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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
35/88

35「姉」

「君が魔族の王子様? へえ、いい、いいね。すごい、すごいよ。ここまでのは見たことがないよ」


 商品が並ぶテーブルの下から突然現れた人物がシラーフェに迫る。

 メイーナとの記憶を思い出し、感傷に浸るところに無遠慮に距離を縮め、下からシラーフェの顔を覗き込む。


 小柄な女性、おそらくはドワーフだろう。

 身嗜みに頓着しない性質のようで、髪は乱れたまま、服に至ってはところどころ破け汚れている。身に着けるゴーグルにも汚れは及んでおり、あれでまともに見えているかは疑問なところだ。

 胸に抱いていた痛痒を驚きで吹き飛ばされ、シラーフェは呆然と女性を見る。


「もっとよく見せて」


 女性はシラーフェの反応には気にも留めず、無心でシラーフェの方へ手を伸ばす。

 しかし、ドワーフの背丈では目的のところまで、手が届かなかったらしく、汚れたゴーグルの奥に潜む目がわずかに細められる。


「とどか、ないっ……もっと屈んで」


 流されるままシラーフェはわずかに身を屈める。

 無心な女性の姿に断ると言う選択肢は浮かばず、戸惑いのままに膝を折った。

 子供のような瞳は一点を見つめ、分厚い手袋に覆われた手が真っ直ぐにシラーフェの角へ伸ばされる。


「姉ちゃん、落ち着けって。あんま人に迷惑かけんなって姉貴に言われてんだろ」


 シラーフェの角に触れる寸前で手が止まった。

 驚きと不満を分かりやすく表情に移したドワーフの女性は、鋭く声の主を見た。睨むに近い視線は相手の姿を認めると同時に緩和する。


「なんだ、リトか。今いいところだから邪魔しないで」


「いいところだからじゃねえよ。そうなんでもかんでもすぐに触んなって。シラーフェも簡単に触らせんな。魔族にとって角は大事なもんなんだろ」


「いや、角に触れられるとは思っていなかったんだ」


 頭に手を伸ばしているのは感じていたが、狙いが角だとまでは思っていなかったのである。

 メイーナとの記憶に浸っていたところに突然現れた驚きで、頭があまり回っていなかったのもある。


「姉というのは二番目の?」


「そうだよ。私はリトの二番目のお姉ちゃん。ケイトって言うの、ケイト・アウレ。ケイトって呼んで」


 ベルの口から聞いた名前である。アルベ王の次女、ベルと共同経営している女性は一歩、シラーフェと距離を詰める。

 異性に対する意識も、他国の王族に対する意識も、欠片も持っていない振る舞いで、体が密着せんばかりに近付く。シラーフェの方が驚きで一歩後退したくらいだ。


 ケイトが一歩迫り、シラーフェが一歩引く。結局、距離は変わらぬまま、ケイトは感情をそのまま映し出す瞳でシラーフェを見ている。


「だから、それに触らせて」


 それ、とは角のことだろう。ケイトの瞳は終始、シラーフェの頭――角に注がれている。

 他種族の者にとって角は物珍しいものだろう。ただアルベ王の子女ともなれば、時折カザードを訪れているの兄姉たちと会ったことくらいはあるはずだが。


 ケイトの興奮は分からぬまま、触らせるべきか逡巡する。

 リトの言う通り魔族にとって角は大事なものである。折れてしまえば、生命活動に支障をきたすのほどのものであるが、触れられる程度ならば問題ない。


 興奮している様子のケイトではあるものの、乱暴に扱うといった様子ではないので触らせるのは吝かではない。

 ただ仄かな執着と狂気を感じさせる瞳への躊躇がある。


「だから、迷惑かけんなって。姉貴に怒られても知らねえぞ」


「それは困るな……」


 リトの言葉で止まったケイトの表情は、言葉の軽さに反して真剣に悩んでいるようだった。

 一先ず、ケイトの瞳から逃れられたことにシラーフェは仄かな安堵に息を吐く。


「悪いな。ケイト姉は一つのことに興味を持つと他のもんが見えなくなっちまうんだ」


「少し驚いたが、問題ない。……真っ直ぐな人は嫌いではない」


「まあ、真っ直ぐなことには変わりねぇけどよ」


 悪意がないのは対峙してすぐに分かったので、ケイトに対して嫌悪感は特にない。

 己の好奇心に従順で、興味のままに動く。幼い子供のような純粋無垢さを抱えるケイトは黙して考え込むまま数秒。何か思いついたのか、ぱっと瞳を輝かせる。


「ねえ、君……ええと、名前なんだっけ?」


「シラーフェです。シラーフェンヴァルト……」


「うん、じゃあ、シラーフェ。君の角に触らせて。お礼は……そうだね、今持っているヤツ、ただであげるよ」


「希少な石を使っていると聞きましたが、良いのですか?」


「大丈夫、なんじゃない?」


 シラーフェの問いにケイトは首を傾げる。石の価値やネックレスの値段をまるで把握していない様子の、投げやりな返答であった。


「それでどうかな? 触っていい?」


「……どうぞ」


 ここで肯定するしか、ケイトを納得させる術はないと悟り、潔く己の角を差し出す。

 無垢に笑うケイトはようやくシラーフェの角に触れる。

 その手つきは今までの態度からは想像できないほどに繊細。壊れ物を扱うような手つきでシラーフェの角に触れ、撫で、その瞳でじっと観察する。


「角が特殊なのかと思ったけど違うね。排出されるマナが特殊……魔管、違うね。元々持っている気が特殊なのか。面白い……面白いよ! やっぱりは魔族は面白いね」


 ぶつぶつと呟き、数秒触ってすぐに満足したらしいケイトがシラーフェから離れる。

 好奇心が満たされたことで落ち着きを取り戻した瞳が改めてシラーフェを見た。再度、その手が伸ばされ、シラーフェの手からリラックの花を模したネックレスを奪い取り、シラーフェの首にかける。


