第十九章(3) マルブールの工房
白磁の坩堝の中で、金の粒が赤く熔けては一つの塊となってゆく。アルベリクの緋色の瞳は、その光を受けてさらに赤く輝いていた。
彼は先般、山小屋でのナタリーとの対話の中で、一つの意思を固めていた。泰皇の制作依頼に、金輪際ナタリーの作品を使わないという決意である。
泰皇の命令に背き、納品を怠ればどうなるか。知れたことだった。皇室御用達の身分は改易され、ブランシャールは取り潰しとなり、アルベリクはあの神の口耳たちと同じ末路を辿ることになるだろう。
ナタリーの手を煩わせるわけにもゆかず、さりとて納品しないわけにもゆかず。その葛藤の中で、アルベリクは一つの手段を選ぶに至った。
贋作である。
オーギュスト・ヴァニエの作品群の裏に存在した名もなき贋作師同様、アルベリクもまた、ナタリーの贋作師として腕を振るおうというのだ。
アルベリクとて、無謀は百も承知していた。しかし、ナタリーの作品を納品できない以上、この方法をおいて他に次善策はなさそうだった。
肚を決めたらば、考えるべきは、何を、どのように作るか、である。
前者に関しては、一つの考えがあった。ナタリーが余剰時間に描いた膨大なデザインの中には、絹の涙に勝るとも劣らない、優れた造形のものが数多く存在した。その中から、最も絢爛で、泰皇の気に召すものを題材に選べばよろしかろう。そうアルベリクは踏んでいた。
難関なのは、後者。どのように作るか、である。すなわち、アルベリクの技倆が、ナタリーの作品を模倣するに足るか否かという点だ。
彼は、ナタリーと共に過ごす中で、彼女の技術の多くを見て覚えていた。こと宝飾に関して、彼の緋色の目は類稀な能力を有しており、一度見た技法などたちまちのうちに覚えて飲み込んでしまった。
彼女の手技は、ガストンの技法を基礎にしつつ、多くが独自の工夫で彩られていた。その細かな技術の一つ一つを、アルベリクはつぶさに観察し、覚えていた。
だが、知っていることと出来ることの間には、大きな溝がある。それをアルベリクは十分理解していた。知識が多く、口が達者な割に、制作物にその知識が反映されない技師を五万と見てきた。
技師の仕事は、知識だけではないのだ。指先にかける力加減、環境や気候ごとの最適な火の温度、至高の曲線の追求……。そういった、量化できないものを再現するには、経験とセンスが必要になる。
経験は、一朝一夕で得られるものではない。多くの時間を費やして、ようやく手に入るものだ。今のアルベリクに、そんな時間的余裕はない。
となれば、彼が今手にしている武器は、昔取った杵柄と、生来のセンスのみということになる。天才技師が惚れ込んだセンスに、期待するしかなさそうだった。
製作にあたり、アルベリクは、マルブールの工房を使うことにした。山小屋の工房を使うと、ナタリーがこちらを気にして自らの作業を疎かにしかねないと考えたのだ。
流石にぶっつけ本番は避けたかったため、アルベリクは幾つかの習作を作ることにした。幸いなことに、手元には参考にできるナタリーの作品が幾つもある。茨の指輪の失敗作だけでなく、流通に乗らなかった習作の数々もある。
アルベリクはさしあたり、これらを複製してみようと思い立った。手で、彼女の癖を覚えるのだ。
作業机に向かい、祈るような気持ちで作品に向き合う。これから作るものが、素晴らしいものになるようにと。
滞りなく仕事できる日もあれば、なかなか集中できない日もある。しかし、手を動かしているうちに、自然と無我夢中の境地に入ってゆく。雑念は消え、今成すべきことだけが、頭の中を占めてゆく。
ただ、より善くより美しい品を作りたいという希求が、心のなかに結晶してゆく。
己の手の中で、無骨な金属の塊が、次第に繊細で均整の取れた造形美を成してゆく。
ただ一人で、自然が与えてくれた素材と向き合う。しかし、孤独ではない。
大きさにしてみれば掌の半分ほどしかない。この小さな金属の欠片を通して、技師はあらゆるものと繋がってゆく。愛する者や、友や、尊ぶべきもの、憎むべきものと……。
そして、その先にある、より大きな何かへと繋がってゆく。
技師は、ものを作る者は、そうして誰かと、何かと、繋がってゆくのだ。






