14「カザード国」
時折、休息の時間を挟みながら旅路は進み、一行は予定通りカザード国入りした。
蹄の音が土を踏む音から石の道を踏む音に変わる。
最大の工業国家であるカザードでは道一つとっても、他国と質が違う。アンフェルディアでは、大都市周辺のみある程度整備されているのに対して、カザードは辺境の地でも十二分過ぎるほど道の整備が行き届いている。
今までの道中のように馬車が揺れるなんてこともなく、車輪が走る微かな振動だけが伝わってくる。
自然のままとまでいかないとはいえ、ならされていない道を馬車で走ると思っているよりも揺れるものなのだ。旅慣れしていないシラーフェにとっては、揺らされながらの長期の旅は少々辛いものがあった。今は石の道に入って少し安堵している。
「やっぱカザードの道はいいよな」
表情からシラーフェの考えを読み取ったらしいライが言う。
安堵した自分を知られてしまった羞恥を仄かに覚えながら、「そうですね」と頷く。
「何れ、アンフェルディアの道もここまで整備できたら、とは思いますが……なかなか難しいのでしょうね」
「まあなー、今も少しずつ整えていっちゃあいるが、主要の場所が精々って感じだしな。勉強のため、うちの技術者をカザードに派遣するっつう話も出てるみたいだけど、すぐには無理だろうな」
アンフェルディアとカザードは長いこと友好関係を築いている。お互いが持つ技術を共有する関係性を何百年にも渡って続けており、だからこそそんな話も受けてもらえる。
とはいえ、技術者がカザード入りしたところで、一朝一夕でその技術を得られるものでもない。
その上、道が整備されることは喜ばしいことばかりではない。生まれる問題点も多くある。
一番は人の出入りが多くなることで発生する警備の隙だ。
今でも人族による人攫いに悩まされている中で、他国の者が多く行き来できる場を作るのは大きな不安がある。
その辺りの対策を考える必要もあり、アンフェルディアの道が同じくらい整備されるのはまだまだ先の話になりそうだ。
などと考えていると、袖を軽く引かれた。視線を向ければ、大きな赤目がこちらを向いていた。
「カザードってどんなとこ?」
村から出たことのなかった少女は、初めて訪れる外国への期待を募らせて問いかけた。
旅が始まった当初は沈んだ顔ばかりしていたが、長い旅の間、彼女なりに感情の整理ができてきたのだろう。今は初めて訪れる国への好奇心が乏しい表情の中に覗いていた。
明るい表情をできるようになったことに安堵しつつ、シラーフェは口を開く。
「カザードはドワーフの国だ。ドワーフは知っているか?」
「ん、少しだけ。作るのがとくいって」
「そうだ。ドワーフは物作りが得意で、カザードにはアンフェルディアでは見れない物がたくさんあるという。時間があれば、一緒に見て回ろう」
「ん、楽しみ」
ドワーフは手先が器用な種族で、鍛冶を筆頭に金属加工を得意としている。
その上、鉱物資源が豊富なカザード国は、最大の工業国家の名をほしいままにしている。その技術力は他の追随を許さず、もっとも発展している国といっても過言ではない。
それ故、多くの国とも親交があり、中立国としても有名な国だ。
武具を求める冒険者を代表として、多くの人々が出入りしており、エマリにとっても、シラーフェにとっても、良い刺激が得られるであろうと期待している。
そこでふと、シラーフェは自分の胸に手を置いた。
この胸には父から受け継いだ忌まわしき種が巣食っている。それは時折、思い出したかのような疼きをシラーフェに与える。
共に在ることを選び、共に滅ぶことを望んだ。四〇〇年も続く妄執をシラーフェの代で終わらせると決意した者の、具体的な方法は未だ見つかっていない。
縛魂の術で〈復讐の種〉を縛り付けた。だが、それではまだ足りない。
練度の低い縛魂の術では〈復讐の種〉を完全に縛ることはできない。術者であるシラーフェが死ねば、術は解け、〈復讐の種〉は次代へと移ることだろう。
