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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
44/86

44「迷子二人」

 サクマの振舞いは軽いものながら、容易く吹き飛ばされない重さを持っていた。

 彼はただ異世界に召喚されただけの少年ではない。芯を持って、この世界に向き合おうとしている。


「魔族は恐ろしい存在だって、ルチーナたちは言うけどさ、シランは俺を助けてくれただろ? 話だってちゃんとできるじゃねえか」


 元の世界で得たものを武器に、公平な瞳で世界を見ている。

 その姿が、やはりシラーフェには無垢で綺麗なものに移った。


「俺がいた世界は、いろんな考えを持ったいろんな人と当たり前に繋がれるとこだったんだ。どんなに言われても、百信じる気にはなれねえんだよな」


 いろんな人と当たり前に繋がれると言われても、シラーフェには想像もできない。

 異世界人が齎した知識や技術はシラーフェも何度か触れたことがある。その上で考えるに、サクマがいた世界はかなり文明が発展しているのだろう。

 考えるシラーフェを前に、サクマは今までの言葉を覆すように笑った。


「なんてかっこつけで言っちゃあいるけど、ぶっちゃけシランに会うまではわりと信じるよりだったんだ」


 内心を隠さず言葉にする姿は素直に好感が持てるものであった。

 照れて笑う姿を目にしてもなお、サクマの中にある芯が揺らいだとは感じないのだから不思議だ。


「リナリアがいなかったら、まるごと信じてたかもしんねえ」


 鼓膜を震わせた声に、零れそうになった息を咄嗟に飲み込む。

 リナリア。リナリア・マルティーナ。ルーケサ聖王国の聖女の名前である。

 本人の口から聞いた名乗りを反芻するように、シラーフェの脳内に蘇る。


 聖女と勇者が結ばれるというのがルーケサの習わしだと聞く。親しげで彩られた声がリナリアの名を呼ぶ姿がその証明のように思えて痛痒を覚えた。


「よく知りもしないのに善か、悪かなんて分からないってリナリアが、俺の仲間が言ってた。俺も思う」


「変わった奴らだ」


 疼く感情を誤魔化すように紡いだ言葉にサクマ目を丸くしてこちらを見た。


「シランも同じだろ? 俺を助けてくれた」


「ただの通りがかりだ」


「だとしても、いや、だからこそだろ。人族と魔族の中があんまよくねえのは俺だって分かる」


 真っ直ぐにこちらを見るサクマの目にリナリアを見て、勝手に痛みを覚える自分が嫌だった。

 そっと視線を落としたシラーフェを迫って、サクマは頬を覗き込む。


「見捨てることだってできただろ。仲が悪い相手なら尚更、そうだろ?」


「負傷している者を捨て置くことなどできぬ。種族は関係あるまいよ」


「それもだいーぶ変わった考えだと思うぜ。普通ならはみ出るのが怖くて踏み出せない一歩だ」


 踏み出せなかった経験でもあるのか、サクマの言葉には強い感情が含まれている気がした。

 先程、口にしていた後悔と関しているのか。心の内に関わることだけに容易に聞くこともできない。


「俺は食み出る考えとは思っていない。許されない考えだと感じてはいるが、俺の周囲には受け入れてくれる者が存外多い。人に恵まれているだけだ」


 ライを筆頭に兄たちは、人族と分かり合える世界を目指すシラーフェの考えを否定することはなかった。

 難しいことだと説きながらも、みな、背中を教えてくれた。思わず厳しい言葉をかけてきたのはカナトくらいのものだ。


「人も……まあ確かに大事だけど、それだけじゃ踏み出せねえよ」


 暗い色をにじませるサクマを励ますための言葉のつもりだったが、逆効果のようだ。より落ちた色を取り戻す方法に迷って赤目が揺れる。ライのようにはやはりいかない。


「――そういや、通りがかりって言ってっけど、シランは何でこんなとこにいるんだ?」


 重く流れる空気を壊すようにサクマが問いかける。彼はライと同じく、空気を作り出すのが上手い性質のようで対照的に軽くなった空気に乗って、口を開いた。


「道中、魔物に襲われ、落水した」


「なんだ、俺と同じなのかよ。澄ました顔してっから、てっきり依頼かなんかで来てんのかと思ってたぜ」


 端的に己の状況を説明するシラーフェをサクマは笑い飛ばす。

 おかしなことを言っただろうかと考えても、サクマが笑う理由が分からず眉を寄せる。


 構わず、笑声を零すサクマは距離を詰める。目覚めの気配を感じるとともにシラーフェが取った距離はもう完全に失われてしまった。それを心地いいと思う心を、シラーフェは温かな気持ちとともに受け入れる


