98「エルフレイムへの旅路」
豪奢な馬車が二台並び、厳かに道を進んでいる。
王族専用、それも遠出用の馬車の中はかなり広々としていて、長い旅路でもゆったり過ごせるようになっている。
馬車の中にいるのは、シラーフェの他にユニスとエマリのみだ。カザード行きのときよりも、フィルとともに騎士団の詰所へ向かったときよりも広い馬車の中に三人だけというのは持て余している気分だ。
お忍び用の馬車。五人で乗っていたカザード行きのときの馬車の方が落ち着くというのが本音だ。
ネリスは前を走るもう一台の馬車に乗っている。エルフレイム行きに同行するリリィも一緒だ。
女性だけ――正確には男も一人混ざっているが――で話したいこともあるだろう。
出発前にエマリも女性陣の馬車に乗るという話も出ていたが、本人の希望と人数の関係で今の状態に落ち着いた。
「またシラーフェ様と一緒に旅ができてうれしいです」
そう言ってエマリははにかんだ。表情は乏しいながらも、エマリが上機嫌であることが伝わってくる。
エルフレイム行きが決まってからエマリは機嫌がいい。余程旅ができるのが嬉しいのだろう。
従者として毎日頑張っているエマリが年相応に楽しめる時間が作れたらいいと考える。
エルフレイムは娯楽の類が少ないので、エマリを満足させられるかは分からないが、真名に溢れた森を見るだけでも飽きはしないだろう。
「ん。シラーフェ様はエルフレイムに行ったことありますか?」
「姉上の付き添いで何度かな。それこそ成人の儀に際に祝福を授かりに行ったことがある」
アンフェルディア国内からほとんど出たことがないシラーフェが唯一訪れたことがある国がエルフレイムだ。
樹の祝福を受けるために訪れたことがあるのが一つ。
エルフレイムに深い縁のある姉リリィの付き添いで数度訪れたことがあるのが一つ。
「リリィ様の付き添いってなんですか?」
「そうか、知らなかったか」
小さく呟き、エマリに向き直る。
「姉上はエルフレイムの第三王子シャーロフ様と婚約関係にあられるのだ。それ故、エルフレイムを訪れることが多く、俺も幾度か同行させてもらっている」
同行したところで、シラーフェはあまり役に立たない。戦力に数えられるくらいで、それも護衛の騎士たちだけで事足りる。
リリィがシラーフェを同行させたのは、アンフェルディアしか知らないシラーフェにより多くの世界を見せるためだろう。
ライのことがあって何事にも消極的になっていたシラーフェを連れ出してくれたのがリリィであった。
あの頃はライの姿を見ることも苦しく、もっとも身近であった兄を避けて過ごしていた。それを見かねて声をかけてくれたのだろうと思う。
リリィに連れられ、訪れたエルフレイムで見た美しい森の光景は今も鮮明に覚えている。
「……シラーフェ様にも、こんやくしゃはいるんですか?」
「いや、オレには婚約者はいない」
正面に座るエマリの瞳が揺れて見えるのを不思議に思いながら答えた。シラーフェの返答を受けてエマリはほっと息を吐く。
「いづれ、良家の令嬢を妻に迎えることにはなるだろうがな」
脳裏に赤紙の少女が過ぎる。幼い姿のまま、シラーフェの脳内を永らく占拠していた少女は成長し、共にリントスの町を歩いたときの姿で微笑みかける。
その隣に立つ影に気付き、叶うことのない初恋を思って胸が鈍く傷んだ。
聖女と勇者の婚約は定められたことだ。他国の人間が覆せるものではない。
何より王位を継ぐ者が敵国の重鎮と婚約できるわけがない。
何度も何度も考えては己を納得させてきた事実が、性懲りもなく胸を震わせる。
弱すぎる己の心を押さえつけ、決して表には出さないよう努めながらエマリへ目を向ける。
一度安堵の息を零したエマリであったが、再びその目を波立たせている。
「たとえ妻を迎えることになっても、エマリの扱いを変えることはない。心配するな」
「ん……そうゆうことじゃない。シラーフェ様の分からず屋」
仄かに潤んだ赤目が恨めしげにこちらを見ている。桃色の頬は膨らみ、怒っていることをシラーフェに伝えている。
また何か怒らせるようなことを言ってしまったらしい。
