11「出立」
いつもと同じ感覚で、屋敷から出たシラーフェはいつもとは違う光景を目にする。
貴族用に仕立てられた豪華な馬車と整列した護衛の騎士たちの姿。今回はお忍びのようなものなので、馬車は内装の質こそ王族用に仕立てられたものであるものの、外装は比較的地味な物であり、護衛の数も少なめである。
とはいえ、いつも一人で歩きしている身からしてみると、充分に派手に思える。
本音を言えば、もう少し地味にしてほしい。なんなら護衛などいらないと言いたいところだが、王族が王族を訪ねる以上、国の権威を示す意味もあるので、大きな理由もなく護衛規模を縮小することもできない。
今回訪問するカザードは友好国なので、そこまで気を遣う必要はないものの、どこで敵国の者が見ているかは分からない。
貿易大国であるカザードでは他国の者も多く出入りしている。
護衛の数はそのまま自国の軍事力を示すので、たとえお忍びであっても手は抜けないのである。
ましてや、シラーフェは次期王に選ばれた身だ。まだ公表していないこととはいえ、アンフェルディアにおいてもっとも守られるべき立場、これでもシラーフェの意思を汲んで数を抑えてもらっている方なのだ。
「よっ、シフィ。緊張してんのか?」
馬車と騎士の姿に立ち尽くすシラーフェを見かねたのか、ライが馴れ馴れしい態度で肩を組んでくる。
見送りに来てくれたのかと目を向けたシラーフェは想像と異なるライの姿に目を丸くする。
珍しくソフィヤを後ろに連れたライは気崩した平民服ではなく、これまた珍しく貴族服で身を包んでいる。
今日は町には行かないのだろうか。王選の儀からそれほど時間が経っていない中、出掛ける気分ではないのかもしれない。
「たまにはこういう服のオレもかっこいいだろ。……これから二週間くらいか? よろしくな、シフィ」
紡がれる言葉の意味が理解できず、目を白黒させてライを見る。それが面白いのか、ライは声をあげて笑う。
時間をかけて言葉を咀嚼し、一拍遅れるような思考の中で、その意味を自分の中に落とし込む。
「ライ兄上も一緒に来られるのですか?」
「どうせ、暇だしなー。つでに俺の剣の手入れでもすっかーってな」
とんとんと叩く指先を見れば、ライの剣が納まっていた。
アンフェルディアでは、ほとんど見ることのない細すぎる剣だ。斬り払うことよりも、刺突に特化したような剣は変わり者のライらしい一品である。
鞘には細やかな装飾が施されており、実用よりも装飾品としての価値を重視しているように見える。
実際、シラーフェはライがあの剣を使っているところを見たことはない。ああして腰に佩いている姿を見るのも数える程度しかない。
「かっこいいけど、曲者でな。できる研ぎ師がなかなかいねえんだよ。あんま使わねぇし、手入れもさぼってんだけど、シフィがカザードに行くならちょうどいいだろ?」
ずぼらな兄らしい理由の裏で、もしかするとシラーフェを心配してついてきてくれたのかもしれない。そんな甘い気遣いに促されるままにシラーフェも中に入り、ユニス、ソフィヤが続く。
車内には四人、全員が乗ったことを確認したのち、馬車はゆっくりと動き出す。
「シフィはカザードに行くのはいつぶりだっけ?」
「幼い頃に一度行ったきりだったかと」
シラーフェはほとんどアンフェルディアを出たことがない。兄姉たちの付き添いで数度、といった感じだ。
ライも含め、兄姉たちは少なくない頻度で他国に赴いている。外交も、遠征もリリィとカナトが中心になって行っており、シラーフェが出る幕はなく、自ら進んで行う積極性も持っていなかった。
言ってしまえば、国単位のひきこもりに近い。自ら行動を起こすことを恐れ、自国からほとんど出ることなく、日々を過ごした。
ネリスの方がまだリリィの付き添い兼観光という形で、他国に赴いていることが多い印象だ。
「じゃあ驚くかもな。工業の中心ってなだけあって、目ぇ離してる間にどんどん変わってくからな、あそこは。最新技術だのなんだのって見てると結構面白いぜ」
「時間があったら、見て回ることにします」
