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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
34/86

34「夢見草のむかしや今にかえりばな」

 アンフェルディア王国の中央都市ウォルカはいつも以上の喧騒に包まれている。

 多くの人々が急くような足取りで中央広場を目指している。

 シラーフェもその一人である。おさげの少女に手を引かれ、人の流れに沿って歩く。


「早く、早く!」


「メイーナ、そんなに急がなくとも隊商(キャラバン)はいなくなりはしない」


「でもでも、シラン様と隊商(キャラバン)に行ける機会なんてめったにないのよ」


「俺は当分町歩きを止める気はない。メイーナがこの町に間は幾度とあるだろうさ」


 輝かせた目を花咲かせ、メイーナはこちらを見る。急いて動いていた足が止まり、幼い少女が純粋無垢に彩られた瞳でシラーフェを見つめている。


「ほんと? ほんとのほんと?」


「ああ。だから今は町並みを眺めながら、ゆっくり行くのもいいだろう。隊商(キャラバン)が来ずとも、メイーナと共に歩く道は充分に楽しい」


 大きな赤目がいっそう大きく見開かれ、何度も瞬きをする。その唇が何かを口にしようとして音にはならず、口を噤み、真っ赤に染まった顔を俯けた。


「メイーナ? ……すまない、何か気に病むようなことを言っただろうか」


 再度、シラーフェの顔を見上げたメイーナの頬が大きく膨らんでいる。

 まだ仄かに赤いままの頬が不機嫌に彩られているのを見て、やはり何か悪いことを言ったかもしれない。

 メイーナと一緒にいるとき、こうして機嫌を損ねてしまうことが時々ある。気をつけようと思っていても、明確な原因が未だに分からず、対策を打てていない状態だ。


「ほんっと、シラン様はずるい」


 膨れっ面でそう言って、メイーナは羞恥に染まる顔を誤魔化すようにシラーフェの手を取った。


「ずるっ子のシラン様は私と手を繋いでいること!」


「分かった」


 静かに頷くシラーフェ。その膨れっ面を笑顔に変えたメイーナがじっと見つめる。


「でも、私はシラン様のずるいところも大好きだからね」


 何に対する慰めか分からない言葉を言いながら、メイーナは歩みを再開させる。

 一転して上機嫌のメイーナに笑みを作り、シラーフェも歩を進める。


 中央広場に近付くにつれて、人々の賑わいが鼓膜を、肌を撫でる。熱を帯びた人々の気配は幸福に満ちており、場にいるだけでシラーフェの心をも上向かせる。

 ウォルカの中央広場は催事の会場となることが多く、不定期に訪れる隊商(キャラバン)がバザーを開く会場だ。


 バザーの規模は訪れる隊商(キャラバン)によって変わる。今回は複数の隊商(キャラバン)の来訪が重なり、数年に一度規模の大きなバザーとなっている。

 そのこともあって町はいっそう賑やかで、陽気な空気に満ちている。

 町行く人々はみな、笑顔を浮かべており、幸福の象徴とも言える景色をシラーフェは温かく見詰める。


「見て、シラン様! あれ、食べ物なのかな? すごくふわふわ」


 メイーナが指差した先では雲のようなものを食べる女性二人がいる。

 初めて見る代物だ。食べ物なのだろうが、どんな味がするのか想像できない。

 隊商(キャラバン)が開くバザーでは、他国のものが多く売られているので、何度も訪れていても初めて見るものも多い。


「食べてみるか?」


「うん! 実はね、今日はお店の手伝いいっぱいしてたくさんおこづかいをもらったの」


 雲のような食べ物は屋台で売られていた。幼い子供のお小遣いでも余裕で変える価格設定で、二人並んで『ふわふわ』と名付けられた菓子を食べる。


「ん、甘い!」


「甘いな」