「よく見れば、あんま冒険者っぽくねえ格好だもんな。そりゃそうか」


 サクマの目がシラーフェの服をじっと見る。

 見る人が見れば、上質な布と一流の職人の手で仕立てられた一級品だと分かる代物だ。上級貴族でもなければ、袖を通すこともない高級品は、シラーフェの身分を語っているようなものである。

 身分を偽っている立場として、シラーフェは仄かに身を固くする。


「旅行中とか?」


 異世界から来て間もない少年に目利きできるはずもなく、サクマは特に触れることはなかった。


「そんなところだ。カザードから、自国に帰る途中であった」


「自国って―と魔族の国だよな。確か、ええと……」


「アンフェルディア王国だ」


 種族を話した以上、隠しても仕方がないので素直に述べる。

 下手に冒険者と騙ったとて、シラーフェではどこかで襤褸が出るだけだ。王族であることを秘することがシラーフェのできる精々だ。


「一度くらいは行ってみたいけど、難しいんだろなあ」


「両国の関係が改善しない限り不可能だろうな」


 本音を言えば、サクマにアンフェルディアに来てほしいという気持ちはシラーフェの中にもある。自国を案内したい。

 龍族二人相手とは違い、サクマを招待には国という柵が付き纏う。


 ルーケサはサクマがアンフェルディアを訪れることを許さないだろうし、ルーケサの最大戦力とも言われる勇者はアンフェルディアにとって警戒対象だ。

 下手に足を踏み入れれば、戦の前触れと扱われかねない。


「じゃさ、もし、ルーケサとアンフェルディアの仲が良くなって、面倒事なしに行き来できるようになったら、シランが案内してくれよ」


「……夢物語だな」


「いーんじゃん。夢見るのは自由だろ。未来なんて誰にも分かんねぇんだからさ」


「ならば、ルーケサはお前が案内してくれるんだろうな?」


「もちろん! そのときまで案内できるくらいにはなっておくぜ」


 不安になるような言葉を自信満々に告げるサクマは頬を緩める。

 ルーケサの勇者と魔族の王族が互いの国を案内する。今では到底実現し得ない事柄が実現する未来は来るのだろうか。来てほしいとシラーフェは心から願っている。


 その願いに警鐘を鳴らす胸の疼きが、夢想する心を現実に引き戻す。

 一度は静まっていた先祖の妄執は、聖剣に触れたときからうるさいくらいに呼びかけてくれる。

 余程、サクマと親しくしてほしくないらしい。憎悪に満ちた警鐘を聞かぬふりをして、サクマへ目を向ける。


「いづれにせよ、仲間と合流せねば、話にはなるまい」


 夢物語が実現するしないの話はさておき、洞窟の中で済ませるには大きな話だ。

 見たところ、サクマの体調も問題なさそうなので、そろそろ合流のために動き出してもいい頃合いだろう。


「シランは戻れる心当たりでもあんのか? 正直俺にはさっぱりで……」


「水精の女王の許を訪れるのが得策であろうよ」


 水精の女王については聞かされていないのか、見返す瞳が疑問符を浮かべている。

 その姿はどことなくエマリに似ている。


「水精の女王はこの地、水辺を統べる者だ」


「迷ったら、地元の人に聞くのが一番ってところか?」


「そんなところだ」


 いささか以上に噛み砕かれた表現ではあるが、間違っていない。

 細かいことを指摘しても仕方ないと一先ず首肯する。


「で、水精の女王のとこにはどうやって行くんだ?」


「それは――」


 シラーフェの声を遮るように、甲高い泣き声が響いた。声というより笛音に近い。

 声は洞窟の外から聞こえてきた。海洋生物とは縁遠いシラーフェには聞いた事のない類の声だ。


「これってイルカの声じゃね? こっちの世界にもいるんだな」


「知っているのか?」


「ガキの頃に水族館でイルカショー見たことあんだよ」


 イルカショーはともかく、水族館は何か分からないが、おそらく異世界の文化なのだろう。

 水中の生物を見ることができる施設と言ったところだろうか。興味の引かれる内容ではあるが、一先ず今は置いておく。


「俺が見て来る。お前はここにいろ」


 体調が戻ったようであっても、サクマは病み上がりだ。危険は担う、と様子を窺うために外へ出た。

 声はイルカのものだとしても、魔獣や魔物の可能性もある。剣の柄に手をかけ、警戒を込めた視線を周囲を巡らせる。


 再度、甲高い鳴き声――イルカの鳴き声が聞こえた。

 視線を向けた先にいたのは美しい白色のイルカだ。穢れを知らない色を纏うイルカは、魔獣とも、魔物とも迷う不思議な空気を持っている。妙に人懐っこく鼻先をシラーフェに擦り付ける。

