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第十三章(3) 鐘撞き塔1

 アルベリクの足は、鐘撞き塔の前で止まった。

 鐘撞き塔は、マルブールの毎日に朝と夜の到来を告げる、街で一番背の高い建物だった。古びてはいるが、立派なベツレヘム教会の施設である。


 鐘は人々の生活を律するためのものだ。子が産まれてはその生を祝すために打ち鳴らされ、人が亡くなればその死出の旅路を送るために厳かな音を響かせる。こうした日々の営みによって、この辺境の地に信仰が浸透してゆくのだろう。


 平時なら日没と共に塔の扉は施錠されるのだが、今日に限っては事情が違う。


 ぴたりと閉まった塔の扉を、アルベリクの拳が叩く。すると、扉の底で床と接する滑車がごろりと動いて、重い門扉が内側に向けてゆっくりと開いた。扉の隙間から灯火(ともしび)の光が流れ出て、二人の顔を明るく照らす。そして、中から逆光に照らされる形で、一人の老爺が顔を出した。


 彼はアルベリクの顔を見るなり、眉をひそめた。


「誰だね、あんた」

「俺の顔を忘れたのか、ジョアン。……まあ、仕方ないか。十年あまり会っていないものな」


 老眼でも患っているのか、彼はアルベリクに顔面を近づけ、目を眇める。そこまでしてもまだ、彼は首をひねるばかりだった。


 アルベリクは、大仰にため息をつく。


「まだわからないのか。──アルベリク・ラブリエだよ」


 ジョアンと呼ばれた老人は、天に記憶を求めるが如く、眼を彷徨わせた。ふいにその眼に天啓の光が宿ったかと思うと、老人は勢い込んで扉の隙間から身を乗り出した。


「アル!? ラブリエの坊主か!」

「久しぶり。だが流石に、坊主はないんじゃないか」

「なんだお前! 立派になりおって!」


 老人はにわかに相好を崩し、幾度もアルベリクの肩を叩いた。


「お前、何をしとったんだ。いつからか忘れたが、ぱったりと来なくなったよなあ」

「随分前に、皇都に引っ越したんだ」


 老人は喜々として二人を中に招き入れた。

 塔の中は存外広かったが、壁にランプが幾つも掛けられており、明るかった。部屋の真ん中に小卓が据えられており、ジョアンはその卓の横に来客のための椅子を引っ張ってきて並べていた。

 二人は用意された椅子に座り、出された白湯を遠慮なく啜った。春先の外気で冷えた身体に、湯の熱い温度がじんわりと広がってゆく。


 人心地着いたアルベリクは、おもむろに塔の中を見回した。内壁には螺旋状に階段が巡らされていて、それは蛇のように壁を這いつつ、頭上の吹き抜けの闇の中へと消えていた。


「それで、アル」ジョアンに名を呼ばれ、アルベリクは彼に視線を戻す。「こちらの別嬪さんは?」

「仕事の相棒だ」


 答えてから、再びアルベリクは白湯に口をつける。


「相棒? どんな仕事だい」

「泥棒です」


 突拍子もない答えを口にしたのは、あろうことかナタリーだった。アルベリクは思わず、口に含んでいた湯を吹きそうになる。


「おい、ナタリー」


 ナタリーは、いたずらっぽく瞼を細めて笑っていた。


「ごめんなさい、相棒って呼び方がなんだかおかしくって。──ナタリー・ルルーと申します。お仕事は、宝飾品の販売です。私が宝飾品を作って、それをアルベリクさんが売っているのです」


