97「適材適所」
長い睫毛に縁取られた赤目に光を溜めたネリスが分かりやすく目を輝かせた。
話の流れから言わんとしていることを察して苦笑を滲ませる。
「シフィ兄様、お時間はありますか?」
「俺は問題ないが、ネリスの用は大丈夫なのか?」
急く感情を抑え、意識だけ慎ましやかさ纏うネリスに微笑ましさが勝つ。
苦笑の中に和らぐ瞳を混ぜながら、淑女たろうとする妹姫を見る。
「わたくしの方は……まだ時間があると思いますわ」
妙な言い回しに眉を寄せる。まだ幼さの目立つ振る舞いを見せることの多いネリスではあるが、己の立場をきちんと理解している。無責任に言葉を口にすることはないという信頼から問題ないと判断する。
「それでお兄様がよろしければ、わたくしたちとも手合わせしていただけますか?」
「リカいいのか?」
「可愛い姫様がお望みならばいくらでも。多少、手加減してくれると嬉しいですけどね」
「それくらいなら構わないさ」
力を誇示して他者をいたぶる趣味はない。可愛い妹の我が儘に付き合う気分でシラーフェは末っ子主従と向き直り、剣を構える。
リーカスが前衛、ネリスが後衛に立つ形で二人もまたそれぞれ戦闘態勢を取る。
リーカスは腰のリボンで隠されていたナイフを抜き、ネリスは周辺のマナを震わせる。
距離を取るユニスがエマリに代わり、審判を務める。
手合わせにより乱れた髪と服を完璧に整えたユニスは、シラーフェと末っ子主従を順繰りに見る。
「それでは始め!」
ユニスのときのように、すぐ戦闘が動き出すことはない。
シラーフェはまず二人の出方を窺う。影の一族として戦闘訓練を受けているであろうリーカスはともかく、ネリスはこの手の手合わせは不慣れなはずだ。
初心者同然の少女を急かす気にはなれず、ただその動きを注視する。出方を窺っているのはリーカスも同じで、剣を構えたままのシラーフェを見、次いで横目でネリスを確認する。
その姿は思っていたよりも落ち着いており、余裕がある。経験値が低いようであっても、影の一族、「ツェル」に選ばせた者だ。
落ち着いているのはネリスも同じで気負いもなく、冷静に状況を見ている。
微かに周囲のマナが震えている。魔法が行使される予兆を辛うじて捉えたシラーフェが身構えると同時にリーカスが飛び出す。魔法の方に気を取られた隙に距離を詰める。
シラーフェは動かず、リーカスを迎える。男にしては小柄な体は一気に短い刃が届く距離まで迫り、ナイフを振るう。
刃渡りの短さを生かすために懐に入り、剣を振りにくい距離まで一気に詰めた。
ユニスに容赦ないと言っていたリーカスだが、彼も彼で容赦がない。
普段の可愛らしい様子は鳴りを潜めた様子でナイフは振るわれる。真剣さを光として宿した赤目と新鮮な気持ちで相対するシラーフェはすべてを捌く。
近い距離、しかも小柄ゆえの身軽さで振るわれる攻撃を捌くのは非常に面倒だ。
ユニスのときとはまた違ったやりにくさがある。その上、今回はリーカスばかりに気を取られているわけにはいかない。
「レイニングクア」
頭上に打ち上げられた魔力が水滴となり、局地的な大雨となって降り注ぐ。ネリスが行使した魔法である。
手合わせということで、本来の効力を発揮せず、ただの水として注がれる。
量は控えめながら、降り注ぐ雨は視界を邪魔する。小柄な体、短いナイフと相対している中で視界を奪われ、振るう剣に慎重さが宿る。
リーカスがまだしも、ネリスは実戦未経験ながら見事な連携である。
「アクバインド」
降り注ぐ雨に視界を奪われた中で放たれる水の縄。
視界の端で辛うじて捉えたシラーフェはすぐさま剣を振るう。練度は低く、容易に切り裂かれた水の縄はすぐにマナへ還元される。
それを見届けないままにシラーフェは背後に剣を振るう。赤目をわずかに見開かせたリーカスがきらめく銀閃に薄く笑う。
「これでも防がれちゃうんですね。ほんっと敵わないなあ」
ネリスの魔法を囮に攻撃を仕掛けたリーカスは悔しげにつぶやく。
「今のは少し危うかった。言葉を交わさずとも、これほど連携ができるなら充分だろう」
「お褒めいただき光栄ではありますが、現状で満足するわたくしではありませんわ。上がいるのであれば、その上を目指し、努めるまでです。――アイルース」
生み出される氷の礫が攻撃を重ねるリーカスに紛れて打ち込まれる。
氷の礫は一つ、二つどころではない。リーカスの動きを邪魔しないよう、計算された軌道で放たれているリーカスの攻撃と氷の礫、そのすべてを目を収めたシラーフェは短く息を吸う。