「はい、報酬」


「それ、女にあげるもんじゃねえの」


「そうなの?」


 その手の事に疎いリトの指摘に、より疎いケイトが首を傾げて問い返す。

 ケイトの行動に驚いたままのシラーフェは、自身の胸元で輝くネックレスへ視線を落とす。


 『海の星』の名を持つ石、持ち主の願いを叶えると言い伝えられた石は、かつて見た花と同じ形をしている。

 思い描いた場所とは違う場で揺れる石に、息を吐き出すように笑った。


「これでいい」


 贈る先を失ったネックレスはシラーフェの胸に収まるのがもっともいい形だ。

 メイーナの幸福を願う心を込めた石。叶うことの願いを込めた石を戒めとして、この胸元としての抱えよう。


「おっ、大体揃ってんな。ちょうどいい、そろそろ飯食いに行かね?」


 お昼時に近付いた頃を見計らったように、ライが輪の中に入る。

 ライの接近にいち早く気付いたケイトが素早く距離を詰め、その手を伸ばす。

 シラーフェに対してそうだったように、好奇心のままに動くケイトの姿に、ライは少し驚いた顔を見せ、すぐに受け入れる。


「なんだ、ケイトちゃんが出てきてたのかよ。もと早く来るんだったなー」


「魔族の王族が来てるって聞いたから挨拶にね。ああ、やっぱりライの魔管はいいね。繊細で、何度見てもどうやってマナを扱ってるか分析しきれないよ」


「可愛い子に触ってもらえんならいくらでも大歓迎だぜ。じっくり見てくれ」


 どうやら会うたびのやりとりのようで、ライは受け入れる姿勢、ケイトは遠慮くなく至近距離でライの腕を見ている。

 表に出ている角と違って、魔管は通常視認することはできないはずだが。


「ケイト姉は目が良いんだよ。下手したら親父以上なんて言われてるくらいだぜ」


 常人離れした審美眼を持つと言われるアルベ王をも超えるというケイトの目は、マナの流れからライの魔管の動きを見ているようだった。

 触れた手からも――手袋越しだが――マナの流れを感じ取っているらしい。


「魔族の機能を魔道具に応用できたらと思ってるんだけど、まだまだ全然理解できないや」


 息を吐き、肩を落とし、ケイトから離れるケイト。その顔には落胆は浮かばず、貪欲とも取れる光が強く宿っていた。


「でも、いつか絶対に理解してみせるよ」


 強さは表情だけではなく、言葉にも表れていた。シラーフェはその強さに魅了される。

 血筋だろうか。アルベも、理とも、ベルも、ケイトも、夢を語る姿は強く美しい。


 目を逸らすことが惜しいと感じさせる。真っ直ぐ余所見なく、求めるものを見る姿はシラーフェの理想像である。

 シラーフェはすぐに余所見してしまう性質なので、一層強く憧憬を抱く。


「それで昼飯だっけ?」


「そうそういい頃合いだろ?」


 ケイトの乱入により、中断された会話を交わす。その裏で違和感を覚えたシラーフェが口を開く。


「ライ兄上、ソフィヤと一緒だったのでは?」