助けを求めるためにユニスを見るが、こちらはこちらでなんとも形容しがたい顔をしている。
どこか物言いたげな目が示しているのはシラーフェのことか、エマリのことか。
「エマリ。不敬ですよ」
シラーフェの視線を受け、ユニスは湯根の表情に戻る。
内心を読み取らせない平静な表情で、ただエマリの従者らしからぬ態度を叱責する。
「ん、ごめんなさい、シラーフェ様」
「構わない。俺も何か不快にさせたのなら謝罪しよう。すまなかった」
「んーん、だいじょーぶです。気にして……あんまり気にしていないです。わかってたことだし」
不機嫌で表情を彩ることをやめたエマリは目を伏せるように答える。
どこか元気がないように思える返答にかける言葉を迷っているうちにエマリは視線をあげた。
先程とは一変、強い光を湛えた赤目と合った。その口元は綻んでいる。
「ん。わかんないなら、いつかわからせる」
幼い顔立ちがどこか大人びた気配を纏って見えた。普段とはまるで違うエマリの雰囲気にシラーフェは魅入られるように見つめる。
「ずっと一緒にいる。やくそくしたから」
それだけ言ってエマリは満足したらしい。シラーフェから視線を外して、興味津々に窓の外を見る。
年相応の表情に戻ったエマリに妙に安心した心地でシラーフェは息を吐く。なんというか、先程のエマリには少し落ち着かない気分になった。
「シラーフェ様、、エルフレイムはどんな場所なんですか?」
エマリが話題を変えたことを幸いとしてシラーフェは思考を切り替える。
「エルフレイムは広大な森に囲まれている。守られているとも言えるか」
「ん。かみさまの森があるってリリィ様が言ってました」
「そうだ。エルフレイムの周囲を囲う盛は世界樹ユッグイグル様の加護を受けている。より正確に言うと森のすべてがユッグイグル様の体という話だったか」
「森が、からだ……? ん、ぜんぜんそうぞうできないけどすごい」
すべての水とつながっているというシャトリーネもそうだが、神と呼ばれる存在は規模が大きい。
理屈として理解していても、広大な森のすべてが体というのはシラーフェにも想像できない領域だ。
頭と胴があり、自由に動かせる四肢があることを当然として生きてきた身では、それ以外の体を想像しようにも上手くいかない。説明されたとしても、すべてを理解することはできないだろう。
「樹幹と呼ばれる場所はエルフレイムの中心、王宮の中にある。エマリにも見る機会はあるだろう」
一般に世界樹と呼ばれるユッグイグル神の幹にあたる部分は王宮の中庭に鎮座している。そこでは神と直接話すことも可能だ。
ネリスが受ける予定の樹の祝福は樹幹の前で行われる。
シラーフェ自身、王位を継いだ報告をする必要もあるので、エマリが直接ユッグイグル神と相対する機会もあろう。
ユッグイグル神は好々爺と言った御仁なので、エマリのことを気に入ってくれるだろう。
「森は結界の役割も持っている。ユッグイグル様の許可を得ぬ者が足を踏み入れれば、諦めぬ限り森の中を彷徨い続けるような魔法をかけられている」
神は慈悲ばかり与える者ではない。庇護対象に害をなす存在には冷酷な面を見せる。
エルフは森の中しか知らない世間知らずが多く、見目が美しいこともあって邪な心を抱いた者に狙われやすい。 魔族と同じく奴隷として高値で取引されやすい種族。
それ故、自然の残酷さを映し出す魔法が森全体にかけられている。
諦めぬことを知らぬ無法者はやがて力尽き、自然の糧となる。敵対者を食み、己の養分にする様にはは空恐ろしいものを感じさせられる。
「ん、私たちはだいじょーぶですよね?」
不安げに瞳を揺らすエマリに笑声を零す。この話を聞かされて真っ先に考えることだろう。
悪戯心を働かせてしまったことを申し訳なく思いながら口を開く。
「俺たちはきちんと許可を得ている、心配はいらない。姉上もおられるから、万が一が起こったとしても大事には至らないだろう」
「ん。……リリィ様がこんやくしゃだからですか?」
「それもあるが、姉上が樹の乙女であられるからだ。王子の婚約者であるが故のことなのだが」
眉根を寄せ、エマリが難しい顔がしている。首を傾いてもおり、なるべく分かりやすく説明するために思考を回す。
