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第二章(5) オークション会場3

 サロン内での競売は、午前中のうちにつつがなく執り行われた。会の進行は、むしろ、スケジュールよりも若干の前倒しですらあった。早く目玉の競売を見たいという、来場者の意向を汲んだのである。


 会期中、アルベリクの身体は休まることがなかった。数歩歩けば袖を引かれて誰か彼かの質問攻めに遭う。競売会の主役は今や完全にこの黒衣の商人であり、彼の周りには常に多くの人集りができていた。


 彼が受けた質問の中で最もよく聞かれたのは、あの作品の作者は、一体ぜんたい誰なのか、ということであった。まっとうな質問である。しかしアルベリクは曖昧な笑みを返すばかりで、作者の名前も、素性も、何一つ口にしようとはしなかった。


 彼があまり多くを語ろうとしないので、彼の元に集まった人々は話し足りなくなったのか、見知らぬ者同士で互いに会話を始め出した。


 ある者が、ため息交じりに呟く。


「しかし、実際のとこ、いくらで落札されるのでしょうねえ」

「真作なら十億はくだらないという話です。復刻品ならば一億もいけば良い方ではないですかな」


 ──五億クルト。それが落札額だ。


 アルベリクは、胸の中でそう呟いていた。


 長年の経験から(はじ)き出された胸算用、というわけでは勿論ない。彼は、今日の競売の最高落札額を、既に知っていたのだ。


 彼はこの日に際し、落札者の候補をただ一人に絞っていた。


 その一人とは、言うまでもなく、リュファスである。


 彼から金子を搾り取ることは、間接的にブランシャールにとって有利につながる。なんといっても、リュファスは競合店の店主であるのだから。


 リュファスはこの競売のために、自分の店の運営資金まで借り出しているという。彼が落札すれば、ボーマルシェは確実に傾く。これこそ、今回の競売におけるアルベリクの真の狙いだったのである。落札で得られる金も大事だが、それは今後いくらでも、ナタリーの作品が稼いでくれる。


 標的が決まったならば、次は彼の懐具合が気になってくる。この情報をどうやって得たか。


 間諜である。アルベリクは、ブランシャールの店主になる前から、自分の部下や友人知人を主要な他店に潜り込ませていた。彼は競合他店の動向を独自に把握しており、それにより他店だけでなく同僚をも出し抜いてきたのだ。


 さて、予算は判った。では、その予算いっぱいまで使わせるにはどうすればよいか。競る相手が必要である。


 ──そう、ここで、サラスの出番がやってくる。つまりサラスは、競売の値を吊り上げるためにアルベリクが雇った偽客(サクラ)なのである。彼はアルベリクとの裏取引によって、ロートシルト宝飾の復刻品の制作依頼権を既に得ていた。そしてその対価として、彼は落札する気のない空入札を繰り返し、競り値を吊り上げる役割を負った。


 こうしてリュファスは予算を丸裸にされた上に、その予算いっぱいまで使わされる羽目になるのだ。


 これが、今日の競売の本当の姿だった。


 そしてこれこそが、アルベリク・ブランシャールという男の商売のやり方だった。


 宝石を見分ける確かな目と、千里先まで届く地獄耳。諸々の手練手管。そして、あくまで利を取る冷徹さ。こうしたものを総動員して、アルベリクは魍魎跋扈する皇都をのし上がってきた。その挙げ句、彼自身もマルブールの赤目烏などと蔑まれ、皇都に巣食う魑魅魍魎の一つと化してしまったわけだが、それはある種当然の帰結といえた。


 昼も過ぎる頃になると、他所の競売案件はすべて消化され、ブランシャールの競りを残すのみとなっていた。


 ここまでは、順調にきている。後は、競売人のハンマーが叩かれる瞬間を待つだけである。その瞬間、これまで仕込んできた諸々の手間暇が、ようやく結実の時を迎えるのだ。


 しかし、そうそう計画通りにはゆかないのが、世の常というものであった。



 ◇



 会議場の前庭は、世紀の競売をひと目見ようという見物人でごった返していた。


 彼らは一様に首を上げ、斜め上方の一点を見つめている。


 競売人が、テラスの上から観客に向けて、今回の競売品を今一度掲示して見せていたのだ。模造金で造られた、卵型のブローチ。掌大のこのブローチに、今から何億何千万という値が付けられてゆくのである。


