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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第2章
18/86

18「枝を撓めて花を散らす」

 広い湖の前に座り、糸を垂らす。シラーフェはかれこれ一時間食料調達のために釣りをしているが、一向に成果が得られない。リトやユニスは次々と魚を釣りあげていたというのに不思議なものだ。

 何かコツでもあるのだろうか、それともシラーフェには魚が嫌う何かがあるのだろうか。


 すでに食料としては充分な釣果が得られているが、せめて一匹は釣りたいと今も釣り糸を垂らしている。

 リトは必要分を釣ってすぐに引き上げ、今はユニスに付き合ってもらう形で二人で釣りを続けている。


「私の場合、影の気配を感じ取って、その影を縫いとめるように釣り糸を垂らしているので……あまり参考にはならないかと」


 コツを聞けば、ユニスは申し訳なさそうにそう答えた。

 影人の特性を使った方法では、シラーフェが真似することはできない。落胆はなく、再度真摯に湖に向かう。


 波打つ水面を注視し、その奥に潜む気配を探る。水中にもマナはあり、角を通じて水の中の状況を感じ取る。

 そうしていれば、いつか魚と呼吸が合って、つり上げることが可能だと。そう、思っている。


「んだよ、まだ釣りしてたのかよ。そろそろ飯ができるぜ」


「わざわざ知らせに来てくれたのか。感謝する」


 今日は諦めようと立ち上がりかけたところで、釣り竿が大きく撓んだ。

 最後の最後で辺りが出たようだと意識を再び水面へと向ける。その目は迫る魚影を捉える。


 影が大きくなるにつれて釣り竿の撓みは大きくなる。釣り竿はその辺の木を拾い、糸をつけただけの代物だ。

 大き過ぎる負荷に耐えられず、今にも折れてしまいそうだ。そうなるより先に釣り上げるべく、持つ手に力を込める。

 想定を上回る重みが両腕にかかる中で、ふっと負荷が軽くなる。耐え切れず折れた釣り竿とともに魚が大きく跳ねる。


「っお前、なに釣り上げてやがんだ!」


 露わになる姿に揃って驚愕の表情を浮かべた。

 想像の数十倍の大きさ。鎧を思わせる硬い鱗が全身を覆い、シラーフェくらいなら丸呑みできそうな大きな口には鋭利な二本の牙が生えている。噛むことよりも、獲物を突き刺して捕えることに特化した牙である。


「この湖の主だろうか……」


「呑気なこと言ってんじゃねぇよ、アホ」


 強い力で引っ張られ、尻餅をつくように後ろに倒れる。シラーフェのいたところに巨大魚が突進し、地面を鋭い牙が抉り取った。


「早く立て! 次が来るぞ」


 言いながら、リトはシラーフェを庇うように立ち、背負っていた戦斧を抜く。

 高く跳ねた巨大魚の周囲のマナが疼き、水弾が撃ち込まれる。そのすべてをリトは戦斧で打ち返す。

 水弾は巨大魚に届くより先にはじけ、水飛沫となる。その散ったマナに、シラーフェは意識を向けた。


「アクバインド」


 宙に散った水飛沫が紐状に構築され直し、巨大魚を拘束する。が、すぐに破られる。

 拘束できたのはほんの数秒だけでも、時間稼ぎには充分だ。一瞬、巨大魚の動きが止まった隙を突いてユニスがナイフを投げる。投擲用に軽く作られたナイフは水面に映る影を的確に貫く。