 口に含むと同時に舌先ではかなく溶ける。口の中に広がるのは砂糖を思わせる甘味だ。

 どうやらこの『ふわふわ』は砂糖を細く伸ばして坊に巻き付けたものらしい。

 シラーフェには少々甘すぎるものではあったが、メイーナは気に入ったようだ。


「おや、メイーナとマーモア様も来ていたんだね」


「あ、カエラおばちゃん!」


 声をかけてきたのはメイーナの家である薬草屋の隣に居を構える女性である。シラーフェも何度か顔を合わせたことがある。


 八百屋を経営しており、学者でもある夫が国内で栽培した野菜を中心に売っている。

 好意で品物を分けてもらったことがあるが、通常栽培したものと遜色ない味であった。採れたての鮮度を味わうことはそうなく、感動したのを覚えている。


「うちのに頼まれて、珍しい肥料を買いに来たんだよ。アンフェルディアの土との相性を調べたいんだと」


「そうか、研究熱心でなによりだ」


「ただの馬鹿なだけですよ」


「それがアンフェルディアの発展への足掛かりとなろう。期待していると伝えてくれ」


「マーモア様のその言葉だけで、何倍も張り切りますよ」


 女性、カエラの言葉はシラーフェの方にこそ言いたいものだ。

 知識のない身では口で応援するしかできないシラーフェの言葉が誰かの力になれているのなら、と。

 その事実があるだけで、シラーフェの無力感が救われた気分になる。


「ああ、そうだ。あっちの方に干し果実屋が来ていたよ。メイーナ、好きだろう?」


「ほんと⁉ シラン様、いこっ!」


 繋いだ手を引かれ、小走りでメイーナの後を追いかける。

 余程楽しみなのか、弾む呼吸に笑声が混じっている。それを聞いて自然とシラーフェの頬も緩んだ。


「見て、たくさんあるわ!」


 干し果実がいっぱいに入れられた籠がいくつも並んでいる。ウォルカにも干し果実屋はいくつかあるが、それよりも種類が豊富だ。見たことのない果実もある。

 色とりどりの果実たちは一つ一つが宝石のようで、景色を華やかに飾り立てている。


「食べたことのないものばっかり」


「あまり無駄遣いしないようにな」


「むぅ、わかってるもん」


 小さな財布を大事そうに抱えるメイーナは干し果実の入った籠を一つ一つ見ている。

 その顔は悩ましげ、瞳は真剣で迷うように複数の籠を行ったり来たりしている。


 シラーフェには、メイーナが欲しい物をすべて買うこともできる。しかし、何でも買えばいいというものではない。甘やかしてばかりでは駄目だと、他でもないメイーナに以前言われたことがある。

 以来、シラーフェはお金を出すのではなく、お小遣いで一生懸命遣り繰りするメイーナを見守ることにしている。


「何で迷っているんだ?」


「んーと、これとこれ! あっでも、あれもいいな……あれも気になるし、うーん」


「ならば、後半の二つは俺が買おう」


「でも……」


「なに、買ったものを分け合えばいい。そうすれば少ない金額で様々な種類の干し果実が食べられる」


「んー、それなら」


 単に甘やかすのではない、と主張するシラーフェに折れる形でメイーナは頷く。

 メイーナはようやく決めた二つを注文し、シラーフェは残りの二つを注文する。


「シラン様はやっぱり私を甘やかしすぎだと思う」


 商品を受け取りながら、メイーナが呟く。

 物言いたげな視線に「そうかもな」と返せば、「そうゆうとこ……」ち更なる不満を返された。


 干し果実が詰められた紙袋を大事そうに抱えたメイーナは開いている方の手を差し出した。

 聞くまでもない意図に、シラーフェは逡巡もなくその手を握る。


「いつもの場所で食べよ」


 見慣れぬ景色に彩られた見慣れた道を辿る。飾るものが違えば、同じもの違って見えるのだから不思議なものだ。熱に浮かされた普段と違う空気を味わいながら、二人は並んで歩く。