「できるまでお互い暇だろうし、いくらでも案内してやるぜ」
正直、久方ぶりの遠出にシラーフェは少し緊張していた。幼い頃、一度訪れただけの、ほとんど知らない場所へ行くと考えると、産毛が逆立つ緊張が胸の中をざわつかせる。
落ち着きのない心は、ライがいることでほとんど少しだけ落ち着きを取り戻すのだ。
いつだってライがいてくれるだけで、シラーフェは安心する。多分、ライもそれが分かっているのだろう。
「ライ兄上はよくカザードに行っているんですか?」
「あー、まあな。これの手入れもあるし」
言いながら、ライは腰に佩く細身の剣を軽く叩く。向ける視線は温かく、その剣に愛着を持っていることが分かる。
「使わねぇっつっても、年イチくらいは研ぎに出してやんないとな」
思っていたよりも頻繁にカザードを訪れているようだ。
カザードはウォルカから往復で四週間ほど。所在が掴めないことが珍しくないライなので、そんな頻度で長く屋敷を空けていたとは気付かなかった。
「今回はマーモア様をご案内するのですね。安心しました。いつものようにまた見失ったらどうしようかと……」
「兄上は他国でもソフィヤを困らせているんですか……?」
責める口調のシラーフェを前にライは悪びれる様子もなく笑っている。
「いやあ、困ってるソフィヤちゃんの顔が可愛くてつい……」
「ほどほどにしてやってください」
ライが言うには、ソフィヤはいじってこそ輝くらしい。からかうといっても、一線を越えることはせず、あれでいて良好な関係を築けているらしい。
言いたいことを言い合う二人の関係性はシラーフェも密かに憧れている。なかなかユニスとは、本音を言い合うことができないので、少しだけ羨ましい。
今はどうしても言えないことがあるので、もう本音を言い合うなんてことは一生できないだろうが。
「ユニスはすごいですよね。自分もそれくらい落ち着いていられたらと思うのですが」
影人として欠陥を抱えたユニスを、影人――特にツェルの名を貰った者は多かれ少なかれ見下す傾向にある。その中で唯一ソフィヤだけが純粋に尊敬の念を注いでいる。
おっちょこちょいでどじばかりのソフィヤの、そういうところが妙に憎めない。真っ直ぐなのだろう。
それぞれ主従が隣り合う形で座り、それぞれに言葉を交わす。ほとんどはライが喋って、シラーフェとソフィヤが言葉を返し、時折ユニスが加わるといった感じだ。
何事もなく馬車は進み、アンフェルディアを出てから数時間経った頃、シラーフェの耳が遠吠えを拾った。
二回、三回と、複数匹いるのか、遠吠えがいくつも重なっている。
「ま……魔獣の声でしょうか?」
「いや、この辺りにこんな数の魔獣がいるなんて聞いたことねえぞ」
表情に脅えを滲ませるソフィヤに答えるライは連絡窓から止まるように指示を出す。
馬車が止まってすぐに騎士たちは隊列を組み直し、警戒態勢を取る。そんな中、隊長騎士オディス・ソネリエが馬車へ歩み寄った。
「いかがなさいますか?」
受けるライの視線がシラーフェへ向く。
わざわざシラーフェたちが危険に踏み込む必要はない。そもそも遠吠えが聞こえたくらいで、被害らしい被害が確認されていない状態で、動く理由がないのが現状だ。
気になるなら、騎士の何人かに偵察を頼めばいいだろう。むしろ、それが得策だ。
「この近くには何がある?」
「はっ! この辺りには小さな村がいくつか点在しております。獣の声が聞こえた方角にも村が一つあったかと……。地図を用意させますか?」
オディスの申し出を断りつつ、考え込む。シラーフェの様子と、少し困ったようなオディスを見たライは珍しく真面目な顔で口を開いた。
「一先ず、何人かで偵察してくれ。深追いはしなくていい。何か分かったらすぐに戻ってくるように」
指示を受けて下がるオディスを見送りつつ、ライはシラーフェに向き直る。
また考え込んでいる様子のシラーフェはライの視線に気付くことはない。
「シフィ、何か感じたのか?」
「少し……嫌な気配が。マナの濁りと言えばいいでしょうか」
「馬車の中じゃ分かりにくいかもな。外に出て、確認するか?」