 丁寧にお辞儀をするナタリーを見て、ジョアン老人は快活に笑った。


「面白い嬢ちゃんだな。アルとは出会って長いのかい」

「悪いが、四方山話をしに来たんじゃないんだ、ジョアン」


 アルベリクが釘を刺すと、ジョアンは下唇を突き出し、大仰に肩をすくめた。


「おうおう、そりゃわかっとるさ。お前がここに来る理由は一つしかないよな。だが、積もる話もあろうが。祭りは逃げやしないよ。俺が終わらせない限り」


 ジョアンはそう言うと、不敵に笑って親指で天を指し示した。


 彩火の祭の終わりは、鐘の音をもって告げられる。祭の灯りが一つまた一つと消えてゆき、半分ほどになった頃合いに、ジョアンの裁量で鐘が打ち鳴らされるのだ。鐘が鳴らない限り、街の人々は広場に集っては飲み歌い、踊り続ける。数少ないハレの日を、皆そうやって満喫するのだ。


 アルベリクが不機嫌そうに唸るのを横目に、ナタリーが愛想よく笑って話を続ける。


「実は、アルベリクさんとは最近知り合ったばかりなんです。ジョアンさんは、古いおつきあいなのですか?」

「これっくらいの洟垂れ小僧の頃から知っとるよ」


 これっくらい、というジョアンの指は、小卓の天板辺りの高さを示していた。ナタリーはいかにも嬉しそうに、うんうんと何度も頷いていた。


「そうなのですね! その頃のこととか、もっと色々とお話を聞かせていただけますか? 私はこの人のことをもっと知りたいのに、この人ったら、あまり自分のことを話したがらなくて……」

「ああ、そうかもしれんな。昔から人見知りだったからなあ、アルは」


 のんびりと笑うジョアンを見て、アルベリクは神経質に小卓の上を指で叩く。そして、横目で鋭くナタリーを睨んだ。


「いいかげんにしろ、ナタリー。そんな話なぞしていたら、時間がいくらあっても足りんぞ。老人の話は長いからな。聞いてもいないことまで話し始める」

「誰が老人だね。お前、失礼なことを言うようになったな」

「ここに来た理由というのは、何でしょう?」


 流石にアルベリクを無下にするわけにもゆかず、ナタリーが気遣わしげに尋ねる。答えたのは、アルベリクではなくジョアンの方だった。


「まあ、すぐに判るさ。なあ、アル」


 目を細めて、ジョアンは意味ありげな視線をアルベリクに向ける。対するアルベリクは、憮然とした表情のまま答えた。


「そうだな。すぐに判らせてやりたいから、彼女を解放してくれ、ジョアン」

「わかったよ。まったく、せっかちになったもんだ」


 ジョアンの語り終わらぬうちに、アルベリクは立ち上がり、壁の螺旋階段に向かって歩き出した。その途中で彼は振り返り、ナタリーを顎で促す。「ついてきたまえ」


 慌てて立ち上がったナタリーは、言われたとおりアルベリクの後ろに付き従う。


 ジョアンの横を通り過ぎる瞬間、ナタリーは逡巡して足を止めた。それから彼女は身をかがめ、声を潜めてジョアン老に問うた。


「ジョアンさん、一つ聞かせてください。貴方の知っているアルベリクさんは、どんな方でしたか?」


 問われたジョアンは、愛おしげに眼を細め、ナタリーを見上げる。


「内気で、繊細な子だったよ。将来は宝飾技師になるんだと言っていたっけな。人の痛みや悲しみに寄り添える、優しい子だった」

「そうだったのですね……。なんとなく、想像ができます」

「しかし、今のあいつはだいぶん、雰囲気が変わったな。男子三日会わざれば刮目して見よと言うが。もう会わなくなって何年かな。十年は会っていないか」

「今も、優しい方ですよ。とても不器用ですけれど」


 そう言って、ナタリーは困ったように笑うのだった。


「おい、ナタリー。早く来い」


 階段に足をかけたアルベリクが、苛立たしげな声を投げつける。

 ナタリーはジョアンに小さく会釈すると、小走りでアルベリクの許に駆け寄ってゆく。


「まあ、嫁さんが見つかったなら、安心ってもんだよ」


 背後で老爺の言葉が聞こえたが、ナタリーは聞こえないふりをしていた。

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