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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
25/86

25「ミグフレッド・ユーガルト」

 同胞ながら、理解不能な相手だと思っていた。


 龍族は、他者との関わりを極力避ける性質であり、それは同胞であっても変わりはしない。最低限生活に必要なだけの接触のみで、個々が独立するように暮らしている。

 冷たく見える関係性であっても、魂の繋がりはどの種族も強いという自負があった。

 そんな中で女は他者を愛し、他者と関わることを好んで行っていた。


「ミグフレッド様、今日も見回りお疲れ様ですっ」


 毎日、目を覚ましてすぐに谷の周辺を見回ることがミグフレッドの日課である。

 己がいづれ長なることに自覚的になった頃から続けている。

 もう三桁を超える年数は経っているだろう。龍族にとって年数など些末時なため、正確な年数は分からない。


 ともあれ、ミグフレッド自身ですら覚えていない年月をかけた日課の終わりを、最近はその女が飾るようになった。

 最近といっても、龍族にとっての最近だ。

 数年ほど前から、見回りを終えたミグフレッドを女が出迎えることが増えた。数日に一度が少しずつ頻度を増し、気付けば毎日のように顔を合わせている。


「お前も暇な奴だな、毎日毎日。他の奴らはまだ寝てる時間だろう」


「ミグフレッド様も起きているじゃありませんか」


「俺には長を継ぐ者として果たすべき役目がある」


「じゃあ、私にもミグフレッド様に『お疲れ様でした』と『ありがとうございます』と言う役目がありますよ」


 龍族らしくない快活な笑顔を見せる女は、ミグフレッドにとって不可解の塊であった。

 ミグフレッドは畏怖なく声をかける者など、谷の住民の中にそうはいない。その上、言い返し、真っ向から意見する者など皆無に等しい。それもこんなくだらない内容を。


「その程度の役目とオレの役目を一緒にするな。負っているものが違う」


「私の役目だって、私にしかできないものですよ」


「くだらない」


 そう吐き捨てて、ミグフレッドは生産性のない会話を自分から打ち切った。

 背を向け、歩き出したミグフレッドに対して女は、マレイネ・ユーガルトは「また明日」と懲りもしない調子で投げかけた。ミグフレッドは返事せず、視線を向けることすらせずに去る。


 この繰り返しだ。日が暮れる少し前に目を覚まし、谷の中と外を注意深く見回りした後、マレイネに迎えられ、言葉を交わし、「また明日」を背中で聞きながら別れる。

 生産性のない意味のないやりとりがずっと「また明日」も繰り返されることを、ミグフレッドは信じて疑っていなかった。ミグフレッド自身も気付かないうちにマレイネの笑顔に絆されていた。