 並ぶ屋台を眺めるだけでも楽しいひと時を味わうように、賑やかな町並みを眺め行く。

 ふとメイーナの視線が一点を見つめて止まる。歩みも止まりかけ、シラーフェが気になって視線を向けた頃にはもうメイーナは前を向いて歩みを進めている。


 一瞬の間がやはり気になるシラーフェは先程のメイーナの視線の先へ目を向ける。

 最初に華やかな空気を感じた。今までと同じ浮き足立った空気ながら、少し異なった雰囲気を持つ空間があった。女性客や恋人たちが多いことがその理由だろう。


「寄ってみるか?」


「でも……干し果実でお小遣いいっぱい使っちゃったし」


「見ているだけでも楽しめるだろうさ」


 逡巡の素振りを見せるメイーナの手を、今度はシラーフェが引っ張る形で歩き出す。

 驚きを浮かべたのは一瞬、メイーナはすぐに笑みを咲かせ、シラーフェに歩みを合わせる。


 向かう先にあるのは、アクセサリー売り場である。あくまで町の人々向けの品物は比較的安価な代物ばかりではあるが、子供にはなかなか手を出せない価格設定である。

 お洒落に興味を持つのに年齢は関係ないと、幼い心の背中を押すように手を引く。


 すでに楽しむことへ意識を切り替えたメイーナは輝く瞳を並ぶアクセサリーへ向けている。

 美しい意匠が施されたアクセサリーは、干し果実とはまた違った輝きを纏っている。


「あ、これ、かわいい」


「メイーナの髪色に合うんじゃないか?」


「もう、そういうこと気軽に言っちゃダメなんだから」


 また何か怒らせるようなことを言ってしまったらしい。仄かに赤い顔を膨らませるメイーナに「難しいものだ」と心中で呟く。

 怒っているように見えても表面上のもので、「仕方ないんだから」とやや大人びた口調で返した頃には、笑顔が戻っていた。ころころ変わるメイーナの表情は子供らしく、実に愛らしい。


「かわいいのばっかだけど、やっぱ私には買うのは難しいかも」


 目移りするように並ぶ商品を見ていたメイーナがぽつりと呟く。

 残り少なくなったお小遣いが入った財布を握るメイーナは目についたアクセサリーの値段を見ては溜め息を吐く。


 店の手伝いをして、少しずつお小遣いを貯めたとしても、一つ買えるようになるまでそれなりの年月を必要とすることは間違いない。幼い心にはその年月が果てしない遠いもののように思えるのだろう。


「ならば、メイーナの成人祝いに俺が一つ、望むものを買ってやろう」


「まだ五年あるよ?」


「ああ。だから、その五年後に果たす約束だ」


 膝を折り、シラーフェは自身の角をメイーナに向ける。ぱっと花咲かせた表情でメイーナは差し出された角に自身の角を重ねる。角と角を重ねる、魔族の約束だ。

 至近距離の顔と視線を交わし、同時に破顔した。


 再度手を繋いで二人はいつもの場所へ歩き出す。


「五年もあったら、きっと私は今よりもっと背が伸びて、髪だってもっと長くして、おしゃれもいっぱい勉強してね、それでね。五年も……あったら、きっと大人っぽくなって魅力的な女の人になるの」


