトリーネさんも神様だったり?」


「神だと名乗ったことはないけれど、エニスやアビスと同じという意味ではそうかしらね」


 当然の疑問として投げかけられたサクマの問いにシャトリーネは悪戯っぽく答える。


「私は水の精霊の頂点たる水精の女王。エニスは陽の精霊の頂点、アビスは陰の精霊の頂点なのよ」


 すべての根源と言われるマナ、そのマナから生まれる精霊は神は化身と考え、その頂点に立つ存在こそ神として崇める。マナ信仰や精霊信仰を基盤として生まれたのが、今のルーケサや魔族の信仰なのである。


 神話の時代とは、名もなき精霊であった神々が力をつけて神となり、今ある国々を、数ある種族を創成するに至るまでのことを差すのだ。


「鍛冶師が崇める火の神カグツチに、エルフを導く世界樹ユッグイグル、龍族と共生するフィルドシルフ、獣族に心を寄せるロキジニアス。それに私とエニスとアビス。みんな、神なんて言われているけれど、ただの精霊だった時期もあったのよ?」


 マナから生まれたとされる神の名を、親しみを込めて連ねるシャトリーネ。

 名もなき精霊であった頃を説かれても、やはりシラーフェには想像できない。


 シラーフェがこうして悩み、抗っているように、神々にも思い悩むことがあったのだろうか。

 神となった存在もまた変わらぬとそう思うだけで救われている心がある。願いに勇気を与えられる。


「シャトリーネ様は神を名乗らないんすか?」


「だってそんなのつまんないもの」


 何千年生きた神とは思わせない様子で、シャトリーネは悪戯っぽく微笑んだ。

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