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第十二章(2) リアーヌ邸

 翌日、所要により宝石商組合に出向いたアルベリクは、そこで皇都からの電報を受け取った。のっぴきならないトラブルが顧客相手に発生したらしく、アルベリクの顔がどうしても必要とのことだった。


 一つの組織の長たる者が特定の現場のみに注力するのは、やはりいささか無理があったのだ。


 即刻、皇都に戻る必要がある。しかし、気がかりなことがひとつあった。


 先日の口論以来、アルベリクはナタリーと一切口をきいていなかった。制作方針の問題も解決しないまま残されている。彼女をこのまま放置して皇都に戻るのは、いかにも気が引けた。


 だが、今から山小屋に戻ったところで、ただ挨拶をして去るのが関の山である。アルベリクはテオドールに言付けを頼み、そのままマルブールを離れることに決めた。




 ひとたびアルベリクが皇都の店に戻るや、部下たちはわれもわれもとアルベリクに相談を持ちかけ、決断を委譲しようとし始めた。基本的に、人間は自分自身で責任を負いたくない生き物なのだ。


 ひとしきりの仕事を終えたらば、アルベリクは再びマルブールにとんぼ返りする予定だった。だが、気づけば仕事は雪だるま式に膨れ上がり、マルブールに戻る日程は先へ先へとずれ込んでいった。


 多忙極める中で、アルベリクはふと思い立ち、皇都に戻ったついでにと、サラのもとを訪れることにした。ブランシャールの長たる者が、長いこと売れっ子の技師を訪ねもしないというのは、(はた)から見ても不自然であろうと危惧したのだ。


 アルノー夫人の品評会からこちら、リアーヌを指名した注文が日増しに増えていた。夫人の品評会を終わらせるほどの作品を作り上げたという噂は、それほどまでに強力だったのだ。


 しかしながら、リアーヌの正体であるところのナタリーは、現状、クラヴィエール公爵の案件にかかりきりになっており、とてもではないが、新規の案件をさばく余力がない。


 そこで、公爵以外の注文に関しては、デザインのみナタリーに任せ、製造は他の有力な技師に任せるという方針が取られた。


 その技師の名簿の中には、サラの名前もあった。彼女はアルベリクが当初想定していた以上に、技師としても優秀であったのだ。伊達にブランシャールの下請けをしていたわけではなかったのである。


 サラは、皇都郊外の邸宅に居を移していた。この邸宅は、ブランシャールの資金でもって(あがな)われたものだった。身代わりといえど、ブランシャール随一の技師を粗末な集合住宅に住まわせるわけにはいかなかった。


 アルノー夫人の邸宅とまではいかないまでも、小さな庭までついたその邸宅は、小貴族の別邸もかくやという立派なものだった。


 鮮やかな赤色に塗装された玄関の扉を前にして、アルベリクの気持ちは重かった。サラの素行について、良くない報告を多く耳にしていたためだ。


 アルベリクがサラの居室に入ったとき、最初に感じたのは強烈な酒の匂いだった。扉を開いた瞬間、顔にまとわりついてくる酒気にむせ返り、アルベリクは思わず咳き込んだ。


 部屋の奥のソファーには、部屋着を纏ったサラのほっそりとした肢体が横たわっていた。白く華奢な指はワイングラスの()をつまんでおり、その中に僅かに残った赤ワインが、今にも絨毯の上に滴ろうとしている。ソファーの前に据えられた袖机には、半分以上空けられたワインボトルが、栓も抜き晒しのままに放置されている。


 サラの視線は、何を見るともなくぼんやりと床の上を舐め回していたが、アルベリクの姿を捉えた途端、にわかにその眼に光が宿った。


「アルベリク! 帰って、いたの!」


 よろよろと身を起こしつつ、上ずった声を張り上げるサラ。その醜態たるや、まったくもって見るに耐えないものだったので、アルベリクは全身の空気を吐き出す勢いで嘆息した。


「呂律が回っていないぞ。飲み過ぎではないのか」

「これくらい、普通よ! 目が開いて、こそば……こ・と・ばを紡げているのなら、酔っているとは、言わないわ」


 アルベリクが追って小言を口にしようとするのを、一人の男の咳払いが遮った。


「僕たちも邪魔をしているよ」


 声のした方を見ると、部屋にはすでに二人も先客がいることがわかった。一人用のソファーに身を沈める優男と、部屋の書架を物色する大男の二人である。


「リュファス。それに、ネイライもいるのか」


 それぞれの名を呼ぶと、リュファスは手に持ったグラスを掲げ、ネイライは首をこちらに向けて小さく会釈する。


「ふたりとも、もう私の大切なお友達なのよ」


 サラはそう言って、とろんとした笑顔を見せた。それを見るアルベリクの表情は、冴えなかった。彼は眉間に皺を寄せ、あからさまな嫌悪感を顕にした。


「感心せんな。曲がりなりにも商売敵だぞ。それをやすやすと館の中に入れるなど」

「お友達を家に上げるくらい、許してほしいものだわ。お仕事の話だって、一切していないのよ」


 そう言って、サラが唇を尖らせる。傍らのリュファスが、彼女におもねって何度もうなずいた。


「ああ、神に誓って、彼女の言うとおりだ。保証するよ」


 貴様には聞いていない、とでも言いたげに、アルベリクはリュファスを睨んだ。


 商売敵が同席していたのでは、話のしづらいことこの上ない。アルベリクは延々と続く四方山話に付き合いつつ、男二人が帰るのを待つか、それとも今日は己が退散するべきか、心の中で検討し始めた。


