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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
27/86

27「疼く胸」

誤って前のデータを消してしまったので、小説を上げ直しています

改めてこちらの方をブックマークしていただけると幸いです

 シラーフェが角で感じ取った澱みの塊の正体は、今でも目視で確認することはできていない。

 角で見ることができるのは、あくまで感覚的なものに過ぎず、どこにあるかを感じ取れても、その形までは分からない。


 精霊石のせいで、地下に来てからは角で所在を感じ取ることすらできないでいた。その上、精霊石に女性が閉じ込められていたこと、ティフルの襲撃もあって、澱みの塊を探す余裕もなかった。

 しかし、頭の隅では澱みの塊の所在をずっと気にしていた。精霊石の妨害があってもなお、角で探知し続けており、それでも結局見つからないという事実に戻る。


「答えは見つかった」


 ティフルが語った言葉の中に答えはあった。精霊石と龍族の女性を繋げているもの、川の水を澱ませた原因――精霊石に込められた術式ですべて説明できる。


 術式の内容は、生物を取り込み、その負の感情を吸い上げ、澱んだマナを生成する。ここで生成された澱んだマナは常の流れに沿って上へと向かい、水の中に混じって龍族を内から侵していく。

 魔族ほど劇的ではないにしろ、澱んだマナを取り込めば、すべての生物が体調を崩し、やがて死に至る。


 ルーケサの狙いは、龍の谷ミズオルムの壊滅。シラーフェたちが訪れなければ、ミズオルムで暮らす龍族は原因も分からぬまま、大半が死んでいたことだろう。


 ミズオルムは谷全体がマナに満ちている。最初が川の水だけだったのが、蔓延する死に後押しされるように谷全体が澱んだマナに汚染されることになる。そうなれば、ミズオルムを放棄する以外に身を守る術はなくなる。


