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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
36/88

36「魔龍剣アルスハイルムリフ」

 ライから聞いていた通り、カザードは物珍しいものばかりで、剣ができるまでの約一週間、シラーフェは退屈することがなかった。

 あの後訪れた、リトが贔屓にしている食堂にも、自動で配膳するからくりがあったりと、エマリやマレイネと一緒になって少々はしゃいでしまったものだ。


 この一週間、エマリの鍛錬に付き合い、リトの打った武器の試し斬りに付き合い、カザードの町を観光し、『フェラク=グンドゥ』を訪れたついでにティフルと話をし、と思っていたよりも有意義な時間を過ごすこととなった。


 一週間という時間を短いものとして、特に時間の流れを意識することなく、日々を過ごしていたシラーフェに呼び出しがかかった。


「アルベ王から、剣が出来たとのことです」


 恭しく告げるモルクの言葉で、それほど経っていたのかと驚いたくらいだ。

 ようやく自分専用の剣ができると思うと妙な緊張感と昂揚感がある。


 胸中に湧く複雑な感情に落ち着かない気分で、使い慣れた剣の柄に触れる。

 長兄、フィルから譲り受けてから十年近く使っている剣だ。これと別れると思うと仄かな哀愁が湧く。

 謁見の間まで案内するモルクの後ろに続きながら、シラーフェは労うように剣の柄を撫でる。


「シフィの剣か。どんなのかねぇ」


 モルクが呼びに来たのは、エマリの鍛錬をしているときであった。

 今日はちょうどライも顔を覗かせており、アルベの呼び出しに同行することとなった。


 流石にライの剣のような変わり種が出てくることはないだろうが、龍結晶と魔龍石という希少な素材がどのように使われているのか、楽しみではある。

 エマリと手を繋ぎ、歩き進めるシラーフェは胸中の感情の整理もつかないままに謁見の間に足を踏み入れる。

 カザードに滞在中、幾度と訪れた謁見の間は初めての状況を作り出している。


「来たか」


 気配に振り返ったアルベが低く呟く。

 そう振り返ったのである。謁見の間では常に玉座に座り、正面に構えていたアルベが同じ位置に立っている。


 こうして向かい合うのは一度、アルベの素振りに立ち合ったとき以来である。

 離れた位置からでも他者を圧倒させる気迫を、間近で味わう感覚はやはり慣れない。

 並んで立てば、アルベの方が背が低いとはっきり分かるのに、一回りも二回りも大きく見えるから不思議だ。


「アルベ王……剣が出来たと」


「ああ、なかなかの自信作だぜ」


 清々しい表情で告げるアルベの言葉は、出来上がった剣への期待値をあげる。

 カザードにおいて、もっとも優秀な鍛冶師が自信作というほどの代物だ。

 自分のために打たれたものという事実は他所に、新たに生まれた名剣を目にできる機会に昂揚する。


「約束のもんには程遠いがな」


 シラーフェとアルベは一つ約束をした。シラーフェの胸の内に潜む〈復讐の種(フリュズ)〉を殺し、シラーフェを生かす剣を、初代カザード国王を超える剣を作ること。

 伝説はまだ遠いと苦笑するアルベは、すぐに引き締めた顔で一振りの剣を差し出す。


「魔龍剣アルスハイルムリフだ」


 漆黒の鞘に納まる剣を受け取る。ずっしりとした重みが腕に伝わった。

 鞘や柄には美しい石が嵌め込まれ、細やかな意匠が施されている。派手さはないものの美しい剣であった。

 嵌め込まれた石はおそらく龍の谷ミズオルムで手に入れた龍結晶と魔龍石の一部が使われているのだろう


「抜いてみろ」


 促されるままに抜いた剣身は鞘と同じ漆黒。

 角度を変えて見れば、そこに不思議な色合いが混ざる。光の反射で、漆黒に七色が加わり、実に美しい。