 競売人が掲示品の出品者と商品の説明を滔々と述べ、しかるのち、テラスの手すりにハンマーを打ち付けた。


 いよいよ、本日の目玉となる競売が始まった。


 始値は百万クルト。最初の方の値は、どこぞの目立ちたがり屋が競ってつけた。


 この時点では、サラスもリュファスも未だ動かず。小額の段階で参加したところで時間と労力の無駄であると判断したのであろう。


 五千万クルトを越えたところで、状況が動いた。他の入札者が値付けを渋り始めたため、サラスが五千百万クルトで競りに参加したのだ。


 すると、リュファスも指を差し上げ、六千万の値で競りに参加する。競争が始まった。すぐにサラスが六千百万の値をつけ、被せてくる。するとリュファスが七千万でこれに対抗。両者一歩も引かぬまま、入札額はあっさりと一億を超え、瞬く間に二億三億と超えていった。


 目もくらむような金額の応酬に、会場の人々は火がつくほどに熱狂した。入札の声が発せられる度に歓声が上がる。だが、当事者であるアルベリクだけは、その歓声から数歩下がったところで、どこか他人事のように競売の様子を眺めていた。


 サラスが四億九千万クルトを付けた。競りが止まる。リュファスが部下と思しき男と長い相談に入っていた。競売人が追加の指示はないかと、何度も確認している。やがて、彼は額に汗を光らせつつ指を六本上げ、五億五千万クルトの値を指示した。


 潮時である。あとは、サラスが悔しそうに歯噛みしてリュファスに一瞥でもくれてやれば、この茶番はお開きとなる。


 ──はずだった。


「六億クルト」


 穏やかだがよく通る声が、青空の下に響いた。


 ぎょっとして、アルベリクは会場内に視線を巡らす。


 六本の指が、天に向かって高らかに掲げられているのが目に留まった。その手の主は。


「……サラス」


 隆々たる体躯の男が、人々の驚愕の視線を受け、得意げに眼を細めていた。


 歯噛みしたのはリュファスの方だった。彼は凄まじい形相でサラスを()めつけていた。


 アルベリクの知る限り、彼に入札能力は、もはや、ない。


 ──約束が違う!


 アルベリクは胸の中で悪罵した。事前の打ち合わせでは、五億クルトを超えたところでサラスは入札を止める手はずだったのだ。


 落札価格が上がるのなら、それに越したことはないではないか。そう思う向きもあろう。


 だが、それではこの競売における目的の半分しか達成できないことになる。アルベリクとしては、競合店の店主であるリュファスに、なんとしても大枚はたいて落札してもらわねば困るのだ。


 アルベリクの頭の中を様々な可能性が駆け巡った。リュファスとサラスが結託したか。いや、それはない。ではサラスが裏切ったか。それはあり得るが、契約上、リュファスの落札に失敗すれば裏取引も無効となる。わざわざ自分に不利なだけの行動を取るだろうか。それとも、サラスは、独自で何らかの情報を掴んでいるのか──。


 追加の入札はないかと、競売人が確認する。ひとたび、ふたたび……。みたび確認しても声がなければ、ハンマーが打ち鳴らされ、それで競売は終いである。


 競売人が最後の確認をした。その手の小槌が動く。競売が終わる──。


「六億……一千万ッ……」


 脂汗を浮かべたリュファスが、指を一本だけ上げ、苦しそうに叫んでいた。


 会場から感嘆のどよめきが湧く。


 アルベリクとしては困惑するばかりである。リュファスにはもはや、支払い能力などないはずだったのだ。


 だが、彼の想像に反し、競り値はさらに吊り上がってゆく。七億、八億……。


 九億を超えたところで、ようやくサラスが降りた。彼の表情には悔しさなど微塵も見られず、それどころか、満足げな笑みさえ浮かんでいた。それが、アルベリクには不気味に思えてならなかった。