「まずは女性と精霊石の繋がりを断つ」


 女性を精霊石から解放させるだけでは、完全に繋がりを断つことはできなかった。おそらく離れても、術式による繋がりは生きているのだろう。まずはそこを断つことから。

 負の感情を生み出す者はいなくなれば、澱んだマナが生成されることもなくなる。


 剣を構え、地を蹴って、精霊石との攻防を繰り広げるミグフレッドのもとへ迫る。

 次々に迫る帯状の精霊石を巧みに捌くミグフレッドの拘束の攻め手。女性の首元を狙って薙ぐ槍を認めて、シラーフェは歩を進める。


「待て、ミグフレッド! 早まるな!」


 叫ぶ声はミグフレッドには届かず、槍を止めるためにと剣を握る力を強める。

 ミグフレッドの動きは速すぎる。ここからでは、どんなに急いでもミグフレッドが女性の首を刎ねる方が速い。

 距離を感じさせない刃に焦りを滲ませる赤目が震える指先に気付いたところで、ミグフレッドの動きが止まった。


「何故だ……」


 苦悩に満ちた声が鼓膜を震わせ、シラーフェはわずかに目を見開く。

 急いでいた心が水を打たれたように落ち着き、冷静にその姿を見ていた。


 力を入れようとして叶わず、自分自身に訪れた変化に驚き、動揺するミグフレッドの姿を。

 青目は戦意を失って、切っ先は力なく下へ向けられる。今まで感情らしい感情をほとんど映してこなかった瞳が大きく波打っている。


「何故っ、役目を果たせない! この感情はなんなんだ⁉ マレイネ……お前は俺に一体何をしたんだ⁉」


 幼子のように叫ぶミグフレッドに、シラーフェが胸の奥に仕舞いこんでいた感情が微かに震えた。

 初めての感情に翻弄されるミグフレッドの姿に親近感を覚えたのだろうと小さく笑む。


 己の内に生まれた感情への無理解を叫ぶミグフレッドにその答えを示すため、シラーフェは柔らかく地を踏んだ。

 無防備を晒すミグフレッドに迫る精霊石を、握り直した剣で斬り払う。初めてこちらに気付いたように青目がこちらを向く。


「それは……恋心と言うのではないだろうか?」


「恋だと……っ!?」


 信じられないとでも言うようにミグフレッドは、シラーフェを睨みつける。普段とは違い、今は言葉を間違えたという不安はない。

 青目を真正面から見て、シラーフェの示す答えはより強い確信を齎す。


「俺も詳しいわけではないのだが、自身で制御できないほど他者を愛おしく思う気持ちは恋と呼ぶのだと思う」


 シラーフェの中にもある感情を確かめるように言葉を紡ぐ。


 初めて出会った頃から変わりなく存在している彼女を思う気持ち。

 この胸を高揚させ、幸福感で満たすとともにこの胸に締めつけ、渇望に喘ぐこの感情。

 一度覚えてしまえば、どうしようもなく胸を支配するもの。


「恋などくだらない。そんなものが俺に? 巫山戯るな! この程度で俺が、俺の役目が……そんなもので」


「恋は素晴らしいものだ。この胸を締め付け、絶えず痛苦を齎すものであっても、与えられる幸福は何にも代えられぬ。一度それを覚えてしまえば、抗えぬ。ミグフレッドにも心当たりがあろう?」


 シラーフェの恋心が満たされたのは、ほんの一時。美しい花畑の中で彼女と出会い、言葉を交わし、同じ夢を志したあとときだけだ。それでも、二度と忘れられないほどにシラーフェの心は彼女に囚われた。

 あれほど心を満たす出来事に、シラーフェはこの女性のことを何も知らない。


 美しい顔がどんな表情を浮かべ、その声がどんな風に言葉を紡ぐか、知らない。知らないことを知っていく方法はいくつもある。もっとも単純なのは、


「彼女の名前は……?」


「マレイネ・ユーガルト」


 この場でもっとも彼女のことを知っているミグフレッドから得た答えを反芻する。

 刃を向けるシラーフェは女性、マレイネを守るように帯状の精霊石が舞う。一呼吸ののち、意識を切り替える。


 シラーフェの目付きが変わったことに気付いたミグフレッドは息を呑む。未だ己の立ち位置に迷うミグフレッド表情変化に気付くことなく、シラーフェは自分の内側にいる存在を意識する。


 黒いものがある。龍の谷ミズオルムを侵した澱みよりも、ずっと暗く醜くおぞましいものがシラーフェの中で巣食っている。

 普段は遠ざけ、ないものとして扱ってきた先祖の妄念へ、敢えて語りかける。


〈魔術を断つ。力を貸せ〉


〈余に命令するとは不遜な奴だ〉


〈この身を居処として与えているんだ。多少、返済を求めても罰は当たるまい〉


 澱みの根源、ルヴァンシュの返答はなかった。断られたわけではないことは、内から溢れてくる力の感覚が告げ、それを魔管に伝わせる感覚で掌へ集め、剣に注ぐ。剣身が闇色を纏う。

 光を呑み込む色を宿した刃が、対照的に光り輝く精霊石を斬り裂く。


「もう、マレイネを解放してやってくれ」


 いっそう力を剣に集中させる。

 四〇〇年、ルヴァンシュが蓄え、燻らせ、膨らませ続けた力と、シラーフェが魔臓に蓄えていたマナが混ざり合い、剣に宿る。剣身が大きな負荷を受けて震えている。


 あまり長くは持たないと一気に距離を詰め、渾身の力を持って剣を振るう。魔臓のマナの一部を魔管を通じて全身に送り、身体強化を行っている。そうしなければ、シラーフェ自身が力に負けてしまうだろうから。


 そこまでして断ち切るのは地下空間に聳え立つ巨大な精霊石だ。

 マレイネの体を解放するため、一度シラーフェに斬り砕かれ、歪な形となった精霊石へ剣を叩き込む。

 混ざる光が縦に一閃を描き、精霊石を二つに割る。切り口から燃え上がる闇色の光が精霊石に刻まれていた術式を呑み込んでいく。


「マレイユ……」


 糸が切れたように倒れるマレイユをミグフレッドが抱きかかえる。その音を背中で聞くシラーフェは疲労を息として吐き出し、ふらつく体を剣で支える。今ので残りのマナの大半を使ってしまった。

