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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第3章
40/88

40「精霊信仰」

 深刻さを仄かに纏う車内の空気を打ち破るように連絡窓がノックされる。


「ご歓談中、失礼いたします。そろそろ海が見える頃合いかと」


「お? もうそんな進んでたか。シフィ、エマリちゃんを起こしてやりな」


 空気を明るくさせる切り換えをみせるライに頷きで答える。

 シラーフェに寄りかかる形で眠っているエマリの肩を軽く揺すり、声をかける。

 海が見える頃には起こすとエマリと約束していた。御者にも伝えて在り、先程報告してもらった形である。


「ん……シラーフェ様」


 身じろぎとともにエマリが目を覚ます。

 半分目を閉じたままで頭を揺らし、数秒ほど軽く伸びをして完全に目を覚ます。


「カーテン、開けておきますね。エマリちゃん、こっちで海が見えますよ、そろそろですかね」


 この馬車には中から外から覗けるようになっている。普段は厚いカーテンに覆われているところを、ソフィヤが開いて、エマリは外を見るように促す。

 海を見るため、窓側の席に座っていたエマリは、ようやく開いた赤目を窓の外へと向ける。


 映し出される景色が流れていく様をじっと見つめていたエマリはやがて「あ」と声を零した。

 大きくて丸い赤目が輝き、並ぶ木々が途切れた果てにある景色を見つめる。


「あれが、海……? すごくきれい、すごいっ!」


 表情はほとんど動いていないながらも、エマリの全身が目に映る景色に感動していることを表している。

 エマリは輝く目をシラーフェの方へ向けて、軽く袖を引いた。


「シラーフェ様も見て! すごくきれい」


 急かされるままに、シラーフェもエマリの横から窓を覗き込む。


 まず視界に入ってくるのは鮮やかな青だ。薄い雲が飾り立てる空の青と、水平線を隔てて存在する少し色合いの異なる二色の青で塗り潰された不思議な光景。

 果てのないというライの言葉通り、奥にも、左右にも、途切れる場所が見当たらない。


「やっぱり初めて見ると驚きますよね。自分も最初はそれはそれはびっくりしたもので……」


「水洋都市は見た目からしてアンフェルディアとも、カザードとも全然違うからな。カザードとはまた違う驚きに満ちてるぜ」


 カザードのときと同じく、ライとソフィヤは水洋都市に生き慣れている様子だ。

 ライが不在がちなことは知っているが、思っていたよりも幅広く歩き回っているらしい。


 外交でも、遠征でもなく、お忍びで他国を頻繁に訪れる危険性は、シラーフェがわざわざ指摘することでもない。

 この兄はその手の対策を欠かす人ではないのと、自国では似たようなことをしているシラーフェが言えたことではないからだ。


「ん。水洋都市ってどんなとこ?」


 しばらく海を眺めたのち、満足したらしいエマリは座り直して問いかけた。


「水洋都市リントスはですね、魚人族や海人族、水精族たちが共に暮らしている場所なんです」


「都市とは言ってるが、扱いとしては国と一緒だ。リントスの住民は、水精の女王の加護を受けてるからな、小国くらいなら潰せる力を持っている」


 魚人族と海人族は海洋生物の特徴を持つ種族だ。魚人族の方がより海洋生物に近く、海人族の方がより人族に近い見た目をしている。カザードでそれらしい人物とすれ違うことはあったが、シラーフェもちゃんと目にしたことはない種族である。


 水精族は水の精霊の格があがり、確立した自己を持ち、人型を取れるようになった姿である。

 精霊族の中でも、水の精霊に対して水精族と言うのである。火の精霊なら火精族、風の精霊なら風精族となる。


「すいせーのじょうおう?」


「水精の女王、シャトリーネ・アムフィ・シレーヌ。水の精霊の王にして、あの海を統べる王だ。彼女の加護は水の精霊の寵愛を受けることと同じだ」


 加護を受けた者を害することは水精の女王への敵対行為と見なされる。

 彼女を敵に回すことは、すべての水の精霊を敵に回すことと同じだ。数の差はあれど、精霊はマナのあるところならば、どこにでもいる。その上、水精の女王は自然界にあるすべての水と繋がっている。

