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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第5章

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96「気晴らしの運動」

 張り詰めた空気とよどんだ空気を併せ持つ石造りの建物の中、闇色の女性が歩いている。

 その腕は拘束され、嵌められた首輪から伸びる鎖は後ろを歩く騎士に握られている。


 女性の名はイゾルテ・ラァーク。影の一族に対して謀反を起こし、王族を危険に晒し、先王ロワメーレウス・ルキファ・アンフェルディアを殺害した人物だ。


 謀反を起こした者、王族を手にかけた者はいづれも極刑にかけられる。その両方を犯したのであれば、その罪は当然命を以て贖われる。


 今はまさにイゾルテの処刑が行われている最中であった。

 シラーフェは処刑台へと向かうイゾルテを正面から見つめる。イゾルテの表情は静かで、死を前にした恐怖も悲愴も映し出されていない。


 感情がないとは違う、けれど内心を読ませない面持ちでイゾルテは進む。声が届くほどの距離になった頃、イゾルテは肉厚な唇に笑みを乗せた。


「あの日以来ね、シラーフェンヴァルト王」


「貴様、誰が口を開いていいと――」


 窘める騎士を制して、シラーフェは大罪人を向き合う。


 今、シラーフェは処刑台に程近いところに立っている。

 罪人と国王が近い距離で対面することは多くの反対を受けた。兄にも、従者にも、騎士にも反対されてなお、必要なこととして押し切った。


 イゾルテが引き起こした謀反に関わる者たちの処遇はシラーフェに任された。

 イゾルテを極刑と定めたのはシラーフェであった。彼女の生い立ちには同情すべき点も多かったが、謀反人に例外を作ってはならない。協力者である影人たちへの罪を軽くする代わりにすべての罪をイゾルテに背負ってもらうことになったのだ。


