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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
23/88

23「地下の底」

 澱みの塊に近付いている証明のように肌を撫でるマナの不快さ強まっていく。

 マナを感知する角だけではなく、全身が澱みによる不快感を訴えている。魔族ゆえとりわけ敏感なシラーフェだからというわけではないようで、ミグフレッドとリトの表情にも険しいものが滲んでいる。


 一歩下へ進むたびにその不快感は強いものとなる。正直進みたくない。

 気乗りしない感情を使命感で覆い、重たい足を動かす。


「……行方不明となった女性について聞いてもいいだろうか。為人とか、分かる情報だけでもいい」


 不快感が募る場所へ、無言のまま進むことを嫌ってミグフレッドに問いかけた。


「気立ての良い女性……だったと聞いている。社交的で他種族との交流にも積極的だったと」


 ミズオルムは他の龍族の住処に比べて訪ねやすい場所にある。冒険者を中心とした他種族の者が来ることも珍しくないらしい。

 希少な素材を求めて、あるいは龍族の姿を一目見ようと。

 龍族の大半が外の者との関わりを拒む中、女性は余所者に好意的であった。

 その人柄を淡々と、他人事のように語るミグフレッドの姿に違和感を覚えて、わずかに眉根を寄せる。


「そういう者ばかりが行方を晦ます……」


 今までにないほど、力のないミグフレッドの声には哀惜と仄かな怒りが宿っていた。

 その怒りは出会い頭に襲われたときに向けられたものに似ている気がした。


 余所者に対する怒り。そして、守らねばならない存在を守り切れなかった自分に対する怒り。

 シラーフェにも身に覚えのある感情に、遠くに思えていたミグフレッドの存在が近くに感じた。


「状況が分からない以上、絶対とは言えないが、女性のことを助けよう。俺も出来得る限り力を貸そう」


 事件を解決することだけに意識を注ぎ、無駄を嫌うミグフレッド。

 会話の間、向けられることのなかった瞳がこちらを向き、その足が始めて止まった。青い瞳が見開いてこちらを見ている。

 初めて真正面からミグフレッドの中に触れた気がした。その事実にシラーフェの胸が震える。


「何故、そんなことが言える? お前は部外者だろう」


「長から解決を任された以上、部外者ではない」


「そういうことを言っているんではない。魔族のお前にとって、龍族がどうなろうと関係ないはずだ。結果がどうあれ、解決さえすれば目的のものは手に入れられる。それで充分なはずだろう⁉」


 言い募るミグフレッドに対してあったのは「そうなのか」という理解だけであった。

 解決さえすれば、結果は言及されない。きっとそれは解決が一時的な、その場しのぎのものであっても構わないということなのだろう。完全解決することばかりに意識が向いていたので、その事実に気付きもしなかった。


