1「綺麗な山は花に咲く」
異世界のタグをつけていますが、この作品は
・異世界人が主人公ではない
・異世界人ががっつり絡むのは中盤辺りから
となりますので、ご了承くの上、お読みください
魔族が暮らす国、アンフェルディア王国に聳え立つシェイタン城。荘厳さ奏でる城を抜け出す少年が一人。
年齢は八歳頃。瞳は赤く、切り揃えられた髪は仄かに紫が混じった白。
何よりも特徴的なのは側頭部から生える二本の角だ。魔族の特徴である彼の角は、一点の曇りのない漆黒で、どこか高貴さを纏っている。黒い角は魔族にとってもっとも尊い一族を示すものであった。
王族の少年は警備の目を盗んで、町の方へ駆けていく。その姿は常習犯の香りを漂わせていた。
実際、彼は常習犯だった。たびたび屋敷から抜け出して町を散策しており、その足取りに迷いはない。
人々の営みを見るのが好きだった。特別なものなど何もない、ただ繰り広げられる穏やかな日常を近いところで見るのが少年の一番の楽しみであった。
屋敷を出て、いつもならそのまま町に行っているところだが、今日は途中で進路を変える。
商店が立ち並ぶ市場に背を向ける形で、人気のない方向へと進んでいく。華やかに賑わう町とは対照的に薄暗く、静けさを纏う道を辿る。
景色は人の手が入り、整備されたものから、手つかずの自然の色合いが強くなっていく。
楽しげに上がった息の先で、柔らかな土を踏んだ。足を踏み入れた広大な森の咲きに少年の目的とするものがある。
息は乱れていても、走る速度は落ちない。そうして辿り着いたのは森の端、そして国の端だ。
自然物の中に聳え立つ人工物。森を寸断するように建っている巨大な壁。
幼い子供の視点では先が見えず、天高く、どこまでも続くと錯覚してしまうほどに高い壁だ。
これは魔族の国、アンフェルディア王国と人族が暮らすヒューテック領を分ける壁である。
魔族と人族は数百年という長きに渡り、戦を続けている。
この壁は四百年前、形だけの停戦協定によって建設されたものだ。
今は俗に言う冷戦状態であり、大きな戦は行われていない。小さな戦であれば密やかに行われているが、幼い子供が知ることではない。
「あった」
弾む声。好奇心を宿す瞳が巨大な壁に空いた穴を見つける。
数日前、森を散策しているときに見つけたものだ。崩れるように空いた穴の先はヒューテック領だ。
手続きもせず、壁を越えることは違法行為だ。
人目のつかない場所に存在する穴。それは紛れもなく密入国者が作ったものであるが、そこまで考えが及ばない。
ただ幼い心は違法行為への意識などなく、好奇心に突き動かされるままに穴の先へ足を踏み入れた。
訪れたことのない人族が住まう土地。初めてへの期待を胸に奥へと進んでいく。
壁を抜けた先も森であった。代わり映えのしない道を進み、薄暗かった視界が不意に開けた。
そこは紫色の世界だ。咲き誇る花が一面紫色の世界を作り出している。
視界いっぱいに広がる幻想的な光景に少年はただ魅入られた。呼吸も忘れて、美しい世界を見つめる。
――少年は今日初めて花というものを目にした。
絵で見たものとは比べ物にならない、生の輝きを放つ花たち。その一つ一つが宝石にも劣らない美しさを奏でている。
「あなた、見たことのない顔ね。隣の村から来たの?」
初めて見た花畑に魅了されていた少年は声をかけられるまで、その存在に気付かなかった。
同じ年頃の人族の少女がそこには立っていた。長く伸ばした赤い髪を高い位置で一つに括っている。瞳の色は紫で、無垢に少年へ向けられている。
少年は答える代わりに息を呑んだ。表情にまで出てはいないが、内心かなり焦っていた。
魔族が人族の地に足を踏み入れていることがばれたらかなりまずい。
処刑か、奴隷にされるか、許可なしにヒューテック領に足を踏み入れた魔族が辿る末路はそのどちらかだ。
焦りで上手く回らない思考の中、緩慢に後退する少年。それよりも少女が距離を詰める方が早い。
目の前に立った紫の瞳がじっと少年を見上げる。
赤い瞳に、白髪の隙間から覗く二本の角。特徴を知るものであれば、一目で魔族だと気付くだろう。
救いのない自分の未来よりも、兄たちに迷惑をかけてしまう未来が胸を締め付ける。どれもこれも立場を理解しない自分の浅はかさのせいだ。
「……その髪飾り、すてきね!」
ぱっと晴れる少女の顔。
どうやら彼女は魔族の特徴を知らないらしく、少年の角を髪飾りと勘違いしたようだ。
一先ず、衛兵や奴隷商に差し出される未来は回避できたらしい。ほっと胸を撫で下ろす。
「どうして、ここに来たの?」
「……探検してたら見つけた」
「あなた、ついてるわね! ここの花畑はとびっきりよ。私のお気に入りなの」
初めて花畑を見る少年には比較対象がなかったが、少女の言う通りな気がした。
少年の目にはこの花畑が格別に美しいものとして映っていたから。
「私、もうここには来れないの。今日が最後……。だからね、たまにでいいから、あなたが来てあげて。きっと花たちもよろこぶわ」
「どうして……」
思わず口をついた問いかけに少女は小首を傾げた。
「……どうして、最後なの?」
口に出してしまった以上引っ込められない、と控えめながら問いかける。
ずっと明るい表情ばかり浮かべていた少女の顔が初めて曇った。