「ああ、メイーナはきっと美しい女性に成長することだろう。今から見るのが楽しみだ」


「それでね、そしたらね……あのね、シラン様は…」


 いつもはきはきと喋るメイーナは珍しく言い淀んでいる。

 向ける赤目に映るメイーナの顔は落ちていた日の光のせいか、真っ赤に染まっている。


 続く言葉を躊躇うメイーナは顔を俯け、隠すように両手で覆う。

 自身を落ち着けるように呼吸するメイーナはやがて顔をあげ、その赤目で真っ直ぐシラーフェを見た。


「この続きは成人したときに伝えるね。これも約束」


「ああ、約束だ」


 二つ目の約束を交わし、メイーナは数歩、シラーフェよりも先を歩いた。

 繋いでいた手を離し、くるりと振り返る。スカートの裾を柔らかに翻し、振り返ったメイーナは夕陽を背にしてシラーフェと向かい合う。

 逆光でその顔をはっきり見ることは叶わないが、笑っていることは分かった。


「私ね、シラン様が約束してくれてうれしかった。だって、五年後もいっしょにいる約束ってことでしょう?」


 弾んだ声が紡ぐ。はっきり見えない顔が、その全身が幸福を映し出していることがはっきりと伝わってくる。

 その顔が見えないことが惜しいくらいに。


「五年後もシラン様といっしょにいられるなんて、私…すっごく幸せ」


 その日、シラーフェとメイーナは二つの約束をした。


 成人――十五歳になったメイーナにシラーフェがアクセサリーを贈ること。

 そして、メイーナから今日の言葉の続きを聞くこと。

 そのどちらも果たされる日はもう永遠に来ない。約束を交わした三年後、メイーナは命を落とし、彼女が成人になる日が来ることはなくなったからだ。


 約束を果たす日は永遠に奪われた。

 あの日、夕陽に隠されたメイーナの顔を目にできなかったことは、いつまでもシラーフェの中に強い悔いとして残り続けることになる。


 〇〇〇


 淡い紫色の花を模したネックレスを手に夢想する。


 このネックレスがメイーナの胸元を飾っている姿を。

 きっととても似合うだろう。しかし、悲しいかな、シラーフェの想像力では成長したメイーナの姿を思い描くことはできない。

 幼いままのメイーナが、ネックレスを身に着けてはにかむ姿ばかりが脳裏に浮かぶ。


 もう二度と果たされない約束。それを思って、宝物のようにネックレスを手に取った。


「そのネックレスが気になるんですか?」


 シラーフェの様子に気付いたらしいティフルに声をかけられる。

 店員の顔でネックレスを覗き込むティフルは、脳内で記憶した素材の特徴と花を模した石の特徴を照らし合わせて口を開く。


「これはステライトを使ったもののようですね」


 短い間ののちにティフルが紡いだのは聞き覚えのない鉱物名であった。

 元より、その手の知識を持たないシラーフェへ、ティフルは身につけたばかりの知識を披露する。


「海の底、深海と呼ばれる場所で稀に取れる鉱石です。暗闇の中、光る姿が星に似ていることから、海の星とも呼ばれているそうです」


 一夜漬けしたとは思えない様子でティフルはすらすらと言葉を並べる。とても新人とは思えない堂々とした姿である。


「海に近い町、海洋都市の辺りでは願いを叶える石とも言われているそうですよ」


「願いを叶える石、か」


 皮肉なものだと心中で呟く。


 この石に込める願いは永遠に叶うことはないというのに。

 もう得ることのできないメイーナの幸福を込めた石は一つの戒めになろう。


 失った者の存在は失敗できない覚悟をシラーフェに齎す。それはある意味でシラーフェの願いを叶えることにも繋がる。


「誰かへの贈り物ですか?」


「そんなところだ」


「へ、へえ……参考のため、あくまで参考のために聞きますけど、婚約者とかですか?」


 重ねられる質問への意識は薄く、客層の調査程度に思って口を開く。


「いや、俺に婚約者にいない。……いづれ、良家の娘を迎え入れることになるだろうが」


 次期王に選ばれた以上、后を迎えるのは必須なことだ。

 忘れられない恋心を理由に断ることのできないものである。相手になる女性には悪いが、その方がシラーフェとしてもけじめがつけられる。

 考えるシラーフェは自身の返答で一喜一憂を見せるティフルの様子には気付いていない。


「……そりゃ、人族の、しかも犯罪者じゃ無理だと分かっていましたけど」

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