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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
28/86

28「リザルト」

 二人の人物が言い争っている。


 一人は、漆黒の角を生やした闇そのもののような人物。

 一人は、純白の翼を生やした光そのもののような人物。

 相反する、傍から見ても対照的だとはっきり思わせられる二人組である。


 言い争っていることは見ていて理解できたが、その内容まではシラーフェには届かない。声が聞こえないのである。

 音声の切られた映像を見せられているシラーフェは、二人の人物に見覚えがある気がして訝しむ。

 特に闇色の人物に強い既知感を覚える。記憶を掘り起こし、「ああ」と小さく呟く。


「アポスビュート神、か」


 闇そのもののような姿と特徴的な角。

 それは彫像や絵画で何度も見たことがあるアポスビュート神の特徴そのものだ。細部は違うものの、その姿は伝え聞いたものと相違ない。


「これは……神話の一部か? アポスビュート神と争う相手となると…」


 音のない映像は転機を迎えていた。

 アポスビュート神と相対する光の人物が剣を抜く。眩く光り輝く白き剣を。

 対するアポスビュートが暗く光り輝く黒き剣を抜き、二人の戦闘が始まる。刹那とも、永遠とも言える時間、二人は剣を交え、やがてアポスビュート神が討たれる。


 見せられているのは有名な神話だ。始まりの話として何度も繰り返し読み聞かされ、定番の題材として演劇で幾度となく上演されている話。

 アポスビュート神がエーテルアニス神に討たれる話、その最終幕だ。


 アポスビュート神が死したその土地こそ、アンフェルディア王国の王都ウォルカである。シュタイン城は、アポスビュート神の墓標というわけだ。


「魔族と人族の対立、その始まり……。そんなものまで見せて、俺を揺さぶる気か?」


「余ではない」


 短く答えるのはルヴァンシュだ。傍らに立ち、同じ映像を見るルヴァンシュの横顔は戸惑っている。


 アポスビュート神は、魔族が信仰する魔族の始まりの神。

 エーテルアニス神は、人族が信仰する人族の始まりの神。

 二神の対立、そしてアポスビュート神の死は魔族と人族が互いを憎み嫌う始まりの物語と言えよう。

 それを見せ、シラーフェの憎悪を刺激することこそ、ルヴァンシュの目的と思ったのだが。


「別の者が見せているのか」


 意識が途切れる直前の出来事を思い出す。

 壁に描かれている紋様が気になって、触れたところで記憶が終わっている。となると、紋様が原因と考えるのか妥当だろう。


 紋様に触れたのは見覚えがあったからだ。

 まずはその心当たりを思い出す。見せつけられた映像のお陰で、その答えはすぐに出た。


 選王の儀で訪れたシュタイン城の地下の部屋、そこに似たような文様が描かれていた。あのときに薄暗かった上に状況が状況だけにゆっくり見る余裕もなかったので、はっきりとは言えないが、似ていたように思う。


