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第十一章(1) 山小屋

 ナタリー・ルルーは、稀少な才能を持った技師だった。彼女は金属細工だけでなく、デザインから石のカットまで、自らの手で行うことができた。極端にいえば、材料と道具さえ彼女に与えれば、一人で製造の全行程を完遂できる能力が彼女にはあった。しかも、どの工程においても、その能力は他を凌駕しているのである。


 これは、ある種悩ましいことだった。彼女の能力を三分割して三人の人間に分け与えられれば、どれほど効率が良くなることだろうと、アルベリクは常々嘆息したものだった。なにしろ、彼女がデザインを描いている間は、彼女の彫金の能力もカットの能力も使うことができないのだから。


 それゆえ、彼女がブランシャールと契約してこのかた、その才能の全てが使い切られたことは一度としてなかった。彼女はもっぱら、デザインと一部の金属細工のみに注力し、既にカット済みの石を使って製造していた。また、彼女の手掛けたデザインの多くは、彼女の手を離れ、外注先が製造を担った。無論、こうした分業はナタリーの望むところではなかったようで、露骨に不興を示すこともままあった。


 しかし、今回の案件に関しては、これまでのやり方とは違う。デザインや金属細工だけでなく、石の選定やカットまで彼女の判断に委ねた。当然効率は悪くなるが、それを許容することでしか得られないメリットがあったのだ。


 ──品質を超えた品質。アルベリクはそう表現する。単なる物理的な品質に留まらず、精神性や哲学を高次に表現するほどの品質である。それは作品の中に、一人の人間の小宇宙を映し出す。


 彼女の代表作である蝶のブローチは、このやり方で作られたものだった。だからこそ、皇后の心を揺り動かしたのだ。


 至高の品を創る。それが今回の案件の目的である以上、彼女に全て任せるのが最善の方法だったのだ。


 その第一歩が、デザインである。ナタリーはアルベリクが山小屋を訪れたその日のうちに、第一弾のデザインを描き上げてきた。机の上に広げられた画用紙の上には、複数のデザイン案が描かれている。全て、国の象徴たる楓と鶫をモチーフとしたデザインだった。


 アルベリクはそのデザイン画を舐めるように一瞥し、対面に立つナタリーに短く訊いた。


「デザインは原寸か?」

「はい」

「今回の案件の第一の目的を理解しているか?」


 僅かに思案した後、ナタリーは目を上げ、アルベリクをまっすぐに見据えてこう答えた。


「……『永遠に果てなき輝き』」


「よく話を聞いているな。──そうだ。今後百年、千年の間、人々がそれを見る度に思わず感嘆の声を漏らす。そんな品を創ろうというのだ。メインの石は良いとして、周囲の石のサイズを、もう少し大きくできないのか」


 ナタリーはアルベリクの言葉を聞く端から、その意図を理解したようだった。聡い眼で頷き、彼女は答える。


「光量を気にされているのですね。であれば、大きさではなく、カットの質を気にするべきです。それに、ここの石をあまり大きくすると、主役の石が霞んでしまいます」


「ではせめて、この四つの色石は、それぞれ一回り大きくしてほしい。石量を増やせば、カットをもっと大胆にアレンジできるはずだ」


「四つ全部ですか? 構いませんよ。バランスは、全体的に調整するとして、問題は予算ですが……」


「予算など気にしなくて良い。何しろ相手は皇室に親しい公爵様だ。予算は青天井と言って良い。心の中からあらゆる制約を取り払え。とにかく贅を尽くし、今この世で実現できる最高の一品を創り出してほしい」


「……良いでしょう。しかし、そうなると、石も探さなくてはなりませんね。今、手元には、ここに描かれているより大きな石は一つもありませんから」


「必要ならば、皇国の本店から取り寄せるが……。ここは宝石の街マルブールだぞ。原石から現地調達できるだろう。違うか?」


 一瞬、ナタリーの言葉が詰まった。次いで返ってきたのは「……そうですね……」という気乗りのしない返事。その表情も露骨に曇ってゆく。


 アルベリクは怪訝に思って眉をひそめた。彼女は、マルブールに何か思うところがあるのだろうか?


