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第二十章(2) マルブール城

 マルブールの城は、山腹に食い込むようにして聳え立っている。

 黒玄武岩のみで築城された本丸が堂々とした威容を見せ、その周りを、無数の櫓や砦が取り囲んでいる。石垣の間を縫うようにして、狭路が迷路の如く入り組む。

 櫓の上には皇国軍の兵が立ち、アルバールの平原に向けて厳しい視線を投じている。中世に建築されたこの城の防衛機能は、未だに健在だった。


 アルベリクは今、商工会の推薦を受け、この城の中に足を踏み入れていた。子供の頃から遠目に見て知ってはいたが、中に入るのはこれが初めてのことだった。


 といって、さしたる感慨は沸かなかった。むしろ、入った瞬間からうんざりしていた。

 総石造りの城はいかにも無骨で、殺伐としており、華美な装飾の一つも見当たらない。のぼりのひとつでも舞っていれば見栄えが良かろうものだったが、それすら皆無である。およそ美の観点では目も当てられない代物だった。


 子供の時分から、アルベリクはこの城を疎ましく感じていた。街のどこにいても、見上げれば黒く重々しい城壁が迫って見える。その圧迫感がたまらなく嫌だった。それゆえ、山小屋で過ごすことになってしばらくは、素晴らしい解放感を覚えていたものだった。


 領主アルバール公もこの無骨で暗い城を好まなかったようで、普段は城下の大邸宅で過ごしていた。しかし、パヴァリアとの開戦が危惧される今、安穏と構えているわけにもいかない。そんな事情から、今は従者共々この城に越してきて、寝食を済ませているという。


 四階建ての本丸は、中に入ってみると、外から見るよりずっと狭く感じられた。数少ない窓は小さく、光も通さず室内は常に薄暗い。また、よほど壁が厚いのか、一部屋一部屋がひどく狭かった。


 会議の行われる広間は、この城の四階にある。アルベリクは公爵の侍従に案内されるまま、長い回廊を抜け、階毎に場所の異なる階段を上り、ようやくこの広間にたどり着くことができた。


 広間の中央には木製の長机が据えられ、その上に蝋燭を灯した燭台が点々と置かれている。この机を挟んで片方には皇国軍の面々が座り、もう片方には公爵家の面々が相向かって座っていた。


 アルベリクは己の立場や意見を鑑み、公爵家側の末席に着いた。すると、中央に座っていたアルバール公がやおら口を開いた。


「ぼちぼち人は揃ったようだ。では、話し合いを始めるとするか」


 と、軍の士官らしき男が、手を上げて制した。


「こちらの人数が揃っておりませんので、もうしばしお待ちを」


 公爵はこれを聞くなり、怪訝そうに眉を上げた。


「左様か。とはいえ、当方としても早急に方針をまとめねばならん。街道封鎖を解かねば我らの命脈は早々に尽きてしまう故……」


 ぐずぐずと文句を垂れる公爵だったが、先に発言した士官を含め、軍人たちはどこ吹く風である。


 してみると、確かに対面の皇国軍側は、真ん中の席だけ空いている。


 軍人たちが敢えてかような態度を取るということからも、遅れてくる人物は一廉(ひとかど)の人物に違いない。そうアルベリクは踏んだ。


 待つことしばし、待ち人は突然部屋の中にやってきた。軍服と軍帽を着用した背の高い男──。あまりに自然な物腰だったので、アルベリクは一瞬、それを伝令の者かなにかと勘違いしたほどだった。


 しかし、男が部屋に入るなり、対面に座る軍人たちが一斉に立ち上がり、腰に手を当て敬礼の姿勢を取る。


 彼は空いていた席の横に立つと、軍帽を脱いで脇に抱え、直立した。そして、対面の一同を見回しながら、よく通る声で名乗った。


「まずは、お待たせしたことを詫びよう。北部方面掃討軍司令官の……ラウル・ガロアだ」

「で、殿下──!」


 アルバール公は、男の顔を見るなり椅子を蹴って立ち上がり、直立した。他の面々も、彼に倣って次々に立ち上がる。


 やってきた人物は、紛れもなく、第二皇子その人だった。

 ガロア人特有の銀髪碧眼、高貴な者のみが持つ自信みなぎる眼差し。

 そして、その指に嵌る指輪は、ブランシャールが第二皇子のために特別に制作し、寄贈した品に相違ない。それは、かつてお忍びでブランシャールの店舗にやってきた際に、贈ったものだった。