シラーフェはあまり言葉が上手い方ではない。ここにライがいれば、上手くエマリにも王位を繋いでからはあまり顔を合わせる機会はなく、例によってどこで何をしているのか分からない。
「樹の乙女というのは……ユッグイグル様に仕える聖女と言えば分かりやすいだろうか。ユッグイグル様の加護を受け、その身に神に捧げると誓った女性のことを言う」
「ん……でも、リリィ様はアンフェルディアの人ですよ?」
エマリはさらに首を傾ける。
眉間に刻まれる皺が深いものになる。それを見て鏡合わせのようにシラーフェもまた眉間に皺を刻む。
「国は違えど、素質があれば樹の乙女にはなれる。姉上はいづれエルフレイムに嫁ぐことになる。それを示すためにも必要なことなのだ」
エルフは同族意識が強い種族だ。酷く排他的で他種族への警戒心が強い。
アンフェルディアは友好関係にあるが、それはあくまで友人という関係に過ぎない。もう一歩踏み込み、身内になるには安心材料が必要となる。樹の乙女というのは神による安全性の保証なのだ。
エルフレイムには他国から配偶者を迎える場合、ユッグイグルに加護を与えられていることが必須条件となる。神の加護はエルフレイムの一員と認められた意味を持つのだ。
リリィはシャーロフ王子との婚約が決まってすぐに儀式を経て、樹の乙女となった。
シラーフェはまだ幼い時分だったので朧げではあるが、幸せそうに微笑む姉の姿は覚えている。
いつも見てきた姉の、姉ではない表情を初めて目にした記憶だ。あのときのリリィはただ一人の恋する少女だった。
「今はユッグイグル神に愛されている存在と認識していればいい」
精一杯に噛み砕いた言葉にエマリは頷く。
すべてというわけではないが、なんとんか理解してくれたようだ。エマリは賢い子なので、時間をかければ、いづれ理解が届くだろう。
「リリィ様がかみさまに愛されてるからだいじょーぶ。ん、じゃあこわいことはおきないですか?」
「そうだな」
頷くシラーフェにエマリはほっと息を吐く。
カザード行きのときも、龍の谷ミズオルムへ向かう道中も、アンフェルディアへの帰路でも、厄介事に巻き込まれていることを考えるとエマリの心配も杞憂だとは言えない。
自分の旅行運に不安を抱くシラーフェの耳が車輪の音が変わったのを捉えた。
舗装された石畳の道を踏む音から、土の地面を踏む音に変わる。揺れも、先程よりもやや大きなものとなった。
悪路というわけではないので、それほど気にはならない。
「マーモア様、間もなく世界樹の森に入ります」
土の地面に変わってから二時間ほど経って、御者がそう告げた。車輪の音がまた変わる。
踏む土の質が変わるだけでこうも変わるのかとしらーっふぇはいつもこの変化を愉しんでいる。
まだ柔らかさを残した土の上を走る車輪の音を聞きながら、エマリへ目を向ける。
「エマリ、外を見て見ろ」
窓掛けを持ち上げてエマリに外を見るように促す。
言われるがままに大きな魔どっから外――世界樹の森を見たエマリの赤目が輝く。小さな口から零れる感嘆の吐息をシラーフェは小気味良い気分で聞く。
表情が豊かというわけではないのにエマリの顔は雄弁に感動を伝えくれる。
「ん、すごくきれい。お城の庭でシラーフェ様に見せてもらったときみたい」
「シュタイン城の庭木はエルフレイムから贈られたものだからな。世界樹の木を挿し木して育てた、言わばこの森の木々を親に持つものばかりだからな」
世界樹の森の木々はユッグイグル神の一部。植物でありながらも精霊としての性質を持つ木々は周囲のマナを食んで光り輝く。
森は高いマナ濃度を維持しており、並ぶ木々は、シラーフェの放つマナを食んだ庭木と同等の輝きを恒常的にはなっている。
木の精霊も飛び交っており、幻想的な光景が窓の外に描かれていた。
「森の中に入ったのであれば、一時間もせず王宮につくだろう」
アンフェルディアの王都ウォルカからエルフレイムは馬車で二週間ほどの距離にある。カザードまでの距離を考えれば近いものの、馬車に揺られる生活はやはり慣れない。
この苦痛も間もなく終わる。王宮までの約一時間も、美しい光景を見ていればすぐ過ぎるだろう。