柄を握り直し、一歩踏み込んだ。地面を強く踏みしめ、一息で氷の礫をすべて斬り捨てた。
その間、リーカスの攻撃もすべて捌ききった。最後の一手はやや力を込めて、リーカスの腕を跳ねあげる。そのまま、リーカスの首筋に突き立てる。
「そこまで」
手合わせの終わりを告げる声にネリスは分かりやすく悔しげな顔を見せる。
リーカスは観念したように息を吐き、シラーフェは無言で納剣する。
「やはりシフィ兄様はお強いですわね。己の未熟さを実感しますわ」
「その年齢であれだけできたら充分だろう。リーカスも見事だった」
リーカスは見た目の印象通り、あまり戦闘は得意ではないと聞いていた。しかし、実際手合わせしてみれば、噂の域を出ない話であったと思わせられる。
確かに小柄で筋力面では他の影人に劣るが、自身の体を生かす立ち回りをきちんと理解している。
リーカスも、ネリスも、経験を積めば、実るだけの力を持っている。何より――。
「マーモア様ほどの方にそう言っていただけるなんて光栄です」
可愛らしい表情を取り戻し、恭しく頭を垂れるリーカス。その纏う服、結い上げた髪にすら一欠片の乱れを残していない。
可愛らしくあるという拘りを戦闘の中でも貫けるだけの実力がリーカスにはあった。
「ん! ネリス様もリカもすごかったです」
「光栄な評価ですわ。でも、わたくしが目指す先はまだありますの。これで満足はしていられません」
「ん、私ももっと強くなりたいからネリス様と一緒です」
「では、共に精進いたしましょう」
己の実力不足を憂う少女は顔を突き合わせ、多大を励まし合っている。
微笑ましい光景をずっと見ていたいところだが、時間は有限だ。
「ネリス。それで用というのは何だ?」
「ああ、そうでしたわ」
言って、ネリスは振り返る。ふわりと広がるスカートを押さえながら、こちらを向く。
忘れていたらしいことは敢えて触れず、シラーフェは静かに妹の視線を受ける。
「フィル兄様に呼ばれていますの。シフィ兄様とともに部屋に来るように、と」
まだ時間があるとネリスが言っていた理由を理化しうる。
文武両道、何をやらせても完璧にこなす長兄にフィルには一つだけ欠点がある。
フィルは寝起きがすこぶる悪い。早く起きる必要があるときは一睡もしないほどで、呼び出しを受けたからと言って部屋を訪れても起きない可能性の方が高い。
朝、訪れる必要があるときは日が昇りきってから一刻以上経ってから望ましい。
「流石にそろそろ起きておられるだろう」
青で塗り潰された空に輝く太陽の位置を確認し、呟く。
来訪者の予定が入っている以上、レナードが起こしているはずだ。
シラーフェはネリスたちを連れて、フィルの執務室へと向かう。
執務室に着いたシラーフェはレナードに迎え入れられる。入室を許されたことを見るに、フィルにもう起きているらしい。
案内先で完璧に整えられた第一王子の姿はとても寝起きの悪い人物には見えない。知っているシラーフェの視点で言えば、レナードの苦労が窺える姿だ。
「来たか」
こちらに視線を向け、短く呟く姿は多くに畏怖を抱かせる威厳に満ちたいつもの兄だ。
目を覚ますまでに時間はかかるが、覚めてしまえば切り替えは早い。その切り替えの何度見ても驚くほどだ。
「フィル兄様、おはようございます。ご指示通り、シフィ兄様をお連れしました」
シラーフェとネリスだけがフィルの正面に立ち、従者たちは離れた位置で待機する。
ネリスの言葉に頷くフィルは完全に書類から視線を外した。鋭い視線を受けて無意識に背筋を伸ばす。
王位を継ぎ、立場ではシラーフェの方が上になったが、やはりこの兄には敵わない。相対するたびに自分の足りなさを思い知らされる。
「大方察しはついていると思うが、ネリスの成人の儀についてだ」
隣に立つネリスが身を強ばらせたのが見えた。その横顔は緊張を抱いている。
数ヵ月後にはネリスは十五歳になる。アンフェルディアにおける成人年齢に達するのだ。
十五になったアンフェルディア王族は、成人の儀を経て成人皇族の仲間入りとなる。
王位を継いだシラーフェが職務に忙しくしている間、ネリスは成人の儀の準備に忙しくしていたはずだ。
成人祝いとして贈られるティアラの制作、ダンスの練習に挨拶の内容を考える必要もある。儀式の際に纏う衣装の打ち合わせもあったか。
数年前の自身の経験を思い出しながら、続くフィルの言葉を待つ。
思えば、成人王族となってから、他者の成人の儀が行われるのは初めてだ。それどころか、シラーフェは今回王とうい立場での参加になるのだ。
