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第九章(1) ブランシャール宝石店

「こんな屑石を持って寄越して、希石でございと貴様はほざくのか!」


 今日も今日とて、ブランシャール宝石店の執務室に、ヒステリックな叫び声がこだまする。誰の声か。無論、アルベリクの声である。


 クラヴィエール公の案件が決まってからこちら、彼の怒声の響かぬ日はなかった。


 アルベリクの手には、大粒の金剛石がひとつ、(つま)まれていた。その金剛石を、彼は目の前に立つ哀れな部下に向かって、掲げて見せていた。


「いいか、俺たちは歴史を作ろうとしているのだぞ。百年を超えて残る歴史だ。この石に、百年の時を耐えられる力があると、貴様は本当に思っているのか?」


「し、しかし、これは最高品質の金剛石です。現時点で、これ以上価値のある石は……」


 アルベリクは(まなじり)を釣り上げ、手にした金剛石を部下の男の胸に押し付けた。


「金剛石では駄目だ! 生産調整によって価値が決まる石では──。石屋が手のひらを返して市場の流通量を増やせば、たちまちそこら辺に売られる土産物と同価値になるのだぞ」


「そうはおっしゃられましても、希少かつ品質の高い石というのは、なかなか市場に出回るものではなく……」


 男の額に、玉の汗が光る。その額に向かって、アルベリクはしたたかに罵声を浴びせかけた。


「──それを何とかするのが、貴様ら仕入れ担当の仕事だろうが!」


 男は肩をびくりと痙攣させ、身を縮こませる。


 善処する旨を口の中でつぶやいたのち、部下の男は逃げるように執務室を去っていった。


 部屋に一人残されたアルベリクは、興奮冷めやらぬまま目を爛々と輝かせ、肩で息をしながら立ち尽くしていた。


 ふいにアルベリクは、震える手を懐に差し入れ、一つの指輪ケースを掴み出した。ケースの蓋を開けると、中から一つの指輪が顔を覗かせた。件の茨の指輪だった。


 ここ最近、彼はこの指輪を肌身離さず持ち歩いていた。いつでも鑑賞できるようにするためである。


 心が乱れた時、あるいは不安に苛まれた時、この指輪を見ると、不思議と落ち着きを取り戻すことができた。


 今しも、アルベリクの緋色の瞳は指輪を捉え、その姿をしげしげと見つめはじめた。すると、彼の目に宿っていた険は見る間に和らぎ、乱れていた呼吸も次第に整っていった。


 その様子は、傍から見れば、蓮の指輪を眺めて安堵するナタリーの姿と、なんら変わりなかった。しかしアルベリクがそのことを自覚する気配は、皆無だった。



 ◇



 好機を前にして、アルベリクの心は(はや)りつつあった。


 悲願たる皇室御用達へ向け、クラヴィエール公の案件はなんとしても成功に導かなくてはならない。


 しかし、宝飾の主役となる要の宝石が、未だ見つかっていないのである。


 特に今回の相手は国政を担う大臣である。予算も青天井。となれば、宝飾を扱う者として、この世にまたとない類稀(たぐいまれ)なる一石を用意したい。そうアルベリクが願うのは、ごく自然なことだった。


 唯一、限りのある資源は、時間だった。納期は決まっている。材料が揃わず着手が遅れれば、その分、製造に回す時間が足りなくなってしまう。


 この状況が、アルベリクの心に焦りを生んでいた。焦りは得てして、付け入る隙を生むものである。


 ブランシャールが最高品質の宝石を血眼になって探しているという噂は、宝石商の間で大きな話題となっていた。もしも店主アルベリクのお眼鏡に適う品をもたらせば、巨万の富を得られると、まことしやかに囁かれたものだった。


 そんなある日、一人の男がブランシャールの門を叩いた。彼は業者用のエントランスで受付に相対するや、開口一番、「極上の石を持ってまいりました」と(のたま)い、一つの宝石を開陳した。商人を説得するには、百の言葉より一つの現物である。男はそれを充分に心得ていた。


 男が持ってきたのは、見事な大粒の紅玉だった。肉眼では内包物を認識できないほど透明度が高く、それでいて色味は限りなく深く、研磨も非の打ち所がない。まさに最高品質と呼ぶにふさわしい逸品だった。