 かといって、それを知ったところで、シラーフェの考えは変わらない。

 一度関わったのならば、全力を尽くして最善を目指す。純粋な気持ちに向けられるミグフレッドの疑心は、シラーフェの中に困惑を生む。


「何を考えている? それ以上……何が目的だ」


「俺は、女性を助けたい。水の澱みのことも、行方不明という子供のことも、俺のできる範囲で力を貸したい。目的などはあまり考えていない……」


「そんな言葉を信じられるものか! どいつもこいつも利己的で龍族を素材や道具としか思っていない。そうだろう⁉ 俺は騙されない!」


 声を荒げるミグフレッドの姿に、責められる今の状況に怒りも不快感も湧かなかった。ミグフレッドが泣き叫んでいるように見えて、心が震える思いがした。


 守れなかったもの。人攫いに遭い、素材となって殺された少女。

 実験的に壊滅させられた村と、家族を失った少女。

 きっとそれよりも多くのものをミグフレッドは失ってきたのだろう。


 他の種族に騙されて、利用されて、守るべきものを失ってきた日々。向けられる悲哀だけでは、すべてを理解することはできない。

 痛いほど伝わってくる思いを真摯に受け止めた赤目でただ見た。


「俺は……大事な友人を人族に殺されたよ」


 直接的な言葉は三人しかいない地下だから口にできたものだ。

 悲哀の中に険しさを宿す青の瞳が訝しみ、続く言葉を待っている。どんな言葉が来ても切り捨てる意思をミグフレッドの瞳から強く感じた。


「俺は納得させられる言葉を持っていない」


 切り捨てられないで済む言葉は、シラーフェの中にはこれしかなかった。

 きっとそれはミグフレッドが求めていたものではないのだろうと、とり険しくなった瞳で悟る。それでもシラーフェにはこれ以上のものは出せないと誠意を詰めた赤目で見返す。


「だからと言って、関係を諦めたくない。俺は龍族のことをもっと知りたいと思う。……ミグフレッド、お前とも親しくなりたいと思っている」


 向けられる瞳に無理解が宿る。疑心を超えて宿るそれを、ミグフレッドの中に生まれた変化だと解釈して勢いのままに言葉を続ける。


「見ていてほしい。俺は俺なりの誠意をもって、この件と対峙する。それを見て、俺が信用に足る人物が判断すればいい」


 言葉で説得できないのなら行動でします。単純な帰結を、無理解のまま聞くミグフレッドは眉根を寄せる。

 良い反応か、悪いい反応か、判断できるほど他者の感情の機微に聡くないシラーフェは仄かな緊張とともに見守る。


「……そこまで言うほどの価値があるか、見物だな」


 吐き捨てるようにそう言って、ミグフレッドは歩みを再開させる。シラーフェは許された気分でその後を追う。


「ったくお前ら、ほんと面倒なヤツらだな。もっと単純にできねえのかよ」


「もっと器用にとは思っているのだが、なかなか……ライ兄上のようにはいかないな」


「ライみてぇな特殊なヤツ目指すんじゃねぇよ。もっと簡単でいいんだよ」


 言葉通り、単純なことのようにリトが口にする。しかしシラーフェには難しいことのように思える。


「信じる、信じないなんて関係を築いた後から考えりゃあいいもんだろ。よく知らねぇヤツなんて大概信じらんねぇもんだろうが」


「一理あるが、関係を築くには信頼があってこそだろう?」


「お前は人間関係に夢見すぎだよ。信用だの、信頼ってのは後付けばっかだし、案外脆いもんだぜ。でもそれでいいんだよ。キレーでカンペキなリソーテキなもんばっかじゃ、気持ち悪いだろ」


 視線すら寄越さず、紡がれるリトの言葉は端的。言い分は分かるが、納得できないのが本音だ。

 リトの言葉すべてを理解して納得するにはシラーフェの経験は浅すぎる。


「くだらない」


 律儀にリトの言葉に耳を傾けていたらしいミグフレッドがそう吐き捨てる。意外な反応であった。

 少し前までなら、シラーフェとリトの会話に聞くに徹するばかりで、ミグフレッドから口を挟むことはしなかった。こちらから話を振らない限り距離を取る態度は、仄かな苛立ちの中に消えている。


 関わりを厭う姿は変わらずも、覗く感情に縮まった距離を感じさせる、好意的とは言い難い態度でも、シラーフェはその変化を喜ばしく受け取る。なんとく視線を向ければ、青の瞳と目が合う。