 ライがソフィヤを連れて奥へ行っていたはずだ。

 そのソフィヤの姿が見当たらないと問うシラーフェに、ライは口元をにやつかせて奥の商品棚の視線を遣る。


「ソフィヤちゃーん、ほら、出てこいって。シフィも見たいってさ。王族命令だぜー?」


 王族命令とまで言われてしまえば、逆らうことはできず棚の影からソフィヤが姿を現す。


 その姿を見て、シラーフェは軽く目を見張る。

 わずかに俯き、自信なさそうに現れたソフィヤの装いは先程見たときから一変していた。

 見慣れた使用人服から着替えたソフィヤは大人っぽいワンピースを纏い、一つに結い上げていることの多い髪を下ろしている。


「ほ、ほらっ、やっぱ変ですよ。自分みたいなのがこんな格好するなんて……」


「んなことねえって、ちょー似合ってるぜ。最高に可愛い。なあ、シフィ?」


「……とても、よく似合っている。思わず見惚れてしまった」


「そっ、そうですか。ありがとうございます」


 素直な感想を言ったつもりだが、ソフィヤは顔を俯け、ライには笑われてしまった。何かおかしなことを言っただろうか。


「満点の褒め言葉だけど、四方八方にそういうこと言ってっと怒られるぜ」


「そうなのですか?」


「ま、シフィのそういう素直なとこがちびっこたちに好かれる秘訣なんかね」


「おい、そのちびっこにオレも入ってねぇだろうな?」


 ライの言葉が意味することを考えるシラーフェの横でリトが吠える。


「自分で気付くなんてエライエライ」


「ガキ扱いすんな! オレはフィルよりも年上なんだぞ!」


 からかう口調のライへ、さらに吠えるリト。

 紡がれた事実にシラーフェは今日一番の驚きを持って、「そうだったのか」と呟く。

 シラーフェの呟きを聞き咎めたリトは顔を顰め、リトは大きく笑声を掲げる。


「すまない。てっきりライ兄上と同じくらいだと……」


「くくくっ、同じ年か、下って言われねえだけマシじゃねぇか」


「笑いながら言われてもムカつくだけっつの。ったく飯食いに行くんだろ。そこでいちゃついてるヤツら拾ってとっとと行くぜ」


 無理矢理に話題を終わらせたリトは背を向け、ミグフレッドとマレイネの方へ話に行ってしまう。

 気分を害してしまっただろうか、と不安になりながら、その背を見送る。


 話題を逸らされてしまった以上、掘り返して謝罪することもできない。不安に揺れるシラーフェの心を感じ取ったのか、話題を振った張本人であるところのライが肩を組んでくる。


「心配しなくても、リトはあんなんで気分を害するようなヤツじゃねぇよ」


 対人関係に関して誰よりも頼りになるライはそう言って、肩を組んだまま歩き出す。

 それだけで再度リトが話しかける勇気を貰えた気分になり、軽い歩調でシラーフェもミグフレッドたちのもとへ加わる。その後ろを従者たち――ユニスやエマリ、ソフィヤが続き、