 影人の持つその技は、硬い鎧をいとも簡単に貫き、湖を赤く汚した。

 絶叫をあげる巨大魚はそのまま水の中へ落下する。その巨大さに相応しい水飛沫を撒き散らしながら。

 視界を防ぐような水飛沫の先を警戒しながら、巨大魚の出方を待つ。


「はっ、飛沫に紛れて逃げやがったか。情けねえこった」


 落ち着きを取り戻した水面に巨大魚の影はない。赤い筋が奥へ伸びているのが視認できた。

 リトの言葉通り巨大魚はふりを悟って逃げたらしい。シラーフェは無用な殺生を避けられたことに安堵する。


 魔獣であっても、命を奪うことは好きではない。

 まだ自分にそう思う心が残っていることに安堵した。胸の辺りを触れ、考え込むシラーフェは注がれる視線に気付き、赤目を向ける。


 視線はリトのものだったようで、鋭い瞳と赤い瞳が交差する。

 仄かに身構えるシラーフェを前にリトは鋭さを弛緩させる。噴き出すようにリトは笑った。


「今の今まで一匹も釣れなかったくせに、最後の最後であれとか……持ってんのか、持ってねえのか、分かんねぇヤツだな」


 笑声混じりの声は想定とは違い、シラーフェはそっと笑んだ。

 噴き出した瞬間、リトとの間にあった見えない壁が取り払われた気がした。


「ったく、もうやめだ! 気ぃ遣うのなんてオレの性に合わねえんだよ」


 ひとしきり笑ったのちにリトはそう言った。今まで違う色を持ったリトの瞳。

 気を遣っていたのか、と今までのリトの態度を思い出し、首を傾げた。気を、遣っていたのか?

 思い越しても、それらしい言動は一つも見当たらない。嫌われていると思っていた言動はすべて、気を遣っていた結果だったということだろうか。


「ほら、とっとと行くぞ」


 急に近付いたように思える距離に戸惑いと嬉しさを覚えながら、先を行くリトを追いかける。

 リトを追いかける構図は今までも何度もあったが、その心持ちは少し違う。


「苦手なのに、何故わざわざ俺に気を遣っていたんだ?」


「粗相すんなってモルクに言われたんだよ。お前のことはお前の兄貴から聞いてたしな」


 ライを筆頭に兄たちは何度もカザードを訪れているはずなので、リトと話をしていてもおかしくはないが。

 気を遣う必要があると思わるような話をされていたのだろうか。


「っとに、あいつらは兄馬鹿すぎんだよ。下手なことにして、あいつらに怒られんのはごめんっつぅ話だ。こと身内に関して言やあ、お前ら魔族は怖ぇかんな。特にキラとリリィ」


「キラ兄上と姉上は愛情深い方々だからな」


 シラーフェがどうの、というよりは兄たちを敵に回したくないという意図での気遣いだったようだ。

 確かに名前が出た二人は怒ると怖い筆頭である。ともあれ、リトの理由を聞いて、安堵した。


「……嫌われていたわけではないのだな」


「いや、オレはお前のこと、嫌いだぜ」


 ほとんど間もなく返された言葉に一瞬時間が止まった。思考が止まる。足が止まる。

 嫌われていると勘違いしていたというのが勘違いであった。つまりはそういうことだ。


 妙な気恥ずかしさを覚えたシラーフェのことなどお構いなしにリトは平然とした顔で先を進む。

 数歩歩いたところで、怪訝な顔のリトが振り返った。その表情は嫌いな相手に向けるものとは思えないほど、平然としたものである。余計に、リトの真意が分からなくなる。


 一先ず、保留にしておくことにして歩みを再開させる。間もなくして、騎士たちが待機する野営地に辿り着く。

 簡易的なテントの傍にある焚き火の周りにはリトとユニスが釣った魚が並べられている。


「マーモア様、お食事の用意はできております。本来であれば、このような粗末なものを食べさせるのは……」


「いや、美味そうだ。食事の準備、感謝する」


 申し訳なさそうな顔で一礼したのち、オディスは下がる。

 彼は旅の間の食事が粗末なものであることを気にしているようだが、シラーフェにとっては今更な話だ。

 何せ、町歩きしている最中にオディスの言うところの粗末な食事――庶民の食事を口にしたことは何度もある。


 味の質で言えば、確かに王城の料理人が作ったものには劣るだろう。しかしシンプルながらに人々の舌に合うとように考えられた食事は充分にシラーフェの舌を満足させるものであるし、旅の最中の食事も野性味が感じられて悪くないと思う。優れた料理人が作るものだけが優れた料理ではない、とシラーフェは思うのだ。