「きれい」


 反射で輝く剣身にエマリが思わず零す。小さく頷くシラーフェは柄の感触を確かめるように握る。

 初めて手に入れた自分専用の剣。その重みも、柄の感触も、初めて持つものなのに不思議としっくりくる。


「せっかくだ。手合わせするか? シラーフェも愛剣の使い心地を確かめたいだろう」


「それはそうですが、誰が相手を……?」


 一度ここで手合わせしたときの相手であるリトは不在だ。

 他に相手に成り得る人材といえば、ライやユニス、ソフィヤ辺りだろうか。エマリはまだシラーフェの相手となるには程遠く、モルクが戦える人なのか分からないので除外した。


「俺が相手しよう」


「アルベ王が⁉ よろしいのですか?」


「なに、俺もこの手で剣の具合を確かめたかったところだ」


 思わぬ申し出に驚くシラーフェを他所に、アルベはモルクから武器を受け取っている。

 謁見の間に飾られていた幅広の剣を握り、アルベと向かい合う。その頃にはライを中心とした他の面々は離れた位置に移動しており、謁見の間に広い空間が作られる。


 その中心にシラーフェとアルベは向かい合うように立つ。

 剣を抜いて構えるアルベに倣って、シラーフェも魔龍剣アルスハイルムリフを抜いて構える。


 初めて握る剣の、妙に馴染む重みを味わいながらアルベと相対する。

 ただ相対するだけでも、他を圧倒するアルベの気迫はこうして戦の場でも顕在。いや、むしろ、この場において普段よりも重く、鋭く、洗練された気迫が一つの攻撃のように突き刺さる。


 手合わせというより、命をかけた殺し合いの趣を持つ気迫に負けじとシラーフェもまた視線に力を込める。


「僭越ながら、私が審判をさせていただきます」


 向かい合う二人の間に立つモルクが告げる。

 モルクはアルベ、シラーフェの順に顔を見、張りのある声を響かせて、手合わせの開始を宣言する。


「始め!」


 地を蹴り、漆黒の剣を手に迫るシラーフェをアルベは悠々と迎える。

 戦場を思わせる気迫を纏いながらも、アルベの姿は実に落ち着いている。余裕とも解釈できる態度はシラーフェの実力を下に見ているというより、重ねてきた経験が生み出したものだろう。

 それが理解できているからこそ、シラーフェの太刀筋にも落ち着きが乗る。


「せっかくのもんを鈍らにしないだけの目は持ってるか」


 走らせる剣撃を易々と受けるアルベは、そうシラーフェを評する。

 使う剣の質は乗せられて繰り出した剣撃をこうも簡単に受け止められてしまっては、下に見られていたとしても文句は言えないが。


 一度剣を合わせただけでも、格の違いを理解させられる。リトには悪いが、一度目の手合わせとは緊張感が違う。

 格の違いは培った経験が生み出すもので、シラーフェが一生かけても埋まらない類のものだ。


 今もなお、日々の素振りを欠かさないアルベの年の功に負けじとシラーフェは果敢に剣撃を重ねる。

 強者を相手にする緊張感とともに、滅多に手合わせできない相手への昂揚感に突き動かされるままに。


「若いってのはいいねえ」


 すべての剣撃を、余裕を持って受けるアルベが暢気に呟いた。

 魔龍剣は驚くほど手に馴染む。剣の違いで、ここまで差が出るのか、と驚くほどに動きやすい。

 思い描いた通りに動ける心地よさは、アルベ相手にはまだ届かない。それを惜しいと思うよりも、もっとも求める気持ちの方が強い。


「若さこそ、俺がアルベ王に勝てる唯一の武器でしょう」


 物分かりの良さに気を取られて、攻め手を捨てたところで、シラーフェの勝ち目は薄い。

 一歩踏み込み、思い描いた通りの最善の一手を振るう。受けるため動かされるアルベの剣の軌道を見て、剣の動きを変える。が、それすらもアルベは予見していたかのように剣を合わせる。


