第十一章(2) マルブールの宝石商組合1
アルバールの山は、古くから緑柱石の鉱山をその腹中に抱えていた。マルブールという街の歴史は、アルバール山で採れた原石を加工するところから始まっている。
鉱山が開かれた当初は、単なる鉱山町の一つに過ぎなかったが、皇都に近いことや交通の要衝であったことなど、種々の要因が重なり、採れたその場で加工し売るという商売が成り立っていった。
マルブールの宝飾加工産業が有名になるにつれ、腕に覚えのある職人が仕事を求めてこの地に集まってきた。職人が集うようになると、自然と良質な材料も集まる。
このような経緯で、今やマルブールは宝飾関連資源の一大集積地となっていた。
こうして集まった資源の管理、保管、卸、流通、職業斡旋を一手に引き受けているのが、宝石商組合なのである。
マルブールで仕事をしたければ、商人であろうと職人であろうと、組合を通さなければならない。そうでなければ、一銭も稼ぐことなどできないし、ヤスリ一つ贖うこともできないのだ。
権力の一極集中が進めば、腐敗と汚職が跋扈を始める。そして、幹が腐れば枝も腐る。マルブールの宝飾産業は今まさに斜陽の中にあった。
また、こうした巨大な組織では専門性の高い実務を行う者よりも世渡りの上手な者の方が、出世しやすい。逆に言えば、世渡りの下手な人間は落ちこぼれてゆく。宝石商組合もご多分に漏れず、組織内に少数の『出世組』と『落ちこぼれ組』が点在していた。
テオドールという男は、人生の半分を組合所属のブローカーとして過ごしてきた。彼は明確に『落ちこぼれ』側の人間だった。彼は若い頃こそ気鋭のブローカーとして嘱望されていたが、いかんせん善良すぎた。人を蹴落としても上に上がるということがどうしてもできず、また、人よりも宝石と向き合っていた方が幸せという性格も災いした。白髪の交じる歳の頃になると、彼は商談窓口の一番隅に追いやられてしまった。
出世もせず、昼行灯を決め込んではいるものの、テオドールの目利きは組合随一である。彼は、才覚の鋭い爪を隠し持っていた。しかし、それを知る人間は、組合の内外含め、二つの手の指で数えられるほどしかいなかった。
アルベリクは、テオドールの才を知る数少ない人間の一人だった。
彼がナタリーと共に窓口の前に立った時、テオドールは白昼堂々舟をこいでいた。
それを見たナタリーが、苦笑してアルベリクを見上げる。
「寝ていらっしゃいますね……」
「こいつは夜行性だからな。窓口の仕事が終わってからが、こいつの本領なのさ。……おい、テオ、起きろ。仕事だ。質の良い金剛石を原石から探してる」
アルベリクが窓口のカウンターを拳で二度ほど叩く。すると、テオドールはびくりと身体を震わせて顔を上げた。
寝ぼけた彼の二つの眼球は、しばらくの間焦点が定まらずにふらついていた。が、アルベリクの姿を捉えた瞬間、その瞳のなかに光が宿りだし、視線が一点に据えられた。
彼はアルベリクに向かって弱々しく笑いつつ、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、なんだ、アルか……。それに、ルルーさんも……」
「ごきげんよう、テオドールさん。良い日和ですね」
ナタリーは丁寧にお辞儀をしてから、そう言ってにっこりと笑った。
すると、テオドールの方もその笑顔につられて、ほのぼのと微笑んでみせた。
「ああ、日和が良すぎて、ついうとうとしてしまったよ。失敬失敬」
穏やかな二人の間で一人不機嫌そうに眉間に皺を寄せているのが、アルベリクである。彼は冗談めかしもせず、真顔で悪態をついた。
「あんたはいつもそうだろう? 天気がよかろうが、悪かろうが」
「アルベリクさん。そういう言い方は、良くありませんよ」
ナタリーがすかさず、アルベリクをたしなめる。言われたアルベリクは、叱られた子供のように唇を尖らせ、軽くそっぽを向いた。
そんな二人の様子を、テオドールは興味深げに眉を上げて眺めていた。それからひとつ咳払いをすると、彼はおもむろに話を切り出した。
「──それで、今日は何の用かね?」
「質の良い金剛石の原石を探していると言っただろう。同じことを二度も言わせるな。あと、小金剛石もな」
「アルベリクさん」
