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第十七章(4) 聖地グリアエ・四季の家1

 泰皇との謁見までの道程は、儀礼に次ぐ儀礼で尽くされていた。


 身体検査や礼装の確認が済むと、聖水での清めがあり、次いで、皇室侍従や臣下の者たち一人ひとりとの挨拶が求められる。それが済むと、ベツレヘム教の聖典の一節を朗読させられ、神への忠誠を宣言させられる。


 諸々つつがなく済んだところで、最後に四季の家と呼ばれる宮殿に案内される。来訪者は夏の間から入り、秋の間、冬の間を経て、春の間でようやく泰皇に相まみえることとなる。


 謁見の間である春の間は、絢爛な花々に彩られた屋内庭園だった。遥か頭上にある天井は、全面が硝子張りの天窓になっており、太陽の光が燦々と降り注いでいる。


 視線を下に落とすと、一面に色とりどりの花々が咲き、その合間に澄んだ水を通した水路が巡っているのが見える。四方を見ると、乳白色の石材がアーチ状に積み上げられ、その門のような設えの隙間を、さやかな風が通り抜けてゆく。


 硝子張りの天井を一見すると温室のようにも見える構造だったが、室内は存外風通しがよかった。涼やかな空気に全身を撫でられ、アルベリクは心地よさを感じていた。


 古今東西、為政者の謁見の間が、かような室内庭園である例などありはしない。大概は、豪奢な内装で権威を誇ることが常だった。


 だが、ベツレヘム教会は泰皇の神性を演出するにあたり、そのような俗物性を極力排除したかったに違いない。現実、世俗的な冬の間から、楽園の如き春の間に移ると、来訪者はその極端な変化の中で現実と非現実の境界を失い、恍惚の境地に至ることになる。


 花園のただ中に、数段高くなっている箇所があり、そこに一軒の東屋が見えた。東屋の軒先から御簾が垂れ、その御簾の向こうにぼんやりと人の影が見える。


(泰皇陛下──)


 アルベリクはその姿を目に止めた瞬間、芝の上に膝を付き、頭を垂れて畏まった。

 すると、泰皇と思しき人影が、御簾の外にいる従者に何事か囁き始めた。


 東屋の周囲には、六人の侍従が等間隔に並んで立っていた。それら六人全員が、遮光用の黒い布で目を覆い隠している。


 彼らは、『神の耳』『神の口』と呼ばれる神官で、来訪者と泰皇の対話を仲立ちする役割を担っていた。神の耳は泰皇の言葉を聞き取り、来訪者に伝える。神の口はその逆で、来訪者の言葉を聞き取り、御簾の外から泰皇に伝えるという塩梅である。


 彼らは泰皇の近侍の役割を担うと同時に、泰皇を外界と隔てる御簾の一つでもあった。こうした一つ一つの儀礼の全ては、泰皇の権能を削ぎ、パヴァリアとベツレヘム教会による傀儡化を促進させるという目的のために存在しているのである。


 六人の神官は皆、漆黒の喪服を身に纏っていた。虚飾と形骸の儀礼で彩られたこの謁見の間で、彼らの黒衣だけが、ある種の現実を暗黙のうちに物語っていた。皇后の死という現実を──。


 神の耳の一人が、泰皇の言を聞き取ってから、おもむろに口を開く。


「……アルベリク・ド・ブランシャール。ブランシャール宝石店の店主であり、ブランシャール伯爵の義子でもあるとのこと。その評判は朕の元にも届いている。(なんじ)らが造りし『絹の涙』は我が国の国宝とするに相応しい品である。その働きは、朕をもってして称賛を禁じ得ず、また、向後もその働きに大いに期待するものである。故に、今日この場をもって、朕は爾らを我らの一員に加えたいと願うものである」


 古歌を思わせる朗々とした声だったが、その声はどこか恐れに慄いているように聞こえた。


 アルベリクは低くした額をさらに下生えの上に押し付けた上で、泰皇に聞こえるよう腹の底から声を張った。


「望外の御言葉を賜り、恐悦至極に存じます。不詳ブランシャール、もとより陛下のために精魂を捧げる覚悟にございますが、これ以降は陛下のお(そば)にて、より一層の精進と奉公をお約束いたします」


 あらかじめ用意していた言葉を、一字一句違わず口にする。謁見の段取りは全て事前に決められており、この場にいる全員がその手続に沿って演じれば、つつがなく事が済むはずだった。


 しかし、その予定調和は早々に崩れた。やり取りの途中から、泰皇が明らかに予定外の長広舌を打ち始めたのである。


 アルベリクは事の次第をその眼に収めようと、僅かに頭を上げて東屋の方を伺い見た。


 神の口耳たる神官たちは、露骨な嫌悪をその表情に浮かべつつ、皆々泰皇の方に向き直って、小声でなにやら言い立て始めた。しかし、それらの言葉を打ち払うかのように、泰皇の一喝が飛ぶ。広い庭園に泰皇の声が、わんと響く。すると、恐ろしい程の静寂が辺りに漂った。