 シラーフェとアルベの手合わせは、リトとのときは違って派手さはない。

 手を合わせるの字面通りに剣を合わせるだけに近いものである。


 それはアルベが攻撃を仕掛ける気がなく、シラーフェの攻撃を受けるに徹しているからだ。謁見の間に響くのは、シラーフェが重ねる攻め手の規則正しい音ばかり。

 一つの音楽のように響く金属音こそ、シラーフェの攻撃が難なく受け止められている理由である。


 兄に憧れ、生真面目に重ねた鍛錬は、シラーフェの剣撃に行儀の良さを齎す。

 シラーフェの剣撃は対戦相手の影響を受けやすい。リトのように我流が強く出た変則的な動きをする者が相手ならば、乗せられてシラーフェの動きにも我が現れる。


 しかし、今のアルベのように動きを相手に委ねる者だと理想の型に嵌まった行儀の良さが表に出る。

 魔物、リト、ミグフレッドと、我が表出する相手とばかり対戦してきた経験が、型に嵌まった己の動きにやりにくさを感じさせる。


 もっと動けることを知っている体が今の動きに重さを感じさせる。

 もっと動けるはずだ。もっと、もっと。新たに手に入れた剣はシラーフェの可能性を広げるもののはずだ。


 握る力を強め、焦がれる気持ちを込める。

 もっと、もっと動ける。シラーフェはそれを知っている。


「…きれい」


 魔龍剣の剣身を始めて見たときを同じ呟きが、違う趣を持ってエマリの口から零れる。


 漆黒の剣身がシラーフェの意思に応えて、複雑な色合いを見せている。鋼の中にシラーフェが龍の谷ミズオルムから譲り受けた龍結晶と魔龍石を混ぜた剣は、本来持ちえない色を奏でる。

 握る手から伝うマナに呼応して、魔龍剣はその身を虹色に輝かせる。


「準備運動はここまでか? シラーフェ」


「この先、退屈させる気はありません!」


 シラーフェの動きが変わる。

 自身が理想と掲げるフィルの動きを真似するだけの動きに我が宿る。

 理想という壁を破り、その先へと大きく踏み出す。今まで対戦相手に乗せられて表出していた自分自身の戦い方を意識的に表へと出す。


 それはシラーフェが自分の戦いを理解した瞬間である。

 思い描いた動きのその先、本能に近いところで剣が振るわれる。明らかに質の変わった動きを前にアルベは口角をあげる。


「俺の準備運動もここで終わりだ」


 アルベの動きもまた、変わる。

 準備運動の言葉通り、シラーフェの攻撃を受けるばかりだったアルベの剣に攻め手が加わる。

 鍛え抜かれた剛腕から振るわれる剣撃を前に、シラーフェの方が今度は受ける番だ。

 アルベを狙って振るった剣の軌道を変えて、咄嗟に受ける。


「……っ」


 重い一撃が両腕に伝わり、思わず顔を顰める。変わらず余裕を覗かせる表情のまま振るわれるアルベの剣撃は、その表情に見合わない重さを持っている。少しでも気を抜くと押し負かされてしまいそうだ。