 辛うじて残ったマナの量は生命維持には充分ながら、魔法を行使するには心許ない。


「……っ…く」


 心臓とは別の何かが大きく脈打ち、息を詰める。浅い呼吸の中で、それの鼓動はより大きく、シラーフェの中で主張する。第二の心臓ができたような拍動が、シラーフェの自我を大きく揺さぶる。

 大量のマナを使った疲労に晒される体に抗う力は、ほとんど残っていない。


〈余に力を乞う代償を理解していなかったわけではなかろう〉


 脳内に響く低い声を鬱陶しく思いながら、慎重に呼吸を繰り返す。種ではなく、ルヴァンシュではなく、呼吸する自身の心を平静に保つことで、内で暴れる妄念を押さえつける。


「シラーフェ、どうした? 大丈夫か?」


 四肢を縛ったティフルを抱えたリトが合流する。

 縛るものだと思っていなかったはずだが、と見れば、サーペンテの皮で縛っているらしかった。ティフル自身に縛っている紐の正体が見えないのは幸いだろう。


「大したことはない。気にするな」


 〈復讐(フリュズ)の種〉をなんとか抑え込んだシラーフェは呼吸を乱さず、答えた。

 抑え込んだといっても、種の疼きが完全に収まったわけではない。油断すれば、すぐにこの身を侵食することだろう。


「それよりも……」


 言いながら、シラーフェはミグフレッドの方を視線で示す。

 倒れたマレイネを抱きかかえ、何度も呼びかけている。どうやらマレイネが目を覚まさないらしい。

 数年も精霊石の中に飛び込められていたいのだ、すぐに目を覚ますとも不思議はない。


 ただ何度もマレイネの名を呼ぶミグフレッドの様子は尋常ではなく、近付いてその理由を知る。

 青白い顔に、紫の唇。微かに震える体を抱き締め、ミグフレッドは何度も何度もマレイネに呼びかける。


「精霊石に囚えられていた代償ってか」


「症状はマナ欠乏症に似ているな」


 精霊石に囚えられていた間、マレイネは精霊石と繋がっている状態でもあった。負の感情とともに体内のマナを吸い取られていたのだろう。

 今まで無事だったのは、精霊石自身が含むマナがマレイネの中にも巡回していたからだ。


 その繫がりが断たれ、マレイネは生命維持に必要なマナを奪われた状態で解放された。

 魔族ほどではないにしろ、生きとし生ける者のすべてが生命活動にマナは必要不可欠のものだ。角から周辺のマナを吸収できる魔族と違って、大半の種族はマナが枯渇しても、休息をとって回復に努めるしかない。


 今のマレイネの状態を見るに自然回復させるのは難しいだろう。マナを注ぐにしても、シラーフェにはもう他者に分けられるほどマナが残っていない。

 考えるシラーフェは精霊石を一瞥、一先ず足元に落ちている破片を拾い上げる。


 どんな術式が込められているのか分からないから、精霊石からマナを吸い取ることができないでいた。しかし今は、〈復讐(フリュズ)の種〉の力でかけられていた術式を断ったので、吸い取っても問題ないはずと信じることにする。


 他者を救うのに、己の被害を考えても仕方がない。小さな欠片に込められたマナを吸い取る。

 手の中で粉々に砕ける精霊石が美しく宙に散る。流石、精霊から生み出されたものなだけあって、一欠片だけでもかなりのマナを得ることができた。だが、まだ足りない。


 落ちている欠片を拾い集める時間が惜しい、とシラーフェはもっとも目立つ精霊石へ歩み寄る。

 二つに斬り裂かれてもなお、堂々たる姿で立つ巨大な精霊石。意識を集中して、精霊石に含まれているマナで魔臓を満たす。マナを失った精霊石の一部が粉々に砕け散り、魔臓の許容量を超えたマナが角から排出される。


