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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第1章
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2「やはり野に置け蓮華草」

 ――浮上する。あやふやな世界で、あやふやなまま漂っていた意識に輪郭が描かれる。

 魔族の国、アンフェルディア王国の第五王子、シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディアの意識が形作られる。それの自覚がシラーフェにとっての目覚めであった。


 目覚めはいい方だ。眠る時間が遅くとも起きる時間にはすっきり起きられる性質だ。

 一番目の兄や四番目の兄にはよく羨ましがられる。寝起きが悪いことで有名な一番目の兄はともかく、四番目の兄は就寝時間を早めればいいだけな気もするが。曰く、夜こそ、男の時間とかなんとか。


 ともかく目覚めのいいシラーフェであるが、今日はそうともいかなかった。

 全身にかいた嫌な汗で湿った寝巻の不快感。肌に張り付いた紙を掻き上げながら体を起こす。

 呼吸は浅く乱れ、心臓が早鐘を打っている。夢を侵食する闇と、己が作り変えられる恐怖がまだ残っていた。

 額を押さえ、努めて呼吸をし、乱れた心を落ち着ける。


「失礼いたします」


 ノック音から数拍置いて聞こえた声に顔を上げる。魔族の特徴、赤い瞳が同じ色の瞳と出会う。

 切り揃えられた灰色の髪にも、纏う執事服にも一切に乱れがない青年。

 早朝だろうが、深夜だろうが、完璧に整えられた姿を貫くことを信条にしているらしく、長い付き合いの中でも乱れた姿をほとんど見たことがない。


 彼の名はユニス・ラァーク。シラーフェ付きの使用人である。

 灰色の髪、そしてその隙間から生える蒼い角は、魔族の中でも影人と呼ばれる特殊な一族の特徴である。

 影人はその特別な力が重宝され、アンフェルディア王国の長い歴史と同等の時間、王族に仕えている。


「シラーフェ様、おはようございます」


 音もなく、歩み寄るユニスはシラーフェの様子を見るなり眉を顰めた。

 表情を取り繕い損ねたシラーフェは途中足早になるユニスを曖昧な顔で迎え入れる。


「お加減でも?」


「いや、夢見が悪かっただけだ」


 端的な答えに言葉に重ねることはせず、ユニスは心配の色の視線のみに留めた。

 付き合いの長さと優秀さで極められた青年は微かな表情変化にも気付き、容易くシラーフェの心情を読み解く。

 話す気はない。触れられたくない。我が儘な拒絶を尊重し、受け入れる。


「……シラーフェ様、また紗幕を閉じずにお眠りになったのですね」


 意志を尊重して話題を変えたユニス。その内容が小言なのは不満だが、文句は言うまい。


「薄い幕の有無で何か変わるわけでもない」


「しきたりですので」


「男の寝所を覗く物好きなどそうはいまい。そも、この部屋に来るのはお前くらいだろう、ユニス」


「万が一ということもあります」


「万が一が起こって顔を見られるだけで済めば幸いだろうさ」


 屁理屈を捏ねるシラーフェにユニスは視線に呆れを滲ませる。

 シラーフェが寝ているベッドは天蓋付きで、本来であれば備え付けられた薄い幕がシラーフェの姿を隠しているはずだった。しかし、このベッドの紗幕は柱にとめられたままだ。


 尊き存在である王族は寝姿を見られてはならないそうだ。貴人の寝姿を見るのは不敬とされ、王族は決して無防備な姿を晒してはならない、と。くだらないしきたりだ。

 貴人なんて、先祖がたまたま国を興しただけの話だ。シラーフェ自身が特別なのではない。


 もし王族でなかったらあの日、赤髪の少女に「魔族だ」と名乗ることができていたのかもしれないのに。

 王族という立場はシラーフェには少しばかり重い。


「湯浴みの準備はできております」


「ああ」


 立ち上がり、寝室を出る。その先にあるのは一人で使うのは広すぎる部屋だ。

 私室として与えられたこの部屋は、寝室の他に浴室と傍付きの私室が備え付けられている。

 シラーフェの足は浴室へと向けられる。全身にかいた嫌な汗を早く洗い流してしまいたかった。


 シャワーを浴びながら考える。

 今日見た夢のことを。今もなお、鼓膜の奥に残る嫌悪の声を。

 久しぶりに見た赤髪の少女の夢。シラーフェの生きる指針ともなっている少女との出会いを闇色に染め上げた声の正体への心当たりは欠片もない。


 全身の汗を洗い流しても、魂に刻まれた声は消えてなくならない。

 自分の中に自分以外の何かが入り込んだ気分だ。不快感を抱えたまま、手早く汗を流す。


 濡れた髪と身体は水魔法と風魔法の複合魔術で乾かし、ユニスが用意してくれた服に着替える。

 王族が着るにしては質素な衣服。用意してもらったのは平民の服だ。

 一流のものばかりを集めた王族用の服では町歩きをするのは目立ちすぎるのだ。


 身支度を整え、部屋を出る。長い廊下の先に二つの影を見つけた。


「カナト兄上、お帰りなっておられたんですね」


 アンフェルディア王国第三王子、カナトイアータム・レヴィニア・アンフェルディア。その後ろに控えるのは従者、レナード・ツェル・ラァークだ。鋭い二対の視線がシラーフェとユニスに向けられる。


