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第十六章(2) 博覧会

 ブランシャールに、皇都万国博覧会への招待状が届いたのは、クラヴィエール公への納品を終えて間もなくのことだった。しかも、一般客ではなく出展者側としての招待である。


 万国博覧会、通称『万博』は、パヴァリアの物産展を起源とする大規模な博覧会である。その規模たるや、トーブマンのオークションなどとは比べ物にもならない。半島のみならず、大陸の国々から遥か海の向こうの国にいたるまで、あらゆる国のあらゆる名物が開催地に集結し、世界中の耳目を集めることになる。


 皇都では初の開催ということもあり、泰皇の熱の入れようは相当のものだった。万博のために皇都の外に広大な庭園を築き、参加予定の五十余ヶ国全てに十分な広さの展示会場を用意した。各国は一年かけて各々の展示場を建設する。この期間の中でどれだけ見栄えの良い会場を用意できるかに鎬を削るのだ。


 集まる文物も多種多様に及ぶ。絵画をはじめ、書、彫像、塑像、器、織物、工芸品、武具、衣装、建築、踊り、歌などなど、各国が誇る文化的な無形有形の名物が勢揃いすることになる。


 その中にあって、宝飾品はことに重要な位置を占めるものであり、国の威信を示す格好の材料だった。各国、少なくとも一つは自慢の宝飾品を展示するのが習いだった。当然、そこに展示されるのは、取りも直さず国を代表する名品であり、その作者は事実上、国家第一等の匠に位置づけられることになる。


 ブランシャール宝石店は、かつて一度として、この万博に出展したことがなかった。したがって、今回も呼ばれることはないと、アルベリクは高を括っていた。いつか出展する立場になりたいとは願っていても、それが近日のことになるなどとはつゆほども思っていなかった。


 それゆえ、招待状が届いた折には、従業員たちは湧きに湧いたものだった。


 しかし、彼らには感慨に浸っている時間も、なぜ自分たちが出展者として選ばれたのか分析している時間もなかった。というのも、招待状が届いた時点で、万博の開催まで二ヶ月を切っていたためだ。


 現在進行中の最大案件である『リアーヌ』ブランド構築は、万博への出展準備のために一旦中断することとなった。その方が、効率的にブランド価値を高められると踏んだのである。


 アルベリクはすぐにマルブールに飛んで帰り、万博のための作品製作をナタリーに頼んだ。その際彼は、工数削減のため、クラヴィエール公に納品したブローチ『絹の涙』のデザインを流用するよう指示した。もとより作り直しを希望していたナタリーとしても、この依頼は望むところだったらしい。彼女は嬉々として工房に入り、着手からものの数日のうちに作品を完成させてしまった。


 出来上がった作品は、使われた素材の差異もあって、『絹の涙』よりも流石に一段劣るものではあった。だが、それでも、ナタリーが真に望み、善良な真心を込めて作り上げた二代目は、傑作と呼んで差し支えない出来栄えであった。


 複製品を万博に展示すると公爵に伝え、承諾も得た。万博への出品は、これにより一応の目処がついた。アルベリクはナタリーの素晴らしい仕事ぶりを讃え、対するナタリーも、この仕事の機会を与えてくれたアルベリクに心からの感謝を示した。


 ここにきて二人は初めて、完璧なまでに息の合った仕事を成し遂げて見せたのである。


 皮肉なことに、ナタリーにとっての真打ちである二代目が、初代を超える名声を得ることは、後にも先にも、ただの一度もなかった。だが、二人は生涯を通し、この作品に格別の思い入れを抱いていたという。



 ◇



 万博の開会式当日──。


 ブランシャールの展示会場は、多くの客で賑わっていた。それも、並の人数ではない。大量の裸石をぶちまけたような、黒山の人だかりだったのだ。


 狭い展示会場は、集った人々を収めるには全く広さが足らなかった。人々は通路にまで溢れ出し、自然と行列まで形成していた。その列の末尾は、展示会場である迎賓館の端で折り返し、入口近くまで達していた。


 企画広報部長のアンリが何らかの宣伝工作を実施したとしても、ここまでの客が入ることは考えにくい。何らかの事件、あるいは事故が起きたと推察できた。


 アルベリクたちブランシャールの面々は、来客から断片的な情報をかき集めた末、ようやく状況を飲み込むことができた。


 実はこの日、開会式の直後に、展示場に併設された会議場で一つの重要な会議が行われていた。パヴァリアの外相であるマニエ枢機卿と、皇国のクラヴィエール外務大臣による外相会談だった。この会談で両名による友好通商条約の再確認が行われた後、外務大臣がホストとなって万博会場を案内する予定だった。


 その会談の場で、一悶着があったのだ。そしてその一件に、ブランシャールも無関係ではなかったのである。アルベリクはその『事件』の詳細をローランから聞いた瞬間、戦慄とともに快哉を叫んだものだった。


 なにしろ、その『事件』の結果、諸侯連合の王侯貴族から極東の使節団にいたるまで、各国の要人たちがこぞってブランシャールの展示を見にやってきたのだから。


 彼らの目当ては、他でもない。ナタリーの作り上げた『絹の涙』のレプリカだった。


 貴人の面々が集うとなれば、相応に価値ある品に違いないと、より階級の下った者たちが集う。すると、その者たちに仕える者、師事する者などもまた集ってくる。そうやってねずみ算式に人が集まった結果が、今の盛況に繋がったのだろうと、ローランは分析していた。


 やんごとなき面々は、アルベリクの元に入れ代わり立ち代わりやってきて、質問攻めにし始めた。


 ──この金剛石の輝きはどうやって実現した?

