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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
29/86

29「龍の船」

 一夜明け、シラーフェたちはカザード国の王都に帰るための準備を整える。一夜と言っても、澱みの調査を終え、シラーフェが目覚めてからのさらに一夜なので、龍の谷に来てから三日目の朝である。


 長、ヴィルンドへの挨拶はもう済ませており、準備が出来次第いつでも出発できる。

 結局、地下での一件以降、ミグフレッドとも、マレイネとも会うことはなかった。

 夜行性の龍族もう眠っている時間であり、会うことは難しいだろう。惜しい気持ちでシラーフェは一人、明けていく空を見つめている。


 リトとオディスはティフルの身柄を受け取りに行っており、ユニスと他の騎士たちは荷物を纏めている最中である。シラーフェも荷造りの手伝いを申し出たが断られ、手持ち無沙汰に立ち尽くしている。

 気儘に舞う風の精霊が飾る夜明けの光景は美しく、これを共有する者がいないことを寂しく思う。


「なんだ、お前一人か?」


 不意に足音が聞こえて、声を投げかけられる。

 今まさに考えていた人物の声に驚いて振り返る。案の定、そこにはミグフレッドが立っていた。


 予想と違うのはミグフレッドの隣に女性が立っていることだ。

 記憶にある姿とは大きく印象が異なっているが、彼女は精霊石に囚われていた女性、マレイネだろう。


「こうして会うのは初めまして、ですね。私はマレイネ・ユーガルトと申します。この度は助けていただいてありがとうございます」


「ふっ」


「って、なんで笑うんですか⁉」


「随分と余所行き顔をするものだと思っただけだ」


「だって、王族の方に失礼があったらダメじゃないですか」


 むくれた顔を見せるマレイネへ注がれるミグフレッドの視線は優しい。

 妙に近い二人の距離感にこそばゆい嬉しさが込み上げる。ミグフレッドはちゃんとマレイネに伝えたらしい。

 素晴らしい。伝えられない、伝えることは諦めたシラーフェには二人の姿が眩しく見えた。


「改めまして……本当にありがとうございます。お陰で、こうしてまたミグフレッド様と一緒にいられます」


 幸福の中にいる笑顔は見ていて、シラーフェの心も軽くなる。ミグフレッドも、ヴィルンドもあまり感情を表に出さなかったので、ころころと表情を変えるマレイネの姿は少し意外である。

 内から溢れる喜びを余すところなくすべて表情に映し出す姿。重なる記憶の少女の笑顔にそっと目を細める。


「どうかしたか?」


「いや……少し、思い出しただけだ。笑い方が似ていたからな」


「それは……人族に殺されたという友人のことか?」


 躊躇を持った問いを投げかけられる。

 会った当初は聞きたいことを躊躇なく聞く人物という印象であった。冷たく鋭く、他者を慮ることのない姿がこうも変わるとは、恋の力というのはすごいものだ。純粋な感動が胸に浮かぶ。


「シラーフェは人族のことを憎んでいないのか?」


「まったく憎んでいないと言ったら噓になるだろう。だが、俺は人族のことはそれほど憎んでいない。悪いのは殺した者だ。人族ではない」


 内に宿る者に言い聞かせる気持ちで紡いだ言葉に反応はない。ふとしたときに疼いて、シラーフェの胸を締め付けるというのに今は静かだ。


「素晴らしい考えだと思います! 私もそう思います」


 静かな〈復讐(フリュズ)の種〉に代わって、マレイネが食い気味に肯定する。思えば、いつもはルヴァンシュと対面してばかりだったので、この考えを肯定されたのは初めてかもしれない。

 そもそも他の者に口にしたこと自体なかった。魔族の王族という立場から、人族を庇うような発言は避けてきた。


 今は、ティフルは散々庇っている自覚があるので今更という気持ちが強いが。

 といっても、閉鎖的な龍の谷にいる間だけ許されていることだ。ここを出るときにはきちんと気を引き締めなければ。


「そういえば、名乗っていなかったな。シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディアだ。シラーフェと呼ぶといい」