「まだそんなみすぼらしい格好をしているのか。気楽なものだな」


 隠しもしない侮蔑と嘲笑がカナトの表情を飾っている。

 カナトは遠征帰りだ。二週間ほど、辺境の地で騎士団の訓練に同行していたという話だ。


 役目を果たし、疲れて帰ってきたところに呑気な弟を見かけて苛立つのも無理はない。

 優秀な兄たちに甘やかされて、自由に遊び歩いているシラーフェはさぞ憎らしく見えるだろう。

 確かに気楽な身の上だ。否定できる材料を持たず、シラーフェは無言で兄の言葉を受け止める。


「兄様たちはお前に甘いが、俺までそうする気はない。いつまでも出来損ないを連れて、遊び回れると思うなよ」


「ユニスは出来損ないではありません」


 何を言われても受け止めるつもりだった、自分のことならば。

 シラーフェに向けられているものよりも濃い侮蔑がユニスへと向けられる。それを遮るように同じ色の瞳と視線を合わせる。

 苛立ちを鋭く、口を開こうとするカナト。その肩に馴れ馴れしく手を置く人物がいた。


 淡く黄色を混ぜた白髪を一つに括った青年だ。王族の象徴たる黒い二本の角は片方が半ばから折れ、白く変色している。

 魔族にとって角が折れることは不名誉なことだとされているが、当の本人はまるで気にする素振りもない。それどころか、折れた角に模様を掘り入れ、装飾品で飾り付けてすらいる。


 標的を変えたカナトの鋭い視線を前に青年はへらへらと笑う。


「厳しい訓練の後で気ぃ立ってんのは分かるけどさあ、あんま弟に当たんなよ、カナ兄」


 アンフェルディア王国第四王子、ライディアリオ・ベルフィア・アンフェルディア。シラーフェの兄でカナトの弟の位置に収まる青年は掴み所のない態度を見せる。

 肩を置いた手を振り払われ、睨まれても肩を竦めるだけ。呆れた表情を浮かべるだけ。


「つーか、早く報告に行った方がいんじゃね? あのフィル兄だってそろそろ起きてんだろ」


「ちっ、角なしに言われなくとも分かってるっ」


 ライの方を押しのけ、シラーフェとユニスを睨みつけ、カナトは横に通り過ぎる。

 二人分の足音が遠ざかっていくのを背中で聞き、細く息を吐き出す。そこに笑声が加わる。


「災難だったな、シフィ。最近妙にピリついてたからなー。事故に遭ったとでも思っとけ」


「ライ兄上が来てくれて助かりました。俺では、カナト兄上を苛立たせるだけでしたので」


「そんな難しく考えんなって。オレだって軽くあしらっただけだぜ?」


「俺は兄上ほど器用にはできません」


「必要なときはまた助太刀してやんよ」


 冗談っぽく言うライの言葉が決して冗談ではないことをシラーフェはよく知っている。

 赤い瞳がライの、折れた角を見る。一瞥程度の時間に目敏く、ライは馴れ馴れしく肩を組んできた。


「カナ兄がピリついてた理由だけどさ。そろそろ次期王が指名されるって話だぜ」


 空気を変えるためか、話を戻すように口にされた話題にシラーフェは眉根を寄せた。

 ここ、アンフェルディア王国の国王、シラーフェたちの父に当たる人物は長い間病に臥せっている。

 表に姿を出さなくなって久しく、次代へ王位継承されるのではないのか、というのは民の間でも噂になっていることだ。容態が改善する兆しもなく、そろそろ指名されるのでは、とシラーフェも考えていたが。


「……そんなに父上の容態は悪いのですか?」


「さあな。なんせ、オレもここしばらく父上には会ってねえからな。その辺はフィル兄の方が知ってんじゃね?」


 フィル――第一王子、フィルクリービア・ルシフィア・アンフェルディアのことである。

 王代理として国の統治を担っている人物であり、秘匿事項とされている父の容態も知っているだろう。

 とはいえ、多忙を極める兄を捕まえて聞くこともできないが。そもそも実の子ですら、自由に見舞いにも行けない状況をそう簡単に教えてくれもしないだろう。


「どーせ、フィル兄が選ばれんだろうけど、カナ兄もなくはないっつーところだろうな。んで、ピリついてると」


 王位継承順位は年齢順が適用される。王代理もしている長兄フィルが第一位。その後ろ、姉、次兄と来て、カナトの番だ。

 次兄は補佐に徹して辞退するだろうし、姉もその手のことにあまり興味がないので、実質カナトが二番手だ。フィルが強いとはいえ、カナトにまったく勝ち目がないとも言えない。


