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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第1章
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4「咲分け」

 その後も少しだけメイーナと話して、彼女を薬草屋に送り届けた。そのまま当てもなく町を歩き、民の営みを眺める。穏やかな日常が彩る景色に多幸感が満ちる。


 無意識に笑みを落とすシラーフェは不意に視線を感じて振り返った。殺意とは違う警戒心を纏った視線だ。

 それはシラーフェ個人ではなく、全体に向けられているようだった。詳しく出所を探ろうとしたところで、肌をちくりと刺すような感覚は消え失せた。


 ほんの刹那の出来事、微かな感覚に気のせいだと結論付けて歩を進める。

 そうして陽光がもっとも高い位置に昇る頃には王城へと戻った。


 王城が戻ってすぐに服を着替え、中庭の方へ向かう。その腰には古い剣が提げられている。

 長兄フィルから貰った、お下がりの剣だ。町を散策した後、中庭で素振りをするのがシラーフェの日課だ。

 その刃を振るう機会が訪れないことを願いながらも、その腕を磨くことはやめない。それは王族としての役目をまともに果たさない自分への言い訳でもあった。


「シフィ兄様!」


 ユニスを後ろに連れ、中庭へ向かうシラーフェを少女の声が呼び止めた。甘い鈴の声に足を止め、振り返るタイミングでもう一度「シフィ兄様っ」と呼びかけられる。


 赤い瞳に映るのは、鮮やかな空色のドレスを纏った可愛らしい少女だ。喜色満面にこちらへ駆け寄ってくる。

 ピンクを帯びた白髪を編み込み、ハーフアップに結っている。側頭部から生える角は黒。

 王族の特徴を持つ彼女は、第二王女ネリーレイス・ベルゼビア・アンフェルディアである。シラーフェにとっては唯一の年下の兄妹を笑みと共に迎え入れる。


 走ったせいで乱れたドレスを直しながら、ネリスはその赤い瞳を嬉しそうにシラーフェに向ける。


「ネリス、リカはどうしたんだ? 一緒ではないのか?」


 傍にいるはずの従者の所在を問いかけたところに、奥から一人の人物が姿を現す。

 一房だけピンクに染め、ツインテールに結われた灰色の髪に蒼い角。動きやすさと可愛らしさを重視して改造されたメイド服で細い体を包む少女――風の少年である。


 リーカス・ツェル・ラァーク。ネリスの影である少年はやっと追いついたと息を吐くとともに、乱れた髪と服を整える。


「姫様ってば、急に走り出すのはなしですよぅ。あーもう、髪ぐしゃぐしゃ、さいあく」


 従者らしからぬ態度を見せるリーカスは、自分の身嗜みを整えるのもそこそこにネリスへと視線を向ける。瞬間、リーカスの瞳が大きく見開かれ、絶望を表情に映し出しながら、その手をネリスの髪に伸ばした。


「ネリス様っ、髪ぐしゃぐしゃじゃないですか!? もうほんっとさいあく」


「この程度、大したことではありませんわよ」


「ダメです! どんなに乱れてても僕の姫様が世界一可愛い事実は微塵も揺らぎませんけども、可愛い中でも一番可愛い姿でいてほしいんです!」


 友人か、兄妹かという距離感でリーカスはネリスの髪を直す。ネリスも慣れているようで特に何か言うでもなく、されるがままになっている。呆れ半分、微笑半分といった感じだ。

 正面から見て、斜めから見て、ようやく満足したリーカスはネリスの前から退いた。


「やっぱり可愛い僕の姫様は世界一可愛くいてもらわなくないとね」


 と、自画自賛なのか、ネリスを褒めているのか、判断に言葉を残しながら。

 不敬とも取れる言動ではあるが、それを咎める者はここにはいない。


「それで俺に何か用があったんだろう?」


「そうでしたわ。お兄様に今日覚えた魔法を見てもらいたいんですの」


「今日は授業の日だったか。どんな魔法を習ったんだ?」


 魔法の授業は王族には必須のもので、シラーフェも幼い頃から英才教育を受けている。男王族であれば、これに剣術も加わる。ライは角が折れてから、どちらもずっとさぼっているようだが。