大切な妹の晴れ舞台を失敗するわけにはいかないと己の戒める。
「成人の儀を迎える前に樹の祝福を受ける必要がある」
成人の儀では三人の神から祝福を受ける必要がある。それが『樹の祝福』、『青籃の祝福』、『深淵の祝福』だ。
深淵の祝福はアンフェルディアが信仰するアポスビュート神から受けるものだ。
言葉を選ばず言えば本命だ。他二人の祝福が得られずとも、深淵の祝福さえ得られれば成人王族として認められはする。
残り二つの祝福は友好国との関係性を示すものだ。
青籃の祝福は水精の女王シャトリーネから与えられるもの、樹の祝福は世界樹ユッグイグルから与えられるものだ。
二神からの祝福は彼らを崇める民と深い縁が結ばれたことを意味する。
アンフェルディアにおいて、精霊から愛されることはもっとも尊ばれる才能だ。
原初の精霊とも呼ばれる神々から祝福を受けることはその者の価値を示すことにもなる。
今の代にはいないが、歴代王族の中には三神すべての祝福を受けられなかった者もいたという。その者らは例外なくアンフェルディアに不利益を齎すものと言われている。
もっとも歴史に汚名を刻んだルヴァンシュは三神の祝福を受けてはいたので、結局のところ本人の資質と周りの環境によるものだろうとシラーフェは思っている。
とはいえ、千年以上も続く伝統だ。そこに得られる何かがあるのならば全うするべきだろうとも思う。
「ちょうどいい機会だ。ネリスのエルフレイム行きにシフィも同行しろ」
「王になって間もない身で、長く国を空けてもよいものなのでしょうか?」
「外交は王の仕事の一つだ。間もないと言っても一年近く経っている。友好国への挨拶周りを咎める者はいまい」
フィルの言葉に素直に頷くことができないでいるのはシラーフェが自身の力不足に苛まれるからだ。
王族として必要な教育は一通り受けている。その中には王位を継いだのち、必要される類のものも含まれている。教育は十二分、足りないと思えるのは経験の少なさ故のものであろう。
王位を継ぐことはないと開き直り、与える影響を恐れて逃げてきた日々がいつまでも悔やまれる。
こんなはずではなかった。こんなことになるとは思っていなかった。全部言い訳だ。
「内に閉じこもってばかりでは見えぬものもある。鬱屈したものがあるのならば、外で発散してくるといい」
「……兄上は俺に甘すぎるかと。これでは俺はいつまでも……」
「たわけ」
たった一言でシラーフェの言葉を遮ったフィルの目がシラーフェを射抜く。
「机に齧り付いていれば、成長できるものではない。今更勇んだところで、お前は俺どころかキラに勝ることもできまい。容易く追い付かれる程度の健さんを積んできたつもりはないのでな」
鋭利な瞳と同じく鋭さと持った言葉が投げかけられる。
紡がれる冷たさを反して、フィルの表情に厳しさはない。口元はわずかに綻んで見える。
ちぐはぐなフィルの姿にシラーフェはただ戸惑いを描く。
長年、内政を関わってきたフィルやキラに今更追いつくことなどできないのは分かっている。
重ねてきたものが違う。培ってきたものが違う。それでも王位を継いだ者として並び立てるようにならなければならない、とそれが多くの期待を裏切ってこの座についたことへの責任であり――。
「そこらの貴族に何か言われたか?」
「……っ」
図星を突かれて息を詰める。
分かりやすい反応を笑うようにフィルは口角をあげた。
「凡俗の言葉になど耳を傾けるな」
国を支える貴族を凡俗と切り捨てるフィルは真っ直ぐシラーフェを見ていた。シラーフェだけを見ていた。
ならば、シラーフェもまた兄だけを目に収めて応える。
余所見の多い性分であるシラーフェはただ一人を見て、平静を心に描く。
「適材適所だ。机と向かい合うのは俺やキラにもできる。シフィはシフィのすべてきことをしろ」
「俺のすべきこと、ですか……」
「それこそシフィが選ばれた意味だろう。未だ見えぬと言うのならば、外に足を向けるのも悪くない。これはそういう話だ。神の意思を神に聞くのも一つの手だ」
無意識に胸に辺りを押さえながら、シラーフェは息を微かに吐いた。
〈復讐の種〉に選ばれた意味、シラーフェがすべきこと――しなければならないと己に定めたもの。
そのために必要なことは何かを考え、アンフェルディアのためにできることは何かを考え、シラーフェはエルフレイム行きを了承した。
意固地に机に向かっていられるほどの時間はシラーフェにはないのだから。




