38「伝言」
いつものように店の在庫整理をしていたティフルは突然店長に呼び出された。
龍の谷ミズオルムで起こした出来事の罰として、ティフルはここ、『フェラク=グンドゥ』での労働を義務付けられることとなった。
奴隷と同じ首輪をつけられ、国王と店主を主として据えた契約である。
犯罪相手に妥当な、むしろ少し甘すぎる対応と思うくらいなので不満はない。母国にいたときよりも遥かにマシな生活が出来ているという事実に馴染めない側面があるだけだ。
ともあれ、今の主であるところの店長の呼び出されては断る選択肢はない。
中途の仕事は別の店員に任せて、店長のもとへと向かう。
「店長、お呼びですか?」
「ああ、ティフル、来たね。ちょっとおつかいを頼まれてくれないかい?」
素材の受け取りか、商品の配達か。得意先の場所を覚える一環として、数度おつかいに行ったことはある。
今までは他の先輩店員と一緒に申し付けられていたが、今回は一人だけのようだ。
一度行ったことのある場所だろうか、と考えながら店長――カリナの方を見る。
「どこに行けばいいんですか?」
「ゴヴェズ宮……シラーフェに伝言を頼みたいんだ」
今一番聞きたくない名前を聞かされ、眉根を寄せる。
今、王宮に滞在している魔族の王族。憎らしいほど鮮明に脳裏に描かれる姿へ苛立ちを抱く。
同時に別の感情も湧くが、苛立ちで塗り潰した。
「店長が直接行った方がいいかと。こちらにはケイトさんもいますし、数時間店番するくらいならば、僕たちでもできます」
主の命令に逆らうのはご法度。幼い頃より躾けられたそれを追いやって言い募る。
逆らって待っているのは折檻。賢い行動ではないことを分かっていても、気が付けばそんな言葉を紡いでいた。
いつもそうだ。あの男のこととなると、冷静さを保っていられなくなる。
「アタシは外せない用事があるんだよ。ちょっと行って伝えてくるだけだ。大したことはない。それとも、生きたくない理由でもあるのかい?」
「べっ、別に……そういうわけではありませんっ」
意識していると思われるのも嫌なので、咄嗟に否定する。
ティフルの反応を面白がるカリナは「じゃ、頼んだよ」と言われてしまえば、今更断ることはできない。
結局、苦々しい思いでカリナの言う伝言を聞くこととなった。
そのまま重たい足取りでゴヴェズ宮に向かう。ティフルの役割はシラーフェにカリナから伝え聞いた情報を教える事。
要はあの男に伝わりさえすればいいのだ。必ずしもティフルが直接伝える必要はない。
彼の許には常に従者と少女がいる。そのどちらかに伝えさえすれば、最終的に彼にも伝わるはずだ。
幾分か、冷静さを取り戻した頭でそう計画を立てる。
「すみません。『フェラク=グンドゥ』のカリナ・アウレの使いで来た者です」
「お前は……新しく入ったという奴か。入れ」
口頭でも言葉だけで、ティフルを中に過ごす守衛を無用心と思いながら、王宮の中へ足を踏み入れる。
ティフルの着る制服と首輪から問題ないと判断したのであろうが。
この『フェラク=グンドゥ』の制服は魔道具でもあるらしく、店の関係者以外には出回っていないのだとか。
魔道具といっても、ケイトが実験的に作ったもので自己浄化と自己修復の機能がつけてある程度だ。
目に見えて分かる機能があるわけではない以上、見た目だけならいくらでも寄せられる。首輪だってそうだ。
王の住まう場所を守る者として、職務怠慢もいいところである。
「まあ、ここで犯罪を犯す気概のある人なんてそうそういないでしょうけど」
ゴヴェズ宮の中は意外にも人が多い。王の許可を貰った鍛冶師が自由に出入りできることもあり、人目が多い。
その上、警備とは別の武官も多くいるので、下手に動けば屈強な男たちに囲まれることになる。
ドワーフは種族的に背が低く、ティフルと同じくらい者がほとんどである。が、アルベ王がそうであるように、鍛え抜かれた体の厚みを見れば、背の低さで侮ることなどできはしない。
「さて、まずは……」
使用人に声をかけて、シラーフェまで繋いでもらう
そう視線を巡らせるティフルはよく知る青目と目が合い、すぐに逸らす。が、もうすでに遅い。
ティフルが、目が合ったと認識した時点で、相手も同じように認識してしまっている。
その証拠にティフルに近付く音が弾んだ調子で聞こえてくる。
「ティフルくんだ! どうして王宮にいるの?」
「……店長から使いを頼まれたんです」
マレイネ・ユーガルト。ティフルが龍族の住処で起こした事件の一番の被害者であるところの彼女はことあるごとにティフルを構いに来るのだ。
当然のように向けられる笑顔は未だに理解に苦しむ。
最初こそ裏があるのではと疑っていたが、すぐに気が付いた。彼女は頭がおかしいのだと。
「そうなんだ……。私てっきりシラーフェ様を見送りに来たのかと思っちゃった。ほら、ティフルくん、シラーフェ様のこと好きでしょ? だから――」