 そんな折、さも今思いついたとでも言いたげに、リュファスがこんな話を切り出した。


「そうそう……珍しくブランシャールがここに居るんだ。ちょっと突っ込んだ話をしようじゃないか」

「どうせ、ろくでもない話だろう」

「君にとってはな、アルベリク。──なあ、リアーヌ。やはり君は僕の店に来るべきだ。絶対に悪いようにはしないよ」

「そのお話は、もうしない約束のはずですわ」


「貴女は勘違いしているよ。約束の内容は、隠れてこの男を出し抜くような真似はしないというもののはずだ。しかし、今は当のアルベリクがこの通りこの場にいるのだから、隠し立てなどできようはずもないさ。──そう、僕は正々堂々、君をスカウトしたいと思っているんだ」


 アルベリクはこのリュファスの発言を聞くや、泡を食って立ち上がった。


「莫迦な! そんなことを、俺が許すはずがなかろう」

「僕は彼女の意思を聞こうとしているんだ。君は黙っていてくれたまえ、ブランシャールの」


 アルベリクは低く唸りつつ、サラに向かって目配せをする。サラは、何もかもわかっている、いちいち心配するなと言わんばかりに、目で頷き返した。それでアルベリクは、不承不承といった様子で再びソファーに腰を降ろす。


 サラはリュファスに向き直り、慇懃に微笑んで答えた。


「私も、アルベリクと同じ意見ですわ。いまのところ、移籍の意思など──」


「まあ、待っておくれよ。まだ話は始まってすらいないんだから。いいかい、リアーヌ。技師として生き残りたいのなら、ブランシャールに籍を置くのだけは駄目だ。この男の店にいると、君は使い潰されて、しまいには殺されてしまうよ」


「それはまた、随分と物騒なことね」


 サラは身を揺すって笑った。するとリュファスはソファーから身を乗り出し、


「冗談じゃないんだ。これから話すことを、君は真剣に聞かなきゃいけない」


 そう言って一度言葉を切った。舌で唇を湿してから、彼はいかにも思わせぶりな口ぶりで、こう切り出した。


「昔、ブランシャールにはルカという男がいたんだ」

「ルカ? それは、誰?」

「元ブランシャールの従業員さ。顧客名簿を持ち逃げして独立しようとしたので、この赤目烏の怒りを買った。それで、こいつはどんな意趣返しをしたと思う?」

「おい、よせ」


 アルベリクが椅子から腰を浮かせ、物語を止めようとする。だが、それでリュファスが話を止めることなど、あるはずもなかった。


 リュファスは、愉しげに笑いつつ、ゆっくりとした口調で、謎掛けの答えを口にした。


「品評会の招待状を偽造して、納品日を別の日だとルカに思い込ませたんだ。主催者に金をつかませるまでしてね。この品評会に社運を賭けていたルカの店は、首が回らなくなって潰れてしまった。やつは借金を返しきれず、首をくくったよ」


 リュファスが語り終えると、部屋の中に冷ややかな静寂が満ちた。


 図らずも過去の罪科を暴かれる格好となったアルベリクは、苦虫を噛み潰したような顔でソファーに身を沈めていた。


 こうなると残る二人にとっては、気まずいものである。

 サラは気遣わしげにアルベリクを横目に見つつ、最小限の感想を喉から絞り出した。


「そんなお話は、初耳だわ。……でも、お酒の席で話すことではないわね。酔いが醒めてしまったわ」

「俺も初耳だったな。そうか、皇都に来てから、そんなことがあったのか」


 ネイライに至ってはもはや、そんな当たり障りのない寸評を残すことしかできなかった。


 明らかに気分を害した様子のサラを見て、リュファスは自分のやりすぎに気づいたらしい。彼は慌てて両手をサラの方に差し伸べ、誤解を解こうとでもするように、ひらひらとその手を振った。


「気を悪くしたなら謝るよ。確かにこの場で話すようなことじゃあなかったかもしれない」


 だが──。とリュファスは続ける。


「この男にはおよそ人情と呼べるものがこれっぽっちもありゃしないんだ。その証拠に、今日までこいつは君の許に顔を出しもしなかったじゃないか。こんな男の下についてみろ、少しでも気に入らないことがあれば、いつか後ろから刺されるぜ」


 おためごかしに語ってはいるが、結局のところ、彼が言わんとするのは要するに「だからボーマルシェに移籍せよ」という一点に帰結するのだった。


 このリュファスの演説を、サラはソファーに身を横たえつつ、終始退屈そうに聞いていた。あまつさえ彼女は、リュファスが話す間に二回も大きな欠伸を放っていた。


 長い話が終わるや、サラはすかさず、冷たい口調でぴしゃりと言ってのけた。


「本当に、つまらないお話だったわね。やめましょう。やっぱりここで仕事のお話なんかするものじゃないわ」


 それから彼女はアルベリクに向き直り、「アルベリク、私はこんな与太話、気にしないわよ」と、気遣ってみせた。


 これ以上ないサラの振る舞いに、アルベリクは満足げに頷く。


「当然だ。離間工作にしては稚拙だったな、リュファス」

「だが、今の話は事実だ。嘘だと思うのなら、皇都の宝飾組合で古株の連中に聞いてみるといい。──いいかい、リアーヌ。ボーマルシェは決して君を切り捨てたりはしない。約束する」

「俺がこの場に居る限り、この話は続くのか? なら、少し席を外そう」


 ちょうどもよおしていたこともあって、アルベリクは躊躇なく立ち上がり、部屋を出た。

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