第二章(3) オークション会場1
競売が執り行われる皇国会議場は、繁華街の中心に存在する。目抜き通り沿いの広大な敷地の中にある、宮殿と見紛うばかりの荘厳な建屋がそれだった。
黒塗りの鉄門をくぐり、美しく整えられた前庭を抜けると、木々の合間から古風な邸宅が姿を見せる。この邸宅が、皇国会議場の本館である。元は皇族の私的な迎賓館だったが、新館ができたことを期に恩賜され、官用施設として使われている。
人を降ろして空になった馬車が、向こうからやってきてはすれ違っていく。行き来する馬車の数を見る限り、すでに客は随分と集まっているらしい。
やがて、アルベリクの乗る馬車は本館の玄関前に横付けされて止まった。逸る気持ちを抑え、アルベリクはゆっくりと馬車を降りる。
開け放たれた本館の扉をくぐると、濃い人いきれがアルベリクの鼻先をかすめた。入り口の広間には既に多くの人がひしめき合っていた。近隣諸国から集まった好事家や商人たちの姿であることは、ひと目見て判った。彼らは各々、アルベリクの知らぬ言葉で立ち話に興じており、その聞き慣れぬ発音が反響して、広間はたいそう騒がしかった。
アルベリクは手早く受付を済ませると、人だかりの煩わしい広間を足早に通り抜け、会議場に至る回廊を進んだ。
会場を歩く間、アルベリクは一種異様なもてなしを受けた。
すれ違う人が皆、彼を一瞥しては、ひそひそと何事か囁き合うのだ。
かといって、直接彼に語りかけようという者が現れる気配は一向になかった。皆、なにか怪訝なものに遭遇したかのようにアルベリクを遠巻きに眺め、雀のように噂し合うばかりなのだ。
しかし、このような状況に際しても、アルベリクは眉一つ動かさず、涼しい顔をしていた。
それもそのはず。この状況を作り出したのは、他ならぬアルベリク自身だったのだ。
彼は、あらかじめ宝飾関係者に届くよう、少なからぬ費用を使って、ある種の噂を流していた。
噂というのは、要するにこうである。『次のトーブマンズ・オークションでは、大きな出物がある。しかもただの出物ではない。古代ロートシルトの失われた技術を使って作られた宝飾らしい』
ロートシルト美術には、熱狂的な愛好家が多い。その割に市場に出回る品は少なく、好事家たちはいつだって出物に飢えていた。そこに復刻という餌を垂らされて、食いつかぬ者がいようはずもない。
また、たとえ愛好家でなくとも、宝飾関係者ならば、失われた技法とやらに多かれ少なかれ興味を抱くはずである。抱かないならばそれはもぐりというものだ。
アルベリクは心のなかでほくそ笑んだ。彼は今日この日のために一計を案じており、それを奏功させるには、今回の出品の注目度が高ければ高いほど具合がよかったのだ。
おおかたの人間は、疑いの目をアルベリクに対して向けていた。むべなるかな。古代ロートシルト宝飾の復刻という事業は、人類が半ば諦めつつある道だったのだから。
中世から近現代にかけての古代様式美の復刻ブームにあやかり、幾人もの技師が古代ロートシルトの超絶技巧をその手で復活させようと躍起になってきた。だが、そのほぼ全てが失敗に終わった。それほどまでに、ロートシルト技術の復刻というのは難事業だったのである。
この種のいわくつきの代物というのは、詐欺師の良い商売道具になるのが常である。ロートシルト技術を復活させたという触れ込みで、客に粗悪品を掴ませるのだ。甘言を鵜呑みにして先払いで高い金を払った挙げ句、屑同然の塊を掴まされる者が跡を絶たなかった。
ついには、『ロートシルトの名前を見たら詐欺と思え』という格言すら生まれる始末。やがてこの技法は、宝飾関係者の中でタブーとして扱われるようになった。
永遠に燃える火中の栗を、アルベリクは拾って競売にかけようというのである。疑いの眼差しを向けられるのも無理はなかった。
だが、今回競売にかけられるのは、凡百の技師の作品などではないし、ましてや、詐欺師の用意した紛い物などでも決してない。正真正銘、完全なる復刻品なのである。
