表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/99

第十五章(2) 山小屋2

 宝飾技師の夢断たれた若き日のアルベリクは、逃げるようにマルブールを出奔し、働き口を探すため皇都に向かった。


 しばらくの間、彼は糊口をしのぐための労働に従事していたが、やはり夢を捨てきれず宝石商へと身を転じた。その時に職場として選んだのが、ブランシャール宝石店だった。彼はそこに、見習いとして潜り込んだのだ。


 生来の眼力を頼りに、アルベリクは宝石商として順当に名を成していった。夢の跡地に空いた巨大な穴を塞ぐため、彼は猛然と働いた。


 使える手段は全て使い、販売成績を積み上げた。彼のもたらす宝石に間違いはないと、顧客からはもっぱらの評判だった。


 そんなおり、彼に出会いが訪れた。

 ブランシャールに新しく入ってきた異国人の同僚、ルカ・ランベルディ。彼は隣国のパヴァリアで宝飾商人の息子として産まれ、この皇都で修行しにきたという。


 アルベリクは当初、純粋な好奇心と共に彼と付き合っていた。異国の宝飾知識を持つ者が珍しかったのだ。だが、繰り返し話してゆくうちに、彼の人柄に惹かれ、やがて真の友人となっていった。

 二人は切磋琢磨しながらブランシャールで台頭し、販売成績を争う好敵手にもなった。


 ときにその頃、アルベリクには憧れの女性がいた。とある富豪の娘で、名はフェリシテといった。

 凛とした知性と清廉さの持ち主であり、さらにその心を写し取ったように、彼女は真っ直ぐな美しさを持ち合わせていた。

 たまに彼女と挨拶をする機会があったが、若いアルベリクは彼女に笑顔を返してもらうたびに、天に登るような心地になった。


 ルカがブランシャールの販売成績月間首位を初めて獲得した日、彼はアルベリクに独立の意思を告げる。懇意にしている富豪に出資してもらい、皇都の片隅に小さな店舗を構えるつもりだという。


 快く応援するつもりのアルベリクだったが、ルカの後ろ盾となっている富豪の名を聞かされた瞬間、愕然とする。

 その富豪というのは、フェリシテの実父だったのである。ルカは、密かにフェリシテとの婚約も済ませていた。


 アルベリクは表面上ルカを応援する素振りを見せていたが、一人になると荒れて物に当たり散らし、呪詛の言葉をひたすらに吐き続けた。


 時を同じくして、アルベリクは顧客の離脱に悩まされていた。理由を探ったところ、あろうことか、ルカがアルベリクの顧客名簿を持ち出していたことが発覚した。


 アルベリクは大いに(いか)り、復讐を誓った。己を裏切った男に、必ずや代償を支払わせてやろうと。


 そんな折、アルベリクは店のオーナーであるブランシャール伯爵から、一つの命を受ける。サント侯夫人の入札に参加し、取引の権利を掴めという。厳命だった。


 サント侯夫人はブランシャールに在籍していた頃のルカの顧客だった。独立したルカの店に鞍替えするために、サント夫人が一計を案じたのである。

 いわば、この入札は半ば出来レースというわけだった。


「その入札に成功すれば、俺はブランシャール伯爵の婿養子になるという約束だった。失敗すれば、クビだ。顧客名簿を取り返さないことには、どのみち店には居られない。俺とて引けない状況だったのだ」

「そこまでして出世にこだわる理由が、私にはわかりません」

「そうかな……。君も、俺と同じだと思っていたが」

「どういうことでしょう……?」


 アルベリクは、己の胸を親指で衝いて示した。


「──ここに、ばかでかい穴がある。夢を諦めたその日から、ずっと。今もその穴から隙間風が吹いている。このがらんどうを、そのままにしてなど居られない。何かで埋めなければ。違うか?」


 アルベリクの問いに、ナタリーは言葉を返すことができなかった。

 ナタリーもまた、同じほどの穴をその胸の奥に抱えている。なにもかもを飲み込む、深淵を。それは、彼女自身がかつて口にしたことだった。


 アルベリクは話を続ける。


「俺はサント夫人に多くの好条件をぶら下げて、ルカの店を入札対象外にするよう仕向けた。ブランシャールとしては、夫人とのパイプを維持することが大きな目的だったから、ある程度の逆ザヤは許容できたのだ」


 さらにアルベリクは、ルカの店舗に偽造の手紙を送り、入札の日時と場所を間違えるように仕向けた。入札の前日、アルベリクは素知らぬ顔でルカと酒を飲み、「明後日の入札は……」などとわざと間違った日時を会話に挟んだりもした。


 かくしてルカは入札当日にサント侯夫人の邸宅に来訪せず、アルベリクは難なく出来レースを制したのだった。


 ルカは、当てにしていた案件を失注したことで資金繰りに失敗し、義父との関係も悪化。路頭に迷った挙げ句、自宅の裏庭で首を括った。


 彼の葬儀にいけしゃあしゃあとやってきたアルベリクは、形見分けの場で顧客名簿を奪い返した。

 その場でフェリシテから強烈な面罵を受けるも、彼の心は既に凍っており、いささかの痛痒も感じることはなかった。

 後にフェリシテも精神を病み、腹の中の赤子と共に服毒自殺を遂げたという。


 アルベリクの復讐は成った。しかし、胸に開いた虚無の穴は、以後ますます広がりゆくばかりだった。


「俺の話は、これで全てだ」


 無表情で、アルベリクがつぶやく。その一言を境に、部屋の中に重苦しい沈黙が満ちた。


 ナタリーは、真っ青になって震えていた。だが、彼女は気丈にも、その視線をアルベリクの眼から離すことはなかった。今にも泣き出しそうになりながらも、唇を真一文字に引き結び、愛する者の唾棄すべき半生を必死で受け止めようとしていた。


 告別の場の喪主のような口ぶりで、アルベリクはナタリーに問うた。


「後悔しているか? 聞かなければよかった、と」


 ナタリーの目の端に、光るものが見えた。しかし、その雫がこぼれ落ちるのを、アルベリクが見ることはなかった。彼女は顔を背けつつ立ち上がり、真っ直ぐ工房の奥へと消えていった。


 残されたアルベリクは、机の上で頼りなく揺れる灯りを、死人のように静かに、ただじっと見つめていた。


 何かが終わりを迎える時の、あの全身を苛む寒々とした感覚ばかりが、アルベリクのがらんどうの胸の中を吹き抜けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本作書籍化いたしました!
こちらの青いカバーが目印です。
書籍化にあたり加筆修正を行い、Web版より読みやすくなっていると自負しております。
お買い上げいただけると大変嬉しいです。
よろしくお願いいたします!

▼▼▼ 画像をクリックすると、Amazonのページに移動します ▼▼▼
マルブールの赤目烏と滅びの宝飾師1 マルブールの赤目烏と滅びの宝飾師2
▲▲▲ 画像をクリックすると、Amazonのページに移動します ▲▲▲


特典情報もあります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