「ふふ、お優しい人ね。あの子とよく似ているわ」


 こちらを見つめる赤目がそっと和らぐ。

 あの子とはユニスのことだろうか。自覚はないが、長く共にいるのだから多少似ることもあるかもしれない。


 ユニスのことを口にするイゾルテの表情は慈愛で満ち、とても謀反が起こした人物には見えない。

 彼女はシラーフェの采配により、これから処刑されるのだと鈍い痛みが胸を疼かせる。


 イゾルテ・ラァークの死はシラーフェが定めたものだ。覆せぬものだったとしても、最後に決断したのはシラーフェだ。彼女の死はシラーフェが背負わなければならないものだ。

 だから、無理を言って近い距離で処刑を見届けることを選んだ。


「――勘違いしないでちょうだい」


 地合いを纏っていた顔が酷く冷たい声を投げかけた。表情は一変、凄絶な怒りを宿している。

 その迫力は傍に控える騎士が思わず身構えるほどのものであった。

 腕を拘束され、魔封じされ、攻撃手段を奪われた状態でもなお、警戒せずにはいられない殺気が立ち上る。


「私の死は私のものよ。貴方ごときに奪わせるつもりはないわ」


「貴様――」


「黙りなさい」


 一瞥で騎士を黙らせたイゾルテは一歩前に踏み出す。

 首輪に繋がった鎖が張り詰める。これ以上進めば、イゾルテの首は絞められることになる。

 構わず、イゾルテはさらに一歩踏み出した。


「いいこと? 私は私のために謀反を起こした。そのことに後悔はないわ。今こうして死を前にしても、後悔だけはないわ」


 暗い光を灯す瞳の中で激情が燃えていた。シラーフェは圧倒され、声もなく見つめる。


「この結末は私が選んだ私自身のものよ。誰にも私の人生を奪わせはしないわ」


 晴れやかにそう言って、イゾルテはさらに先へ進む。首輪はもう限界で、騎士は慌てて後を追う。

 イゾルテは悠々とした足取りで断頭台の前に立った。


 騎士に促されるよりも早く、イゾルテは自ら頭をさげる。圧倒されたまま見つめるシラーフェの目の前で、微笑みを浮かべたままの頭が切り落とされた。


 呆気なく転がり落ちる頭は、人生の終幕を味わいきった笑顔で飾られていた。


 あまりにも潔い終わりにシラーフェはただただ呆気にとられる。

 妙に安らかな赤目が未だ――処刑の日から数ヵ月経ってもなお、忘れられずにいる。


 落ちた頭がこちらを見つめる夢を何度も何度も見ている。今日もまた同じ夢を見る。


 夢の中でイゾルテは自分に何を伝えようとしているのか。あるいはあのときのイゾルテに感じた何かを自らの中に探そうとしているのか。

 夢を見るために考えてはいるが、未だ答えは見つからないまま。


 今日もまた同じだと沈む心を抱えて、シラーフェは目を覚ました。

 見慣れた天井を見つめ、小さく息を吐く。最近の目覚めはいつもこんな感じだ。


 睡眠時間は充分確保できているはずだが、どうにも疲れが取れない。日々、精神的な疲労が蓄積している。

 その理由が毎日のように見るイゾルテの最期と、好みに巣食う先祖の怨言であった、


 父メーレが討たれてから、〈復讐(フリュズ)の種〉は力を増してシラーフェに訴えかける。

 歴代王の肉体を渡り歩き、憎悪を蓄積されてきた種は、なるほど確かに抗いがたい力がある。

 父も含め、歴代王が屈するしかなかった理由を悟りながらも、シラーフェはすぐ傍で囁く声を無視して起き上がる。


 図ったようにノック音が鳴った。


「ユニスか。入ってくれ」


「失礼します。シラーフェ様、おはようございます。紗幕を開けさせていただきます」


 紗幕を閉めずに眠ることが常態化していたシラーフェであるが最近ではきちんと閉めるようになった。王位を継いだことでの心境の変化――数少ない変化の一つだ。


「湯浴みの準備はできております」


 頷きを返しながら、今日の予定を反芻する。王位を継いでから多忙を極める日々を送っているシラーフェであるが、今日は少しばかり余裕がある。

 フィルが気遣ってくれているのか、時折余裕のある日を作ってくれるのである。


 気遣いは必要ないと突っ撥ねても、成果が出るわけではないとありがたく受け取らせてもらっている。

 王位を継いで一年近く経っているが、未だなれることばかり。息巻くことよりも、少しずつ馴染ませることが肝要だ。


「今日はまだ少し時間があったな。ユニス、少し付き合え」






 身支度を整えたシラーフェは剣を携え、ユニスを向かい合う。昔、兄二人がよく手合わせしていた庭の一角で二人剣を突き合わせている。


 少し離れた位置でエマリが二人を見守っている。

 エマリは王位継承の儀の後、正式にシラーフェ付きの使用人となった。今は手合わせの審判役として同席している。

 審判役と言っても、始まりの合図をする程度の役だ。


「ん、始め」


 シラーフェとユニスを順繰りに見てエマリが告げる。

 お互い、出方を窺う間があって、シラーフェが先に動いた。血を蹴り、剣を振るう。

 握るのは魔龍剣ではなく、以前まで使っていたフィルのおさがりだ。この手合わせは戦闘訓練を目的としたものではなく、気晴らしいの運動だ。


 夢見の悪さと堪えぬ先祖の囁きに疲弊した心を、剣に没頭することで忘れる。

 どうやら自分は剣を振ることが好きらしいという気づきから生まれたシラーフェ流の発散方法だ。


 今日のように時間のある日はユニスに行き合ってもらい、手合わせをしている。たまにエマリが混ざることもある。

 飽くまで運動なので、シラーフェも、ユニスも、五割程度の力で剣を合わせている。


 攻め手を重ねるシラーフェをユニスは落ち着いた挙動で受ける。規則正しく打ち込んでいるようで、細かく拍子を変える剣撃の間を確かめているような動きだ。

 ユニスの剣運びは慎重だ。まず相手の動きを見定めてから攻撃に転じることが多い。


 序盤はまだ見極めの時間。シラーフェはあえて拍子を変えることで、ユニスの分析を乱す。

 このままでは埒がかないと判断したユニスは一呼吸おいて動きを変える。


 シラーフェは仄かに笑った。剣は弾かれ、迫り来るユニスの剣撃を半歩退くことで避ける。

 生まれた半歩分の間の中で剣を差し込む。鈍い金属音が鳴って互いに距離を取った。