「いいんですか……⁉」
シラーフェは自分が護衛対象である自覚がある。動き回っては守りにくいだろうという考えを否定するとうなライの言葉。
目を丸くするシラーフェを笑い飛ばすようにライは普段の軽薄さで表情を崩した。
「考えすぎたぜ、シフィ。世の中には。護衛なんざ気にせず好き放題するけど、ちゃんと守れっつう我が儘貴族がわんさかいるんだぜ? 馬車から出るぐらい大したことねえよ」
「流石に言い過ぎでは……?」
身構えすぎている自覚もあるが、ライの意見もだいぶ偏っているように思える。半眼で見るシラーフェに「そんなもん、そんなもん」と語るライを否定できる材料も持っていないが。
殻に閉じこもるように生きてきたシラーフェは年齢のわりも物を知らない。いや、世界を知らないと言った方が正しいだろうか、知識では広く知っていても、実物として知っているものは限られている。
護衛の件に関しても、一人で身軽に歩き回っていたせいで、守られる側の立ち回りが分かっていないのである。
「オレらの場合、影もいるしなー。おまけに下手な騎士よりもずっと強い。だろ?」
外にいる騎士に聞かれたらまずいのでは、と思ってしまうことをあっさり口にするライ。
この兄のことだから、それで反感を買ったところで上手くいなして、親しくなってしまいそうだが。
「てことで、出るか」
先に馬車を降りたライに続いて、シラーフェも馬車を降りた。その後にソフィヤとユニスが続く。
護衛対象が出てきたことに、騎士たちは特別動揺することなく、その場に待機している。
本音を言えば、拍子抜けだった。これぐらいなら問題ないのか、と。
「もっと騎士たちを信じてやれよ」
確かにその通りだと納得すると同時に、シラーフェは少し自分を恥じた。国に尽くすために志願し、日々に厳しい鍛錬をこなしている騎士たちがこの程度で乱れるはずがなかったのだ。
シラーフェの思い上がりが騎士たちの覚悟と実力をないものと扱った。それは恥ずべき行いだった。
「んで、どうだ? 嫌な気配の正体は分かったか?」
「そうですね……」
答えながら、シラーフェは角に意識を集中させる。より広い範囲のマナを拾い上げ、感じ取る、
場を満たす清麗な空気の中に混ざる不純物。澱みとは少し違う、不自然に濁ったマナの気配。
「濁ったマナの気配を感じます。これは……魔物のものに近いかと」
「魔獣じゃなく、魔物ねぇ。ここいらで魔物が出るなんつー話は聞いたこともねぇけど」
マナに汚染された生物は魔獣と魔物に分けられる。区別の仕方は単純で、自然的にマナに汚染した生物を魔獣、人工的にマナに汚染した生物を魔物と呼ぶ。
アンフェルディアには魔獣が多く存在し、逆に魔物はほとんどいない。魔物はヒューテック領付近に多くいる。
聞こえた遠吠えは迷い込んだという数ではなかった。シラーフェたちはそれぞれ警戒を一段階あげる。
ちょうどそのタイミングで偵察に行っていた騎士たちが戻ってきた。
「報告します! 複数の魔物が徘徊しておりました。確認できた範囲では三体。奥に進めば、もっと数がいると思われます」
「村の状況は何か分かったか?」
「いえ! 確認できず、申し訳ありません」
「深追いするなって言ったのはこっちだ。謝罪はいらねえよ」
応対が終わってすぐにライはその視線をシラーフェへ向ける。問うような視線ではあるものの、ライはもう答えを決めているようであった。
シラーフェも報告を受けてすぐ、いや、その前からどうするか決めていた。交わした視線はお互いの意思を確かめる側面が強いものだった。
「ま、ここまで来て見捨てんのは目覚めが悪いわな」
「魔物を討伐しましょう」
言葉でも意思を交わし、二人は騎士たちの方へ向き直る。
「隊を三つに分けて、魔物討伐に向かう。編成は任せる、急いでくれ」
ライの指示を受け、オディスが手早く編成を三つに分ける。騎士たちの力量に合わせて三つに分け、それぞれ、シラーフェ、ライ、オディスが隊長の座につく形だ。ユニス、ソフィヤは自身の主の隊に同行する。
各隊、三方向に分かれて魔物の捜索兼討伐に向かう。