 もう「また明日」が来ないことを知るまで、ミグフレッドはその事実に気付かなった。

 いつものように「また明日」を背中で聞き、訪れた「また明日」に彼女は現れなかった。


 寝坊したのか、体調でも崩したのか。何か、事件にでも巻き込まれたのか。

 見回りを終え、出迎えるはずのマレイネの姿を見当たらず、ミグフレッドの動揺とともに思考を回す。

 可能性をいくつも思い浮かべては、不安定に揺れる心を押さえつけるように自宅へ戻った。


 確かめる方法は簡単だ。マレイネと親しい者に聞けばいい。ミグフレッドの問いを無碍にできる者など、この谷にはいない。解決法は得られていても、実行には移さない。


 ミグフレッドとマレイネの関係など、見回りの後、少し会話するだけのもの。それ以外の場面で言葉を交わすことはなく、そんな浅い関係性の者が何を気にするというのだ。

 マレイネは、龍の谷ミズオルムの一人。たまたま会話する機会が多かっただけ、それだけ。それだけのはずだった。


「ミグフレッド様っ、マレイネが……マレイネが、どこにもいないのです」


 彼女の友人らしい女性が血相を変えて飛び込んできたとき、ミグフレッドは心臓を鷲掴みにされる気分になった。

 思考が一時止まり、目の前が真っ黒になる。数秒の静止があり、怪訝な視線を受け止めて我に返る。


「腕の立つ者を集めろ。複数で組んで捜索にあたらせろ。俺は先に外を見回る」


 矢継ぎ早にそれだけ言って家を飛び出す。見回りをするときと同じように槍をその手に握り、見回りするときとは違ってその身を風に乗せる。

 近辺は捜索隊が探すだろう、とミグフレッドは龍の谷から大きく離れた場所の捜索にあたる。


 風を身に纏い、マレイネの手掛かりを探して高速で移動する。

 マレイネの行方が分からなくなって、まだそれほど経っていない。くまなく探せば、必ず見つかるはずだ。


 高速で飛びながらも、ミグフレッドの瞳は微かな手掛かりさえ見逃さない。

 少しずつ膨らんでいく焦りを吐息として零し、忙しなく目を動かす。

 必ず見つかるはずだ。どんな手掛かりだっていい、必ず、必ず。


 ――また明日。


 蘇る声は鮮明だ。

 当然だ。ミグフレッドは何度も何度も、毎日のように聞いていたのだから。

 声はいつだってすぐに思い出せるのに、その顔は欠片も思い出せない。


 当然だ。ミグフレッドは一度として、一度だって「また明日」を紡ぐ彼女の方を振り返らなかったのだから。

 笑っていたのだろうか。悲しんでいたのだろうか。考えても、答えを知る術をミグフレッドは持っていない。


「俺は何故……」


 押し寄せる後悔がミグフレッドの足を止める。

 手掛かりすら見つけられない力不足への嘆きよりも深い感情が声を震わせる。


 何故、一度も振り返らなかったのだろう。一度くらい振り返っていれば、「また明日」が来ない日が訪れることはなかったかもしれない。

 生まれてこの方、一度として紡ぐことのなかった弱音を、ミグフレッドはこの日初めて心中に落とした。


 万感の思いを息のみに込め、意識を切り替えるように息を吸い込む。

 そのまま、地を蹴って風に乗り、龍の谷ミズオルムへと帰る。

 長を継ぐ者としての役割を、物分かりの良さの言い訳に使いながら。


「ミグフレッド様、マレイネは……」


「成果はない。お前たちの方は?」


「うちらの方も全然……」


「そうか。今日の捜索はここで切り上げろ。明日、また手の空いている者で捜索にあたるように」


 帰ってきてすぐに声をかけてきたマレイネの友人に、感情を殺した声で指示をした。

 何か言いたげな様子だったが、ミグフレッドに意見する度胸もなく引き下がる。去っていく姿の隣に昨日まではマレイネがいたのかと思って、自嘲気味に笑んだ。


 結局、数日かけて捜索しても、マレイネが見つかることはなかった。一年、二年と経っていくうちにマレイネの話をする者はいなくなり、ただミグフレッドの胸に残るしこりはいつまでも消えなかった。






 目の前にそれが現れたとき、呼吸も忘れて見つめた。最初にあったのは驚き。

 長年、胸の奥に引っ掛かったままの女が、もう二度と会うことのないと思っていた女が突然現れたことへの驚き。

 最初の衝撃から遅れて胸を支配するのは途方もない怒り。自分の中にあったとは思えない感情が奥から湧き立ち、全身を震わせる。


 天につくほどの大きさを持つ精霊石。その中に閉じ込められたマレイネの姿。

 神秘的な空気を持つそれが、ミグフレッドの目にはおぞましいものとして映った。

 内側の感情に支配され、自失していたミグフレッドはシラーフェの声で我に返る。


「我が同胞に手を出したこと、後悔させてくれる」


 あえて“同胞”と口にした。


 疼く感情の理由を自身の役目で上書きして、槍を握り直す。

 理性に思考を切り替えるのは昔から得意だ、と調査のため、早々に奥へ向かう。マレイネから意識的に視線を外して。


「こっちに子供が倒れてんぞ」


 反対側を調査していたリトの声を聞いて踵を返す。遠目に見たそこには見覚えのある子供が倒れていた。

 龍の谷に迷い込んだところを保護した子供だ。すぐにカザードに渡す予定だったのを、他の民の訴えから定期的に訪れるカザードの使者が訪れるまで、と保護の期間を延長させた。その間に行方不明となったのである。