 赤い目が交差する。心地よさに和らぐ赤目と、それを確かに見つめる赤目。

 それぞれ胸に抱く感情は違えど、二対の赤目のこのひとときを楽しんでいた。


 剣を振っている時間は王としての立場を忘れられる。この身に受け付けられた先祖の妄執から意識を外していられる時間であった。

 手合わせの間、ただの王子の一人であれた頃と同じ表情を見せるシラーフェに、ユニスもまた安らぎを感じている。

 一度取った距離はすぐに詰められ、二人は再び剣を交える。


 見極めをやめたユニスはこれまでと一変して鋭い剣劇を仕掛ける。シラーフェの癖を見抜いて嫌なところに打ち込まれる剣を体勢を崩しながらも受ける。


 普段は万事控えめで、一歩引いた立ち位置を譲らないユニスであるが手合わせのときはまるで容赦がない。

 シラーフェの意向を尊重してくれている故とはいえ、普段とは違うユニスを見られるのも、この手合わせの良い点である。


 幾度も手合わせしていれば自然、互いの癖が分かってくる。それでなくとも、幼い頃からシラーフェに仕えているユニスは日常の中でも、シラーフェの細かな癖を知っている。

 条件で言えば、シラーフェも同じと言いたいところだが、相手への理解度という点では劣っている自信がある。

 瞬き、視線の動き、呼吸、すべてを見抜いて振るわれる剣をシラーフェは培った技術で捌く。


 単純な剣の腕はシラーフェの方が上である。大きく差が開いているわけではないとはいえ、癖を知られて言うだけでここまで詰められるものなのか。

 己を知る相手と言うのは、カナトを相手したときとはまた違うやりにくさがある。


 しかし、やりにくい相手と剣を合わせられるというのは、シラーフェにとって有益なことだ。

 己の癖を細部まで理解した相手に勝るにはどうすればいいか。


 剣の腕だけでは勝てないのならどうすればいいか。ユニスと手合わせをするときは、いつもこれを考える。

 握る剣を試すつもりで振るう。足は媚びを試す気持ちで変える。

 気晴らしいの運動と言いながら、しかし戦闘訓練としての意味も持たせているということをシラーフェは気付いていない。


 結局のところ、シラーフェは剣術馬鹿であった。

 剣を握り、振るえば、それを極めることを考えずにはいられない。


 運動という線引きは譲らず、五割程度に抑えながらも、シラーフェの剣は冴えていく。


 嫌なところを突くユニスの剣を捌き、その勢いのままに一歩踏み込む。

 姿勢はやや崩れたまま、むしろそれがユニスの隙を突くに至る。乱れた剣筋が紙一重でシラーフェの剣を受ける。


 シラーフェはそのままさらに一歩踏み込んだ。

 互いに無理のある姿勢であるがゆえ、二人は体勢を崩してふらつく。当然剣も乱れ、合わさっていた刃がずれた。


 先に体勢を整えた方が勝つ状況。

 予想外に乱されたユニスよりも、狙って踏み込んだシラーフェの方が回復は早い。

 折れた膝に力を入れ、柄を握る手に力を込める。目端が銀の動きを捉える。


 息を詰め、咄嗟に剣の軌道を変える。


「これでも追いついてくるか……」


 シラーフェとの手合わせの中でユニスもまた成長している。体勢を崩した状態でも食らいつき、振るわれる銀閃を弾き、身をやや屈めて背後に回る。そのままユニスの首筋に剣を突きつける。


「ん、そこまで。シラーフェ様の勝ちです」


 動きを止め、息を整えるシラーフェとユニスに、エマリの声が届いた。

 深く息を吐き出すとともに、体を弛緩させて納剣する。

 視線をエマリの方に向けたシラーフェは剣学者が増えることに驚きを移す。


「お疲れ様です、シフィ兄様。剣のことはあまり詳しくはありませんけれど、とても美しいと感じました」


 エマリの隣に増えていた人影は二つ。

 ピンクを帯びた長い白髪を編み込んで纏めたドレス姿の少女。

 一房をピンクに染めた灰髪を側頭部で二つに結い上げた少女風の少年。


 末っ子主従が揃ってシラーフェとユニスの手合わせを見学していたようだ。

 いつからいたのだろうか。手合わせに集中していたせいでまったく気付かなった。


 ネリスは改めてシラーフェに向き直り、美しいカーテシーを見せる。


「シフィ兄様、おはようございます。挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」


 淑女然とした振る舞いを見せる妹姫に思わす笑みを零れる。


「ああ。おはよう、ネリス。いつからいたんだ?」


「ほんの数分前からですわ。お兄様のことを探しておりましたの」


「俺を? 急用の類か? だとしたら待たせてしまったようで悪いな」


 手合わせに集中していたので、呼びかける声が届かなかったかもしれない。何せ、ネリスたちが来ていたことにすら気付いていなかったのだ。

 いくら戦闘中であったとしても、周囲へ気を配ることを忘れてはならないと自戒する。


「急ぎのものではありませんので、ご心配には及びませんわ。むしろ、シフィ兄様の美しい姿を拝見できて光栄です。こちらでよく手合わせをしていることは聞き及んでいましたけれど、もっと早く足を向ければよかったですわ」


「優れた剣の使い手の動きは美しいものですからね~。剣筋には人柄がよく出るものですから」


「リカの言う通りですわ! お兄様らしい美しい剣でした」


 手放しに誉める二人の前に気恥ずかしい。なんだか、ネリスにはいつも褒められている気がする。


「正直、ユニスがあれだけ容赦ないのは意外だったな」


「シラーフェがお望みのことですので……手を抜く方が不敬になるかと」


「そういうもんなの? あんまり手合わせすることしかないからなあ。しても騎士か、影人くらいのもんだし」


 アンフェルディアでは女性が剣術をする文化はない。影の人族のように王族を守る役割を担う者たちは例外として、アンフェルディアの女性は戦闘において魔法を使うことが多い。


 貴族令嬢ともなれば、剣を振るえる者は皆無だ。女王族を主に持つリーカスは王族と手合わせをする機会もなかったのだろう。

 それを耳にしたネリスが分かりやすく目を輝かせた。

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