「なんだ、退屈させないんじゃなかったのか?」


 受けるだけで精一杯のシラーフェを挑発するアルベ。

 それに強がりを返す余裕もないシラーフェは念じるように込める力を強める。


 魔族は全身にある魔管にマナを走らせることで、身体能力を強化する。力を強める意識が魔管へ流すマナの量を増やし、合わせて魔龍剣が輝きを増す。

 かかる負荷が軽くなる。アルベが攻撃を緩めたわけではなく、シラーフェの力が強くなったのである。


 受けるだけで精一杯だったアルベの剣を、渾身の力で振り払う。そこから一手、さらに斬り込む。

 笑みを深めるばかりのアルベは、シラーフェの成長を喜ぶようにそれを受ける。

 鋭い金属音が響く中でシラーフェは一度後ろに下がる。アルベは逃さずと一蹴りで、シラーフェが広げた距離を一気に詰める。


 高速で詰められる距離の中で、互いに剣を構える。

 アルベの剣は低い位置から放たれる。いつもなら避けられるか、受けるために剣を動かしているところを、今は構わず攻め手を重ねる。攻撃のための動きを貫徹する。


 お互い使っているのは両刃の真剣。少しでも避け損ねれば、怪我は免れないが恐怖はなかった。

 毛先を犠牲に紙一重で躱し、魔龍剣を斬り込む。攻撃を避けられて、隙となったアルベの胴を狙う。


 当然寸止めのつもりで振るう一手が金属音を鳴らす。即座に斬り返したアルベの剣がかち合った。

 上乗せした身体強化をも上回る力で、アルベは剣を横に薙ぐ。


 まだ、こんな力を隠していたのか。受けられるとすら思っていなかったシラーフェは大きく吹き飛ばされる。

 中途で風を起こして勢いを消し、危なげなく着地する。

 そこへやはり一蹴りで迫るアルベの剣がシラーフェの首筋に突き付けられた。


「そこまで! 勝者、アルベ王」


 決着を告げるモルクの声を乱れた呼吸の中で聞く。

 アルベの方を見れば、息一つ乱さない姿で立っており、そこからも格の違いを見せつけられる。

 大きく息を吐き出し、息を整えたシラーフェは剣を鞘に納める。


「どうだ、新しい剣は?」


「素晴らしいです。まるで、俺の意思に応えてくれているようで、いつもよりも動きやすかったです」


「良い剣ってのは意思を持つもんだ。気に入られている間は、持ち主の意思に応えてくれるが、見放されればただの鈍らになる。肝に銘じておくことだ」


 アルベの言葉を聞きながら、魔龍剣へ視線を落とす。

 最高峰の鍛冶師が打った最高峰の剣。それに見合う実力を得られるようにこれからも精進していきたい。


 剣に見放されないように。剣に見劣りしない最高峰の剣士、とまで行くのは難しいだろうが。

 今回の手合わせで自分の戦い方が分かった気がする。まずはそこを突き詰めて、いつでも自分の剣を出せるように、どんな状況でも自分を貫くことが、シラーフェが強くなるために一番必要なことだ。


「シラーフェ様の剣、すごくきれいだった」


 駆ける足音が近付き、エマリが輝く瞳が向けられる。

 戦闘中、虹色に光り輝く剣身は、決着がついた頃には元の漆黒に戻っていた。

 虹色の光はシラーフェのマナを吸い上げて生み出されたものだろう。戦闘中。無意識にあった感覚を鮮明化させるように考える。


「この剣は杖の役割も担っているのか」


「魔族はマナとの親和性が高いからな。マナとの繫がりは必須事項だ。質の良い素材と、そこの軽薄男の剣を作った経験とで、そこまで難しいことではなかった」


 なんて、アルベは言うが、実際は口で言うほど簡単なことではなかったはずだ。

 カザードの王として君臨しているほどの実力者だから、容易いことと口にできるのだ。


 軽薄男、と呼ばれたライは呼称通りの笑みを浮かべてシラーフェの肩に手を置く。


 何気なく視線を落とせば、研ぎに出して帰ってきたばかりのライの剣が目に入る。細すぎる剣身を持つ剣は、見た目の印象で言えば、杖の形に似ている。

 ライの戦う姿をあまり目にしたことがないシラーフェには、ライの剣の実力は分からないが、魔龍剣と似た力を秘めているのだろうか。


「まさか、シフィに戦い方の指南までするとは思ってなかったぜ」


「将来が期待できる奴には若いうちに恩を売っておくにこしたことはないからな」


「へぇ……。おっさんに気に入られるなんて、兄貴として鼻が高いぜ」


 実力不足を痛感させられた後での、その評価は身に余る思いだ。

 アルベの審美眼に認められている事実は誉れ高くもあり、重圧でもある。せめて、かけられた期待に応えられる自分でありたいと強く願う。


 魔龍剣もアルベに注がれる期待の一つなのだろうと確かめるように握り、重く同時に恵まれた自分の立場を思う。

 この一週間、妙に大人しい〈復讐(フリュズ)の種〉へ意識を向けながら思う。


 負けたくない、と。この先、この身が妄執に侵されても魂だけは屈さず生きていきたい。

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