 わずかに目を見開いた赤目が刃の輝きを捉えた。回避するよりも先に頬に風が突き抜けた。

 髪の数本を犠牲に、シラーフェのすぐ横をミグフレッドが振るう槍が駆ける。顔を少しでも動かせば、切られてしまいそうな距離にある刃を視線のみで確認する。


 背後に感じる気配に応えて、わずかに屈めた姿勢から剣を抜く。

 振るった刃が黒い塊を易々と咲く。その頭上、屈んだ頭の上すれすれを槍が走り、同じく黒い塊を貫く。

 先程の攻撃も、この黒い塊を狙ったものだったようだ。


「これは……精霊か?」


 マナのみで構成された肉体を持つのは精霊族に連なる種族である。しかし、澱んだマナで構成され、意思を持っているのか判然しない存在を精霊と断定することは憚られる。


 よく知る精霊に比べれば大きく、精霊族と言うには形が不明瞭な黒い塊。

 この地下に落ちてすぐの頃は、周囲を埋め尽くしていた精霊の代わりと言わんばかりに今は黒い塊に埋め尽くされている。


 黒い塊――ここは邪精霊と呼ぼう。邪精霊は意思がないように見えるが、襲撃の手を緩めない。

 しつこさを持って、その身を自在に変えながら三人に襲い掛かる。


「くそっ、数が多すぎる」


 空間の狭さに配慮して戦斧ではなく、解体用のナイフを振るうリトが愚痴を零す。


 邪精霊は数えきれないほどに飛び交っており、そのすべてが好きを突くように襲い掛かってくる。捌ききれず、猛攻が掠めた肌は赤みが残され、脈打つ痛みを発している。火傷に近い傷だ。

 攻撃をまともに受ければ、焼け爛れたような状態になることは想像に難くない。


「邪魔臭い!」


 ミグフレッドが吠えるように槍を横に薙ぐ。その切っ先に纏わりついた邪精霊たちが振り払われるとともに斬り裂かれる。そのまま消滅してくれればいいのだが、邪精霊は斬り裂いた分だけ数を増す。


 一回り以上小さくなった体でも、一撫でで火傷を負わせる攻撃性は変わらず。

 小さくなった分、避けにくい攻撃となることを考えると厄介さが増すばかりだ。


「キリがないな」


 斬り裂く以外の対処法がない現状。リトが峰打ちで叩き潰す方法を試しているが、これも結局飛び散ったものが分裂し、新たな邪精霊として生まれ変わっている状態だ。

 打開策が他に思い浮かばない、とシラーフェは諦念に近い息を吐く。


「ウェンアイル」


 紡ぐ声に応えて、魔力に変換されたシラーフェのマナが周辺に冷たい風を届ける。

 マナ呼吸が満足にできないため、注ぐ魔力量を制限しながら、魔法を行使する。


 風は周囲に漂う邪精霊を氷漬けにする。最小のマナを込めた魔法の威力はささやかなものではあるものの、目的は果たすには充分だ。

 氷漬けにされた邪精霊たちはそのまま階段の上に落ちる。今のでかなりの数を削がれたようだ。


「今のうちに駆け下りるぞ」


 相手をし続けても埒が明かない。ミグフレッドの言葉には首肯で答えつつ、駆け足で階段を下りる。

 邪精霊の猛攻が緩んでいる間に、少しでも距離を稼ぐように数段飛ばしで下りていく。

 その間もシラーフェは角で周囲のマナの流れを読み取ることを忘れない。澱んだマナにあえて意識を向け、邪精霊の動きに意識を傾ける。


「――ウェンアイル」


 前方、マナの動きから捉えた邪精霊の襲撃に唱える。注ぐ魔力の量に気をつけながら、放たれた魔法は先行するように階段を下り、前方の邪精霊を氷漬けにしていく。

 普段、マナの残量に気を遣うことのないシラーフェは慣れない力加減に息を吐く。


「下からどんどん湧いてきてやがんな」


「澱みの根元から生み出されているのだろうな」


「それをどうにかしねえ限り、こいつらは邪魔してくるってこった。シラーフェ、マナはもつか?」


「この先、何が待っているか分からない以上、あと数発で留めたいところだな」


 魔臓に蓄積されたマナにはまだ余裕がある。平均よりも魔臓の大きさに恵まれていたことが功を奏したと言っていい。とはいえ、魔族は生命活動にもマナを使い、戦闘時の身体強化にもマナを使う。