「そんなっ、魔族の王族様をお名前で呼ぶのは不敬にあたると聞いています」


「俺は気にしない。ミグフレッドも、シラーフェと呼んでいることだしな」


「で、では、シラーフェ様とお呼びさせていただきます……」


 未だマレイネは緊張した面持ちだ。この龍の谷を訪れる者はカザード国のものを除けば、冒険者や行商人ばかりで、権力者との関わりはほとんどなかった。

 その中で突然他国の王族と現れたとなれば、マレイネの反応も無理からぬことだ。少しずつ慣れればいい。

 人懐っこい性格のようなので、そう時間はかからないだろう。


「それで二人は何故ここへ? 龍族は眠っている時間であろう」


「なんだ、聞いていないのか?」


 不思議がるミグフレッドの言葉に、思い当たるものがなく瞳は瞬かせる。


「俺とマレイネは今回の道行に同行する。ミズオルムの代表として、今回の件を報告する必要がある」


「私も……一応関係者ですので、同行を申し出たんです。記憶が曖昧な部分もあるので、お役に立てるかは分かりませんけど」


「俺としては休んでいてほしいところだが」


 苦々しく呟くミグフレッドに対してマレイネがむくれた表情を見せる。

 役に立てることがあれば、というのも嘘ではないだろうが、その本心はミグフレッドと一緒にいたい、離れたくないといったところか。数年離れ離れだったのだから、少しでも長く一緒にいたいといういじらしい気持ちを、向けられる張本人が気付く様子はなく、マレイネは不満げに頬を膨らませる。


「おっ、ミグフレッドも来てたか」


「マーモア様、身柄の譲渡、無事完了しました」


 戻ってきたリトとオディスが各々三人に声をかける。反応を見るにリトは知っていたらしい。

 前にオディス、後ろにリトに挟まれた形で、嘘を拘束されているティフルが歩いてくる。


 一度シラーフェの方に向けられた視線はすぐに逸らされ、わずかに下へ向けられる。

 数日ぶりに会ったティフルの姿は変わりなく、仄かな安堵を抱きながら口を開こうとしたシラーフェの前を影が通り過ぎる。シラーフェの横を通り過ぎたマレイネは微笑みを湛え、ティフルへと歩み寄る。


 軌跡を描く髪を、シラーフェは驚きを持って追いかける。

 ティフルとマレイネは、加害者と被害者の関係性。緊張感を持って、二人の様子を窺う。


「ティフルくん、おはよう。昨日はよく眠れた?」


「……こんな状態で眠れるほど、図太くありませんよ」


 自分を苦しめた一端を担う相手へ、マレイネは他と変わらない態度で接する。あまりにも普通すぎる態度にティフルの方が戸惑いを見せている。無視したいけど、二人の関係性上、無視することもできないといった感じだ。

 妙ににこやかなマレイネから逃げるように視線を逸らす。その先でシラーフェと目が合った。


「ティフル、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」


「揃いも揃って犯罪者を気に掛けるなんて頭がおかしいんじゃないですか?」


「お前っ……」


 毒づくティフルに声をあげるオディスを視線で制する。反抗的というよりは迷っているように見えるティフルに気持ちを和らげた視線を向け、やはり逸らされた。定位置のようにやや下へ。