 肝心なのは、王の選定方法を父以外誰も知らないことだ。

 具体的な方策も分からぬまま、カナトはただ国のために力を注いで点数を稼ぐしかない。

 もどかしい思いで日々を過ごしている中で、苛立ちが募っているのだろう。


「ま、オレたちにお鉢が回ってくることはねぇし、気楽に構えときゃいいだろうさ」


 第四王子のライと第五王子のシラーフェは順当にいけば、王に選ばれることはまずない。

 本人たちもそうなることを望まず、それ故に気楽な身として生きてきた。それはこれからも変わらない。

 誰が次の王になったとしても、シラーフェは力の限り支えるだけ。それだけだ。


「つーことでお前のご主人は借りてくぜ、ユニスちゃん。どーせ、シフィも町に行く気だったんだろ?」


 シラーフェと同じく、ライもまた平民の服を纏っている。少し違うのはシラーフェが着ているものが一般的なものに対して、ライが着ているのは若者の流行に則ったデザイン性に富んだものだ。

 元ある平民の服を着崩し、改造し、アクセサリーで飾り立てている。

 ライは気紛れに服飾や髪形を変え、それが若者の流行となるほど、お洒落なことで有名だ。


「ベルフィア様、シラーフェ様のこと、よろしくお願いします」


 深くお辞儀するユニスへ、ひらひら手を振ってライは歩き出す。肩を組まれたまま、連行されるような状態でシラーフェも同行する。横目でライを見るが笑う顔が何を考えているのか読めない。


「ライ兄上、俺に何か話でも?」


 城門を抜けた頃、シラーフェはそう問いかけた。

 最敬礼をもって二人を見送る守衛を背に町の方へと歩みを進める。

 本来であれば、護衛がいないことを理由に引き止められているところだが、常習犯の二人はそのまま解き放たれる。

 これはフィルが許可しているのが大きい。カナトの言う通り甘やかされているのだ。


「いんや、オレは特にねえよ」


 ようやくシラーフェの肩に回していた腕をどかしながらライは答えた。

 半ば強引にシラーフェを連れ出したものだから、てっきり何か話があるのかと思っていたが。


「シフィは聞きたいことあるんだろ?」


 続いた言葉にシラーフェは目をわずかに見開いた。

 ちゃらんぽらんのように見えて、ライは誰よりも他人のことをよく見ている。

 感情の機微にも敏感で、シラーフェの些細な表情変化に気付いたのだろう。

 ユニスの前では聞き辛いと考えていたことも悟って、強引な形で連れ出してくれた。


「…………ライ兄上は……王になりたいとは思わないのですか?」


 場を整えられていながらも、躊躇いを滲ませて問いかけた。

 その昔、ライは天才と呼ばれていた。繊細な魔法の扱いに長けていて、将来は国で五本の指に入る魔法師になるだろうと誰もが期待していた。


 あの日、角が折れなければ、シラーフェの愚かさが兄の可能性を奪わなければ、今だって落ちこぼれのように扱われずに済んでいたはずなのに。

 本来であれば、この兄はフィルとカナトに並んで、次期王候補として名を連ねていただろう。


「王になるなんて別にいいもんじゃねーだろ。一人の国のすべてを背負わなきゃなんねぇ。得られる金や権力じゃ割に合わねえ。少なくともオレはな」


 己の過ちに心を揺らすシラーフェを、ライはそう言って笑い飛ばす。

 その指で話題の中心とも言える折れた角を撫でた。忌むべきものを飾り立て、慈しむように撫でる。

 ライはいつだって折れた角を宝物のように扱う。


「オレは権力なんかより自由を愛してる。前にも言ったろ。角が折れたこと、俺は感謝してんだ」


 角を撫でていた手がシラーフェの頭に乗り、掻き回すように撫でられる。

 雑でいて、丁寧。小さい頃から変わらない撫で方は妙に心地よく落ち着く。


「角が折れて、天才だって担ぎ上げる奴らが離れてって、晴れてオレは自由の身だ。可愛い女の子とも好きに遊べる」


 そう言う来の手が離れ、視線は歩く先へ向けられる。

 視線の先には複数の女性が立っている。華やかさを纏う女性たちはライの姿を見つけるなり、その花をさらに咲かせる。ひらひらと手を振る女性たちにライもまた相好を崩す。


「リオン様、お待ちしていましたわ」


「オレも待ってたよ~。今日も可愛いねえ」


 リオン――お忍び用として使って名を呼ばれ、ライは一変して表情を軟化させた。

 先程までの少し真面目な空気は跡形もなく消えている。


「あれ、髪形変えた? かわいーじゃん、最っ高」


 些細な変化に気付く目はここでも発揮され、華やぐ声が場を飾る。

 かつては大人たちに囲まれていたライが、今は女性に囲まれている。天才と言われた頃の見る影がない姿は、シラーフェに気を遣わせないためのものだと幾度考えたことか。


 その度に先程のように否定され、それでも捨てきれずにいるもので。


「んじゃ、ここでお別れな。あぶねえことはすんなよ」


「兄上もほどほどに」


 シラーフェから離れ、華やかな輪の中に加わっていくライ。軽く持ち上げられた手を横目に短い言葉を交わして別れる。胸に蟠る思いはあっても、今の兄も嫌いではない。

 刹那、交わした視線に宿る優しさ。幼い頃から知っている眼差しは変わらず、今だってライは兄だった。

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