「あの地下もアポスビュート神に関わりがあるもの、というのは早計か」


 ただ、シラーフェのマナに反応して扉が開かれたという事実もある。

 アポスビュート神と関わりのある場であるのなら、王族のマナに反応して扉が開かれたとも、内に抱える〈復讐(フリュズ)の種〉に反応したのか。


 浮かぶ原因を決めつけるには、手にある根拠が浅すぎる。

 あの地下の龍族の棲家にあり、ドワーフの国にあるものだ。似た紋様を見せられた映像だけで、決めつけることもできず、可能性の一つとして胸に落とす。


「誰が……俺に何を見せようとしているんだ……?」


 この場に立っている理由も分からぬままに、ルヴァンシュと並んで映像を見せられている。

 そもそもこの映像は実際の出来事を映しているのだろうか、どこかで上映された演劇なのか。考えることばかりでシラーフェの顔を難しいものが飾る。

 見ている身としては、演劇には見えないという感想が湧く。


 エーテルアニス神への憎しみか、アポスビュート神は獣を思わせる形相で何かを叫んでいる。

 音声を着られた映像では、神の感情を正しく受け入れることはできない。


「……!」


 真剣に映像を見ていたシラーフェは、アポスビュート神と目が合った気がして赤目を見開く。

 映像の中のものがこちらに干渉できるはずがない。その事実を揺らがす生々しい感覚がそこにあった。


 アポスビュート神は確かにシラーフェを見ている。信仰する神と繋がった感覚にざわつく胸が気持ち悪い。

 奇妙な不快感に胸を押さえた。横目で見れば、ルヴァンシュも驚いた顔をしている。


「ルヴァ――」


 声をかけようとした瞬間、強い光が瞬き、思わず目を瞑る。

 頭が揺れる感覚があり、目を開いたとき、シラーフェは知らない部屋で寝かされていた。


「ここは……」


「龍の谷にある空き家だ」


 掠れた呟きに返答したのはリトである。

 自分が倒れたという事実を認識する中で、傍らにいるのがリトというのは何とも意外な状況である。


「お前の影は水を貰いに行ったぜ。すぐ戻るだろうよ」


 シラーフェの反応を見て察したらしいリトがさらに言葉を返す。それを聞きながら、シラーフェは身を起こす。

 目覚めたとき、いつも傍にいるユニスがいないことに不安を覚えていたらしいと自覚する。リトの返答を聞いて安心している自分がいることも。


「水は……川の水もう問題ないのか?」


「ああ。あの後、ミグフレッドと川上まで確認しに行ったが、上から下までキレーなもんだぜ」


「そうか。よかった」


 一先ず、ヴィルンドから示された条件は達成できたようである。

 その事実よりも、この龍の谷ミズオルムを襲う賛成を退けられたことへの安堵が勝る。


「ティフルは?」


「ったく、目覚めてすぐに聞くことが他人の心配ばっかか? ……ティフルは拘束、監視付きでヴィルンド翁のとこだよ」


 監視は騎士たちがしているらしい。こちらもすぐに処刑される、ということもないようで安心した。

 ティフルがしたことは許されないことだが、最後は協力してくれた。情状酌量の余地があっていいだろう。


「シラーフェ、お前の方はもういいのか? 急に倒れやがるから驚いたぜ」


「少し、力を使い過ぎたらしい。迷惑をかけてすまない」


「あの状況じゃ、お互い様だろ。お前のお陰でオレらは今ここにいて、澱みだって消し去れたんだ。謝罪は必要ねえよ」


 シラーフェは少し嘘を吐いた。


 シラーフェが倒れたのは、力の使い過ぎによるものではなく、何者かに誘われたからである。

 感覚的に理解していることを上手く言語化できる自信はなく、無駄な混乱を避けるために嘘を吐いた。

 説明するときに〈復讐(フリュズ)の種〉の話をせずにはいられないだろうから。

 力を使い過ぎて疲れていたのは事実なので、まったく嘘というわけでもない。


「失礼いたします」


「おっ、帰ってきたか。ユニス、お前の主がお目覚めだぜ」


 一礼ののちに部屋の中に足を踏み入れたユニスは、起きているシラーフェの姿にわずかに目を見開いた。

 込み上げる感情の余波をそれだけに留め、ユニスはシラーフェの傍で恭しく腰を落とす。


「シラーフェ様、お目覚めになられて何よりです」


「心配をかけたな」


「いえ、シラーフェ様がご無事であるなら充分でございます」


 向けられた瞳は、言葉より雄弁にユニスの感情を語っている。

 最近、心配ばかりかけているので、申し訳なさが胸を占める。


「オレはシラーフェが目覚めたことを翁に知らせてくるぜ」


 そう言ってリトは二人を残して去っていく。


 ユニスと二人きりになるのは随分と久しぶりな気がして奇妙な気分だ。少し前までは二人きりが当たり前だったというのに、最近は他の誰かと一緒にいることが増えたように思う。