カザードには魔道具の類も多くあると聞く。〈復讐の種〉を手放さないための道具が見つかるかもしれない、とシラーフェは密かに考えている。
心配させるのは分かっているので、この企みは口にも、態度にも出さないつもりだ。最期まで。
「自動で動く人形なんかもあるからエマリちゃんもきっと気に入ると思うぜ」
考え込むシラーフェに代わって、ライがエマリにカザードの話を聞かせていた。
幼い頃、一度行ったきりのシラーフェよりもずっと臨場感の持ったライの話を、エマリも興味津々に聞いている。
女性の扱いも、子供の扱いも慣れているライの語り口調は上手くエマリの心を擽っているようだ。
シラーフェでは退屈させてしまっていただろうから、ライがいてくれてよかった。
朧げに覚えているだけなので、ライの話を聞いていてシラーフェも楽しい。
「ドワーフの女性陣は細かな細工も得意でな、アクセサリーとかも人気があるんだよ。カザード産のアクセサリーってだけでも、女の子の受けはかなりいいんだぜ?」
カザードのアクセサリーはそれだけで一つのブランドとなっている。安価な量産品もあるが、有名な店や職人の品ともなれば、持っていること自体がステータスになる。そんな話をリリィやネリスからよく聞かされたものだ。
安物ですら輝かせる美貌の持ち主にとっても、カザードのアクセサリーは一味違うらしい。
社交場での優位に進められるとかなんとか。リリィならば、アクセサリーなどなくても、容易に優位を保てそうなものだが、と思ったのを覚えている。
「エマリちゃんもシフィに何か買ってもらったらいい。記念になるぜ」
「でも……」
遠慮を覗かせるエマリの頭を優しく撫でる。
「子供が遠慮するな。……約束だ」
そう言えば、エマリは仄かに笑んで、こくりと頷いた。
一つ問題があるとすれば、シラーフェにはその手のセンスがないことだ。子供や女性が喜ぶものと言われて、望むものを選ぶ自信はない。後でこっそりライに助言を頼もう。
「――ライ様、シラーフェ様、間もなく王宮に到着いたします」
カザードに入ってどれほど時間が経ったか、御者が連絡窓越しにそう言った。
話に夢中になっていてそれほど時間が経っているとは思わなかった。
馬車はゆっくりと王都の中を進み、王宮を目指す。中心都市に入ったこともあって、馬車の中でもその喧騒が聞こえてきた。
国は違っても、人の営みはそう変わらない。ウォルカの気配に近いものを感じて口元を緩める。
間もなく馬車は止まり、一行はカザード国の王宮、ゴヴェズ宮に足を踏み入れた。
装飾を極力排除し、機能性を追求した無骨な王宮である。隙の無さを感じさせる王宮はそのままドワーフの為人を表しているようであった。
「ベルフィア様、マーモア様、ようこそいらっしゃいました。奥でアルベ王がお待ちです」
「……ちっちゃい」
興味津々に屋敷の中を見回していたエマリは、現れた男性に目を丸くしてそう呟いた。
ドワーフは背の低い種族であり、成人しても一五〇メートル程度しかない。魔族は比較的長身な種族なので、エマリには新鮮に映ったようだ。
未だシラーフェの傍から離れないエマリの頭に軽く手を乗せる。
「エマリ、失礼だ」
「えと……ごめんなさい」
「いえいえ、我々ドワーフの背が低いことは事実ですので、お気になさらずに」
男性は好々爺といって感じで笑って答える。職人気質の者が多いと聞くドワーフらしくない人だ。
ドワーフと言えば、背が低く、筋骨隆々としていて髭が長いという印象が強い。実際、アンフェルディアで見かけたドワーフはその印象通りの者が多かった。対して、目の前にいる執事服を纏った彼は、程よく引き締まった体と、短く切り揃えられた髭、とドワーフのイメージとかけ離れた身形をしている。
ただ初めて見たという気もしない。シラーフェの記憶に引っ掛かる人物だ。
「改めまして、わたくしは家令を務めます、モルク・ニトケと申します。ベルフィア様、マーモア様、お久しぶりでございます」
「おー、久しぶりだな、モル爺。一年くらいか? 元気そうでよかったぜ」