「見ていてくださいまし。――レイニングクア」


 自信満々に中庭の方へ、歩み出し、その手を頭上へと向けた。

 唱えた言葉に応じて空気を震え、澄み渡った青空から雨が降り注ぐ。自然のものとは違う、魔力で構成された雨が地面を叩いた。

 雫一つ一つが均等な魔力で構成されている繊細な魔法だ。


「すごいな」


 称賛は自然と零れていた。端的な味気のない言葉には心からの称賛が込められている。

 一目見て分かった。ネリスはかなり手加減をして、先程の魔法を放ったことを。


 魔族の魔法の才能は、魔器官の優劣に依存する。魔族の特徴として、もっとも分かりやすい角があげられるが、他種族との決定的な違いは魔法を使うための器官の有無である。

 角から吸い込んだマナを、魔管を通じて魔臓へ溜める。魔臓の許容量を超えたマナは逆の順で、角から排出される。この一連を魔族は呼吸と同じように行っているのだ。


 角が優れている者は周囲のマナを瞬時に集めて補給することができ、魔管が優れている者は繊細なマナ使いを得意とし、魔臓が優れている者は多くのマナを貯蔵できる。

 ネリスは巨大な魔臓を有する天才だった。先程の魔法より広範囲、王都全体に降らすこともできるし、雫が纏う魔力の量を増やして範囲攻撃をすることもできる。


「はっ、やけに騒がしいと思えば、お前たちか。役目のない奴は暇で羨ましいものだな」


 隠しもしない嘲笑混じりの声が場の空気を大きく乱した。仄かにピリつく緊張感を纏う。

 現れたのはカナトだ。傲岸不遜な態度を全面にシラーフェたちを見遣る。


「カナト様、あまり構わない方が……。このような落ちこぼれと話していては貴重な時間を無駄にしてしまいます」


「はぁ!? レナードってば、随分と偉そうな口を利くようになったんだね」


 レナード――カナトの影である青年にリーカスが噛みつく。可愛らしさにこだわる少年は、その表情を大きく崩して怒りのままにレナードを睨みつける。

 受けるレナードはと言えば、十歳弱も離れたリーカスの威嚇に嘲笑を浮かべるだけだ。


「リーカスか。次期王候補の影に意見する意味が分かっているのか? 恥知らずなのはその痛々しい格好だけにしておけよ」


「恥知らずはどっちさ。それとリーカスじゃなくてリカって呼んでって言ってるでしょ!」


 主であるカナトの態度と違わぬ高慢な態度を見せるレナード。

 主と影の関係は千差万別、様々であるが、とりわけカナトとレナードはよく似ている。


 向けられる嘲笑めいた二対の赤目を前にしても、リーカスは臆さず、一歩踏み出す。

 それはネリスを守るため。二人と自身の主の間に立つその姿は、少女然とした見た目とは裏腹に勇敢な少年そのものであった。


「次期王候補だなんて決まってもいないことを公言する方が恥知らずではなくて? それを言ったら、わたくしとて次期王候補のはずですけれど」


 自身を守るリーカスの影から一歩前に出たネリスは、真っ直ぐにカナトを見据える。

 リーカスに負けず劣らずの勇ましさ。その瞳には気高い純粋さを宿している。

 ネリスは曲がったことが嫌いな性分で、傲慢さを振り撒くカナトとは何かとぶつかることが多い。


「己の力を誇示するような方が次期王に相応しいと思いませんわ。シフィ兄様の方が余っ程ですの」


 最後に付け足された一言にカナトの視線が鋭さを増す。怒りを以って振るわれるカナトの拳を、シラーフェが掴み取る。

 鋭利な視線を遮るようにネリスの前に立った。睨み返すシラーフェにカナトは歪に口角をあげ、声をあげて笑う。それは他者を嘲る、聞くに堪えない笑声であった。


「まともな影すら持たない落ちこぼれが俺に意見する気か?」


 カナトの視線はシラーフェを見ながら、奥に立つユニスを見ているようだった。

 シラーフェの位置からはユニスがどんな表情をしているのか、分からない。おそらくいつものように澄ました顔をしているのだろうと想像し、反面その心は表情通りに涼しいものではないことも知っている。


