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第十一章(4) カフェテラス

 買い物を終えた頃合いで、ちょうど腹も空いてきたということで、二人は少し遅めの昼食をとることにした。


 食事時を少し過ぎていたこともあり、レストランはどこもさほど混雑していなかった。比較的人気のある大通り沿いのカフェテラスにも、ちらほらと空席が見え始めていた。二人はちょうど皿を下げられ空いたテーブルに場所を決め、やってきたウェイターに向かってめいめい好みの食事を注文した。


 街路の端や屋根の上には、未だ銀雪が残っている。しかし、テラスの席と席の間には石炭のストーブが据えられており、カンカンに焚かれているものだから、寒さらしい寒さを感じることはなかった。ナタリーなどは、頭に巻き付けていたストール・マフラーをほどいて、火照った頬を冬の空気で冷まそうとすらしていた。


 晴天の下にあって、彼女はますます美しかった。輝く銀糸のような髪も、透き通るような白い肌も、ふっくらした唇も、男ならではの所有欲を刺激してやまないものがある。皇都において女に慣れているはずのアルベリクですら、気を抜くとナタリーの持つ天然の色香に惑わされそうになっていた。


 そんな懊悩など知りもせず、ナタリーはアルベリクに向かって屈託なく笑いかけた。


「今日は、とても楽しかったです。たまにはこうして山を降りて、街を歩くというのも良いものですね」

「気分転換になったなら何よりだ」


 乱れる心をつゆほども表に出さず、アルベリクは鷹揚に微笑んで見せた。


 やがて食事が運ばれて来たので、二人は談笑しつつそれを平らげた。穏やかな日和の中で、大好きな宝石の話を思う存分語り合う。二人にとって、久しぶりの楽しい食事だった。


 腹ごしらえをして人心地ついたところで、アルベリクが何気なしに尋ねた。


「普段はあまり、このマルブールには降りてこないのかね」

「ええ……」


 答えるナタリーの顔は、浮かなかった。しかし、それに構わず、アルベリクは興味のまま問いを重ねる。


「なぜだ? 街に出れば、今日のように市場で珍しい宝石に出会えるかもしれないのに」


「……出不精なのですよ。私は、家の中で黙って手を動かしている方が、性に合っています」


 目を合わせずに、彼女はそう答える。本心を伏せていることは、明らかだった。


 しかし、それ以上深掘りして問うてもあまり益はないだろうとも思われた。


 アルベリクが別の話題を模索していたところ、カフェの店内から出てきた二人の婦人の片方が、ナタリーの姿を見て僅かに驚いた素振りを見せた。


「あら……? 貴女、もしかしてナタリー?」


 その瞬間、ナタリーの顔がほんの一瞬こわばったのを、アルベリクは見逃さなかった。ナタリーはすぐに頬をほころばせたが、その表情にはどこかぎこちなさが残っていた。


「ごぶさたしています。お元気そうで何よりです」


「貴女も。……本当に、びっくりしたわ。最近見かけないものだから、とっくにこの世から居なくなっていたかと思っていたのに、ねえ。まさか、まだ生きていたなんて」


 二言目から敵意に満ちた物言いだった。どうやら、ナタリーにとってはあまり歓迎したくない種類の知人らしい。


 片割れの女性も、友人の発言に同意して、嘲るように笑った。


「まったくね。ね、貴女、生きてるってことは、また殿方を臥所にたらしこんでいるのかしら? 今度の犠牲者は、そちらのお方?」


 ナタリーの額に、汗がふつふつとにじみ始める。彼女は二人に向かって身を乗り出し、あくまで慇懃に懇願した。


「すみませんが、それ以上はおやめください……。こちら、大事なお客様ですので……」


「あら、そんな偉そうなことをおっしゃるの? 人殺しの貴方が? 穢らわしい淫売のくせに?」


「この期に及んでまだ、男の前では清楚な女でいたいのね。笑わせるわ」


「今、この場にエリゼを呼んでやりたいわよ。あの子、未だに亡くなった夫の夢を見ると言って泣くのよ。貴方が殺したギュスターヴよ、覚えてる? 覚えてないかしらね。たくさん殺したものね」