 だが、今眼前に立つ男の顔つきは、あの時とはまるで違う。精悍にして怜悧。口元に笑みを浮かべてはいるものの、目元はあくまで厳しい。


 彼はその眼をアルバール公に投じて、破顔した。


「アルバール公、皇后陛下の生誕祭以来か。息災そうで何より」


 第二皇子はそう言ってから、視線を横に滑らせて、アルベリクの方を見据えてきた。


「君はそちらに座ったか、赤目烏」

「ご機嫌麗しくございます、殿下」

「君とも積もる話はあるが、残念ながら近頃はご覧の通り多忙だ。いずれ折を見て、次代の宝飾芸術について語り合おう」

「是非とも」


 短く答え、アルベリクはおもむろに頭を下げる。その一方で、アルバール公は額に吹き出る汗を拭いつつ、低頭していた。


「殿下自らお越しくださるとは、思いもよらず……。おもてなしが至らず、汗顔の至りにございます」

「つまらぬ気遣いは無用だ。それより、早速本題に入ろう」


 第二皇子が席に着くと、他の面々も慌てて着席する。全員が着席したと見るや、皇子はやにわに口を開いた。


「単刀直入に告げる。戦時下の特例措置として、アルバール公はマルブールの統治権を一時的に皇国軍に明け渡せ」


 マルブール側の面々の間にどよめきが起こる。

 苦しげに目を細めるアルバール公。彼は喉の奥で長く呻いた後、かすれた声を漏らした。


「殿下のおおせとあらば、(やぶさ)かではございません。──ですが、一点どうしてもお伺いしておきたいことがございます。住人の安全は、この場合、担保されるのでしょうか?」

「最善を尽くそう」

「──確約は」

「それはできかねる。城塞都市の主なら、その程度理解できぬはずがあるまい」


 公爵は周囲の面々と目配せした後、不意に背筋を伸ばした。彼は眦を決して、皇子に向き直る。


「……有り体に申し上げましょう。マルブールは、この度の戦争に疑義を抱いております。教会を焼き討ちにするなど、およそ正義に(もと)る行為かと存じます」


 断固とした声だった。しかし、皇子の方は眉一つ動かさず、これに答える。


「皇国における教会の、糜爛(びらん)しきった振る舞いを知らぬはずがあるまい」

「確かに、ベツレヘム教の世俗化は目に余るものがございました。パヴァリアと結託し、この国を傀儡化せんと試みたことには、一切疑いの余地もございません。しかし、国としてそこに不満を抱くならば、交渉で解決を目指すのが政治というものではございませんか」

「今ここで、左様な話をしたところで詮無いことだろう。目下、対処すべきは眼前の敵。ここでバルナーヴの軍を迎え撃たねば、マルブールどころか国家が危うい」


 皇子はそこまで言うと、机の上に身を乗り出し、威圧気味に付け加えた。


「貴君、勘違いしないでいただきたいが、これは勅命なのだ。貴君に拒否権はない」


 公爵のつばを飲む音が、末席のアルベリクの耳にまで届いた。

 しばらくの間押し黙っていた公爵は、やがて呻くように呟いた。


「……皇国の未来は、暗澹たるものですな……」

「……何か、聞こえたようだが」

「いえ……」


 公爵は呟いたきり押し黙る。一方の第二皇子は、満足そうに笑って身を起こした。


 勅命という言葉を出されてしまっては、一介の地方領主としては返す言葉がない。この会議はこのまま第二皇子のごり押しを通して終いになりそうだった。


 誰もがそう考えたその時、公爵側の末席に座った男が声を上げた。


「お待ち下さい、殿下」

「──赤目烏か。なんだね」


 その場にいる全ての人間の眼が、アルベリクの元に集まる。

 アルベリクは咳払いの後、至極落ち着き払って言葉を続けた。


「バルナーヴ将軍とは、まだ交渉の余地が残されていると愚考します」

「ほう?」


 皇子の眼が光る。アルベリクは言葉を続ける。


「彼はベツレヘム教の信徒というよりは、野心家の戦争屋です。義理ではなく打算で動く男です。それならば、私にも付け入る隙がございます」

「なにか策があるというのなら、聞かせ給え」


 鷹揚に目を細め、皇子が再び身を乗り出す。


 アルベリクは一つうなずくと、その場にいる者に向かって己の考えを開陳し始めた。

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