「ちょっ、ライ様、失礼ですよ!」
他国の使用人に向けたものとは思えない馴れ馴れしい態度にソフィヤが慌てた表情を見せる。
定期的にカザードを訪れている上に、人の懐に入るのが上手いライなので、それほど驚きはない。が、確かに馴れ馴れしすぎるとも思う。
毎回これを見ているはずのソフィヤの反応も分からないではなかった。
「はっはっは、お気になさらず。王族の方に親しみを持っていただけるなど光栄でございます」
やはりモルクの反応は好々爺じみている。ライが近い距離で接する気持ちも分かるほどに。
そこで妙な既視感の正体に思い当たる。幼い頃、カザードを訪れたときにモルクに会ったことがあるのだ。
家令という肩書きを思えば、あの頃も同じように挨拶をしたのだろうと思う。何分幼い頃のことなので、ほとんど覚えておらず、少し申し訳なく思う。
モルクはシラーフェの考えを知ってか、知らずか、柔らかに微笑んだ。
「では、王の許まで案内いたします」
歩き出したモルクの後に続くようにシラーフェたちはゴヴェズ宮の中を進む。
王宮内には至るところに武具や防具が飾らており、それらが持つ気迫が緊張感を齎す。
豪奢な調度品の類はなく、自国で作った武具を飾り立てる姿は実にカザードらしい。それだけ自国の技術に誇りを持っていることであり、それを否定できる国はそういない。
やがて一行は巨大な扉の前に案内される。細かな意匠が施された鉄の扉がゆっくりと開かれた。
「よくぞ来た、アンフェルディアの坊主ども」
声が重く、重く響き渡る。
同じ低い声でもルヴァンシュとは響きが全然違う。一音、一音に声の主が持つ威厳が宿っている。
離れた位置からでも伝わってくる刺すような威厳はメーレのものとも、フィルのものとも、段違いだ。
真正面から受けるシラーフェは思わず委縮して足を止める。ほとんど同時にエマリがシラーフェにしがみつくようにして身を隠した。
逆光となって見えるシルエットは隆々としており、見たことのあるドワーフの姿とは一回りも二回りも大きさが違う。それを纏う気迫がさらに大きく見せており、背の低さなどまるで気にならない。
「どうした? 近くに寄れ」
声だけ人を押し潰せるのではとすら錯覚させる重み。シラーフェの喉から微かな声が零れた。
この部屋、彼の前だけ重力の負荷が違う気さえするシラーフェの足は気圧され、一歩も動かない。
そんな中、驚くほど軽い足取りでライがシラーフェの前に立った。
「アルベのおっさんが怖くて委縮してんだって。女の子もいんだから、あんまびびらせんなよな。もっとにこやかに~、笑って~、ほら」
恐れ知らずというのはライのためにあるのではと現実逃避気味に考える。
横目でソフィヤを見れば、モルクと相対していたときとは比べ物にならないくらい顔を真っ青に染めていた。
「何が、ほら、だ。お前の方こそ、委縮するくらいの可愛げを持て。俺にここまで慣れ慣れしくできる奴もそうはいないぞ」
「んじゃ、希少な人材として大切にしてくれよ?」
遠慮などまるでない様子のライ。ソフィヤの胃に穴が空くのではという心配の方が大きくなってきた。
対するカザード王は怒るどころか、呆れた表情で溜め息混じりに答えている。
思っていたよりも怖い人ではないのかもしれない。そう思えば、委縮していた体も弛緩する。
息を吐き出し、カザード王の前で拝礼する。
「アンフェルディア王国、第五王子、シラーフェンヴァルト・マーモア・アンフェルディアです。ご無沙汰しております」
「兄貴と違って礼儀を弁えているみたいだな。お前はこいつみたいになるなよ」
見た目の印象を裏切って、気さくな性格の人のようだ。シラーフェの挨拶をかなり好意的に受け取ってくれたらしく、カザード王の顔には笑みが乗っている。
「前会ったときはガキの頃だったか。覚えてねえだろうから、一応自己紹介するぜ? 俺はカザード国第九代国王、アルベ・アウレだ。で、こっちにいるのが俺の倅だ。おい、リト。お前も挨拶しろ」
「リト・アルベだ」