 ──恐ろしく精巧な細工に見えるが、技師は誰だ?

 ──この技師の他の作品はないのか?


 そして、必ず最後にはこの質問を投げかけてくるのである。


 ──枢機卿がこのブローチを欲しがったというのは本当か?


 アルベリクとローラン、そしてサラの三人は、手分けしてそれらの客の応対に回った。特に、名目上の作者であるサラは、その美貌も相まって、客人の間で引っ張りだこになっていた。


 忙しく接客に勤しんでいたアルベリクの肩を、誰かの拳が軽く小突いた。


「久しいな、赤目烏殿」


 振り向くと、見知った顔があった。浅黒い肌をした堂々たる体躯の男。明らかに武人然とした姿だが、振る舞いはあくまで優雅で、笑うと白磁のような歯が唇の間からこぼれる。


 彼の顔を見るのは、トーブマンのオークション以来だった。


「バルナーヴ将軍」

「サラスと呼んでくれたまえ。君と私の仲だろう」


 彼はそう言って破顔すると、おもむろに首を巡らせ、会場の様子を見やった。


「驚くほど盛況だな」

「はい、私も驚いています」

「だろうな。……まさかマニエ枢機卿ともあろうお方が、クラヴィエール夫人の着用しているブローチをご所望になろうとは。公的な外交の場で、聖職にある方がそのような要求をするなど、前代未聞だろう」

「ええ──。さらに、その要求に対する公の返し、これが強烈でした」


 アルベリクがそう言うと、サラスは真顔で首肯する。


「第二皇子に献上する予定だと答えたそうだな。いい面の皮だろう、枢機卿にとっては」


 第二皇子は皇国派、つまり、反パヴァリア寄りであると言われている。枢機卿にとっては反目する相手といってよい。ねだった宝を己ではなく敵対する相手に贈ると言われては、面目などあったものではない。しかも、これは公式の場でのことである。この一件は外交問題に発展しかねない。


「……正直、その話を聞いたときは、私も耳を疑いました」

「どう思う?」

「どうも何も……。どちらの行動もあまりに稚拙です。公式の場で準備された行動とは到底思えません。売り言葉に買い言葉で応じただけではないでしょうか」

「そんなところだろうな。皇国派のクラヴィエール公としては、猫の毛だろうとベツレヘム教会にくれてやりたくはなかろう。とにかく、枢機卿の行動がどうにも()せん」

「しかし、おかげで『絹の涙』とブランシャールの名声は高まりました。枢機卿を狂わせた宝石、ブランシャールにあり、と」

「二百年続いた平穏を犠牲にしてな」


 目元を険しくして、サラスが低く呟く。

 不穏な言葉だった。アルベリクは思わず鼻白む。


「それは流石に大げさでは……」

「そうとも言えん。少なくとも、武人の立場としては、備えねばならん事態になりそうだ」


 まったく冗談めかすことなく、サラスは言った。アルベリクは思わず生唾を飲む。


「備える……というと……。よもや、貴方はこうおっしゃりたいのですか」


 ──戦争が始まる、と。


 アルベリクに小声で問われても、サラスは眉一つ動かさなかった。


「わからん。だが、見えない流れは感じる」


 こうしている間にも、アルベリクと話したがる賓客は増え続けていた。今も、パヴァリアの貴族がもどかしげに二人の様子を伺っている。


 サラスは彼に対して目礼すると、やおらアルベリクに向き直り、改めて正対した。別れようという者のする仕草だった。


「私はパヴァリアの聖騎士だ。本当に戦争なぞが始まれば、こんなふうに君と呑気に四方山話などしている暇などないだろう。あるいは──」


 言葉を切り、サラスが目を細める。


「あるいは、君を殺すのは私かも知れないじゃないか」


 かつてなく愉しげに、サラスは嗤った。



 ◇



 ブランシャールがもたらした輝きは、万博に訪れた者たちの間で語り草となった。お世辞にも立派とは呼べなかったブランシャールの展示は、他の錚々たる展示を押しのけ、会期中の話題の全てをかっさらっていった。あたかも、人間の食事を空から奪う野良烏のごとくに。


 ──皇国に赤目烏と呼ばれる怪人あり。それは世に輝かしい品々をもたらすが、代わりに全てを奪ってゆく。


 そんな(そし)りとも皮肉ともとれぬ評が、帰郷した来場者たちの口から国元の人々に伝えられたという。


 お世辞にも、快い評判とは呼べない。だが、悪名といえど名声は名声だった。今や、宝飾関係者だけでなく、半島の全ての好事家たちが、アルベリクとブランシャール、そして、リアーヌの名を知るところとなった。


 枢機卿と外務大臣の悶着はブランシャールにとってたまさかな僥倖(ぎょうこう)だったが、幸運に胡座(あぐら)をかいているわけにはいかない。より多くの名声と、より眩い栄光のため、打てる手は打ち尽くす。それこそが、ブランシャールを超一流に押し上げる確実な方法であると、アルベリクは信じていた。

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