 他者との関わりが増えることは、自分の世界が広がっていくようで悪い気はしない。いや、むしろ好ましいと言える。

 リトとの出会いも、ミグフレッドとの出会いも、自身を成長させる貴重なものであった。それはそうとして、


「やはり……ユニスの傍は落ち着くな」


「シラーフェ様……」


 万感の思いを込めた瞳も同じことを思っていると願い、緩めた赤目を前にユニスは口を開いて続く言葉を紡ぐ。


「従者の身で、このようなことを言うのは烏滸がましいですが……シラーフェ様、あまり無茶なさならないでください。意識を失ったシラーフェ様の姿に肝が冷える思いでした」


「すまない……」


「他者に心を砕くお姿は美徳ですが、もう少しご自身のことも少しは顧みてください」


 極力感情を含ませないように努めるユニスの言葉を、シラーフェはしおらしく受ける。

 思えば、選王の儀で倒れて、まだ日がそれほど経っていないうちにこれだ。ユニスにかなりの心労をかけたことは想像に難くなく、強い謝意の心を抱く。

 その心を表すようにユニスの言葉を真摯に受け止める。聞き入れることはできないから。


 意識をすれば、確かに感じられる先祖の妄執、〈復讐(フリュズ)の種〉がある。

 これを未来に持ち込まないこと、それは己の役目を定めたシラーフェは、ユニスの願いを叶えられないだろうから。

 己の為そうっとしていることの罪深さを改めて自覚し、深く胸に落とす。


「入るぜ」


 ヴィルンドを呼びに行ったリトが戻ってきたらしい。シラーフェとユニスはなんとなく互いに視線を逸らした。

 ユニスはリト、そして後ろに続くヴィルンドに譲るよう、シラーフェの傍から離れた。

 龍の谷ミズオルムの長の登場にシラーフェは無意識に居住まいを正す。


「起き抜けの来訪を謝罪する。体調の方は大事ないか?」


「万全です。ご心配いただき、ありがとうございます」


 父メーレやアルベ王もそうだが、長として立つ者と相対するときはいつも緊張する。

 身に纏う風格がそうさせるのだろうか。いづれ父の後を継ぐ身ではあるが、同じものを纏える自信はない。


「此度の件、尽力感謝する」


「いえ、俺は依頼を解決したにすぎません」


「それだけではない。愚息、ミグフレッドのことだ」


 まるで心当たりのない言葉に眉根を寄せる。

 ミグフレッドのことを思い出しているのか、苦々しいものを表情に浮かべながらヴィルンドは続ける。


「あれは責任感が強すぎるが故、視野が狭い所があった。己の役割に固執してばかり……それが改善することを期待して任せたが、ここまでの結果を齎すとは思わなんだ」


「それは俺の功績というよりも、彼女――マレイネの功績でしょう」


 マレイネを見るミグフレッドの瞳を覚えている。

 冷たく涼やかな瞳に宿る激情。内から生まれる熱に翻弄されるミグフレッドに道を示しただけ。


 ミグフレッドとマレイネが重ねた日々が固めた道へとただ誘った。

 それを己の功績と掲げるほど愚かではないと示すシラーフェに、ヴィルンドは口元を緩めた。


「どうであれ、我は感謝している。それだけは覚えておくといい」


 真摯な青の瞳が意味するものが分からず、シラーフェはわずかに首を傾げた。リトまでもが意味ありげににやついた表情を見せている。

 困惑するシラーフェには構わず、ヴィルンドは懐から取り戻したものをシラーフェに差し出した。


「これは約束のものだ。龍結晶、特に質のいいものを選んだ。そして、これは――」


 不思議な模様の意思に続いて、ヴィルンドが差し出したのは独特の輝きを持つ石であった。

 見覚えのある石は記憶にあるものとは、少し様相の違うそれはおそらく。


「シラーフェが持ってた魔石じゃねえか。わざわざ魔龍石にしたのか⁉」


 調査に行く前にヴィルンドに渡した魔石、それを魔龍石に加工してくれたらしい。

 龍族のブレスを受けた魔石は含んだマナが特殊な輝き方をしており、魔石とは違う美しさを持っている。