 時同じくして、川の水が濁るようになり、ミグフレッドはあの子供が何か関係しているのではないか、と考えている。今もなお、警戒を乗せた瞳で、倒れる子供の姿を注意深く見ながら近付く。

 同胞以外は無条件に警戒を抱く。それがミグフレッドの生き方で、そのお陰で微かに震えた子供の指に気付けた。


「リト、避けろ!」


 刃の輝きを見咎めて叫ぶ。

 思考を回すより早く、大きく後ろへ跳んだリトの前を、子供が振るう刃がなぞる。


 空を切るナイフに舌打ちを零す子供は、懐から魔石を取り出す。不規則な点滅を繰り返す魔石にリトは迅速な対処を取る。

 一度離れた距離を即座に詰め、戦斧の柄で子供の手を弾いた。高く飛ばされた魔石が瞬き、爆発する。


 吹き荒れる爆風を利用してミグフレッドは子供に迫る。爆風であっても風、乗れない道理はない。

 荒れ狂う風を御し、槍を振るえば、金属音が微かに鼓膜を震わせた。


 何かを弾く感覚を味わうとともに周辺の風を斬り払う。

 晴れた視界の中で、状況を確認すれば、子供の体に戦斧の柄が叩き込まれる瞬間であった。その行く先に目を向けることなく視線をわずかに下へ。


 弾いた何かの所在を確かめる。視線の先に落ちていたのは薄いナイフだった。

 感情なく一瞥し、子供が飛ばされた先へと視線を移し、感情的に目を見開く。思惑を回す間もなく地を強く踏んだ。ミグフレッドのすべてが風になる。


 青い瞳は真っ直ぐに彼女を見ていた。その白く細い腕がシラーフェの首に伸ばされている。

 瞳は虚ろで、表情が抜け落ちた顔は人形めいており、そこにマレイネの意思は宿っていないことは明らかだ。


「……やめろ」


 ほとんど口の中で、震えるように呟いた。ミグフレッドの目にはマレイネの姿がすべてだった。

 苦悶するシラーフェのことなど、些事として、マレイネの細い腰に掴み、引き剥がすように体当たりする。


「まだ終わっていない、気を抜くな」


 内に溢れる激情の欠片も覗かせず、冷えた声で紡いだ。

 困惑している様子のシラーフェへ意識を向けるのはこれきりと、突き飛ばされたまま倒れているマレイネを見た。


 反響する不愉快な笑声など気にも留めず、微動だにしないマレイネに歩み寄る。

 行方不明となってから、今日までずっと精霊石に閉じ込められていたのだろうか。

 こんなに近くにいたのに気付けなかったことが悔やまれ、彼女をそんな目に遭わせたものへの怒りが湧き立つ。


 そして思うのだ。何年も石の中に閉じ込められていて、無事でいられるのだろうか。

 その肌は死者の色はしないない。しかし、死とは肉体だけに訪れるものではない。

 動いている姿を目にしたとして安心できず、むしろ虚ろを語る瞳に煽られる不安まま、地を蹴る力を強める。


 不安で震える指をマレイネへ伸ばす。瞬間、マレイネの瞼が勢いよく開かれる。

 その青い瞳が和らいで、その唇が弧を描いて、その声が音を紡ぐことを夢想した。


 幻と描いたマレイネの姿が一度も見たことのない無表情に貫かれる。

 どんな攻撃よりも鋭く胸を抉る人形めいた表情に伸ばした指が止まった。


 マレイネに触れることが叶わなかった手が槍を握り、両手で構え直した切っ先をマレイネへ向ける。民を守るため、鍛え上げられた勘が告げるまま、本能に従って槍を振るう。

 金属とは違う甲高い音が響き、石らしくない柔軟性を持った精霊石に弾かれる。


「精霊石に支配されているのか? あの……人族に何かされたのか?」