 神官らが憮然として黙っていると、再び泰皇の鋭い声が飛び、御簾の奥から庭園中に響き渡った。怒声であった。


 やがて、泰皇の口から低く恐ろしげなつぶやきが漏れる。すると、ついに神の耳は意思を折られたか、ひどく慄えながら泰皇の長広舌を伝え始めた。


「……い……今は亡きグリアエ王国の歴史には、数多の絢爛たる宝飾品の姿があったという……。ヴァニエ、デュバル、オルディネール……。名だたる匠が鎬を削り、多くの名品がこのグリアエに(つど)った。宝物庫のまばゆさに、幾人もの番人の目が潰れたという。それらの宝があればこそ、諸国万国は王国を仰ぎ見て疎かにすることがなかった。しかし、それら国宝の散逸と共に、グリアエ王朝は没落の憂き目を見ることと相成った。この寓話から我々は学ばねばならぬ。──宝飾は、力であるということを。……人の心を、魂を、握りしめる力であると。我らは二度と、亡き王朝の(てつ)を踏んではならぬ。ブランシャールよ、黒き羽を持つ赤目の烏よ、(なんじ)が暁を先駆け、嚆矢となり、再びこの皇国に栄光の輝きを(もたら)すのだ」


 その長口上を聞くうちに、アルベリクの身は戦慄に打ち震え始めた。


 グリアエ王朝は、その末期においてベツレヘム教の腐敗を批判し、苛烈な宗教弾圧を続けていた。この弾圧への抵抗のため、ベツレヘム教会は反国王派と結託して、グリアエ王国を内乱に導いたという経緯がある。ベツレヘム教にとって、グリアエ王朝はいわば不倶戴天の敵だった。


 そのグリアエの名を、ベツレヘム教の神官が周囲を取り巻く中、泰皇は堂々と口にした。しかもその言葉の端々には、かつての王政に対する肯定的な気配と、ベツレヘム教に対する揶揄めいたものが感じられた。


 つまり、泰皇は反ベツレヘムの意思を、ベツレヘム教の神官の口から語らせた形になる。その挑戦的態度に、アルベリクは(ふる)えたのだ。


「……御意の、とおりに……」


 アルベリクは頭を低く垂れ、呟くことしかできなかった。


「式辞はここまでとする」


 頭上から声が届く。どこか安堵したような、神の耳の声。だが、泰皇の発言はそれで終わらなかった。神の耳が怪訝そうに眉を寄せる中、泰皇の声が低く重く連なる。


 泰皇の発言が済むと、神の耳は僅かな逡巡と共に呻いた。しかし、泰皇が冷たく一言促すと、神の耳は仕方なさげに言葉を継いだ。


「……これよりは……爾のために余興を用意した故……面を上げ、くつろいで眺めるが良い」


 言われたとおり、アルベリクは顔を上げる。すると、今まさに、視界の左右から、黒い影が一陣の風のように飛び込んでくるのが見えた。その数は、ちょうど六つ。影はまたたく間に神官たちの眼前に迫るや、彼らを抱くように押し包んだ。


 ほんの一瞬のことだった。影が飛び退ると、神官の(くび)から噴水のごとく鮮血が迸った。悲鳴の一つも上げることなく、六人の神官たちは、糸の切れた人形のように次々と崩れてゆく。


 夥しい血が、東屋の周囲を巡る水路に向かって流れ出した。水路の水は、その血によって、赤黒く濁ってゆく。


 アルベリクは目の前で繰り広げられる事態を、ただ呆けたように眺めていた。あまりにも非現実的な光景だった。


 突然、東屋に掛けられた御簾が、内側から袈裟斬りに引き裂かれ、音を立てて地に落ちた。屋根側に残った簾の末端に、剣の鋭い切っ先が覗く。その切っ先はすぐに御簾の奥に隠れ、代わりに一人の男が姿を現した。召したるものを見る限り、その男が泰皇本人であろうと思われた。


 泰皇は悠然と歩み進みつつ、鷹揚に語り始めた。


「ついにこの日が来たか。長かったな」


 言いながら、泰皇と思しき男は、眩しそうに庭園の空を見上げた。次いで、彼は足元に視線を落とすと、血溜まりと化した花園を睥睨する。


 その男の顔を目の当たりにした瞬間、アルベリクは思わず息を呑んだ。


 泰皇の碧色の瞳が滑り、アルベリクの姿を捉える。その途端、彼は不敵に破顔した。


「久しいな、赤目烏。会いたかったぜ」


 男は、アルベリクを知っていた。無論、アルベリクも、この男を知っている。

 豪勢な装いに身を固めてはいたが、その顔をアルベリクが忘れるはずもない。


 ジルベール・ガロア。東屋の中から姿を現したのは、『絹の涙』に留めるための宝石をアルベリクに売りつけた、あの行商だった。

【改稿内容:2024-1-15】


・泰皇の瞳の色が間違っていたため、修正しました。

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