「ばっ……大好きではありません。誤解を招く表現はやめてください」
「そうなの、かなあ? ごめんね、シラーフェ様を見るティフルくんの目がいっつも……っむぐっ」
これ以上余計なことを言わせてはならない。珍しく本能のみで判断して、マレイネの口を塞ぐ。
思いの外、力が入ってしまったようで、マレイネが苦しげな声を零す。
その後ろから、これまたよく知る鋭い視線を感じ取った。
ティフルにとっては、むしろ居心地がいい視線の主は龍の谷ミズオルムの長の息子にして、マレイネの恋人である青年だ。
同胞に害をなしたティフルを憎み、警戒するのは正常な反応である。
呑気に笑いかける誰かさんと違って、やりやすい態度だ。マレイネと常に一緒にある鋭い視線に仄かな安堵感すら抱いて、ティフルは口を開く。
「それであの人……マーモア、さんはどこにいるんですか?」
名前で呼ぶのも、様付けするのも躊躇いがあり、それが紡いだ言葉に現れている。
呼び方への迷いを映すティフルの言葉にマレイネの表情がぱっと晴れる。
「やっぱり――」
「僕の意思ではありません。使いの先がたまたまあの人なだけです」
晴れた表情からマレイネの言葉を予測し、先手を打つ。
勢いに気圧され、驚いた顔をするマレイネは懲りず、すぐに表情は晴れさせる。
彼女の表情を暗くさせるのは至難の業である。努めてすることでもないので、どうにもならないものとして受け入れる。
「んじゃあ、一緒に行こうか。私たちもちょうどシラーフェ様たちに会いに行くとこだったの」
当たり前に手を繋がれ、マレイネは歩き出す。振り払うこともできるが、後ろの視線が怖いので、一先ずされるがままでマレイネの横を歩く。
子供と関わるのが嬉しいといった様子のマレイネに、無理に振り払う気も起きない。
そのまま、マレイネに手を引かれる形で王宮内を進む。
自分の人生において、王の住まう場所を訪れることはないと思っていたが、すでに数度、しかも他国で経験することになるとは分からないものである。
無骨な印象の王宮の中を歩いていれば、仄かな騒がしさを奏でる場所へ辿り着く。
魔族の騎士たちが旅発つ前の最終確認をしているらしい。
「シラーフェ様! エマリちゃん!」
少し離れたところに立つ二人を見つけてマレイネが大きく手を振って呼びかける。
二対の赤目が同時にこちらを向き、うち一つがティフルの存在に気付いて驚いた顔をする。
いつも一緒にいる従者は騎士たちの方を手伝っているのか、今は傍にいないらしい。
あてが外れた気分だが、マレイネがいると考えるとそう悪い状況ではない。
そこれではたと気付く。そもそもマレイネに伝言を頼めば、ティフルがシラーフェに会う必要はなかったのでは、と。
マレイネの空気に呑まれて、いつもなら気付けていたであろうことに意識すら向けていなかった。
「三人とも見送りに来てくれたのか」
「はい! お別れは寂しいですけど、どうせなら賑やかにしたいと思って」
「賑やかに俺が協力できるかは分からないが、マレイネにせがまれたからな。せっかくできた友だ。その旅路の平安を祈るくらいはさせてもらおう」
先に龍族二人が言葉を返したせいで、否定する機を失ってしまった。
仕方なくティフルは一歩下がって、事の成り行きを見守ることにする。
この見守りの空気の中、仲間だと思われたくないので、せめてもの抵抗である。
ただ、この場にいるお人好しはティフルが一人離れることを良しとしない。
「ティフルも、来てくれるとは思っていなかった。ちゃんとした別れをできていなかったから嬉しい」
「っ……っ…別に、僕は……店長からの伝言を預かってきただけです。間違っても、貴方なんかの見送りをしにきたわけではありませんから!」
「そうなのか……だが、俺はカザードを発つ前に会えてよかった」
表情の乏しい顔が心なしか落ち込んでいるように見えて、胸が締め付けられる。
魔族の王族が落ち込んでいるからと言って、ティフルが気にする理由はないはずだ。
「それでカリナの伝言というのは?」
マレイネといい、この男といい、関わると調子を崩されてばかりだ。
少しでもいつもの自分を取り戻すつもりで息を吐き出し、魔族の男――シラーフェを見た。
「水洋都市の辺りに勇者が来ているそうで、一応、魔族の貴方には関係のあることでしょうから」
なるべく感情を込めず、必要な情報だけを音にする。何気なくシラーフェの反応を注視するものの、微かに強ばったくらいの変化しか、分からなかった。
「情報感謝する」
「店長に頼まれただけです」
表所の読めない反応に仄かな緊張を抱きながら、返答する。
勇者は、異世界より召喚された人族に英雄である。歴代勇者の活躍は目覚ましいもので、名だたる魔族の戦士を討ち取ったという話は事欠かない。
中でも先代勇者アッシュ・イアンは当時の魔族の王を討ち、人族に有利な状況で休戦協定を結ぶという偉業を成し遂げたことで有名だ。
