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第二章(4) オークション会場2

 下見会の準備が終わり、いざ競売会が正式に開始されるや、人々は大挙してブランシャールの展示に押し寄せてきた。他の展示には目もくれない。それほどまでに、ロートシルトの復刻という売り文句は、人々の興味を掻き立てるものだったのである。


 そして、現物を目の当たりにした人々は皆、例外なく驚きの表情を浮かべ、息を呑んだ。ルーペでブローチを観察し始めたならば最後、アルベリクが声をかけない限り、誰一人としてルーペから眼を離そうとしなかった。


 やがて、群がる人垣の中から、一人の男が姿を現した。浅黒い肌に上等の衣を纏い、物腰も優雅そのもの。階級の高い軍人であるにも関わらず、勲章をひけらかすこともせず、一私人としてこの競売に臨んでいる。今回の競売における最高落札額の筆頭候補と目される、サラスである。


 彼は慣れた手付きでルーペを取り出すと、展示台の上に飾られたブローチを仔細に観察し始めた。しばらくの間無言のまま観察を続けていたが、やがて彼は喉の奥で、深い慨嘆の唸り声を発した。


 彼は目を上げると、アルベリクをまっすぐに見据えて尋ねた。


「手に持ってみても良いだろうか」

「どうぞ」


 アルベリクは、珍しく慇懃な態度でサラスの行動を促した。


 サラスは懐から取り出した手袋を両手にはめると、台座からブローチを慎重に取り上げた。その瞬間、彼の眉間が訝しげに動く。


「軽いな。これは金ではないね」

「これは代替材料を用いた習作です。ですが、ご安心ください。これをそのまま売ろうというわけではないのです。今回競っていただくのは、これの作者にこれと同じ品を、真作同等の材料で作らせる権利です」


 アルベリクは、あえて周囲に聞こえるような声で、そう説明した。サラスはそれを聞いて鷹揚に頷く。


「材料費はこちら持ちなのだね。すると競りになれば、おそらく相応な値がつくだろう。高い買い物だ、おまけがほしいな。私が競り落とした暁には、この習作もいただけないかな?」


 いかにも蒐集家らしい提案だった。アルベリクは彼の申し出を、笑って快諾した。


 サラスのこの言動は、競売への参加意思の確たる表明に他ならなかった。


 一方、もうひとりの落札者候補であるリュファスの方はどうであったか。


 彼はというと、下見会の初日には姿を見せなかった。アルベリクの前で見栄を張った手前、興味のある素振りをするわけにはいかなかったのだろう。


 だが、彼がそんな態度をとっていられるのも初日までだった。


 ブランシャールの出品は、初日にして競売会の話題を完全に独占していた。現物を見た人間の評価も出揃い始め、今回の出物が今までのまがい物とは異なるということも、明らかになりつつあった。熱しやすい評論家の中には『原典に比肩する』という評を口走る者すらあった。


 そうまで言われては、ロートシルトの末裔たる者、捨て置くわけにはいかなくなる。リュファスは、二日目の早い時間に、ブランシャールの展示を訪れた。その顔には、未だ疑心とアルベリクへの軽蔑がありありと浮かんでいた。


「随分と評判のようじゃないか。僕の友人たちも、ばかに君のことを評価していたよ。ロートシルトの宝飾品は、ここ最近出物が少ないから、皆見慣れていないのだろうね。復刻品といえど、珍しく見えるのだろう。現物がたとえ粗悪な品であってもね……。まあ、一応見に来たよ。友人たちが見ろとせっついてくるし、同業者の出品を無──」