 しかし、アルベリクは敢えて彼女に深く尋ねようとは思わなかった。人には人それぞれ、触れられたくない部分があるというものだ。


 場に漂い始めた緊張をほぐすため、アルベリクはゆっくりと微笑み、敢えておどけた調子でこう提案した。


「なんなら、今から俺がひとっ走り市場に行って、最高の品を調達してきてやろうか」

「いえ、それならば、私が行きます。材料はこの目で見て選びたいのです。特に、石にはこだわりたくて」


 アルベリクは思わず短く唸った。まったく、職人らしい正論である。


 彼はしばし顎に指をあてて思案した後、ナタリーに向き直って言った。


「なら、一緒に行くか。今から」

「え……?」


 虚を突かれたように、ナタリーは目を丸くする。


「嫌かね?」


 二つの意味を含ませた問いだった。俺とゆくのが嫌なのか、それとも、マルブールが嫌なのか。


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 ナタリーは慌てて手を横に振り、アルベリクの言葉を否定した。その額には、うっすら汗が光っていた。


「なにか、気になることでもあるのか? 体調に問題が?」

「いえ、大丈夫です。ぜひ、ご一緒しましょう……」

「なら、すぐ準備にかかろう」


 ナタリーは小さく頷くと、いそいそと寝室に向かっていった。扉に手をかけ、やおらアルベリクに振り返ると、彼に向かって弱々しい笑顔を向けた。


「ちょっと着替えてきますので、お待ちくださいね」

「ああ」


 短く返事をして、アルベリクも出かける準備にとりかかった。といっても、彼の準備には数分もかからなかった。コートに袖を通し、マフラーを首に巻き、帽子を頭に乗せる。鞄を開き、現金と小切手帳の存在を確かめる。それで(しま)いだった。


 手持ち無沙汰になったアルベリクは、窓際に座ってカタログを眺め始めた。ボーマルシェの製品カタログである。そこに掲載されている品々はどれも大変に素晴らしい出来栄えだったが、今ナタリーが描いているデザイン画は、未完成であるにも関わらず、それらより遥かに優れて見えた。


 完成した彼女の作品は、いつか顧客の手に渡り、晴れ舞台で世にお披露目される。その日の光景を夢想すると、アルベリクの心は躍った。彼女の次の作品は、疑いなく、人類の歴史上最高の品になることだろう。


 ほどなくして、寝室の扉が開き、その開いた隙間からナタリーがゆっくりと姿を現した。


 その立ち姿を見た瞬間、アルベリクは嘆息して目を見開いた。


「ほう……! 美しいじゃないか。これは、隣を歩くのも光栄というものだな」


 彼女は、このほんの僅かな時間で、見事に一人の淑女として変身を遂げていた。


 常時着倒している作業着の代わりに濃紺色のドレスを纏い、顔には薄化粧を施している。髪はいつもどおり後ろで束ねているだけだったが、前髪は櫛でといたのか、さらさらと柔らかく額に流れている。そして、胸元には控えめなサイズのネックレスが、秘めやかに光り瞬いている。


 装いとしては、ただそれだけだった。しかし、ただそれだけの装いで、彼女は二目見たくなるほどの清楚な姿を獲得していた。


 元々の素材が良いのだ。ゆえに、僅かな工夫だけで、見違えるほど美しくなる。


 アルベリクはそのようなことを、心に思うだけでなく口に出して評していた。ご機嫌取りの意図もあったが、本心が口をついて出たという側面の方が強かった。


 アルベリクから褒められた途端、ナタリーの顔は牡丹の花のように真っ赤に染まった。見るも哀れなほど彼女は狼狽し、どこへともなく視線を彷徨わせる。


 やがて彼女は伏し目がちにうつむき、消え入るような声で呟いた。


「……よしてください。恥ずかしいだけです」

「その割には、化粧までして」

「お化粧をしなければ、もっと恥ずかしいじゃありませんか。緑柱石だってお化粧くらいするでしょう? ……さ、無駄話はこのくらいにして、もう行きましょう。まごまごしていては、良い石など、すぐに捌けてしまいますから」


 彼女はそそくさとアルベリクの脇を通り抜けると、玄関脇の帽子掛から毛糸のストールマフラーを取り上げ、それで自らの頭をすっぽりと覆った。


 銀糸のような髪も、なめらかな額も、なにもかも、深く巻かれたマフラーの裡に隠されてしまう。


 アルベリクは落胆を隠しもせず、吐き捨てるように呟いた。


「そんなもの、要らんだろう。折角……」

「……冷え性なのですよ。お気になさらず」


 アルベリクと目を合わせようともせず、ナタリーは低い声でそう呟く。

 もしかすると、彼女は本当に、容姿について触れられるのが嫌なのかも知れない。


 ようやく支度が整ったので、二人は連れ立って山小屋を出た。


 山肌の雪が、眩く白く輝いて、二人を待ち受けていた。空を見上げれば雲ひとつない好天である。宝石を買い付けるには、絶好の日和だった。

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