22「継ぐ者」
澱んだ水を辿って川上へと歩を進めていく。ミグフレッドの歩みに迷いはなく、何度も訪れていることが窺える。
実際何度も訪れているのだろう。原因を調査するにあたって、始まりの探るのは基本だ。
ミグフレッドが繰り返し訪れてなお、原因を究明できていないのだから、シラーフェの行動も徒労に終わる可能性も充分にある。ただ、マナを読み取ることができるシラーフェならば、違う角度から見る事もできるかもしれない。
少しでも無駄足の可能性を下げるため、シラーフェは角に意識を集中させる。周辺のマナから得られる情報を少しでも見逃さないように。
「ここが一番上だ」
岩の隙間から水が流れ落ち、川へと繋がっていく。始まりとも言うべき水はすでに穢されており、澱んだマナの気配を漂わせている。川の始まりから澱んでいるのなら、その先に原因があると考えるべきだろう。
「この水はどこから来ているんだ?」
「これより先のことは俺にも分からない」
ミグフレッドの返答を聞きながら考え込む。
大抵の場合、雨を蓄えた地面から染み出したものが川の水となる。
しかし、ここミズオルムは、ほとんどが岩で構成されている土地だ。踏む地面は岩ばかりで、土の地面は足を踏み入れてすぐの辺りにしかない。
「雨の時点で澱んでたなら、他んとこに被害は出てんだろうし、この岩に問題があるんじゃねえのか?」
手近な岩を手の甲で叩くリトは、鍛え上げられたその目で岩の状態を鑑定する。
カザードの鍛冶師として培われた瞳は、岩の状態をも正しく見極める。父、アルベに劣るとはいえ、リトの目は一流だ。
じっくりと岩を見つめ、他の岩にも目を通し、リトは悩ましく息を吐き出した。
「見える範囲に異変はねぇな。相も変わらず、質の高ぇ岩ばっかだ。武具の素材として使いてぇくらいだぜ」
「土地を借りている分の素材は充分に納めているはずだが?」
「冗談だよ、冗談。間に受けんなっての」
岩自体に問題はない。リトの見立てなら信用できるだろう。
ミグフレッドの調査でも、リトの目でも“澱みの始まり”を見つけらないのなら、ここはシラーフェの出番だ。いっそう強く意識を角へ集中させる。
周辺を漂うマナを読み取るだけでは情報量が足りない、と自身の魔臓に蓄えられたマナを角から放出した。細い糸をイメージして、シラーフェの気が混じったマナを、水が流れ出る岩の隙間へと侵入させる。
水の流れに反するように、そのままマナの糸を岩の中を泳がせる。
「これは……不思議な流れ方だな」
普通、水は上から下に流れるものだが、岩の中はその逆、下から上に水が流れていた。
岩の中は空洞になっていて、外の比ではなく数の風の精霊が飛び交っている。精霊たちが恒常的に起こす風により、水が下から上に上がるという現象が生まれているのだ。
シラーフェの気に釣られて寄ってくる精霊たちの間を掻き分けながら、下へとマナの糸を伸ばす。
岩の中に入ってしまえば、澱みの源がどこにあるのか、感覚的に理解できた。その感覚を確信に変えるため、下へ下へと。
「たす、けて……」
「っ……」
聞こえた声に息を呑み、反射的にマナとの繋がりを断った。
現実に引き戻された気分で、周囲の景色に意識を馴染ませ、深く息を吐き出した。
「声が、聞こえた。たすけて、と……」
「行方不明になったっつー子供の声か?」
「いや……大人の、女性の声だったように思う」
聞こえた声は掠れて弱々しく、はっきりそうだとは言い切れない。本当に一瞬のことだったので、聞こえた事実そのものが酷く曖昧で朧気だ。
「最近でなくともいい。女性が行方不明になったという話はないのか?」
「十年程前に一人、それより前にも何人かいる。谷を出た者のことまでは知らない」
必要最低限に留められた言葉ながらも、ミグフレッドの返答は丁寧だ。一見、関係ないようにも見えるシラーフェの言葉にも律儀に答えてくれる。
ミグフレッドの態度は一貫しており、ミズオルムを襲う事件を解決するために全霊を注いでいることが伝わってくる。それだけ、ミズオルムひいては民のことを大切に思っているのだろう。
手詰まりとなった現状を打開するため、その瞳は貪欲に手掛かりを求めていた。
「それで何か分かったのか?」
聞こえた女性の声のことも気になるが、今優先すべきは水が澱んでいる原因を突き止めることだ。
意識を切り替える裏で、シラーフェの胸には一つの確信があった。
この剣を調べていけば、いづれ声の女性のことも分かるだろう、と。その確信があったから、迷うことなく意識を切り替えることができた。
「この岩の下……地下に澱みの塊を見つけた。それが原因かまでは分からなかったが、関わりがあることは間違いないだろう」
「地下か。ミズオルムに降りれる道なんかあったか?」
「地下へ降りる道はある。ただ、これが言っている場所とは別物だろう」