 罵詈雑言の釣瓶撃ちである。ナタリーの瞼に涙が浮かび、その目が赤く充血し始めた。


「後生ですから、もうご勘弁ください……」


 今にも泣き出しそうなナタリーを見てしまっては、流石に黙ってもいられなかった。


 アルベリクは二人の女のうち一人に狙いを定め、頃合いを見て会話に割って入った。


「そちらのご婦人がお召しになっているそのブローチ、皇都イヴリア・ヴェルテの品ですね。よくお似合いですよ」


 女はその言葉でようやく、アルベリクを観葉植物以上の存在と認めたらしい。彼女はアルベリクの目を見て、にっこりと笑いかけた。


「あら、お目が高いわね。この街に、このブランドがわかる殿方がいらっしゃるなんて思わなかったわ」


 すると、もう一方の女が身を乗り出してきて、アルベリクの耳元で意地悪く囁いた。


「貴方、どなたか存じませんが、この女には近寄らない方が(よろし)しいわよ。この女ときたら、未亡人の立場を利用して、病気持ちのくせに男をとっかえひっかえ……」

「やめて!」


 ナタリーが弾けるように立ち上がり、悲鳴にも似た叫び声を上げた。女は「おお、怖い怖い」などとつぶやきつつ、そそくさとアルベリクから身を離す。


 アルベリクはナタリーに目配せして座るよう促す。それから彼は二人の女に向き直り、努めて穏やかに、そして半ば呆れたような風情で、彼女らをたしなめた。


「彼女の事情は、ある程度理解しているつもりです。しかしまあ、公の場でする話ではありませんな」


 最初にナタリーに突っかかった方の女が、不興げな顔をして、何事か反駁しようと口を開きかける。しかし、彼女が声を発するより前に、アルベリクは懐から名刺を取り出して、二人に向かって差し出した。


「申し遅れましたが、私、ブランシャール宝石店の店主で、名をアルベリク・ド・ブランシャールと申します。彼女には、仕事のパートナーとして、随分と助けられていますよ」


 黒地の紙に銀箔を押した名刺は、ブランシャールのシンボルの一つである。宝飾文化が盛んなマルブールのような街で、この名刺をちらつかせれば、大抵の人間は目の色を変える。


 二人の女たちもご多分に漏れず、一枚の紙切れを手にした途端に色めきだった。


「えっ……ブランシャール……?」

「ブランシャールといえば、皇都の一流宝飾店でしょう? 本当に?」


 アルベリクは目を細め、無言のうちにその問いを肯定する。彼はあくまで紳士的な口ぶりで、とどめの一言を繰り出した。


「今度皇都にいらした時は、ぜひ私共の店にお越しください。その名刺をお出しいただければ、特別なおもてなしをいたしますよ。その折には、お気に入りの一品と出会えるだけにとどまらず、一生忘れえぬ思い出が、貴女がたの心に刻み込まれることでしょう」


 常識的な人間というのは、この手の権威や地位というものにからきし弱いと相場が決まっている。かくして悪魔祓いの『御札』は効力を発揮したらしく、二人の女は曖昧な笑いを見せながら、端切れの悪い別れの言葉を残してそそくさと退散していった。


 二人の姿が雑踏に紛れて見えなくなったのを確かめてから、アルベリクは大仰にため息をついた。ひとまず、面倒事は回避できたらしい。


 ナタリーに目を向けると、彼女は小さくなって俯いていた。その顔色が、異様に青ざめて見えたので、アルベリクは心配になり、思わず尋ねた。「──大丈夫かね?」


「大丈夫です……ありがとうございます」


 俯いたまま、彼女は小さく頷く。返事はか細く消え入りそうだった。


「君が、マルブールに降りるのを渋っていた理由はこれかね」


 アルベリクの問いに、ナタリーはしばしの間、答えられなかった。彼女の呼吸は次第に荒くなり、しゃっくりが頻繁にその喉から漏れ始める。なにか、彼女の身体に良くない兆候が現れているように見えた。


 ナタリーは一度つばをごくりと飲み込むと、かすれた低い声で、呻くようにつぶやき始めた。


「怖かったのです……。私のせいで、夫が亡くなったなんて、あのときは、信じたくなくて……それで……求められれば、強く拒みもせず……」


 ひとしきりの言い訳を口にした後、彼女はおずおずと笑った。


「……少し、浮かれすぎていましたね。私、忘れっぽくて……、忘れてはいけないことまで、忘れてしまう……。──彼女たちの言葉は、本当です。私は、薄汚く、罪深い、人殺しです」


 ナタリーの独語のような言葉を、アルベリクは神妙な面持ちで聞いていた。最後まで聞き終えて彼が見せた態度は、非難でも軽蔑でもなかった。ただ何でもなさそうな顔をして、「そうかね」とつぶやくだけだった。


 そして彼は、とても静かな、穏やかな声で、こう付け加えた。


「──ならば、俺も同じだ」


 ナタリーの口から突如溢れた吐瀉物によって、その言葉は有耶無耶のうちに流れてしまった。

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