 元が純度の高い魔石が使われていることもあるのか、より美しく見えた。


「確かに。心遣い感謝いたします」


 龍結晶と魔龍石を大切に受け取る。これで龍の谷を訪れた目的は果たせたと言えるだろう。

 本音を言えば、ヴィルンドが報酬を差し出すまで、本来の目的を忘れていた。龍の谷を襲う澱みを解決することばかりを考え、無事に解決した隙を突いて我に返った気分である。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 今回の事件において、シラーフェはたまたま居合わせただけの部外者である。

 そんな身で口を挟むのは烏滸がましいと思いながらも口にした。

 部外者であっても、この目は地下の空間での出来事を実体験として見たことは間違いない。


 ヴィルンドは首肯で、シラーフェに続きを促す。


「ティフルの処遇はどうなさるつもりですか?」


 後ろでリトが呆れた顔をしたのが見えた。

 ティフルがこの地にしたことの罪深さはきちんと理解しているつもりだ。被害者である龍族が処罰すると判断したのなら、シラーフェは口を出せない。


 せめて、と地下でリトに語った後付けの理由をここで口にするか。

 それも判断を覆させられるほどの効力があるとも言い切れず、最悪の可能性を隅に浮かべては思考を回す。

 口を出す立場にない。何度も綴る事実があっても、シラーフェは一度取った子供の手を振り払いたくはないのだ。


「こちらで処罰することはない。件の者の身柄はカザードに預けるつもりだ」


「いいのか? つーか、それで他のヤツらは納得すんのかよ」


 問うたシラーフェよりも先に、リトが驚きを持った声をあげる。後ろから飛んできた声にヴィルンドは表情を変えず、小さく頷いた。


「一番の被害者が罰せずを求めた。否を唱えられる者などおるまい」


 一番の被害者、それはきっとマレイネのことだろう。精霊石に閉じ込められ、そのマナと感情を利用された彼女が罰しないことを選んだ。


 本来過ごすはずだった日常が苦しく辛い時間へと変えられ、それでも責めることはしないと決めた彼女はどれだけ強い人なのだろうか。

 目覚めているところを知らず、話したこともないマレイネと会ってみたくなった。


「そっちが納得してんなら、オレが言うこともねえけどよ。……ティフルの身柄は確かにうち、カザードで請け負った」


 カザードの代表として、ティフル――一応犯罪者という立場のティフルの身柄を請け負うことを宣言するリト。

 その瞳が不意に半眼になり、シラーフェを見る。


「うちは完全に法の下にある国だから、情で動かねえからな」


「理解している。ただ、子供は失敗するものだと俺に行ったのはお前だぞ、リト」


 幼い頃の誤りを悔いるシラーフェにリトは確かにそう言った。過去の言葉を持ち出され、リトは苦い表情を見せる。


「ティフルはまだ子供だ」


「あー、くそっ……素で言ってんのか、計算なのか、分かんねえのが厄介だよな、お前」


 苛立たしげに顔を掻くリトは大きな息を吐き出す。観念の域を吐き、「仕方ねえ」と肩を落とす。

 それはシラーフェの言葉に流されるのとは違う、己の言葉の責を担うための吐息であった。


「言っておくが、情には流されねえ。でもまあ、あいつは指示に従っただけで、最後は強力もしてくれた。情状酌量の余地はあんだろうよ」


「感謝する」


「王様が他国、それも敵国の人間為に気安く感謝すんなよ。オレらしかいねぇからいいけどよ」


「そうだな……迂闊だった。気をつけよう」


 感情が先立って冷静さを欠いていたようだ。

 王族として、いずれ国を率いていく者として自戒を抱く。手を取った者のことを思うのは大切だが、自分が優先的に守らねばならないのは自国の者だ。それを忘れてはならない。


「ティフルのことは公平に裁く。裁かせる、それだけは約束してやんよ」

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