ミグフレッドの言う地下は食料の備蓄を保管するための地下倉庫のことらしい。広さもたかが知れており、シラーフェが言うような澱みの塊は気配すらも感じたことがないという話だ。
住人であるミグフレッドですらしらない地下への道を探し出す。進展はしているものの、状況の手詰まり感は変わらず健在だ。
「親父、長に聞けば、あるいは知っているかもしれない」
示された可能性にかけることにして、一行は一度長の家に戻ることを決める。
踵を返し、来た道と向かい合うシラーフェは後ろ髪を引かれる思いで一度振り返った。
細く水を流す岩の隙間。光が瞬いた気がして、眉根を寄せて注視する。
角をざわつかせる何かを感じ取り、中を調査するために放ったマナに呼びかける。辛うじて残る滓を頼りに再度意識を集中させるシラーフェは、不意に足元がぐらつく感覚を味わった。
シラーフェが立つ部分が振動し、割れるように開いた。突然足場を失い、シラーフェはそのまま落下する。
「ちっ」
「くそ!」
シラーフェを呑み込み、閉じようする穴に、ミグフレッドとリトが飛び込む。リトがぎりぎり滑り込んだところで、穴は完全に閉じてしまった。
オディスが呼びかける声を辛うじて捉えたのを最後に三人の体は落下する。
無数の風の精霊に視界を埋め尽くされながら下へ下へ。
精霊たちが起こす風がシラーフェたちの体を柔らかく支えてくれているお陰で思っているよりも速度は出ていない。落ち着いた状態で、下へ目を向けるが落下地点がまるで見えない。
どれほど落ちた頃だろうか。つま先が地面に触れた感触を頼りに危なげなく着地する。
ミグフレッドとリトも問題なく着地できたようだ、と横目で確認する。
落ちた穴は人一人が通れる狭いものだったが、落ちている最中は男三人が同時に落ちている狭さをまるで感じなかった。不思議な思いで上を見るものの、精霊に覆われていて落ちてきた道を見ることはできない。
「ここがシラーフェが言ってたとこか?。わざわざ落としてくれるなんて親切なこった」
背負う戦斧を抜いたリトは軽口を叩きながら、周囲に警戒を巡らせる。
作為を感じさせるタイミングでの落下だ。第三者の介入を疑わざる得ない状況で、シラーフェもまた角に妙な気配が引っ掛からないか、注意深く周辺のマナを探る。
「他にはいないようだな」
真っ先に呟いたのはミグフレッドだ。周囲の気配に集中するためか、瞑目していた目を開けて呟く。
リトの警戒にも、シラーフェの角にも、第三者の存在は感じ取れなかった。正真正銘、この場にいるのは落とされた三人だけのようだ。
「何かに反応しただけかもしれないな」
言いながら、地面が開いたときの状況を思い出す。
岩の隙間が光ったように見えて、中に入ったマナに呼びかけた瞬間、足場が消えたのだ。
「マナに反応したと考えるのが妥当か」
「魔族、しかもその王族ともなりゃ、特殊ななんかが出てもおかしくねぇ……のか?」
魔族は精霊――精霊族に次いでマナとの繫がりが強い種族と言われている。マナに直接作用する力を持っているのはこの二種族のみと言われている。
今回も無意識的に何らかの作用を起こしてしまった可能性もないではなかった。
実際、岩の隙間にはシラーフェの気を含んだマナが混じっており、それがあの光を生み出すこととなったとも考えられる。
「だが、ここは龍族の地で、元はカザードの土地であろう。特殊な作用が起きたとして、ここまでなるものなのか?」
それなら第三者が気配に気付いて扉を開けたと考えた方がまだ信憑性が高いように思える。
魔族の角から排出されるマナの特殊性は理解しているが、他国の地に影響を及ぼすほどのもだとは思えない。精霊族ならいざ知らず、魔族が与えられる影響などたかが知れている。
「答えの出ないことをいつまでも考えても時間の無駄だ。無用な時間を過ごすほど、俺は暇ではない」
無愛想に紡ぐミグフレッドは一瞥のみを寄越し、歩き出す。どうやらその先に下へ続く階段があるようだ。
長いこと落ちてきたような気がしていたが、シラーフェが感じ取った澱みの塊がある最奥にはまだ程遠い。
先導するミグフレッドを追うようにシラーフェとリトも後ろに続く。敵が潜んでいる可能性もまだ消えていないので、それぞれに警戒を周囲に張り巡らせ、いつでも臨戦態勢に移れるよう気を引き締めて階段を下っていく。
「階段があるってなると単なる空洞って線は消えたか。でも、ミグフレッドは知らなかったんだろ?」
「ああ、長からも聞いたことはない」
「オレも親父からこんな場所があるなんつう話は聞いたことはねえしな」
土地を治める者の身内すら知らない岩の中、地下の道。自然に生まれたものとは思えない階段に浮かぶのは不審だ。
誰がいつ、何のためにこの階段ひいてはこの空洞を作ったのか。そして彼らの父、カザード国国王アルベと、龍の谷ミズオルムの長ヴィルンドはこのことを知っていたのか。