 一度怒らせてしまえば、どこにも逃げ場はないと言われている。


「シラーフェ様は会ったことあるの?」


「直接の面識はないが、言葉を交わしたことは数度ある」


 シラーフェの言い回した難しかったのか、エマリは首を傾げてこちらを見る。


「シャトリーネ様は海の中にある宮殿から出てこられることはほとんどない。代わりに分身体を使者として寄越すのだ」


「アンフェルディアとは友好関係にあるからな。祝い事のときなんかに分身体を寄越して、挨拶してくれんだよ」


 アンフェルディア王族の子が産まれたとき、そしてこの孤独が成人するときに分身体を通して祝辞を届けるのだ。

 流石に産まれたときのことまでは覚えていないが、成人したときには直接言葉を交わした。

 神話の時代からいると言われる精霊との対峙は緊張したものだ。


「海の中におしろがあるの?」


「精霊の力で編まれた宮殿で、とても美しいと評判なんですよ。一度は目にしたいものですけど、海の中となるとなかなか……行く機会もありませんからね」


 水の精霊の力で生み出された海底の宮殿。神の世界を思わせる荘厳さと現実離れした美しさを持つ、なんて言われているものの、実際に目にしたことがある者は稀だ。

 多くの者がそうであるように憧れを口にするソフィヤに、エマリは少し目を見開いてライを見た。


「ライ様は行ったことのないとこないと思ってた」


 子供らしい驚きを持って、エマリはそう口にした。


 カザードにも、リントスにも行ったことがあると語るライが、エマリの目には様々な土地を訪れる冒険家のように見えていたのだろう。

 もしかするとシラーフェが龍の谷を訪れている間、他の国や様々な土地の話を聞いていたのかもしれない。


「オレだって行ったことのない場所は山ほどあるぜ」


「そうなの?」


「それこそ海の宮殿には言ったことねぇし、シフィの行ってた龍の谷もねぇ。ルーケサとかにも、流石に行ったことはねぇな」


 最後に付け加えられた場所に図星を突かれた気分だ。

 ライですら行ったことのないルーケサの地に通っていた時期があった事実が擽られる。


 誰も触れることはなかったが、きっと幼き日のシラーフェがどこからかヒューテック領に侵入していたことを兄たちは気付いていたことだろう。

 もちろん、今、ライが口にしたのはたまたまで、シラーフェの心を擽る意図はなかっただろうが。

 もう何年も前の話だ。意識するようなものではないことを、未だにシラーフェが引き摺っているだけで。


「気軽に行けるとこは大体行っているのは事実だから、全部が全部否定はしねぇけど」


「ライ様の話聞くの、楽しくて好き」


 エマリの気持ちはシラーフェもよく分かる。

 あまりアンフェルディアから出ることのなかったシラーフェは、よくライから他国の話を聞いていた。

 ライは人を楽しませる話し方が上手く、未知の場所への期待を程良く掻き立てるものだ。

 シラーフェの他国への知識は本で得たものと、ライから聞いたものがほとんどを占める。


「すいせーのじょうおうはアンフェルディアとなかよしなの?」


「そうだな。精霊信仰が強い地は魔族と友好関係にあることが多い」


「せいれいしんこう?」


 まだ知らない単語が出てきたとエマリはわずかに表情を曇らせる。

 エマリは元々ただの村娘だ。水精の女王や精霊信仰の情報に触れる機会はない。


 少しずつ改善しているところだが、アンフェルディアはまだまだ貧富による教育の差が大きい。

 都市周辺ならまだしも、エマリが暮らしていた村のように辺境の地までは行き届いていない現状だ。


「精霊信仰というのは、精霊を尊び、共存を望む考えのことだ」


「すべての根源たるマナから生まれる精霊と仲良く、一緒に暮らしましょーってな」


 端的なシラーフェの説明をライが噛み砕いて伝える。


 すべての生命の源であるマナを尊ぶのがマナ信仰。そのマナから生まれる精霊を神の欠片として尊重するのが精霊信仰である。

 精霊と共に暮らすエルフや、水精の女王の加護を受ける水洋都市の者たちがその代表例だ。


「精霊となかよく……シラーフェ様といっしょ?」


「俺の場合は気が精霊の好みに合うというだけだ。精霊信仰とは少し異なる」


 難しい、と再度表情を曇らせるエマリ。流石に子供が理解するには難しい内容だったかもしれない。

 なんと説明したものか、と頭を悩ませる。シラーフェはあまり説明が得意な性質ではないのだ。


「気ってなに?」


 問いを重ねられるたびに分かりやすい説明を思って思考を回す。

 理解しているつもりでも、いざ説明するとなると言葉に詰まる。


「気は……その者の魂の色、のようなものだ。魔族の角から排出されたマナにはその者の気が混じる」


 自分の理解が感覚的なものであった事実を認識しながら、言葉を探すように紡ぐ。

 エマリは難しい表情をしたままで、己の不甲斐なさを味わう。


「精霊がマナを食べてるってのはエマリはこくりを頷く」


 シラーフェに代わるように問いかけたライにエマリはこくりと頷く。


「周囲に漂うマナはバターも何もついていないパンだ。んで、気ってのはバターやジャムみたいなもんって思ったらいい」


