表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/99

第十七章(3) ブランシャール邸2

 ブランシャール邸の自室にて、アルベリクは召使いの協力のもと、礼服に着替えていた。


 礼服は、皇室から直々に下賜されたものである。漆黒の生地を繋いだ儀礼装の下に、真紅のシャツを身につける。胸元には黄金のブローチを留め、そこから黒色のタイを吊るす。その装いは、皇国の正装ではなく、グリアエ王国時代の、第一級の正装だった。それを、敢えて現代に復活させ、アルベリクの身体に合わせて仕立てさせたのだ。


 傍らで、ルイーズが座椅子に身を沈め、着替えの様子をぼんやりと眺めていた。


 その瞼は無残にも赤く腫れ上がっていた。彼女は幾晩もの間、敬愛する友の死を悼み、泣き暮らしたものだった。だが、彼女は少なくともこれまでのところ、アルベリクの前では、気丈にも一滴の涙すら見せようとしなかった。


 ルイーズは不安げに眉根を寄せて、アルベリクの顔を見上げた。


「本当に行くの……?」

「それを聞いてどうする。今更、謁見を取りやめることなどできはすまい」


 召使いの掲げる上着に袖を通しながら、アルベリクは答える。


 その上着を掴んで引き剥がすような気力は、ルイーズにはなさそうだった。彼女は半ば諦め気味に座椅子の背もたれに沈み込むと、ぼんやりと窓の外を見やった。


「自分の妻を手に掛けるような相手と、会ってどうするの。媚でも売るの?」

「場合によってはな」


 ルイーズの(かんばせ)に、あからさまな嫌悪が広がる。


「お金のためなら、魂を捨てるというの?」

「君の口からそんな言葉が聞けるとはな。若いというのは良いことだ。日々学び、成長し──」

「はぐらかさないで」


 険を帯びた声。アルベリクは肩をすくめる。


「……正直、俺には陛下のお考えがわからない。お会いしたこともないからな。だから、今日の謁見の際に伺いたいと思う。それをせねば始まらん」


 アルベリクは仕事のようにてきぱきと答え、脇のテーブルに手を伸ばす。着替えのために一時外していた指輪を、彼は手に取った。


 手が震えた。薬指に指輪を通そうとするが、持つ手が定まらず、なかなか指先が輪を通らない。指の腹を輪の裏に押し付けると、ようやく彼の手は指輪を受け入れた。


 指輪の腕のなめらかな感触を確かめて、手を握りこむ。じんわりと、ナタリーの想いが肌を通して伝わってくる。


 もはや手は震えていない。勇気と自信が、腕に、脚に、漲る。


 皇后も同じ気持ちだったのだろうか。そんな考えが、ふとアルベリクの頭をかすめる。その考えを端に追いやるように、彼は頭を軽く振った。


 彼女は策を弄するにはあまりに純粋すぎた。故に死んだ。二の轍は踏まない。


 アルベリクはあたかも平時の出勤のごとく「行ってくる」と呟き、自室の扉に手をかけた。


 彼の耳の後ろで、がた、と、椅子を蹴る音が聞こえた。


「……行かないで。行っちゃだめ。行ったら、貴方まで殺されるわ」


 悲痛な声だった。いまだかつて、彼女の口からそのような声を聞いたことは、一度たりともなかった。


 アルベリクは驚いて、思わず振り向いた。手を握りしめ、身を固くしたルイーズの姿が、視界の真ん中に飛び込んでくる。その眼は、今にも泣き出しそうにうるんでいた。


 あまりに哀れな姿だった。見るに耐えず、アルベリクは無意識に顔を背ける。


「心配するな。俺にそんなことをされる謂れはない。俺は陛下と対立しようとは思わんよ」


 彼はそれから口元に皮肉めいた笑みを浮かべ、こう付け加えた。


「だいたい、君にはローランがいるだろう。万が一の時は、彼を頼ればいい」


 その一言が、あるいは余計だったのか。ルイーズは突然眦を決してアルベリクを睨むや、つかつかと彼に歩み寄って鋭く令した。


「アルベリク、こっちを向いて」


 言われるままにルイーズの顔を見るや、すかさず横面に平手が飛んできた。高い音が出たが、さほどの痛みは走らなかった。


「莫迦にしないで。私は、貴方の許嫁なのよ」


 ひりつく頬を撫でながら、アルベリクは文句の一つも返そうと思ったが、思い留まった。ルイーズの両の目から、大粒の涙が走り落ちるのを見てしまったからだ。


 アルベリクは憮然としつつも、若く激情的な許嫁に向かって殊勝に頭を下げた。


「──すまない。だが、心配しすぎだ。万が一はそうそう起こらん。安心しろ」


 取り繕うように、二、三度、婚約者の小さな肩を叩く。そうしてから、アルベリクは逃げるように部屋を出た。


「根拠もないくせに!」


 厚い扉を貫いて、ルイーズの非難の声が聞こえてくる。だが、アルベリクはもはや拘泥せず、足早に邸宅を出ていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本作書籍化いたしました!
こちらの青いカバーが目印です。
書籍化にあたり加筆修正を行い、Web版より読みやすくなっていると自負しております。
お買い上げいただけると大変嬉しいです。
よろしくお願いいたします!

▼▼▼ 画像をクリックすると、Amazonのページに移動します ▼▼▼
マルブールの赤目烏と滅びの宝飾師1 マルブールの赤目烏と滅びの宝飾師2
▲▲▲ 画像をクリックすると、Amazonのページに移動します ▲▲▲


特典情報もあります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