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第十六章(4) 半島全土

 この頃から、富裕層の日記に、度々ブランシャールの名が記されるようになった。


 今や日の出の勢いを誇るこの店の新しい接客について、皆、異口同音に、興奮気味の体験記を書き綴っていた。その内容は、集約すると次のようなものだった。


『ブランシャールの特別な顧客は、ある種のジャーゴンを唱えることで、秘密の部屋にいざなわれる。そのジャーゴンは「リアーヌ」という。


 皇室の宮殿もかくやというその豪奢な部屋にひとたび入れば、殿方は凛々しき紳士へと、婦人は無二の美しさを誇る淑女へと変身を遂げる。


 部屋には上級貴族の家から引き抜いたという品のいい侍従が居並び、緊張に凝り固まった客を出迎える。侍従は客をひとかどの人物として至極丁重にもてなし、下にも置かぬ扱いで尊重する。


 すると客は、一刻もしないうちに、自分でも自身が一段優れた人物のように思い始め、まるで世界の王か女王にでもなったかのように錯覚してしまう。そうなると、もはや恍惚の始まりであり、めくるめく絢爛の奈落に、幸福のうちに落ちてゆくことになる。


 侍従がたわやかに差し出す宝飾品は、その全てが、主のために選りすぐられた無二の品であった。それに代わる品など世界中探しても発見できぬと思わせるほど、己にとって極めて似つかわしい代物に見えた。それもそのはず。その宝飾品は、稀代の天才宝飾技師リアーヌが、主の為に作り上げた一品物だったのでである。


 かくて顧客は贖宥の石をも凌駕する莫大な金子を積み上げ、一生物の宝をその懐にそっと忍ばせることと相成る。(しか)(のち)、彼らは痴れ者の如く焦点の合わぬ目をさまよわせながら、ブランシャールの門を出てゆくのである。


 これこそが、ブランシャールの誇る鬼才アンリが編み出した、《マルク》と呼ばれる策略だった。


 顧客の大半は、ブランシャールがかように賢しい手練手管を使っていることを知らない。それどころか、たとえ知っていたとしても、自ら好んでその術中に嵌ってゆこうとする。


 顧客は──我々は既に、本能的に理解しているのだ。ブランシャールが売っているのは、もはや宝飾品にあらず、ということを。彼らは、幻想を売っているのである』


 これこそ、コンスタン大司教や第二皇子の指摘していた、『新しい応接室』に他ならなかった。


 万博での成功があったとはいえ、それが一過性の名声に終わる可能性は多分にあった。その名声を確固たるものにするには、成功に胡座をかいてなどいられない。効果的な広報の施策を打ち、より多くの人間に、より強く、ブランシャールの名と印象を刻み込む必要があった。


 ブランシャールの新しい『応接室』は、そうした広報施策の一環だったのである。


 この『応接室』の白眉は、その豪奢な装いにあった。


 金刺繍の入った壁紙、毛足の長い絨毯、黒大理石の柱。そうした豪華な内装は、その場が尋常でないことをひと目で来訪者に悟らせた。また、奥の壁には今をときめく人気画家の野心的大作を掲げ、部屋に一種異様な緊張感を与えていた。


 家具の一つとっても、この部屋のために作られた特注品だった。部屋を装うあらゆる品は、古典的な豪華さの中に最新の流行である自然美が取り入れられ、荘厳の中に流麗と繊細さを見事に同居させていた。


 これほどの一室──否、『逸室』とすら呼べる部屋は、半島全土を見回してもそう見かけるものではない。その証拠に、この部屋を目当てにやってくる客は、国内だけにとどまらなかった。


 文化流行の最先端であるパヴァリアからも、この部屋でのひとときを楽しみたいがためだけに、はるばるやってくる貴族がいるほどだった。彼らは一ヶ月も経つとこの部屋での体験が恋しくなり、再び皇都に舞い戻って一目散にブランシャールを目指すようになるのだ。


 彼らは異口同音に語る。祖国パヴァリアの王宮にも、これほどの一室を備えた館は存在しない。それどころか──。と、そこまで言って彼らは決まって口ごもる。


 彼らはこう言いたかったに違いない。この世の富を一手に引き受ける聖職者の(やしろ)、聖堂、教会の中にすら、かくも絢爛美麗な空間はあり得まい、と。


 そんな印象が噂となって人々の間に流布し始めると、当然、権威で糊口をしのぐ向きにとっては面白くない。上級貴族や王族、諸侯、そして、皇族などは、ブランシャールの『応接室』に難色を示し始めた。


 そういう手合は見栄と面子で生きているがゆえ、相対的な評価が下がれば、自然と実入りが減っていくものなのだ。なんとなれば死活問題にすらなりかねない。


 そこで彼らがとった方策は、皇室を山車(だし)にすることだった。『やんごとなき皇室を差し置いて、かように権威的な場をつくることなど、不敬である』と、彼らは口やかましく喧伝した。


 さすがに神を引き合いに出すわけにはいかなかったので、より担ぎやすい神輿を持ち上げようという打算だったのであろう。


 しかし、その目論見は結果的に、大いなる誤算に終わった。


 泰皇は、あろうことか、ブランシャールのこの『応接室』の存在を不問に付したのである。それだけに留まらず、『皇国派』の第二皇子に至っては、積極的な来訪を促しすらした。その際の推薦の文句がまた際どく、『天上を超える体験はここにこそあり』といったものだった。


 自分たち皇室は言うに及ばず、ベツレヘム教会の聖堂すらも超えるほど絢爛な場がこの世に存在する。そう第二皇子は臆面なく明言したわけである。当然ながらその発言には、ベツレヘム教会の権威を貶めようという政治的な意図が大いに含まれていた。


 第二皇子の戯れは度が過ぎていたが、ブランシャールにとっての宣伝効果は絶大だった。『応接室』に招かれるのは上客のみに限られていたが、その権利のある者はこぞってブランシャールを訪れた。


 彼らは表向き『あれは全くけしからん。恐るべき背徳の部屋である』などとのたまいつつも、親しい者の間では密かにそこでの喜びを共有しあい、連れ立って幾度となく訪店するのだった。


 また、招待の来なかった好事家や宝石愛好家たちは、話の輪から除かれたことに密やかな嫉妬を覚えていた。彼らは財力の限りをもって、それまで見向きもしなかったブランシャールの品々を買い漁り、招待を得ようと躍起になった。


 その様たるや、贖宥の石を贖って神に媚を売る者の姿と何ら変わりなかったという。この客観的事実が、ますます教会の権威失墜を勢いづけた。


 冷たい夜が明け、太陽が地平線から顔を見せた瞬間、世界は唐突に熱を帯び始める。今のブランシャールは、まさにそれと同じだった。少なくとも、ある程度より上の身分の者の間で、確かな流行が巻き起こっていたのである。

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