「シラーフェ様、出立の準備が整いました」


 ティフルともと親しくなるには、と思考を巡らしていたところに荷物を纏めていたユニスたちが合流する。

 振り向く視界に映し出される空はすっかり日が昇り、美しい青が広がっている。話しているうちに思っていたより時間が経っていたらしい。

 一人でいたときよりも、早い時間の流れを実感する。


「こちらも準備を始めるか」


 呟くミグフレッドの周囲に風の精霊が集う。地下で見た精霊たちに負けず劣らずの数が視界を埋め尽くす。

 精霊の数に反して、巻き起こる風は優しく、ささやかに髪や服を揺らす。

 風が優しい理由は明確、ミグフレッドが。精霊たちが撒き起こす風を一つに纏めているのだ。


 それ大量のマナ、それも他者のマナをひとつに纏めているに等しい。マナとの強い親和性と繊細な制御が必要となる所業であり、魔族であってもそう簡単にできることではない。

 シラーフェの知る中で同じことができるとしたら、角が揃っていた頃のライくらいだろう。


「優美なる肢体は空の覇者。集いし風は天の調べ。空を滑る船は龍の翼――飛空艇スキーズニズル、起動」


 纏められていた風が形を成す。それは風のマナで構成された船である。

 本来、一箇所に留まることのない風が渦を巻くように船の形を作っている。なんとも不思議な光景だ。


「龍族に伝わる秘術だ。これに乗れば、ゴヴェズ宮までそう時間はかからない」


「本当は複数人でする術なんですけど」


 それを一人で成し、涼しい顔を見せるミグフレッドにマレイネは苦笑気味。


 長の家系だからというわけではなく、ミグフレッドの持つ才とその性分が成せることなのだろう。

 ミグフレッドは他者を頼ることを嫌い、単独で行動することを好む性質だ。複数人で行使すべき秘術を、一人で行使できるよう、努力してきたのだろう。きっと誰にも見えないところで。