 最終落札額、九億クルト。当初アルベリクが想定していた額の二倍ほどの値を付けて、この日一番の目玉取引は終了した。


「アルベリク・ブランシャール!」


 黒衣の宝石商を呼ぶ声が、晴天の広場を貫いた。声の主は、栄えある落札者であるところのリュファスだった。だが、彼はその先の言葉を継ぐことができなかった。爛々(らんらん)と輝くその瞳の中には、ありとあらゆる激情が渦を巻いて燃え盛っていた。


 呼ばれたアルベリクは、リュファスとは対照的に涼しげな表情を保ったままだった。彼はゆっくりと声の主に向き直ると、こう言ってのけた。


「驚くのはまだ早いぞ、リュファス。貴様は……いや、世界はいずれ、いまだかつて誰も見たことのない宝飾を目の当たりにすることになる。それも、ごく近いうちにな」


 その言葉は、破壊的な衝撃とともに、波のように会場内を伝播した。


 だが、彼にその真意を質す者は、誰一人としていなかった。



 ◇



「あれは一体、どういうことですか」


 落札者との契約を手早く済ませたアルベリクは、会場内を駆けずり回り、サラスの姿を探して回った。やっとのことでその姿を見つけ出すと、彼は急ぎ詰め寄った。


 対するサラスはどこ吹く風。穏やかな笑顔を崩しもせず、アルベリクに相対した。


「お近づきの印と言ったら信じてくれるかな?」

「ふざけないでいただきたい。こちらの指示通りに演じていただかねば困る」

「しかし、私も伊達にパヴァリア遊撃騎兵隊を率いているわけではない。ただ誰かから指図を受けるだけということに我慢ならない性質なのだよ。もう少しうまい汁を吸ってもバチは当たるまい、と、そう考えた」

「うまい汁?」

「私はこの皇都で密かに金貸しを営んでいる。数ある副業の一つだな」

「……なるほど」


 サラスはおそらく、名を隠してリュファスに接触し、融資の契約を取り付けていたのだ。担保はボーマルシェの店舗か、はたまた──。


「落札された商品の半分は私の懐にある。私は蒐集家なのだよ。これまでも、これからも」


 サラスはそう言って、不敵に笑う。


 この男は食えない。アルベリクはそう直感した。


 パヴァリアの、サラス・バルナーヴ騎兵将軍。アルベリクはこの名を胸にしっかりと刻み込んだ。いずれ敵対した場合を考慮し、先んじてこの男の弱みを握っておかねば、枕を高くして眠れはしないだろう。


 大仕事が終わって一息つけると思いきや、また次の問題が湧き出て悩ませにかかる。


 仕事というのはそういうものだと、アルベリクは胸の中で嘆息していた。



 ◇



 失われたはずの技法をブランシャールがいかにして復活させたのか。オークションの参加者は、誰もがそれを知りたがった。だが、狡猾な赤目烏は不敵に笑うばかりで、決してその嘴を開いて囀ろうとはしなかった。


 奇跡の技の秘密は最後まで詳らかになることなく、トーブマンズ・オークションは閉会した。


 アルベリクは、このたった一回のオークションで、サラスとの密約分も含め、実に十億クルトもの大金を荒稼ぎしたのである。


 この出来事は業界関係者の間で語り草となったものの、一般顧客の間の話題にはならなかった。


 翌日の大衆向けタブロイド紙である『クーゴン』を見ても、一面は第二皇子の戦勝に関する記事やら、皇室御用達の宝石商である(なにがし)が多大なる報奨を得たという記事で占められていた。トーブマンズ・オークションでの一件は、ようやく社会面の片隅に発見できる程度であった。


 業界紙ではない『クーゴン』にこれ以上を期待するのは間違いである。とはいえ、所詮ブランシャールは未だ人口に広く膾炙(かいしゃ)することのない、泡沫のごとき宝飾店に過ぎないということが、この一事をもって明らかになった。


 夢は未だ、その姿を蜃気楼ほどしか(あらわ)にしておらず、そこに至る道は、はてしなく遠かった。

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