 舞い散る精霊石と、マナが幻想的に地下空間を彩る。

 その中を歩くシラーフェはそっと膝をつき、ミグフレッドに抱かれるマレイネへ手を伸ばす。

 冷たい肌に触れ、マレイネの体にマナを注ぎ込む。感覚は魔法を行使するときに似ている。


 角から魔臓にマナを蓄える。蓄えたマナを、魔管を通して掌からマレイネへ注ぐ。

 マナを魔力に変換する過程がないというだけの違いで、マナを注ぐ感覚にもすぐに慣れた。

 マナを注ぐにつれて、青白かったマレイネの肌が少しずつ温かみを取り戻していく。触れた肌が生の温度を取り戻し、健康的な色に戻った頃、そっと手を離した。


「これで……そのうち目を覚ますだろう」


「感謝する」


 短い謝意の間にも、ミグフレッドの視線はマレイネに注がれたままだ。

 それを不敬だとは思わず、「謝意は不要だ」と同じく短い言葉を返した。


「……今のことだけではない。マレイネを……解放してくれたこと、感謝する。俺は……マレイネを、殺すしかないと思っていた。それが長たる者の役目だと、俺は……」


「俺に感謝しているというのであれば、マレイネにその、胸を占める想いを伝えてやるといい」


「それは……」


「いや、いい。気にするな。無理強いするつもりはない」


 シラーフェだって想いを伝えられていない。再会し、伝える機会はあったのに、立場や状況を言い訳に逃げたシラーフェが、ミグフレッドに偉そうなことを言う資格はない。

 この想いをずっと胸に秘め続けると決めたシラーフェには。

 伏せる赤目を、ようやくこちらを見た青目が射抜く。反射で息を詰めた。


「俺はお前のことを誤解していた。シラーフェ、道中での不敬を謝罪する」


「……俺は、信用に足る人物になれただろうか?」


 微かな呟きにミグフレッドが笑声をあげる。驚いて、ミグフレッドの顔を見た。

 ミグフレッドが笑う姿を見たのは初めてだ。それも声をあげて笑う姿など想像もしておらず、どこか幼くも見える笑い方を呆気に取られて見つめる。

 笑われるようなことを言った自覚はないが、ミグフレッドのその表情を見ていれば、気にもならなくなる。


「シラーフェ、お前は変わった奴だな」


「そうだろうか?」


 心当たりがなく疑問符を浮かべるシラーフェに、ミグフレッドはまた笑う。何か糸でも切れたように、硬く冷たい表情ばかりを浮かべていた顔が和らいでいる。


「少しの間に仲良くなりすぎじゃね、お前ら」


 呆れた顔のリトがシラーフェとミグフレッドの二人に声をかける。

 ティフルを抱えるリトは二人の様子を見てすぐに奥の方を視線で示す。


「あっちに外に出られる道があるってよ。こいつが吐いた」


「信用できるのか?」


「問題はないはずだ。ティフルはこれ以上、俺たちを陥れることはしない、そうだろう?」


 不貞腐れた顔でリトに抱えられていたティフルは、シラーフェの問いに視線を泳がせる。

 頬がわずかに赤い。体調でも悪いのか、と顔を覗き込めば、顔を背けられた。


「僕がここに来るのに使った道です。嘘はありません」


 顔を背けたまま、淡々と紡がれる言葉を受け、ミグフレッドの方を見る。冷たさを取り戻した青目がティフルを値踏みし、息を吐く。


「問答を繰り返していても意味はないか。シラーフェの判断を信用しよう」


 先の問いに思わぬ形で返され、頬が緩む思いがする。


「そうと決まったら、さっさと行くぜ」


 リトに先導されながら、ティフルが通ったという道を辿る。暗く細い道だ。

 大人二人が並んで通ってちょうど程度の道を縦に並んで歩く。リトがティフルを抱え、ミグフレッドがマレイネを抱え、シラーフェだけが身軽な身だ。


「壁に奇妙な紋様が描かれているな」


 見覚えのある気がする紋様に何気なく触れた。瞬間、胸の奥が疼いた気がして、意識を向けた瞬間、視界が暗転した。

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