再び、ナタリーが厳しい目つきでアルベリクを咎める。やりづらいことこの上ない、とでも言いたげに、アルベリクは「ええい」などと唸って頭を掻いた。
ナタリーから良いように制御されるアルベリクの姿を、テオドールは珍しいものを見るような眼で見つめていた。
ふいに、彼は口元に意地悪な笑みを浮かべつつ、アルベリクに向かって身を乗り出した。
「……そういえば、お前さん方は、やつの遺産分けの時に出会ったのか。もうお二人さんは、お付き合いなどしているのかな?」
「えっ……」
ナタリーの顔が、一瞬にして熱した地金のように赤くなった。そんな彼女の顔に一瞥もくれず、アルベリクは押しかぶせるように言った。
「莫迦な。男と女が二人でいたからといって、即ち男女の関係があるというわけでもあるまい。彼女とは仕事上の契約を結んだ関係にすぎん。それはあんたも知っているはずだ」
早口にまくし立てるアルベリクを、テオドールはにやつきながら見上げていた。
「そうかね。しかし、なんだろうな。お二人さん。なんとも、お似合いじゃあないかな」
テオドールのけしかけに反応したのは、アルベリクではなくナタリーの方だった。彼女は居心地悪そうに身をゆすり、目のやりどころに迷った挙げ句、誰とも顔を合わせることができずにうつむいてしまった。
さしものアルベリクも、その様子は哀れに見えたらしい。彼はカウンターに身を乗り出し、テオドールに向かって凄んだ。
「……おい、いい加減にしろ、テオドール。彼女をからかうな」
「からかっとるつもりはないがな。……金剛石の原石なら、良い出物があるよ。待っていなさい」
そう言うとテオドールは席を立ち、奥の別室に姿を消した。
テオドールの姿が完全に見えなくなってから、アルベリクはおもむろにナタリーに向き直った。そして、彼は虎の子の技師の眼を見ながら、子を諭す父のような口調で、噛んで含めるように言うのだった。
「いいか、ナタリー。わかっているとは思うが、あんな男の言葉を真に受けるな。くだらんことで、仕事の集中を欠くんじゃないぞ」
「……ええ、大丈夫です。わかっていますよ」
ナタリーはそう言って、弱々しく苦笑する。
やがて、奥の部屋からテオドールが姿を見せ、二人のもとに戻ってきた。
彼はその手に木製の平盆を携えていた。盆の上には、大量の水晶質の石がひしめき合っている。どの石も、表面にやわらかな乳白色の光を湛えつつ、内奥から虹のような光彩をちらつかせている。
石の姿を観た瞬間、アルベリクの眼の色が変わった。盆の上に並んでいるのは、どうやら大口を叩くだけのことはある代物のようだ。
カウンターの向こうでテオドールは、アルベリクの表情の変化を目ざとく見抜いていた。だが、彼は敢えてそのことに触れようとしなかった。
テオドールは盆をカウンターの上にそっと置くと、アルベリクではなく、その向こうにいるナタリーに向かって語りかけた。
「こいつが現物だ。ルルーさんになら、安く譲るよ。一つにつき、そうだな……これくらいでどうだね?」
テオドールの手が素早くペンを掴んで、メモ帳にいくつかの数字を走り書きする。アルベリクがその数字を一瞥して鼻を鳴らしたが、テオドールはそれも無視した。
「この烏相手なら、絶対にこんな額では売れんだろうさ」
「ふん、ほざけ。まずはモノを見なけりゃ話にならん。金銭勘定はその後だろう」
「お前と商談をしているつもりはないよ、アル」
テオドールの言葉を最後まで聞くことなく、アルベリクは背後のナタリーに向かって振り返った。
「よし、ナタリー、現物だ、現物をその眼で確認しろ。こいつは俺と取引したくないそうだから、全部君に任せる」
それだけ言うと、アルベリクはずかずかと足音を立ててその場を離れていった。彼は壁際の書架から業界紙を引き出し、それを持って応接用のソファーに腰掛けた。そして、わざとらしく大きな音を立てて新聞を開くと、そのまま微動だにせず精読をし始めた。
少なくとも、石選びで彼女が間違うことはありえない。アルベリクはそう踏んで、彼女に全て任せることにしたのだ。
アルベリクの手にした経済新聞は、資源価格の高騰を伝えていた。その紙面を片目で追いつつ、アルベリクはもう一方の目で油断なくナタリーたちの方を伺っていた。






