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第十八章(1) ブランシャール邸

 ブランシャール伯爵が横死した。日課の狩りに出た折、野盗に襲われ命を落としたという。


 邸宅に戻ってきた伯爵の顔は、至極穏やかだった。だが、その土気色の顔色は、彼の死を明らかなものとしていた。


 伯爵の服の胸元には、刃物によってつけられたと思しき、細い切れ込みが空いていた。切れ込みの周囲は血液が染み込み赤黒く染まっている。そして、その奥に覗く素肌には、黒々と深く刻み込まれた刺傷が見て取れた。


 伯爵の身体には、それ以外にただの一つの傷もついてはいなかった。


 心臓を正確に一突きで屠る技倆が、はたしてそこらの野盗にあるものだろうか。そんな疑問がアルベリクの脳裏をかすめた。だが、検察は通り一遍の見解を述べるにとどまり、アルベリクの疑念を真剣に取り合うつもりはなさそうだった。


 検察は警邏に対して皇都近郊の治安維持の強化を求め、警邏は形ばかりに請け合った。そして、この件は不幸な事故として、さしたる調査も成されることなく仕舞いとなった。


 むしろ、この事件で最も紛糾したのは、伯爵の残した遺産の扱いについてだった。


 相続人であるルイーズは、財産の管理を将来の亭主であるアルベリクに一任したいと申し出た。だが、ここで異議を唱えたのが、あろうことか、彼女の愛人であるローランだった。


 彼は、財産の管理はルイーズが成すべき義務だと主張した。その上で、自らの事業に対する融資をルイーズに求めたのである。


 三者は紛争の解決に向け、急遽話し合いの場を設けることとなった。


 ブランシャール邸の応接間に、アルベリク、ルイーズ、そしてローランの三者が集った。アルベリクとローランは卓を挟んで互いに向かい合い、その間を取り持つように、ルイーズが座る。


 アルベリクがローランの顔を見るのは、久しぶりのことだった。謁見の日以来、彼は敢えてローランと顔を合わせるのを避けていた。泰皇の言葉の裏付けを取るまでは、下手な探りを入れるような真似をしたくなかったのだ。


 眼前のローランは、随分と落ち着いて見えた。眼に微笑みすら浮かべてアルベリクを見やっている。


 その余裕が、アルベリクの癪に障った。彼は机の下でイライラと膝を揺すりつつ、話し合いの口火を切った。


「ローラン。本来なら、君の主張など真面目に取り合う必要もないところだ。ブランシャール家の問題に、第三者の君が口を出すことの異常さを、君とて理解していないわけがないだろう。だが、ルイーズのたっての願いということで、こうして話し合いの場を設けることにした。彼女にまず感謝したまえ」

「もちろんです」


 悪びれもせず、ローランは(うべな)った。その余裕に不気味なものを感じつつも、アルベリクはあくまで平静を装った。


「それでは、君の主張を聞こう」

「私の主張は変わりません。ブランシャール家は元々、ここにいるルイーズの母に貴族としての系譜があり、商人であった亡きフランク伯爵はそこに婿入りした形になります。したがって、法に基づいたブランシャール家の正当な権利は、ルイーズにあるというのが私の主張です」

「なるほど。婿養子である俺には権利がないというわけか。だが、財産の大部分は、豪商であるフランク伯爵が自ら稼ぎあげたものだった。私は、ルイーズと婚約した時点で、その管財を引き継ぐ約束を取り付けている」

「誓約書などはあるのですか?」

「……ない」

「遺言状など、故人が認めた財産分与に関する文書がない場合、生前に交わした約束などはすべて無効になります」

「そんなことはわかっている。だが、当の相続人であるルイーズは、俺に管理を任せようというのだ」


 アルベリクとローランは、同時にルイーズの方に顔を向けた。


 二人の視線を受けたルイーズは、気まずそうに眼を伏せた。実父の死に直面し、さしもの彼女も相当に(こた)えているらしい。普段の気丈な物腰は鳴りを潜め、萎れた花のように消沈していた。


 アルベリクはそんなルイーズに気を使い、できる限り柔らかな口調で尋ねた。


「ルイーズ、君の考えを聞かせてくれないか」


 伏せられていたルイーズの瞼が開き、その奥の瞳がアルベリクの方を向く。


「私は……権利なんてどうでもいいの。でも、ローランの力にはなってあげたい……」


 アルベリクはうなずくと、彼女の後を引き取って話を続ける。


「新事業の融資の話だったな。私は詳しく知らないが──」


 当然、アルベリクはローランの事業についてのさわりを知ってはいるが、敢えて知らぬふりをした。精神的に弱っているルイーズの前で、さらに剣呑な話を持ち出すことは避けたかったのだ。


 また、ここで知らないふりをして、ローランに事業計画を提出させれば、あわよくば彼の武器販売の計画を詳らかにできるだろう。偽装の計画を提出されることも考えられるが、その場合は適当に理由をつけて融資を拒否すれば良い。提出できない場合などは、論に値しないだろう。


 アルベリクは椅子の上で体勢を整えると、ゆったりと手を組んで鷹揚に言葉を続けた。


「ローラン、本業の傍ら事業を起こそうという、君の気概は評価したい。事業計画を教えてくれれば、私の一存で融資を検討することもできるだろう。後日計画書を──」


 朗々と語るアルベリクの言葉を遮って、ローランが口を挟んだ。


「申し訳ありませんが、貴方に事業計画をお話することも、お見せすることもできません。私は、ルイーズにのみ、その権利があると考えています」

「彼女に事業計画を理解できると思うのか? 私は彼女の夫だ。彼女の代理として行動する権利と義務がある」

「夫というのは、正確ではないでしょう。未だ婚儀は執り行われていないわけですから」


(──どういう意味だ?)