現物を見たとき、会場にいる人間がどんな顔をするのか。それを想像して、アルベリクは心中で嗤うのだった。
モノは必ず売れる。アルベリクにはその確信があった。問題は、いくらで売れるかである。高値をつける客がいなければ、わざわざ競売に出品した甲斐がない。
アルベリクはその点も抜かりなく調査しており、落札者の候補を既にこれと定めていた。アルベリクは会場に向かう途中ずっと、その赤い瞳を油断なく光らせ、件の候補者の姿を人垣の中に探していたのだった。
長い廊下を抜け、アルベリクは広間に至った。下見会の会場となる場所である。
下見会とは、文字通り、出品作の下見のために催されるもので、開催期間の大半を使って行われる。買い手はこの下見会において、出品作の良し悪しを間近で確認することができる。ここで現物を見て、気に入った出物があれば、最終日に行われる競売で競り落としにかかるというわけだ。
この広間も玄関同様、既に多くの人で賑わっていた。ただし、こちらにいるのは、出品者が主のようであった。彼らは割り当てられた展示スペースに集い、各々持ち寄った出品作品を設置しはじめている。皆、自らの出品作をできる限り見栄え良くしようと配意に余念がない。
アルベリクは他所の展示には目もくれず、己の店に割り当てられた展示スペースに足を向けた。そこでは、ブランシャールのスタッフが既に到着して設営を開始していた。アルベリクは彼らに挨拶をし、ねぎらい、鼓舞した。それから二、三言付けをして、再び忙しげに歩き始める。
次にアルベリクがやってきたのは、二階にあるサロンである。一階の広間に比べると一回り小さい部屋だが、内装は至極絢爛であった。部屋の南側はテラスに続いており、そこから聖域グリアエの美しい杜が一望できた。ここが今回の競売の主会場となる。
部屋の最奥には壇が据えられており、競売自体はその壇上で行われる。買い手の人々は壇の前に並べられた椅子に座り、競りに参加することになる。
また、窓際の一角には立食用のテーブルがいくつか据えられており、買い手同士交流しつつ競売の様子を観察できるようになっていた。
そのテーブルの周りに、気の早い人々が既に集って、いくつかの人垣を作っていた。アルベリクは、その人の群れの中に視線を滑らせてゆく。
アルベリクは、談笑する一人の男に目を留めた。ほぼ同時に、その男もアルベリクに気づき、かすかに分かるほどの目礼を返してきた。彼は隣国パヴァリアの騎兵遊撃軍を統べる将軍であり、名はサラスといった。戦勝で得た財産は並の富豪や貴族を遥かに凌ぎ、その財力にものを言わせて多くの古美術品を蒐集しているという。
彼は古代ロートシルト美術の蒐集家としても知られており、今回の競売で、おそらく最も注目を浴びるであろう人物の一人である。だが、アルベリクはなぜか、彼にあえて声をかけようとはしなかった。
次いでアルベリクは、部屋のもう一方で人だかりを作っている優男に目を向けた。
彼を取り巻いているのは、皆女だった。ここは舞踏会場でもなければ、宴会の席でもない。れっきとした商談の場なのである。しかし、彼の周囲だけは別のようで、若い女たちが寄ってたかって場違いな華やぎを見せている。
男は名をリュファス・ボーマルシェといい、アルベリクと同じく宝飾商を営む実業家であった。彼の店の特徴は、洗練された商品デザインにあった。文化国家パヴァリアにおいて一線で活躍した技師やデザイナーを呼び寄せ、旧態然としていた皇都の宝飾界に新風を吹き込んでいる。
このリュファスという男は、無類の女好きとしても知られている。彼の美貌と名声に釣られて寄ってきた女は、例外なく片っ端から平らげられている。そんなまことしやかな噂が、アルベリクの耳にも届いていた。今の彼の様子を見る限り、あながち根も葉もない噂というわけでもなさそうだった。