紫の瞳が伏せられ、微かに波打つ。何故か、心が締め付けられるような、掻き毟られるような感覚がした。
「私、村を出て、都に行かなきゃいけないの。私のお父様が都にいるんですって」
少女自身、まだ実感を持てていないことなのか、その口調はどこかふわふわしていた。
「ほんとのこと言うとね、すっごく不安。お母様はいっしょじゃダメなんだって。……知らない場所にひとりで行かなきゃいけないなんて……すごく、すごく怖いの」
「大丈夫」
気付けば、口を開いていた。
自分を抱きかかえるように腕を組む少女の姿に堪らない気持ちが溢れ出る。
彼女の笑顔を取り戻したい。そんな気持ちばかりが湧いて出てくる。
「どこに行ったって君は君のままだよ。君のことは君にしか変えられない。だから、どこでだって君らしくあればいい」
元気づけるために精一杯考えて音にした。わずかに潤んだ瞳が驚いて、次第に和らいでいく。
思えば、この時点にすでに少年は少女に惹かれ始めていたのかもしれない。
「私ね、夢があるの」
晴れた表情で、遠くを見据えるように少女は語る。
希望に満ちた表情がより少年の心を擽った。美しい花畑以上に少女の姿が少年の目を奪う。
「私は、人族と魔族が分かり合える世界を、一緒に笑い合える世界を作りたい!」
それが許されない世界で、少女は高らかに夢を声に乗せる。表情だけではなく、声だけではなく、その言葉が少年の心を大きく揺さぶった。
誰にも言ったことのない奥底に初めて触れられた気がした。
「お母さんも、他のみんなも魔族は悪い人たちだって言うの。でも、おかしいのよ? みんな、魔族に会ったことはないって言うの。会ったことのないのに悪い人だってどうして分かるの?」
周りの大人地への不満が音になって零れる。
「昔、悪いことをしたからってみんな言う。でも、悪い魔族がいたからって、みんなが悪い人ってわけじゃないでしょ。人族にだって悪い人はいるわ。サクサなんて、いっつもいじわるしてくるもの」
少女は真っ直ぐだ。だからこそ、真っ直ぐに世界を捉えている。
その目には誰もが当たり前と受け入れたものが、少し歪に見えるのだ。少年にも少しだけ気持ちが分かる。
「サクサは意地悪だけど、果実屋のおばちゃんはいつもやさしいわ。人族には悪い人も良い人もいる。魔族にだって良い人はきっといる。その人たちとなら分かり合えると思うの」
それは聞く人によれば、くだらない夢物語だと切り捨てられるであろう言葉。
しかし、少年の目には、彼女は誰よりも現実が見えているように見えた。
歴史に作られた思想。誰かの思惑で歪められた今。
それが日常となり、常識となった世界で感じた違和を無垢に叫ぶ幼い心。それが少年の心へ、確かに届いた。
少女の瞳は少年を見ない。遙か遠くを見据えるその姿が少年には美しく眩しく見えた。
笑顔を浮かべる少女の姿より、夢を語る少女の姿が一際輝いて見えたのだ。
「人族と魔族が……ううん、それだけじゃない。すべての種族が仲良くなれる優しい世界を作りたいの!」
「……いいと、思う。俺もそんな世界を見てみたい」
控えめな賛同に少女は表情を花咲かせる。やはり目を奪われる少年は不器用なりに笑みを浮かべて少女見返す。このとき思ったのだ。
少女の目指す世界を自分も目指そう。少女は人族の世界で、少年は魔族の世界で。
それぞれが努力を重ね、奮闘したその先に描いた未来はきっとある。
こうして隠れるように、己の正体も明かさず会うのではなく、次はきっと。
きっと魔族だと明かして、名乗って、彼女の隣に――そんな未来を。
――突然、視界が黒く染まった。美しい花畑が、少女の笑顔が、黒に侵食されていく。
心を満たす光景が掻き混ぜられ、侵食されていく。頭の中がぐちゃぐちゃに混ぜられる不快感を味わう青年、シラーフェは脳裏に過った見知らぬ光景に眉根を寄せた。
笑う金髪碧眼の少年。記憶をひっくり返してみても、心当たりのない少年の正体を考え、
「応え」
地を這うような低い声が思考を乱すように鼓膜を侵した。一瞬で思考が声に奪われ、心が蝕まれる。
聞き覚えのない声なのに、やけに耳馴染みのする声だった。幼い頃から、いや、生まれる前からずっと耳にしていたような気さえする。
「応え。魂に刻まれし、憎悪を呼び覚ませ」
声はこの世の憎しみを煮詰め、澱んでいる。その澱みに当てられたのか、本当に魂に刻まれた何かがあるのか、暗闇を響く声にシラーフェの奥底が激しく揺さぶられた。
知らない感情がどす黒く湧いて出る。自分自身が何かに汚染されていく感覚があった。
「許すな。おぞましく醜き人族を。忘れるな。あの日の屈辱を。復讐の炎を絶えず燃やせ。憎め。憎め。憎め」
声を聞くたび、別のものに作り変えられていく恐怖が胸を締め付ける。
耳を塞ぐという初歩的な防御行為すらままならず、繰り返される憎悪に汚染され続ける。
「っ俺は……俺の目で、俺の意思で決める。やかましく騒ぐな」
黒い世界を照らす少女の笑顔がシラーフェにはある。この程度の声に屈するシラーフェではない。
絶えず聞こえる声。構わず、己の覚悟を再確認するシラーフェの意識は――。
週一を目指しつつ、まったり更新します
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