 眉根を寄せるアルベリクを尻目に、ローランは朗らかに笑って、ルイーズの方に向き直った。


「ね、ルイーズ、前から相談していたあの話、今こそ話すべきなんじゃないかな」

「……やっぱり、言わなきゃいけないのね……」


 ルイーズは大きくため息を吐くと、うなだれて両掌の中に顔を埋める。そのルイーズに向かって、ローランは身を乗り出し、熱心な様子で懇願する。


「頼むよ。このままだと、僕は事業を進められず、破滅してしまう」


 ルイーズはしばらくの間両手で頭を抱えていたが、やがてゆっくりとその手を下ろし、顔を上げた。

 アルベリクに向けられたその顔は、今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。


「……アルベリク、聞いてほしいことがあるの」


 彼女は一度言葉を切り、アルベリクの顔をまっすぐに見据えた。涙に濡れる瞳の中に、強い意思の光が宿っていた。


「私、ローランと結婚したい」


 がた、と、椅子を蹴って、アルベリクが立ち上がる。怒髪天を衝く勢いでローランを睨みつけ、猛然と喚いた。


「これが狙いか、ローラン!」

「違うの! 待って、話を聞いて!」


 慌ててルイーズも立ち上がり、アルベリクの腕を掴む。


「ローランは悪くないの。私が……私のわがままなの。やっぱり、私、自分の気持ちに嘘をつけない」


 アルベリクは返す刀でルイーズを()めつけるや、掴みかからんばかりに詰め寄った。


「義父上が亡くなった途端、この仕打ちか! 遺産の話はどうなる?」


 ルイーズの瞳から、大粒の涙が溢れる。


「わからないわよ! お父様が亡くなったのに、どうして皆、お金の話ばっかりするの! 今は、そんな話なんてしたくない!」

「この期に及んで、自分だけは善人でいるつもりか!? 今までさんざん、殺したいだの死ねば良いだの喚いていたのはなんだ!」

「言葉の綾よ! 貴方には人の心がないの!?」


 ルイーズは翻ってローランを見た。振り返った拍子に、彼女の目から涙が散って、ローランの身体を濡らす。


「──ねえ、ローラン! 貴方は、私のことを愛してくれると言ったわ。貴方は、この人とは違うわよね。お金と私なら、私を選んでくれるんでしょう?」


 ローランは困ったように微笑みつつ、優しくその問いに答えた。


「僕を試すようなことを言うんだね、ルイーズ。悲しいよ」

「ごめんなさい……」

「もちろん、君のことは愛しているよ、ルイーズ。安心して」


 その誓いを聞いても、ルイーズが安堵することはなかった。彼女は再び俯いて、呟く。


「私もね、私なりに考えたの。貴方の愛が真実なら、私の遺産や家じゃなく、私という一人の女だけを選んでくれるはずだって。ローラン、貴方には、その覚悟はある?」

「……どういうことだい?」


 怪訝そうに眉を寄せるローラン。

 僅かの間、ルイーズは言葉に逡巡して黙り込んだ。やがて、彼女は決意を再びその眼に宿らせ、ローランに向かって果然として語り始めた。


「私は、ローランと結婚する。それはもう決めたこと。絶対に変わらない。でも、このままじゃ、アルベリクがあんまりかわいそう。だから、彼には、私の義兄としてこの家の養子に入ってもらうの。財産の管理も、彼にやってもらうわ。融資とかどうとかの話は、その後、二人で思う存分やればいい」

「それは──っ!」


 ついに、ローランも椅子を蹴って立ち上がった。ここにきて初めて、ローランの表情から余裕の色が消失した。

 ルイーズは目に涙を貯めながら、なお気丈に眦を決して、ローランを見上げていた。


「貴方が、愛しているのは、私なの? それとも……」


 押し殺した声で、ルイーズが問う。問われたローランは、声を詰まらせて黙りこくった。


 存外な展開に、アルベリクは呆然と成り行きを見守ることしかできなかった。だが、少なくとも、自分に不利な状況ではなさそうだということだけは、如才なく察知していた。


 金と愛を天秤にかけるなど、若気の至りという他ない。いずれ分別がついた時には、彼女はその選択を後悔することになるかもしれない。


 しかし、そこで年長者がお為ごかしに説教を垂れるのは野暮というものだし、なにより利害関係からいっても、ここでアルベリクが彼女を止める理由はなかった。


(しかし、ローランがこんな条件を飲むとは、到底思えんが……)


 アルベリクは目だけ動かして、ルイーズからローランに視線を移す。


 しばらくの間、ローランは己の爪先を凝視しながら黙考していた。時が経つにつれ、次第にルイーズの顔色が悲壮なものに変わってゆく。


 しかし、彼女が本格的に泣き出そうかという様相を呈した頃合いに、ローランはふいに顔を上げた。


 そして、彼はあろうことか、威勢よく頷いてみせたのである。


「……わかった。君の思うままにしよう。何より僕は、君のことが一番大事なんだ」


(なんだと!?)


 アルベリクは、思わず叫びだしそうになるのを、すんでのところでこらえた。ローランが、このような──乙女の非現実的な夢物語に同乗するなどとは、全く想定していなかったのだ。


 ルイーズはぱっと顔を輝かせると、矢も盾もたまらずローランにすがりついた。ローランは、彼女の小さな身体を受け止めると、その細長い腕で優しく抱きすくめた。


「……ああ、ローラン……」


 ローランの胸の中で、ルイーズは感極まって嗚咽をあげる。

 赤く泣きはらした目が、不意に鋭く見開くや、咎めるようにアルベリクを睨みつけた。


「……これで満足? お金が大好きな赤目烏様!」

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