 不器用すぎる使命感の結実に、そこに込められた思いにマレイネは困ったような苦い表情を見せる。

 シラーフェは、というと「これがあの龍の船か」と、物語で語られる船の登場に仄かに目を輝かせる。


 龍の船は様々な伝承や物語で登場する。大抵は英雄を目的地まで送迎する役割を持つ。

 実在していたことへの純粋な驚きと、読んでいた本の中に入ったような感動を抱く。


「この船は本当に安全なのですか?」


 船の形を取っていても、見ためは風の塊に過ぎない。

 踏みしめられる地面があるようには見えず、乗ろうとした瞬間にすり抜けてしまいそうである。言外にそれを追求するのはオディスで、厳しい目をミグフレッドに向けている。


「心配なら一度、自分で乗ってみればいい」


 言葉を選ばないミグフレッドの物言いへ、注がれる厳しい目がさらに険を帯びる。


「ええと、私もご一緒します! それなら心配ないですよね、ねっ?」


 向かい合う鋭い瞳の間に入ったマレイネがそう提案する。女性相手では流石に強く出られず、オディスは「分かりました」と折れるように告げた。

 ミグフレッド、オディス、マレイネの順に飛空艇スキーズニズルに乗る。


 踏みしめたが最後、抜け落ちてしまいそうな風の床を、オディスが慎重に進む。

 最初は恐る恐る警戒する足取りだったが、次第に危なげない確かな足取りになっていく。先行するミグフレッドと、後ろに続くマレイネの足取りは慣れたものだ。


「では、飛翔せよ」


 ミグフレッドの声に応え、風のマナで構成された船がゆっくりと浮かび上がる。それなりの質量を持った物体が宙に浮かぶさまは得も言われぬ昂揚感がある。

 やがて十数メートル浮かび上がった船は途中で止まり、ゆっくりと降下する。


「危険は見受けられませんでした」


 オディスの試乗により安全性は確認され、他の面々もスキーズニズルに乗船する。

 問題ないとこの目で確認しても、いざ前にすると少し緊張する。


 一歩を恐る恐る運び、踏みしめた風の床の確かさに安堵して二歩目を踏み出した。

 足元を風が通り、渦巻く。風邪を踏みしめる感覚はなんとも奇妙なものだ。


「全員、乗ったな。荷物も乗せたか?」


「問題ねえぜ、浮かせてくれ」


「飛翔せよ、スキーズニズル」


 龍の谷ミズオルムを訪れた面々に、ミグフレッド、マレイネ、ティフルを加えて、風の船は浮かびあがる。

 乗っている地面がゆっくりと上昇する感覚は初めてだ。目に映る景色は少しずつ上へのぼっていく。


 オディスが試乗したときの、十数メートルを超えてさらに高度をあげる。何気なく空を見上げる。

 かなり高いところまで来たが、空はまだまだ遠い。手を伸ばしても、届きそうもないなと小さく笑う。

 それでも空に近付いた気がして、視線を下へ向ければ遥か遠くある地面に息を吐いた。


「昼頃には着くだろうさ」


「そんなに早く着くのか」


「それには障害物がほとんどないから直線距離を高速で進めるからな」


 風の精霊の加護を受けた船は青い空を高速で滑る。船の周りを吹く風のお陰か、その余波は欠片もなく、高速で動く巨体の中で快適な空の旅を味わえている。

 惜しいのは景色も高速で流れるため、せっかくそれから見る風景を味わうことができないことか。


「しかし……これが話に聞く英雄たちが見た景色か」


「なんだ、シラーフェは英雄譚を読んでた口か?」


「ああ。昔は……自分も同じようになれると信じていた」


 物語として描かれる英雄たちと同じように自分も伝説を残せると思い上がっていた。

 魔族と人族の懸け橋となった者として、後世に語られる日が来ると夢想して。


 それが無惨にも破れたのは何度も語っている通り。英雄にはなれなかったが、憧れた物語の中に足を踏み込んだ感慨は仄かに少年心を擽る。


「案外こういうとこから始まるかもしれないぜ?」


 にやつかせた表情でリトが告げる。幼い頃に育んだ少年心が刺激されたこおもあって、冗談めいた言葉に期待する心が顔を出す。

 そんな未来もよい、空の広さに触発された楽観さで抱く。


「リトも読んでいたのか?」


「まあな。オレの場合は出てくる武具目当てだったけどよ」


 なんともリトらしい理由である。シラーフェが英雄たちの活躍に目を輝かせていたように、登場する伝説の武器を見てリトも目を輝かせていたのだろうか。

 幼いリトのそんな姿を思い浮かべて口元を緩める。


「外だとこの船がお話になっているんですね! どういうお話なんですか?」


「いろいろあるが、基本は英雄を目的地まで送り届ける役を担っている。龍族は案内役だったり、仲間だったり……龍族の間にはこういう話はないのか?」


「ん-、古い伝承くらいですかね」


「龍族に物語を嗜む文化はない。精々、口伝として語り継ぐくらいだ」


 首を捻るマレイネに、ミグフレッドが補足する。書物にする習慣のない種族の間では物語という概念がそもそも存在していないらしい。


「私はときどき冒険者の方からお話を聞くこともありましたけど」


 というマレイネに対して、ミグフレッドはシラーフェたちの話にあまり興味もないらしい。

 進行方向を真っ直ぐに見て、船を制御することに集中している。

 王族への緊張を持ち前の人懐っこさで乗り越えたマレイネは興味津々に耳を傾け、シラーフェはせがまれるままに記憶にある話を訥々と語る。


 リトが登場する魔剣の凄さを語り、オディスも参戦して騎士を中心に描く話を揚々と語る。そのすべてをマレイネは感情豊かに聞いており、語り部にも熱が入る。

 それぞれに話を披露してどれほど経ったか、マレイネが不意にティフルの方を見る。


「ティフル君! 人族にもこういう話、あるの?」


「……まあ、ありますけど」


 つまらなそうに流れる景色を見ていたティフルは突然声をかけられて驚き、ぼそぼそと返す。


「聞かせて、人族の話も聞きたい!」


「そうだな、俺も人族の話は興味がある」


 赤と青の瞳。悪意など欠片もない瞳に気圧されるようにティフルは渋々語り出す。そんな二人の様子をリトはなんとも言えない表情で見ていた。

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