カザード王、アルベの気迫に呑まれ、その後ろにもう一人いることに気が付かなかった。
ドワーフにしては背が高く、精悍な顔立ちの青年だ。もともと目付きが悪いのか、今は虫の居所が悪いのか、不機嫌を思わせる雰囲気を持っている。
若く、ライと同じか、少し上くらいに見えるが、ドワーフなのであまり当てにはならないだろう。
「愛想がない奴で悪ぃな」
刺すような視線を注がれている状態だが、シラーフェとしてはあまり気にならない。
日頃、カナトから似たような視線を向けられているので、慣れているとは流石に言えないが。
リトの視線は真っ直ぐシラーフェにへと向けられており、何気なく目を向ければ、すぐに逸らされた。不快感よりも訝しる気持ちが上回る。
「フィルの坊から話は聞いてる。早速取り掛かるとするか――」
「あ、ちょい待って」
王座から腰を上げたアルベをライが止める。眉を顰めるアルベの顔には明らかな不審が宿っていた。
警戒というより、面倒事への忌避が窺える。それだけでアルベがライのことをどう思っているのか、わかる。
「なんだ、お前はいつも通り馴染みに頼むんだろ。付き添いは口閉じて大人しくしてろよ」
「そこはそうなんだけど、今回はそれだけじゃなくてな……ちょっと道中に面倒事があってな」
「指示語が多いな。俺が聞いている間にとっとと用件を言え」
語調は強く、口は悪く、ライに投げかけられる言葉は鼓膜を震わせる印象ほど、ライを嫌ってはいない。むしろ距離の近さを感じさせるものであった。
一国の王相手、それも五十以上も年の離れた人物にここまで距離を詰められるライの大物っぷりも相当なものだ。
「対話石、使わせてくんね? フィル兄に報告したいことがあんだよ」
「……モルク、案内してやれ」
友人に頼むかのごとく軽い口調に呆れを滲ませながら、アルベはモルクへ指示を出した。
ライはやはり軽い口調でお礼を言いながら、シラーフェは聞き慣れない単語に首を傾げながら、モルクの後に続く。
「ライ兄上、対話石というのは何ですか?」
「簡単に言うと遠方のヤツと話せる魔道具だ。馬車で楽しみにしとけって言ったろ」
エマリの村が襲われた一件で浮上した可能性をフィルに報告する旨を話していたときのことだ。
伝令を遣わすよりも早い手段があるとライは言っていた。それが対話石とやらことなのか。
「アンフェルディアとカザードは共同で魔道具の研究をしてっからな。こういう副産物があったりするんだよ」
「副産物、ですか。実用化は難しいんですか?」
遠方の者と話せる魔道具が広まれば、情報伝達速度が飛躍的に上がるだろう。一般に普及するのは難しくも、重要箇所に設置するだけでも違うはずだ。
「いくつか問題点があるのですよ」
詳細までは知らないらしいライに代わって答えたのは先を行くモルクだ。
「現在、対話石は対となる石との間でしか、会話ができません。また、近くに別の対話石がある状態では混戦してしまうという問題点もありまして、現在はその改善のための研究が進められております」
「んでもって、まとも稼働してんのがこことフィル兄の執務室にあるヤツってわけだ」
説明を聞いているうちに対話石があるという部屋に辿り着いた。
小さな部屋の中央に不思議な光を持った石が鎮座している。強いて言うなら魔石に近い輝きを持つ石こそ、対話石なのだろう。照明の明かりを反射するその光は実に美しい。
モルクが対話石を起動する。光がさらに溢れ、やがて収まる。
「よ、フィル兄。今話せるか?」
『……。ライか、何か問題でもあったか?』
「流石、フィル兄。話が早い」
『これくらい誰でも分かることだ』
ちょうど執務室にいたようで、ほとんど間もなく応答があった。
開口一番に用件を言い当てるフィルを軽口で褒めるライは遭遇した魔物について報告する。シラーフェは補足するように時折言葉を挟みながら、ほとんど聞くに徹していた。
魔獣の魔物化。浮かんだ可能性が音となり、現実のものとして共有されていく様に妙な疼きがシラーフェの胸を擽った。