アルベリクは、それとなくリュファスの元に近づいてゆく。ほどなく、リュファスは彼の姿に気づいた素振りを見せたが、あえて話しかけて来ようとはしなかった。そこで、アルベリクは億劫に思いつつも、女の群れをかき分けリュファスに近づいていった。
リュファスはアルベリクが眼前にやってきたところで初めてその存在に気づいたように、わざとらしく破顔してみせた。
「ああ、すまない! 目の端で影法師がよく動くなと思っていたら、君だったか!」
開口一番、皮肉である。しかし、アルベリクは怯みもせずやり返した。
「相変わらずの色魔ぶりだな、リュファス。一瞬、ここが娼館かと疑ってしまったぞ」
「勘違いしないでほしいな。彼女たちも競売の参加者だよ。あまり失礼な事を言うと、君の商売に影響があるんじゃないかな?」
「この女たちは貴様の客だろう。貴様の客は私の客にはならない」
「よくお調べで。して、ご用件はなにかな? 僕は見ての通り、お客様のお相手で忙しくてね」
「白々しい芝居はよせ。貴様、本当は、私と話がしたくてたまらないはずだ。違うか?」
「はて、なんのことかな?」
「名前当ての遊びでもさせたいのか? リュファス・ボーマルシェ・ド・ロートシルト」
リュファスの顔色が変わった。
彼はアルベリクの肩を掴むと、無言で部屋の端に引っ張っていった。一緒についてこようとする女たちを、彼は腕を振るって引き下がらせる。
壁際に至り、二人きりになったことを念入りに確認すると、リュファスは押し殺した声でアルベリクに詰め寄った。
「……どこで、その名前を?」
「優秀な調査部員がいるのでね。君がロートシルトの末裔だということも、今日のために急遽準備金をかき集めたことも知っている」
「……皇都に赤目烏あり、その眼は千里の先を知る、か……まさか噂通りとはな。だが、話すことはなにもないぞ。僕が信じるのは、この自らの二ツの目だけだ」
そう言って、リュファスは自慢の海色の瞳を、自らの指先で指し示した。彼も、アルベリクと同じく、自らの眼を頼みにしてのし上がってきた男だった。
アルベリクは薄く嗤って、リュファスの傲慢をあざけった。
「ほう、そうかね。だが、今のうちに色々と話しておいた方が賢いかもしれんぞ? 判っているとは思うが会期中は君と個人的に話している余裕などないからな」
「君の与太話に付き合う気はないよ。……失われし古代技術の復刻? 莫迦莫迦しい。君のような輩が跋扈したおかげで、栄光あるロートシルトが今や腫れ物扱いだ。挙句の果てに、蝿共が集ってくるというので、家名を出すのも禁じられる始末。わかるか、この屈辱が。どこぞの馬の骨のはした金稼ぎのために……クソッ……! だいいち、そんなことができるのであれば、とっくに僕たちが……」
「やはり積もる話があったようじゃないか」
喉の奥でくつくつと笑うアルベリク。
ほどなく彼は真顔に戻り、リュファスに顔を近づけて耳打ちする。
「一つ忠告しておく。……サラスが来ている。彼には注意したまえ。今日のために随分準備してきたらしい」
「だから何だと言うんだ。そんなことは、僕とはなんの関係もない」
「ほう、良いのかね? せっかく苦労して金を工面してきたというのに。異人の蒐集家に、大事な宝をみすみす掻っ攫われてしまうぞ」
アルベリクの執拗なからかいに、リュファスの我慢は限度を超えたようだ。彼はアルベリクの眼を真正面から睨みつけると、人差し指の先でアルベリクの胸元を何度も突いた。
「いいか、勘違いするなよ。僕は君の出品に何ら興味など抱いてはいないんだ。僕が用意してきた金子は、他の出物のためのものだ」
「なるほど、それは失礼した。だが、現物を見ても同じように囀ることができるかな? まあ、下見の時間はたっぷり一週間もある。そのご自慢の眼でじっくり観察して、真贋を改めてくれたまえ」
煽れるだけ煽って、アルベリクはリュファスの元から颯爽と立ち去った。
あとに残されたリュファスは、忌々しげに歯噛みしながら、黒衣の怪人の後ろ姿を見送ることしかできなかった。