「流石のヴィルンド翁も知ってて黙ってるなんてことはねえか。こんだけ水の澱みで問題になってんのに、ほっとくほど冷徹じゃねえ、だろ?」
「どうだろうな」
楽観的はリトの言葉に対するミグフレッドの反応は素っ気ない。リトの言葉を肯定するのではなく、その態度はむしろ否定的なものだった。
青い瞳は感情なく、実の親への信頼というものがまるで感じられない。冷たさを感じさせる反応は、シラーフェにとって意外なものであった。
「長は今回の件で俺を試している。知っていて、黙っていることも充分あるだろう」
「民の生活も関わっているのだぞ……⁉」
「いよいよ危なくなったら手を出すつもりなんだろう」
端的なミグフレッドの言葉は、シラーフェにとって意外なものであった。
民の生活を犠牲に息子のことを試すなんてこと、アンフェルディアでは考えられない。そもそも愛情深いと言われることの多い魔族の中では、ミグフレッドのように他人事として身内のことを語る姿は馴染みのないものであった。種族や住む土地が変われば、考え方や習慣も変わる。
それを押し付ける気はないにせよ、驚きを隠せないままミグフレッドの横顔を見つめる。
そこにはやはり感情らしい感情は見受けられない。けれども、決して無感情というわけではなかった。
「長を継ぐために必要な試験っつうヤツか。お前も苦労してんね」
変わらない温度感で声をかけるリトにミグフレッドは肩を竦める。
「リトも……いづれ、アルベ王の後を継ぐのか?」
「さてな」
思わず口をついた言葉にリトは視線すら寄越さないまま答える。
リトはカザード国国王アルベ・アウレの実の息子である。順当に行けば、リトが後を継ぐことになるはずだ。
にしては、リトの反応は確証のないもののそれだった。
「うちは完全な実力主義だ。血縁よりも鍛冶師の腕が優先される。次の王は親父の弟子の中から選ばれる。オレがそれとはまだ決まってねえ」
事実を事実として語るリトは特別な感情を宿さないまま、瞳を前に向けていた。
答えの見えない状況で、目指す場所は明確に見えている。希望に満ちたとは違う、未来への可能性に期待した瞳はシラーフェの好きな夢見る人の瞳であった。
同種の瞳ながらも、アルベのものとは趣が異なるものであった。若く、経験の浅さを輝きとして宿し、未来を見据えている。
「だからなんだって話だ。誰を指名する気であっても関係ねぇ。最後にゃ俺が最高峰の鍛冶師に選ばれて、親父の後を継ぐ。オレはそう決めている」
どんな困難もを跳ねのけんとするリトの姿はシラーフェの持たない力強さに満ちている。
憧憬に近い感情を抱くシラーフェの胸の内で〈復讐の種〉が微かに疼いた気がした。琴線に触れるものでもあったのかと意識を内に向けてみても、種は沈黙を守って答えない。
「今のオレは選ばれねえのは当然のことだ。オレには圧倒的に実力が足りねぇ。だから許されているうちにできる努力をしてるっつぅこった」
許されているうちに、とはシラーフェには耳の痛い話である。許されている状況に甘えて、役目を果たさず好きに過ごしてきた結果、今のシラーフェは許されない立場に追いやられている。
厳密に言えば、今はまだ許されている時間、最後の自由時間だ。
国に戻れば、アンフェルディアの王として責を果たす日々を余儀なくされるだろう。今の間に得られるものは貪欲に手にする。
リトの受け売りではないが、それこそ逃げ続けてきたシラーフェが最後の自由でできることなのだと思う。
この時間にリトやミグフレッドという、いづれ種族の長を継ぐことになる二人と共に行動できるのは恵まれているかもしれない。
「シラーフェ、お前だって他人事じゃねぇだろ」
なんてことのない口調でそう告げるリトに驚き、思わず足を止めた。
シラーフェの反応を気に留めることなく、リトとミグフレッドは先を行く。半瞬遅れて歩みを再開させて追いかける。
二人が自分より遥か遠くにいるように思えて、歩みは気持ち速めて。
そこでふとミグフレッドが歩を止めた。それを疑問に思わないほど、シラーフェの角が澱んだマナの気配を捉えていた。気付けば、周辺にあれだけいた精霊の姿が一匹たりとも見当たらなくなっている。
「ここから先、澱みが強くなっている。覚悟しろ」
嫌ならここで待機しろ、とミグフレッドは言外に告げている。言うだけで言って、選択させる時間を与える気はないらしく、ミグフレッドは早々に階段を下りていく。リトも逡巡することなく、後に続く。
シラーフェは周辺のマナを無意識的に吸い込む角の機能に制限を与える。
澱んだマナを吸い込むことは魔族によって命に関わることなので、出来る限り吸い込むことがないよう意識的に抑える。
魔臓にはこれまでの道のお陰で充分蓄えがあるので、少しの間抑えるくらいは問題ないだろう。