「見るならさっさと見たまえ。後がつかえているのだ」


 長話を遮って、アルベリクは横柄にそう言い放った。


 リュファスは忌々しげに歯噛みしつつ、懐からルーペを取り出す。使い込まれて年季の入ったルーペだった。

 ブローチを覗き込んだ瞬間、リュファスの顔から薄ら笑いが消えた。次いで彼の唇はわなわなと震え始め、顔面は蒼白になってゆく。

 彼は作品から目を離さぬまま、その形の良い唇からうめき声を漏らした。


「多層彫りと中空留めが、完璧に再現されているじゃないか……。しかも、これはまさかインゴット削り出しか……?」

「貴様の目が節穴でないことが判って嬉しいよ、リュファス」

「誰がこれを作った? ガストンか?」

「やつは死んだ。これは別の技師の作品だ」

「別の技師?」


 リュファスが作品から眼をあげてアルベリクを睨む。もっと話を聞かせてほしいと、その眼が言外に求めていた。だが、わざわざ商売敵に手の内を晒すような愚行をアルベリクが犯すはずもない。リュファスもそれを判っていて、敢えてそれ以上を尋ねようとはしなかった。


 この日以降、リュファスは毎日、足繁くブランシャールの展示を訪れた。彼は来る日も来る日も魅入られたように作品を鑑賞し、最愛の人に触れるようにその輪郭を撫でた。


 (かたわ)らでその様子を見守っていたアルベリクには、彼の気持ちが手に取るようにわかった。世の中には、宝飾品に欲情する類の人間が多からず存在する。このリュファスという男も、そういう変態の一人なのだ。そんな自らの本性が社会に暴露されるのは困るから、普段から周囲に女を侍らせて擬態しているのだ。アルベリクはそのように分析していた。


 この男のそんな性質を、今回は目一杯利用してやろうと、アルベリクは目論んでいたのだ。


 今回の競売会の目玉がブランシャールの出品であることは、もはや誰一人として疑わなかった。かの比類なき復刻品は、人々の話題と関心を独り占めしてしまっていた。彼らは会期中、誰かにこの『事件』について語らずにはいられなかった。国外から来た者は、興奮気味の筆致で書かれた手紙を、故郷に向けて何通も送った。それらの手紙には、ロートシルト装飾復刻という衝撃的事実に加え、ブランシャールの名と、その店主であるアルベリクという怪人について、異口同音の評価が書き連ねられていた。


 噂は皇国から周辺国に至るまでの宝飾界隈を席巻し、競売会は図らずも業界関係者の耳目を集めることとなった。


 人々は競売当日の朝が来ることを、指折り数えて心待ちにした。

 そして、その朝はついにやってきた。


 ◇


 競売当日。


 ロートシルト完全復刻の噂が奏功したのか、会場はすこぶる盛況だった。それどころか、あまりに人が集まりすぎたため、競売の執り行われる二階のサロンから人が溢れんばかりとなっていた。


 支度を済ませたアルベリクは、津波のように押し寄せる来場者の様子をサロンの外から眺めていた。するとそこに、一人の男が近寄って声をかけてきた。サラスだ。


「まったく、野次馬がぞろぞろとやってきたものだ。どうせ自ら金を出して何か買うというわけでもあるまいに」


 彼は薄い唇の奥から白い歯をのぞかせ、爽やかに破顔した。


「貴方はあまり私と話さないほうが良いかと思います」


 アルベリクは、眉をひそめて呟いた。サラスがそれを受けて短く笑う。


「そう言うな。長い道のりをかけて皇都まで足を運んだというのに、君と何も話さず帰るのは寂しい」

「どんな話でしょう?」

「世間話さ。近頃はパヴァリアでもブルジョワジーが台頭している。だが、どうかな、見栄えが良く口は回るが、中身のない連中ばかりだ。君のところはどうだね」

「似たようなものです」

「だろうな。いつの時代も、商人と名乗る者の中には、一定数の詐欺師が紛れ込んでいる。口だけ達者で、眼は暗く耳は遠い。真の商人にとって、最も大事なのは情報だ。次いで、品を見る眼。その点、君は実に優秀な商人だと言えるだろう」

「恐れ入ります」

「さらに、根回しも仕込みもお手の物ときた。そうでなければ、競売会の当日にこんなふうに私とのんびり話をしている余裕などないだろうからな」


 アルベリクは何も答えなかった。話の流れに、不穏なものを感じつつあったのだ。


「……ときに」


 サラスの瞳が、怪しげに光る。彼はアルベリクに顔を近づけると、押し殺した声でこう訊いてきた。


「競売というのは特に情報が大事になると思うが、今回も随分と苦労したのではないかな?」


 アルベリクには、このサラスという男が何を考えているのか理解しかねた。実際のところ、この競売に際してアルベリクはそれなりの手間暇をかけて調査を行い、仕込みをしてきたのだ。それを今ここで自慢してみろとでも、この男は言いたいのだろうか。だが、ここは公衆の面前である。今からとっておきの手品を披露しようというその時に、得々と種を明かすなど、できることではない。


