第九章(2) 皇都の宝石商組合
皇都の宝石商組合は、皇国最大の宝石市場を擁する。基本的に地産地消のマルブールと異なり、皇都の宝石市場は世界中から人と宝石が集まり、再び世界に向けて散ってゆく。人と物の集積地であり、同時に中継点でもある。そういう類の場所だった。
ブランシャールはガストンを重用していた都合上、マルブールの石を主に仕入れて使っていた。だが、ガストン亡き今、皇都の工房に仕事を依頼する頻度が上がり、その結果、宝石の仕入れ先も皇都の市場に移りつつあった。
その日、アルベリクは懇意にしている卸売業者から特別な出物の情報を得ていた。そこで、幹部たちとの打ち合わせを済ませるや、その足で市場に駆けつけたというわけである。
特別な出物というからには、通例なら、大々的な宣伝を経て競売が開催されるはずだった。となれば、各地から有力な商人が集い、市場は大変な賑わいを見せているはずである。
しかし、アルベリクが目にした市場の様子は、平時となんら変わらなかった。たしかに多くの人で賑わってはいるものの、人々の表情に飛び抜けた緊張感は見られない。何かが起きる時の、ある種ひりつくような空気は皆無だった。
奇妙に思いつつ、アルベリクは件の業者の店に足を運んだ。
業者は店先に立って、客引きに精を出していた。往来を行き交う人々の興味を惹こうと、必死になって声を張り上げている。
アルベリクが前に立つや、男は芝居がかった態度で己の掌を叩き、その手でアルベリクを指し示す。
「来たな、ブランシャール」
「ああ、来た。それで? とびきりの出物とは何だ?」
「おいおい、挨拶もなしかよ。まあ、そう焦りなさんな。──おう、ちょっくら奥に行くから店番頼まあ」
男は店子に番を任せ、アルベリクと連れ立ってバックヤードに潜り込んでゆく。
バックヤードは雑然としていた。林立する棚には書類やら商品やらが、整理されているのかされていないのかわからぬ状態で並べられている。そして、その棚の間を埋めるように、外国の文字が印刷された木箱がいくつも積み重なっている。
二人はこの『モノの森』の隙間を縫うように歩き、部屋の奥に分け入ってゆく。突き当りの最も乱雑になっているところに、応接用の椅子と机が、半ば埋まるような形で鎮座していた。アルベリクは肩を小さく縮めて、狭い椅子の中に身を押し込んだ。
男はアルベリクの前に座り、おもむろに話を切り出した。
「あんたに紹介したい男がな、いるんだよ」
「それが用件か? 特別な品が入ったというから来てやったのだぞ」
「嘘は言ってねえぜ。その男が、あんたを名指しにして、取引したいと言ってやがんだ」
その言葉を聞くや、アルベリクはうんざりしたように眉根を寄せた。
先般の紅玉の一件から、アルベリクの心には強い警戒心が宿っていた。ことに、ここ最近ブランシャールを訪ねてくる業者ときたら、惨憺たる有様だったのだ。
海千山千の赤眼烏を相手に石を売ったという実績を得れば、畢竟信用できる商人であるという証明につながる。そうした噂を聞きつけた有象無象の輩が、大した商品も用意しないまま口先八丁で屑石を売りつけようとしてくるのだ。アルベリクがうんざりするのも無理はなかった。
しかし、目の前に座る問屋は信用できる男であるし、彼の紹介を無碍に断るわけにもゆかない。アルベリクは頭の片側に痛みを感じつつ、目の前の男に話の続きを促した。
「そいつは、どんな男だ?」
「ジルベールって男でな。下町訛りが強いくせに、どうも……なんてえか、雑じゃねえ。変わったやつなんだ。やたらと目が肥えてやがる。それでいて、どこの店の所属でもないってんだ」
「素性の怪しい人間を、あまり出入りさせるなよ」
「それなんだがよ。ピエール・ド・カミユ伯爵直々の紹介だから、素性は悪くねえんだな、これが」
「カミユ伯爵か……」
ピエール・ド・カミユ伯爵は、皇国東部の鉱山地帯に古くから領地を持つ名門貴族の当主である。近年は中央から遠ざけられ、皇都で名を聞くことはなくなったが、それは彼らカミユ家が皇国派の最右翼に位置し、パヴァリア派と激しく敵対しているためであると言われている。その噂に違わず、カミユ家の泰皇への忠誠心は高く、たとえ皇国の権力中枢から外されようとも、泰皇に対する礼節は決して揺るがなかったという。
このピエール・ド・カミユという伯爵は、あらゆる行動が政治活動に結びついていると言われるほど、油断ならぬ男だった。そのカミユ伯爵が自分の名を出して紹介してきたからには、そのジルベールという男にもなんらかの政治的意図が存在するに違いなかった。
「そいつはなぜ、俺を名指しにしたんだ?」
「そんなこと、俺が知るかよ。例によって、クラヴィエール公の案件がらみじゃねえのかい」
「なら、ますます怪しいな……」
「だが、うまくすりゃ伯爵とのコネを得られるかもしれねえぜ。やばそうなら縁を切りゃあ良い」
「やけに推すな。いくら掴まされた」
「まだなんにも。あんたとそいつを引き合わせることができりゃあ、それなりに貰える約束だ」
「まだ会うとは言っていないぞ」
「会うんだろ? 会うはずだ。あんたならな」
確信のこもった視線が、アルベリクに向かって注がれる。
言われるまでもなく、アルベリクは最初からそのつもりだった。相手が例え悪鬼であろうが、彼は会うつもりでいたのだ。
だが、面と向かって断言されてしまうのは、あまり気分の良いものではなかった。