「あー、腹減った。早く食っちまおうぜ」


 早々に席に着いたリトは無造作に魚を取ってかぶりつく。

 勢いよく食べるその姿は食欲をそそらせる。気持ちの良い食べっぷりに背中を押される気分で隣に座った。


 焚き火の前に並べられている魚の一つを手に取り、リトを真似てかぶりつく。

 香ばしく焼き上げられた皮を破れば、内に蓄えられていた脂が溢れ出す。絶妙な加減の塩が舌先を程良く刺激し、広がる魚の風味をいっそう引き立てる。


「美味いな」


 思わず、口から零れた言葉にオディスはその表情を晴れさせた。

 気難しい表情をしてばかりのオディスの、初めて見る表情に目を瞬かせる。


「お口に合ったのならよかったです」


「マジでうめぇな。オレがいっつも食ってるヤツと全然ちげぇ、どうゆう魔法だ?」


「騎士団は野営も多いので慣れているだけです。少しの工夫で格段に味が変わる。食事の良し悪しで隊の士気も変わりますから」


 大したことはしていないと告げるオディスだが、この味を引き出すために試行錯誤を重ねてきたことは想像に難くない。努力の味だ、と二口目はより味わうように噛み締める。

 もともとオディスは料理好きのようで、魚の味を引き出す焼き方を力説している。

 リトはそれを熱心に聞いており、心配していた二人の関係性も好転の兆しを見せている。


「一つ聞いてもいいだろうか……?」


「んあ? 聞きてぇことがあるなら聞きゃあいい」


 投げやりにも聞こえる声は面倒事を嫌うリトの性根をよく表していた。彼の軽い口調はシラーフェの中にある迷いを取っ払い、開く口を軽いものにしてくれる。


「先程、俺のことが嫌いと、そう言ったな。理由を聞かせてほしい」


 シラーフェはリトと親しくなりたいと思う。言葉を交わすほど、その思いは強いものになっていく。

 リトはシラーフェのことが嫌いと言った。態度からは感じない嫌悪の根源を確かめれば、まだ仲良くなれる道があるのでは、と。


「お前、戦うとき、手ぇ抜いてんだろ。本気を出さねぇようにしている。そういう戦術もあるけどよ、おまえの場合は違ぇ」


 芯を突く言葉に、反射的に息を詰めた。こちらに向けられる鋭い視線に彼の父、アルベの面影を見た。

 図星を突かれても、シラーフェは否定も肯定も口にでききないでいる。


「弱えー魔獣をけしかけてみても、お前が弱虫っつぅことしか分からなかった」


 サーペンテに襲われたとき、問いかけた答えを得られた感慨はなく、紡がれた言葉に突き刺された感覚が押し寄せる。やはりあれはシラーフェを試す意味があったのだと心を落ち着ける意味も込めて冷静に考える。


 あのときは実力を試す意味で尋ねたので、真意を試すという答えとは細部は違うものではあった。曖昧だったリトの返答も頷ける。

 リトらしからぬ遠回しな確かめ方は気を遣った結果といったところだろうか。


「オレからも聞く。お前は何で力を抑えてやがる」


「……弱虫か。言い得て妙だな」


 微かに呟き、笑う。

 逃げないことをルヴァンシュに誓った。にも拘わらず、シラーフェは臆病で、己の力を振るうことを恐れている。情けない話だ。


「幼い頃、俺は剣術や魔法の鍛錬が好きだった。兄たちに早く追いつきたくて、研鑽を重ね、それに見合った実力を手に入れた。同年代どころか、騎士見習いですら相手にならなかった。そこに慢心していたんだろうな」


 思えば、あの頃の話など口にしたことなどなかった。誰かに話を持ち掛けられることもなければ、自発的に口にすることもなかった。

 周りはシラーフェを気遣い、直接的な話を避け、それに甘えてきた。

 しかし、この胸があの頃の、あの日のことを忘れたことはない。ことあるごとに思い出しては、刻まれた傷が痛みを訴える。癒えない傷の痛みから逃げる日々を送っても、忘れさせてはくれなかった。


 今も、口にした瞬間から傷は痛みを訴えている。刹那の瞑目で感傷を切り離す。

 逃げないと誓った自分からもう逃げたくなかった。己の弱さと向き合えないままでは、四〇〇年も続く執念を向き合うことなどできないだろう。


「俺はよく城を抜け出して町に繰り出していた。兄たちは気付いていたんだろうが、特に何も言わなかった。今も、昔も、俺に甘いんだ」


 彼女と出会ったのがこの頃だ。ヒューテック領に足を踏み入れたのも、あの頃のシラーフェにあった万能感がなせる技だ。失敗を知らない少年は己の持つ可能性だけを見て突き進んだ。