 ユニスのこと。ネリスのこと。守りたい人々を思い描き、退く気はないとカナトを睨む。

 上がった口角が次第に苛立ちを見せ、鼻を鳴らす。そんなカナトの視線がふと下へ向けられる。


「いいものを持ってるじゃないか。俺に文句があるなら剣を抜け。勝てたら、生意気な大食らいのことは許してやろう」


「シフィ兄様、乗る必要はありませんわ」


「小娘は黙っていろ!」


 大声に大きく肩を震わせるネリスと、ほとんど反射的に彼女の前に立つリーカス。二人の姿を横目にシラーフェは鍛錬するために持っていた剣の柄を強く握る。

 実戦を何度も経験しているカナト相手にとても勝てる気はしない。シラーフェの実戦経験なんて数えるほどで、そのすべてが兄たちを補佐する形のものだった。

 それでも必要であれば、この剣を抜く覚悟を持っている。震える指先が柄に触れた、そのとき。


 ゆったりとしたヒール音が割って入るように響き渡った。自然とその場にいた全員の意識がそちらに向く。

 それまでのやりとりを忘れたように全員が現れた人物の姿に釘付けになる。一秒たりとも目を逸らすことを許さない風格をその人は持っていた。

 注目を一身に浴びても歩調は変えず、すべてを自分のための時間に変えて、シラーフェたちの前に立った。


「あらあら、三人揃って仲良しさんね。お姉ちゃんも混ぜてちょうだいな」


 嫣然と微笑むのは美しい女性だ。腰の辺りまで伸びた白髪に、華やかなドレスを纏う女性らしい起伏に富んだ体。洗練された所作そのすべてが女性をさらに美しく飾り立てる。

 アンフェルディアの多くの女性が憧憬を注ぐ美の権化、リリアーナ・アスモディア・アンフェルディア。彼女は順繰りに見た視線をカナトへ向ける。


「カナトちゃん、下の子たちをいじめるのは感心しないわよお」


 語調は柔らかいものであったが、カナトは大きく表情を変えて顔を俯ける。たった一人の登場により、場の流れが変わり、この場の強者はカナトからリリアーナ――リリィへと変わった。

 それもそのはず、彼女は国の実質トップであるフィルも頭があがらない人物なのだから。


「最近のカナトちゃんの態度にはすこぉし目が余るわねえ。私でも可愛いとは言えないわ」


「っ……申し訳、ありません」


 傲慢な態度は見る影もなく、そこにあるのはただの従順な青年だった。

 下の者には高慢な振る舞いを見せ、上の者には従順な態度を見せる。権威や身分というものを重視する、言ってしまえば分かりやすい類の男なのである。昔はここまで酷くはなかったが。


「カナトちゃんの頑張りがこんなことで台無しになるのは悲しいわ。貴方自身が努力を無駄にすることはしないでちょうだい」


 しおらしくリリィの言葉に耳を傾けるカナトは心から反省しているようであった。

 けれどそれは権威を撒き散らす自身の在り方に対するものではなく、今ここで行った軽率な行動への反省だ。

 それに気付いているのか、いないのか、リリィは穏やかに笑うだけだ。


 代わりに、とリリィの後ろに控えていた人物が一歩、地面を叩いた。

 灰色の髪を高い位置で一つに括った凛々しい女性だ。執事服をきっちりと着こなし、腰に細身の剣を佩いた騎士然とした彼女はリリィの影、メリベル・ツェル・ラァーク。

 生真面目な印象通りの人で、今は厳しい視線をカナトの影、レナードへ向ける、


「レナード、主を持ち上げるばかりが我ら影の仕事ではない。行き過ぎた行動を窘めることも肝要だ。難しい立場とはいえ、己の役目を真っ当することこそ、主の誉れとなる」


 懇々と諭す声にレナードは少し不満の表情を宿したが、言葉にはせず頭を下げる。

 ここで不満を零しても、良い方向には転ばないと判断する冷静さは持っていた。何より感情の波なく紡がれるメリベルの言葉は反論の余地を与えない正論だった。


「肝に銘じます」


 湧き立つ感情を呑み込んだような声で、ようやくレナードはそう言った。深く下げた頭をあげたレナードは視線を主と交わす。


「それでは、俺はこれで失礼します」


 一礼し、歩調速く去っていくカナトをリリィは柔らかな笑みで見送る。そして、シラーフェたちの方に向き直った。

 表情は変わらず。何を考えているのか、他者に読ませないものだ。

 かける言葉に迷う空気の震えを断ち切るようにシラーフェは口を開いた。


「何故、ソフィヤも一緒なのですか?」


 視線はリリィの後ろ、メリベルの横に立っている人物に向けられている。

 癖のある灰色の髪を斜めに結った気弱そうな女性である。隣に立つメリベルが揺らぐことのない太い幹ならば、彼女は風で容易く揺れる細い枝のようであった。


 ソフィヤ・ツェル・ラァーク。名前の通り、彼女もまた王族に従う影の一人である。が、彼女の傍には主である人物の姿はない。基本的に影の役割を持つ者は、主の傍に控えているものである。