 なんとなく馴染みのある感覚は、周辺を漂う精霊たちの戯れに似ている。


「お前はシャトリーネ様の使いか?」


 予感めいたものを問いとして投げかければ、甲高い鳴き声が肯定する。

 水の精霊たちが伝えてくれたのか、水中のことをすべて把握している故か、使いを寄越してくれたらしい。

 白イルカは鼻でシラーフェを押し、先に進むように促す。案内役の務めに張り切る様子に、制止を求めれば、つぶらな瞳が怪訝そうにこちらを見る。


「中にもう一人いるんだ」


 傾げる姿は「そうなの?」問いかけているみたいだ。どことなく、人の子供に近い無邪気さを感じさせる。


「危険はない。出てきても構わない」


 洞窟の中へと呼びかければ、間もなくサクマが姿を現す。

 周囲に視線を巡らすサクマはすぐにシラーフェと、人懐っこく絡んでくる白イルカを見て目を輝かせる。


「すっげ、白イルカじゃん! 初めて見た」


「水精の女王の使いのようだ。女王の許まで案内してくれると」


「マジか、ありがとな。ははっ、人懐っこいな、こいつ」


 シラーフェにそうしていたようにい白イルカはサクマにも鼻先を擦り付ける。

 撫でられ、嬉しかったのか、シラーフェとサクマの周りをぐるりと回る。そうしてすぐに「早く行こう!」と急かすように泣き声をあげた。

 シラーフェたちはその姿に頬を緩めて、先行してはこちらを見る白イルカを追う。


「水ん中で普通に息ができたり、話せたりすんのは何でなんだ?」


 白イルカの背を追う道中、サクマが問いかけた。


「水の精霊の加護だ。好意で、水中でも不自由しないようにしてくれているのだ」


 サクマを鮫の魔獣から助けたときに、加護をかけてくれたようだ。

 案内役の白イルカが現れた後でもなお、精霊たちは行く先を青く照らしてくれている。


 マナを与えられた分の役目を果たさんとする義理堅さを見せる水の精霊たち。

 青が照らす美しい光景をその目に映し出すサクマは「ありがとな」と快活に笑う。

 精霊たちはそれに応えて明滅し、別種の美しさを奏でる。


「ただの光くらいにしか思ってなかったけど、こうして見ると小動物みたいでかわいいな」


 素直さに彩られたサクマの性情は、精霊の好みに沿うもののようで、小さな光たちは戯れにサクマの周りを舞う。魔族でもなく、精霊信仰者でもない者を気に入るのは珍しいことだ。

 勇者という肩書きとは違うサクマ自身の魅力にひかれるのだろうと当然に思えた。


「その、水精の女王……ええと、シャリ…」


「シャトリーネ様だ。シャトリーネ・アムフィ・シレーヌ様」


「そう! そのシャトリーネ様には会ったことあるのか?」


「直接の面識はない。数度、分身体と話したことがあるくらいだ」


 何気なく答えから己の失言に気付く。いち魔族、いちアンフェルディア国民には、水精の女王を言葉を交わす機会などあるはずがない。それがたとえ、分身体であったとしても。

 貴族であっても、機会を得られる者は限られる。先の発言は自身が上流階級の者であると告げているようなものだ。やはりシラーフェに隠し事は向いていない。


 心中で息を吐き、サクマの様子を窺うが、特に不審に思われていないようだ。

 サクマがまだこの世界に染まっていないことに助けられた思いで、今度は安堵の息を吐く。


「……しかし、精霊たちがいてくれてよかったな。他に光もねえし、真っ暗すぎて何も見えなかったところだぜ」


 白イルカの先導に倣って、シラーフェたちは下へ下へと進んでいく。

 光源から遠ざかり、進む先は闇に呑まれている。その中を美しく、照らすのが水の精霊たちだ。

 水の精霊たちがいなければ、進むことに多少の躊躇いが生まれていたことだろう。


 どれほど進んだ頃だろうか。もう水面は遠く、水底にかなり近づいた頃合い、白イルカが高く鳴き声をあげる。

 敵襲を脳裏に描き、警戒を持って、剣の柄に触れるシラーフェ。その横でサクマは大きく目に開く。同時に輝かせる。


「シラン、あそこ」


 指し示された方、水底へと目を向けてシラーフェもまた目を見開く。

 傍まで泳いできた白イルカが誇らしげにもう一度鳴いた。


「あれが青籃宮(せいらんきゅう)アトランティか……」


 話に聞くばかりだった水精の像王の住まう王宮が目の前に建っている。

 陽の光の届かない海の底に淡い輝きを纏って存在する水の宮殿。

 その姿は実に神秘的で、理想郷を思わせる美しさを持っている。シラーフェもあまりの美しさに少々自失してしまった。


 物語にも時折登場する水の宮殿を前にした感動は、龍族の船スキーズニズルを目にしたときと同じ。

 非現実的な美しさはその感動すらも忘れさせるものっであった。


 白イルカの誇らしげな姿は頷ける神域の景色が、シラーフェの瞳を彩った。

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