「その頃、よく言ってた森があったんだ。あるとき、そこに強力な魔物が出没するという話が出るようになって、森に行くなと兄たちに念を押されていた。それなのに俺は言いつけを破って森に通い続けた」


 ヒューテック領、あの花畑に行くには森を通るしかなかったから。

 魔獣や魔物に遭遇しても苦戦せずに打ち倒せた経験がその行動を選ばせた。中途半端な実力が、自分なら大丈夫という慢心が愚かな選択をさせたのである。


「俺は魔物に襲われた。まったく歯が立たなかった……」


 悔やみ、瞑った目に鮮明に映し出されるあの日の光景。

 現れた頼もしい背中と、薄暗い森の中を照らす閃光と、宙を舞う黒い角。呆然とそれを見つめるシラーフェの瞳を最後に飾ったのは兄の笑顔だった。


 胸を掻き毟る記憶を映す瞼を持ち上げて、リトの顔を見た。


「ライ兄上が来てくれなければ、俺は命を落としていただろう。俺は生き延びた。代わりにライ兄上の角が折れた。俺の責任だ。俺の慢心が招いたことだ。なのに、罰を受けたのは兄上だった」


 己の罪に対して自分が罰を受けるならばよかった。自業自得で済むのであれば問題なかった。

 けれど、現実は優しくなく、自分の行いの責任を他者が負うこともある。それがシラーフェには耐えられなかった。


「だから俺は慢心の源である力を封じた。弱者であれば、周囲を巻き込むこともなくなる」


「馬っ鹿か、お前」


 傷を向き合い、慎重に言葉を紡ぐシラーフェをリトはその一言で締め括った。

 呆れを顔に乗せ、くだらない話を聞かされたと言うように息を吐き出す。シラーフェの人生の大半を占めていたものに対するその評価に不思議と怒りはなかった。むしろ安堵の方は近い。


「なんで、そんな極端なんだよ。力があるなら、その責任っつうヤツから回りを守りゃあいい。足りねえってならもっと力をつけるなり、誰かに助けを求めりゃあいい。お前の兄貴たちなら喜んで手を貸すだろうさ」


「だが、それでは意味が……」


「助けを求めて受けるかどうかは相手が決めることだろうが。受けるって選んだんなら、それは相手の責任だ。他人の責任まで奪うんじゃねぇ、お坊ちゃんが」


 シラーフェの言葉を遮るリトはその顔を近付ける。


「少なくともオレはオレの責任を誰かに奪わせる気はねぇ」


 それだけ言って、リトは離れた。シラーフェは呆然とそれをただ見つめる。

 責任を奪う。シラーフェにはなかった発想で、自分がどれだけ傲慢だったのか思い知る。

 傷付く姿を見るのが嫌で、傷付けるのが嫌で、すべては自己満足。リトの言う通り、兄たちはシラーフェが助けを求めれば、いくらでも力を貸してくれるだろう。きっと喜んで。


「つか、ガキが慢心して失敗するなんてよくあることだろ。んなことで、足を止めてどうすんだよ。失敗せずに成功できるヤツなんざ、一握りだぜ?」


「俺は……」


 開いた口は言葉を見つけられず、閉じられる。迷いを視線に宿すシラーフェの続く言葉をリトは黙して待っている。

 リトは真っ直ぐにシラーフェと向き合おうとしてくれている。体全体からそれが伝わってきて、口元を緩めた。

 話を聞いてくれたがリトでよかったと心からそう思えて。


「俺は……リトと友人になりたい。なってくれないだろうか?」


「今、それ言うか……?」


 思っていた反応と違ってシラーフェは訝しむ。何か間違ってしまっただろうか。

 考えるシラーフェを前にして、リトは「まあ、いいや」と噴き出すように笑った。


「考えといてやるよ。その代わり、お前が、ガキのまんま立ち止まってねぇことを証明しろ」


「ああ、分かった」

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