 なんて規則も、常識も、彼女の主である人物には通じないだろう。


「ライちゃんを探していたから連れてきたのよお。シフィちゃんなら心当たりあるかと思って」


 そう、ソフィヤの主はライなのである。自由を愛するあの兄は影を置き去りにして、あっちへふらふら、こっちにふらふらと歩き回っている。本来もっとも身近にいるはず影すら所在を把握していないのが常だ。


 居場所が掴めない人物の所在を、リリィがシラーフェに問う理由は一つ。

 ライの行き先とシラーフェの行き先が広い意味で被るからだ。事実、今日、シラーフェはライに会って話もしている。


「今朝、共に町に行きました。帰っていないのであれば、まだ町にいるのではないかと」


「やっぱりそうなのねえ。ほんと、ライちゃんには困りものだわ」


 口ではそう言っているが、リリィの口調に責める意思は感じられない。世話の焼ける弟に呆れていると言った感じだ。

 あの自由さを直させる気はないらしく、「あの子はあの子なりの考えがあるだろうから」というのがリリィの言だ。


「マーモア様、情報提供感謝します。朝、この書き置きだけあって、昼を過ぎても姿を現さないし、自分は……自分はもうどうしたらと」


 ソフィヤが見せた手紙には「よろ」とだけ書かれていた。

 ライらしい雑な置き手紙である。知らせもなく、出歩かないところも実にライらしい。

 自由に振る舞いながらも、無用な心配をさせることを嫌い、こういった気遣いを欠かさない。


「ソフィヤ、君もそろそろ芯を持つべきだ。そのように不安定では為すべきこともままならないだろう」


「分かっていますけど……自分にはメリベルやユニスみたいに冷静でいるのはどうも無理みたいで」


 諭すメリベルの言葉にソフィヤは困り顔で肩を落とす。メリベルの口調こそ厳しいものではあるが、表情は柔らかい。

 メリベルはその信念に従って生きている人で、見た目の印象ほど厳しい人物ではない。根は優しく、それが表情に滲み出ているようであった。


 二人のやりとりを横目に、シラーフェはネリスに数歩歩み寄る。名を呼べば、大きくて丸い赤目がこちらを向いた。


「その真っ直ぐさは美徳だが、あまり突っ走らないでほしい。俺がいつでも守れるわけではないのだから」


「ご心配には及びませんわ。自分の行いの責任を負う覚悟はわたくしにもあります」


 言外に守られる必要はないと告げるネリス。その姿はやはり気高く美しい。

 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は幼い頃から変わらず、しかし幼いままではない。

 確かに感じられる成長への感慨を乏しい表情の中に隠す。


「マーモア様の言う通りですよ、姫様。前に出られると僕の守りも届かなくなっちゃいます」


 言いながら、リーカスは少し表情を曇らせた。ツインテールにされた髪も心なしか、下がっているように見える。


「最初に突っかかった僕が言えることじゃありませんけど……軽率でした」


「貴方はわたくしを思って行動したのでしょう? 謝罪は受け取りませんわよ」


「……ほんっと、僕の姫様は可愛いのにかっこいいんですから」


 顔を見合わせてネリスとリーカスは笑い合う。その姿は主従というより、仲の良い姉妹のようだ。

 二人の姿を微笑ましく思うシラーフェの口元は仄かに緩んでいる。ほとんど動かないシラーフェの表情を容易く見抜ける数少ない一人がそっと手を伸ばす。


 甘い香りを纏う滑らかな指がシラーフェの頭を撫でる。「いいこ、いいこ」と幼子相手と変わらない態度で接するリリィを気恥ずかしく思いながらも、シラーフェはされるがままになっている。

 とっくに成人している身ではあるが、いくつになっても姉には敵わない。母を早くに亡くしたシラーフェにとってリリィは母にも近しい存在なのである。

 そんなリリィはシラーフェを撫でることに満足したのか、次の標的をネリスに変える。髪形が乱れることを嫌って撫でることはせず、その細い体を目一杯抱き締めた。

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