 この場での消費は最小限に留めたいところだ。

 そんなシラーフェの考えを嘲笑うように、進行方向から次々と邪精霊が押し寄せてきている。有効打がシラーフェの魔法しかない以上、温存ばかりを言ってもいられない。


「火魔法であれば、もっとマナ消費を抑えられるんだがな」


「救助が来られるか分かんねぇ場所で酸欠なんてシャレになんねぇからやめろよ」


「分かっている。言っただけだ」


 燃やすだけでいい火魔法ならば、単純な術式でいいので消費するマナを抑えられる。

 ただ密閉した狭い空間で火魔法を使ってどうなるかも理解しているので、もちろんするつもりはない。

 代替として水魔法、火魔法、風魔法を掛け合わせたものを行使した形だ。よりわかりやすく言うなら燃やせないので、代わりに凍らせた。


「障壁は張れるか?」


「可能だが、あまり長くは持たせられない」


 階下から迫る邪精霊を睨むミグフレッドの問いに訝しみながら答える。

 障壁――結界は凍らせることよりも、マナの消費が激しい。結界を張って駆け下りるにしても、三人分となれば、最後まで持たせられる自信はない。一人分ならなんとか、と言ったところだ。


「二十秒、持たせられればいい」


「それならば――シルトテクト」


 邪精霊から身を守れる最低限に留めて、三人の体に結界を展開させる。透明な障壁の存在を確認し、ミグフレッドはシラーフェとリトの体を抱え上げる。

 流石、龍族と言ったところか、男二人を軽々と抱えるミグフレッドは強く地面を蹴った。


風精霊(シルフ)よ、この身に寄りて風を成せ」


 抱え上げられたままの体が風に包まれる感覚を味わう。澱んだままに呑まれていなくなったと思っていた風の精霊が呼び寄せられ、周囲を飛び交い、結界の上から三人の体を風で包み込む。

 体が軽くなった実感を味わった頃には、シラーフェの瞳が捉える景色は超速で流れていた。


 精霊の加護を受けたミグフレッドが包む風に乗るように階段を駆け下りる。いや、飛び降りるという表現の方が適当だろうか。

 位置に足をつける時間は一瞬、加速のための数秒を持って、文字通り風となって地下の底を目指す。


 しかし、進めば進むほど澱みは濃度を増し、風の加護は少しずつ剥がれていく。

 比例して落ちていく速度を流れる景色で感じ取るシラーフェは、仄かな焦りを滲ませるミグフレッドの横顔を祈るように見つめる。マナの残量に気を遣いつつ、結界の強度をわずかに上げる。


 最後、纏っていた風が空気に溶けていくのを感じながら、ミグフレッドが地面を蹴る。渾身の力で加速する身体が邪精霊の群れに突っ込み、底に触れた。


「っらぁ」


 広い空間に出たことをいち早く感じ取ったリトが跳ねるようにミグフレッドから離れ、戦斧を振るう。

 斬るのではなく、風を起こすことを目的とした動きで周辺の邪精霊を蹴散らす。


「ウェンアイル」


 リトが起こした風に紛れる形で氷の風を吹かせ、邪精霊を残らず凍らせた。続く襲撃がないことをリトとともに確認し、改めて空間内を見る。

 それを目に収めるより前に、茫然と立ち尽くすミグフレッドの様子に訝しみ、眉根を寄せる。

 見開かれた青の瞳の視線をなぞるように赤目を向け、瞬きをした。


「これは……」


 一言で言うなら神秘的。ただ、あれをその一言で片付けるのは命への冒涜であろう。

 何より他種族の強く憎むほどに同胞へ愛を注ぐミグフレッドを前にして、とてもじゃないがそんなことを口にすることはできない。


〈たす、けて……たすけて、たすけて、たすけて〉


 甲高く響く音とともに女性の声が響き渡る。痛苦を詰め込んだ声は鼓膜を、脳を大きく揺さぶる。

 思わず顔を顰めるシラーフェはふらつきながら、目の前のそれに数歩近寄った。


「俺に、助けを求めたのは貴方か?」


 絶えず聞こえる声は、あのとき聞こえた女性の声と同じものであった。

 問いに応えはない。ただ助けを求める声が鼓膜を震わせるばかりだ。

 胸が張り裂けそうな思いで、シラーフェはそれに目を向ける。美しい結晶の中に閉じ込められた龍族の女性へと、目を向けた。

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