 虚ろな瞳が問いに応えることはなく、ミグフレッドの中に判断する材料はない。

 何せ、精霊石の中に人が閉じ込められるなんて事象、三百を超える年月を生きている中で初めて見るものだった。

 その原因も、その影響も、マレイネを解放する方法も、ミグフレッドには分からない。


 選べる選択肢がないのならば、冷静に、冷徹に判断を下すのがミグフレッドのするべきことだ。


「これも長としての役目だ。悪く思うな」


 感情を切り捨て、全身が冷たいものになった感覚で切っ先をマレイネに向ける。

 虚ろな瞳と同等に感情が抜け落ちた瞳を向ける。

 止め方が分からないのなら、マレイネを殺してでも止めるまで。同胞を愚弄し、命を冒涜した姿を終わらせることこそ、ミグフレッドのすべきこと。


 ミグフレッドは長を継ぐ者だ。感情に絆されて判断を誤ることなどしない。判断を下すのに感情は不要だと知っている。


「俺は判断を誤らない。また明日は、もう来ない」


 マレイネが行方を晦ました日から明らかな事実に今更揺れる心など持っていないのだ。知っていることに動揺する者などいないだろう。

 強く踏み込む。槍を振るえば、帯状に伸びた精霊石が邪魔をする。

 生物のように動く精霊石は絡みつくように迫る。マレイネにこれ以上近付けないことに歯噛みし、精霊石の猛攻をすべて捌く。


 一手、槍を振るうたびにその切っ先が風を纏い、一歩踏み込むたびにその身が風を纏う。

 龍族は風の精霊に愛された風の化身。纏う風はその身を軽くし、ミグフレッドの動きを加速させる。

 たかだが石ごとき追いつけないほどに速く、鋭く。


 迫る精霊石の夢を一振りで細々に斬り裂く。次の邪魔が来る前に、と強く早く踏み込む。

 右に邪魔な気配、槍で瞬時に裂く。左に邪魔な気配、槍で瞬時に裂く。上、右、斜め上、後ろ、気配を感じれば、すぐに槍で裂き、邪魔するものが誰もいない状態で、改めてマレイネのすぐ傍に立った。


 ゆらりと不安定に、幽霊を思わせる姿で立つマレイネ。その首筋に切っ先を突き立てる。

 マレイネの首を刎ねるつもりだった刃が、切っ先を突き立てるまでで止まる。


「何故だ……」


 あと少し動かせば、その槍はマレイネを終わらせられる。意思を奪われ、囚われ、他者に操られる状況からマレイネを解放させられる。終わらせてあげられる。


「たす、けて」


 知っている声が、らしくない弱さを持って紡がれる。槍を持つ手が震え、上手く力が入らない。

 ミグフレッドは感情に絆されたりはしない。常に冷静であれるよう、己を律してきた。


 それが崩れることがあるはずがないのに、捨てたはずの感情が姦しく騒ぎ立てる。名前の分からない感情に退ける術を知らず、ミグフレッドは戦意の喪失した瞳でマレイネを見る。気付けば、切っ先は下に向けられていた。


「何故、役目を果たせない! この感情はなんなんだ……⁉ マレイネ……お前は、俺に一体何をしたんだっ」


 虚ろな瞳は答えない。ミグフレッドの中にも答えはない。

 荒れ狂う感情に抗うことをやめたミグフレッドの背中を、これまでの報復と言わんばかりに精霊石が迫る。


 気付く余裕のないミグフレッドの背後で銀閃が走る。精霊石を斬り裂いたシラーフェは、揺れるミグフレッドを見て仄かに口元を綻ばせた。


「それは……恋心と言うのではないだろうか?」


 見開いた青目と赤目が交差する。


「恋だと……っ!?」

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