人族にとっては、英雄を崇めるべき対象であっても、魔族にとっては忌むべき存在のはずだ。だからこそ、カリナは客の冒険者から聞いた話を伝言として託したのだろう。
「勇者は……人族の英雄です。お人好しの貴方程度、簡単に討ち取られてしまうえしょうから、精々気をつけるといいのでは?」
「そうかもしれないな」
静かすぎるシラーフェの反応に、ティフルの心は掻き毟らせる。
いつも通りと言われたらいつも通り、しかし妙に胸をざわつかされる恐ろしさがある。
まるで――そう、まるで自分の命に頓着していないような。ティフル自身も身に覚えのある空気だ。
「貴方は――」
「ティフルは勇者に会ったことがあるのか?」
口にしようとした問いかけを遮るようにシラーフェはティフルに問いかけた。
「――いえ、ありません。召喚されたという話は耳にしていましたが……僕は会えるような身分ではありませんので」
落ち着かない気分を宥めるように言葉を紡ぐ。
勇者は神の使いであり、ルーケサでは聖王や聖女に並ぶ尊き存在だ。
孤児院育ちの捨て子なんて、一目見ることができたら奇跡と言われるくらいである。
「多少噂を耳にすることがあったくらいです」
その噂がどこまで正しいのかすら判断できないほど、関わりがなかった。
「勇者のこと、気になるんですか?」
「……そうだな。異世界の話には興味がある。もっとも話を聞く機会はないだろうが」
「そういう意味で聞いたわけではありません」
先程まで感じていた恐ろしさが嘘のように、いつものシラーフェらしい気の抜けた返答であった。
魔族の王族は勇者にとって討伐対象だ。勇者の為人がどうであれ、召喚主である聖王は口八丁手八丁に思考を誘導して、魔族の討伐者として育て上げられるであろう。
どう足掻いても、魔族と勇者が親しくなれる未来など存在し得ない。
「他にもっと……何かないんですか? 貴方を殺すかもしれない人なんですよ」
「たらればを語っても仕方あるまい。お互い与えられた役目に尽力し、その先にどのような交差を向かえるかは神のみが知ることだ」
その与えられた役目にこの男は何を見ているのだろう。
紡がれる言葉はどこまでも他人事だ。自分の運命、生死すらも他者に預けているような、不安定さを目の前の男は持っていた。
命に頓着していないのは、ティフルも同じだが、シラーフェのそれは少し違うように思えた。
「――マーモア様、出立の準備が整いました。いつでも出発できます」
ざわつく胸に突き動かされるように重ねようとしたティフルを遮る形で、騎士が声をかける。
龍の谷も来ていた、確か名前はオディスと言ったか。この状況で、食い下がるほどのことでもないので、一歩引き下がる。
すでにカリナから頼まれていた仕事は果たしたので、ここでのティフルの役割はもうない。
適当に挨拶を済ませて、早々にこの場から立ち去るのが得策だろう。
「では、俺はここで失礼します」
「ああ、最後に会えてよかった。またカザードに来訪したときには店を訪れよう」
「そのときにはもう刑期を終えて、僕は不在かもしれませんが、店長には伝えておきましょう」
ティフルがあの店での奉仕を命じられているのは丸五年。働きが認められれば、刑期が短くなることもあるらしい。
カザードにいる方が安全である以上、刑期を短くする気はないが、王族がそう頻繁に他国を訪れられるとは思えない。シラーフェが再度来国する頃には、すでに刑期を終えた後というのは充分有り得る。
「ま、まあ、行くところもないので、カザードにいるかもしれませんけど……」
冷静さで思考を回す中で覚えた痛痒に動かされるまま、言い募る。
なんとなく、そう、なんとなくシラーフェの表情が寂しそうに見えたからだ。あくまでティフルの感情とは別であると己を納得させる。
「そうか。また会えることを期待している」
乏しい表情の中に仄かな笑みを見つけた途端、高鳴る胸は止められない。
高鳴りは熱をなって顔を赤くする。もっとも理解できない自分の反応に翻弄されるティフルは睨むようにシラーフェを見た。
熱い顔を隠すことはせず、正面からシラーフェと向かい合う。
「貴方の旅路に、マナの加護があらんことを」
紡いだ祈りは万国で使われているものだ。マナはすべて生命の源であり、エーテルアニス神を信仰する宗教国家であるルーケサであっても、マナへの信仰は根強く存在している。
ルーケサの場合、エーテルアニス神が齎す祝福という考えが一般的だったりもするが。
他者の信仰を尊重する意味で使われることが多いのが、このマナ信仰だ。
異なる神を崇める相手、そもそも神など信じていないティフルにはちょうどいい祈りであった。
「道中で事故にでも遭われたら、流石に、ちょっとは目覚めが悪くなるので」
最後にそう付け加えることも忘れず、ティフルはこの心を救ったものを見送った。