「行かないの?」


 それらを見送るティフルに温度の感じさせない声でケイトが問いかけた。


「僕には関係ないことですので」


「ふーん、そうなの?」


「そうです。僕はあくまで店員で、客を応対していただけに過ぎません」


「そうは見えなかったけど……そうか。じゃあ、君におつかいを頼むよ。店主命令ってヤツだよ」


 逡巡ののちにケイトはそんなこと言い出した。視線は昼食の相談をしちるシラーフェたちに向けられており、おつかいとやらの行き先は問いかけずとも分かった。


「リトがどこ行くかは大体決まってるからね。お姉ちゃんにはお見通し」


「だからって僕が同行する必要は……」


「だから、おつかい。ちょうど納品しなきゃなのもあったしね」


 肩を竦めるケイトにこれ以上反論できず、ティフルは渋々従う。

 今の主はこの店ひいてはここの店主になるわけだから、どの道、逆らえはしない。そうして合流するティフルをシラーフェは当たり前に受け入れる。


「ティフル君も一緒でうれしいよ! あ、今はティフルちゃんの方がいいかな」


「どっちでもいいです」


 初めて会ったときは男装していたのに対して、今のティフルは店の制服、女装をしている。

 見た目に合わせて、呼び方を迷うマレイネに、ティフルはやや投げ槍に答える。


「じゃあ、ティフル君って呼んでていい? そっちの方が呼び慣れちゃってて」


「どうぞ、お好きに」


 マレイネとティフルのやりとりには温度感がある。

 マレイネは積極的に距離を詰めようとし、ティフルは退きこそしないものの壁を取り払わない距離を貫いている。


 二人の関係性を思えば、ティフルの距離感の方が正常と言えよう。加害者に対して、無邪気な笑顔を見せるマレイネの方がおかしいのである。


「聞いていいことか分からないが」


 前置きにマレイネが邪気のない青目をシラーフェへと向ける。

 続きを促す視線だと受け取って、躊躇いを滲ませながら言葉を続ける。


「マレイネはティフルのことを恨んではいないのか?」


 マレイネを囚え、精霊責の中で痛苦を味わった一端を担うティフル。

 彼女に対して何も思っていないなんてことはないだろう。

 シラーフェの問いに一度ティフルを見たマレイネは笑顔を花咲かせて答える。


「恨んではいません」


 はっきりと、逡巡の間すらなく、マレイネは答えた。

 その瞳には微かな陰りもなく、問うたシラーフェも、当事者であるティフルも呆気に取られる。

 躊躇したことを間違いと思わされる強さがあった。


「ティフルくんがしたことは、世間的に見れば悪いことかもしれませんけど……私にはずっと聞こえてましたから」


「聞こえていたというのは……?」


「ティフル君の声が。精霊石と繋がっていたからですかね」


 明るい口調のマレイネの言葉をティフルは黙って聞いている。

 複雑な感情を滲ませるティフルが今どんな思いでいるのか、シラーフェには想像すらできない。

 マレイネはティフルにも聞かせるつもりで、絶やさない笑顔で紡ぐ。


「ただ一生懸命なだけだったんだって、私は知ってる。ごめんなさいって謝ってくれてたことを知っているの」


「それを、口に出したことはありませんが」


「でも、ちゃんと伝わってたよ。私には伝わってた。だから、いいんだよ」


 大きく見開いた瞳を、溢れ出る感情で揺らすティフルはそれを隠すように顔を俯けた。


「だから、今は妹みたいって思うだけ。龍族には兄弟姉妹っていう感覚が薄くて……今のティフル君との関係は理想に近いんだ。これからも私の妹でいてくれる?」


「…っ……馬鹿じゃないですか」


 震えるティフルの声に、マレイネは優しい顔で頷く。その手が頭を撫でるのを拒否しない辺り、嫌だとは思っていないように、シラーフェには見えた。


「女の子同士の関係性は尊いねぇ」


 不器用なマレイネとティフルの関係を見て、しみじみと呟くのはライだ。

 周囲の視線を集まっていることに気付いたティフルが慌てて、マレイネから距離を取る。


 話が一先ず落ち着き、全員が揃ったということで、一行はリトが贔屓にしているという店へ向かう。

 そこで昼食を取ることになる。王宮でカザードの食は何度か口にしているが、市井でどんなものが出回っているのか楽しみだ。

 カザードには見慣れないものばかりで、期待を胸に抱く。

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