 分かりにくい単語を身近なものに例えてライは語る。

 パンはエマリの好物でもあるので、より話が入ってきやすいだろう。流石、人のことをよく見て、的確に寄り添うライらしい語り口である。シラーフェとしても参考になる。


「何もつけずに食べるのもうまいけど、ジャムをつけるのもうまいだろ?」


「ん! 木苺のジャム、好き」


「エマリちゃんが木苺のジャムが好きなように、精霊たちにも好みってものがある。シフィの気は精霊たちが好きな味をしてるわけだ」


 すべてを完璧に理解させることよりも、概要を理解させることに重きを置いたライの説明。

 身近なものがたとえに使われていることもあって、エマリは理解を示して頷く。


「精霊にとって魔族はパンやジャムを塗ってくれる存在……食事をより美味しくいてくれる存在ってな暗示だな」


 何もついていないパンも美味ではあるし、それを好む者も少なくない。実際、精霊の中にも好みの気ではないマナを食すよりも、気が混じらない自然なマナを食すことを選ぶことを好む者もいる。


 王族の気は高級ジャムのようなもので好む精霊が多く、その中でもシラーフェの気は一級品。

 そう考えてみるとライの例えは言い得て妙である。


「そんでもって精霊が大切にしているものを、大切にすることも精霊信仰一つ。つーことで、精霊信仰者は魔族のことも尊重し、仲良くする奴が多いわけだ」


 特に魔族の王族は精霊にとって重要な存在として、友好関係を築いている。

 水精の女王が祝い事のたびに祝辞を届けるのもその一環である。他に精霊信仰している種族で言うと、エルフとも長年、友好関係を築いている。


 エルフの国、アルフヘイムはシラーフェも何度か訪れたことがある。隠れて訪れていたヒューテック領――ルーケサを除けば、もっとも来訪回数の多い国である。

 魔族に対するエルフの態度は親愛に満ちており、排他的な種族という話は嘘ではないかと思うほどに。


「例外的ではあるが、龍族も精霊信仰をしている種族だ」


「マレイネたちも?」


「龍族は自分の道を行くって感じだからな。精霊を信仰してはいても、他の種族に阿るのは違うって考えで、独自の信仰を貫いているから、うちとの関わりもほとんどない」


「龍族とエルフは他種族と関わることを嫌う人が多いって有名ですもんね」


 精霊に愛される存在は親愛にたる存在と判断するエルフと違い、龍族が信じるのは自分自身だけ。

 独自の文化を築き、精霊を愛する長命種、似た特徴を持った種族ながら生まれた考え方の相違は戦闘に特化しているか否かということだろうか。


「マレイネは優しいよ?」


「マレイネちゃんは特殊だからなあ」


 実際龍の谷を訪れたシラーフェはよりマレイネが龍族らしからぬ人物である実感が強くある。

 龍族は余所者との関わりを嫌う。実際龍の谷に滞在している間、会ったのは三人だけ。

 滞在中、視線を感じることが少なくなかったので、まるで警戒心のないマレイネの態度には驚いたものだ。


「龍族も、エルフも、同胞を守る意識が他よりも強いのだろう。マレイネはその中で、他種族にも心を配れるほど、強い人なのだ」


 長の一族として同胞を守るために厳しさを自身に課していたミグフレッドを見て来たから、より強くそう思う。

 己を害した一端であるティフルを許してしまうマレイネのそれは優しさや甘さではなく、強さなのだと。


「ま、カザードの領内に甘んじてる時点でミズオルムはまだ友好的ではあるわな」


 他の龍族のように独立するわけでもなく、素材を納めるという条件でカザードから許可を得ているのがミズオルムの民だ。


 高い戦闘力に物を言わせることの多い龍族らしからぬ関係性は、相手がカザードであることが大きな理由であろう。

 素材を納める契約さえ守っていれば、龍族側に干渉しないという信用がカザードにはある。それどころか、カザード領内にある分、他国からの干渉も抑えられ、敵対するよりもずっと民を守ることに繋がる。


「せいれいしんこうはやっぱりむずかしい……」


 ライの説明でなんとなくまで理解が追いついていても、まだ完全に理解するには程遠いと眉を寄せるエマリ。

 わずかに俯いた頭を撫で、「ゆっくりでいい」と告げようとしたシラーフェの体が衝撃に揺さぶられる。馬車ごと大きく縦に揺れた。


 撫でるために伸ばしていた手で咄嗟にエマリを抱きかかえる。

 揺れたのは一度だけ。車内にいた全員が異常事態を感じ取って、表情に緊張感を宿す。

 どうやら今回の旅もまた穏やかに進ませてはくれないらしい。


「何があった?」


 普段の軽薄さを潜ませたライが御者に問いかける。ソフィヤとユニスはそれぞれにナイフを構えて、警戒を高める。


「ま、魔物の襲撃です。現在、騎士が対応中です」


「また魔物化した魔獣なんてことはねぇっだろうな」


「どうしますか?」


「騎士たちに任せてもいいだろうが……っと」


 再度大きな縦揺れがあり、腕の中でエマリが身を固くする。怯えるエマリを宥めながら、シラーフェは思案顔のライを見合わせる。

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