 あるいはこの会話の中で、皇都の赤目烏と呼ばれる男の底を割ろうと図っているのか。


 黒衣の商人は顔色一つ変えず、己の顧客に向かって素っ気なく答えた。


「どうということはありません。難しいのは、どこにあるかわからないものを見つけることです」

「それは、例の復刻品の作者のことかね?」

「私は、商人に必要な素養の中には、運も多分に含まれていると思っています」

「なるほど。なら、私もおそらくは運の良い男と言えるだろうね」


 そう言って、サラスは快活に笑った。


 やがて、サロンの壇上に主催者と(おぼ)しき燕尾服の男が立った。男のしわがれた声が、事務的に競売会の開始を宣言する。次いで、彼は同じ調子で、特別な知らせがある旨付け加えた。


 曰く、運営に支障をきたす恐れから、ロートシルト宝飾の競りに関しては例外的に、屋外に場を移して行われるとのことだった。競売人が二階から品物を掲げつつハンマーを叩いて買い煽り、買い手は邸宅の前庭に集って競り値をつける。


 青空の下での競売である。運営上の都合とはいえ、いまだかつてない形式に、人々は色めきだった。一介の商談の場だった競売会場はもはや、一種の祭りの様相を呈し始めていた。


「ほう。なかなか面白い趣向だ。運営も、君の商品が特別であることを認めたらしい」


 サラスが愉快そうに笑う。


「今日一番注目を浴びるであろう二人が、仲良く談笑かい?」


 語らう二人の横から、皮肉めいた声が聞こえた。リュファスである。相変わらず彼は鴨の子のように女性たちを引き連れており、競売会場の人間密度の向上に微力ながら貢献していた。


 彼の相手を買って出たのは、アルベリクではなくサラスの方だった。


「君もその一員だろう。噂はかねがね聞いているよ、リュファス殿。少なくともこの競売の参加者の間では、君の噂で持ちきりだ」

「それは光栄なことだね。よければ、どんな噂か聞かせて欲しいな」

「ボーマルシェの色魔は宝飾に欲情する変態だとか」


 リュファスの顔にさっと朱が差した。彼が今しも食ってかかろうと口を開いたところ、サラスが被せるように笑い始めた。


「ははは、冗談だ。そこにいる赤目烏殿の出展品を落札するのは君ではないかと、もっぱらの噂だよ」

「はっ、くだらん噂だね。なぜ同業者の商品を大枚はたいて(あがな)う必要がある」

「宝飾品を愛しているが故に、君は君の道を歩いている。違うかね?」


 リュファスはぐっと喉を鳴らすだけで、何も言い返すことができなかった。


 対するサラスは、あくまで不敵に笑っていた。そして、傲然とこう言ってのけた。


「まあ、ロートシルトの宝飾は私がいただくことになるがね。今まで通りに。そして、これからも」


 リュファスの眉間に、みるみる不興げな皺が寄ってゆく。


「今まで貴方が集めた偽物など、僕の知ったこっちゃあない。貴方がこれから同じように偽物を集めるつもりなら、どうぞご勝手に、だ」

「なら、今日は? 今日私が手に入れるものについても、君は関知しないということで良いのかな?」

「手に入れる? 何を言っているのやら。貴方は今日、何も手に入れはしない。手ぶらで国に帰ることになるだろうよ」


 言い終わるが早いか、リュファスは踵を返して廊下の向こうに去っていった。取り巻きの女たちが、嬌声を上げながら彼の後を追いかけてゆく。


「前哨戦としては、こんなものかな?」


 そう言って、サラスはいたずらっぽく、アルベリクに向かって片目を瞑ってみせるのだった。

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