 また、質で言えば、男自身の様子もまた、大変に優れていた。東洋風の相貌を持つその男は、至極愛想がよく、物腰も柔らかで、身なりもしっかりしていた。つま先から頭の頂点まで丁寧に整えられており、最高の品をもたらす者にふさわしい立居振舞だった。


 アルベリクは男を応接間に招き入れ、丁重にもてなした。そして、世間話もそこそこに、男の持ち込んだ石の鑑定に取り掛かった。


 紛れもなく、真の紅玉だった。ルーペで見ると、石の内奥に僅かな内包物が見られたが、それこそまさしく、この石が本物の天然石であることを示していた。また、『鳩の血』と呼ばれる特等の色味を有し、その姿には、ある種の艶めかしさすら漂っている。


 アルベリクは目を瞑り、瞼の裏で夢想した。この石が、新作のブローチの中央に収まり、煌めく姿を。わずか数瞬そうしていただけで、彼の脳裏には数十のデザインが、万華鏡のように形を変えて浮かび消えていった。


 品物は、なるほど非の打ち所がない。しかし、こうした持ち込みの品を買い取る際には、より大事な観点があった。──その品の素性である。


 アルベリクは宝石から目を上げ、男に向かってそれとなく尋ねた。


「素晴らしい品ですな。──これはどのようにして手に入れられたものですか」


「私共、中央トラク商会は、南トラク王国を本拠とする宝石商ギルドです。私共は国内に多くの直営鉱山を保持しております。こちらの品は、私共の持つ紅玉鉱山から採れたものでございます」


 アルベリクは寡聞にして、男の話すギルドの存在を知らなかった。だが、南トラクが紅玉石の一大産地であることは、宝飾で口に糊する者なら誰もが知っていた。


 ブランシャール宝石店も、これまで幾度となく南トラク産の良質な紅玉を仕入れてきた。したがって、石の素性を知るための知見も、ある程度蓄えていたのだった。


「鑑別書を拝見したい」

「こちらに」


 男はよどみない所作で、アルベリクの前に一枚の書類を差し出した。金刷りの飾り枠が施された色付きの上質紙に、産地や登録日、重量やサイズなどの諸情報が書きつけられている。


 南トラク王国は原石採掘を国策産業としており、鑑別書も国の定めた様式に従って発行されていた。男の提出した鑑別書は、まさしくその様式通りの代物だった。


 疑わしきところは、何一つない。この取引は、どこを切っても清廉潔白に見えた。


 だが、アルベリクの緋色の眼は、チラチラと光を放ちながら、油断ならぬ様子で男の姿を()め回していた。


 この商談の半ば辺りで、アルベリクはある種の違和感を覚え始めていた。


 ──あまりにも、何もかもが完璧すぎるのだ。


 加えて、ある一つの情報も、アルベリクの疑念に拍車をかけていた。それは一ヶ月ほど前にブランシャールにもたらされた情報で、東方のさる王国の大貴族が、盗難に遭ったという内容だった。盗まれたのは家宝のブローチであり、そして、そのブローチには、見事な鳩の血色の紅玉があしらわれていたという。


 盗難されたブローチの形状については、一切情報が入っていなかった。そのことが、今まさに、アルベリクの仕事を困難なものにしていた。


 そんな懸念をよそに、男は朗々と語り続ける。


「ご覧の通りの逸品でございますから、大変多くの方が興味を持たれていらっしゃいます。引き取り手は早晩にも現れることでしょう。しかし、手付金を頂戴できれば、お取り置きするに(やぶさ)かではございません。いかがいたしますか?」


 この場合、手付金の提案をするのは定石であるが、もし彼が詐欺師なら、手付金の持ち逃げを狙っているとも考えられる。


 アルベリクは口髭を指でなぞって思案した後、意味ありげな含み笑いを浮かべて目の前の男を見やった。


「私もこういう商売が長いもので、ある種の勘というものが働くのですよ。何が真で、何が偽か。裏付けも根拠もない、そんなものが真であることもあります。逆に、すべてが揃っているにも関わらず偽であることもある」


「しかし、多くの場合は、真らしきものこそ真。そうではありませんか」


 男は動じることなく微笑んだ。

 ひとたび疑いの心が芽生えれば、何もかもが疑わしく見えてくるものである。


(……ここは、席を立つ場面では? 真に真であれば。引く手あまたの希石なのであれば)


 アルベリクの脳裏に、そんな問いが反響する。


 眼前の紅玉はあくまで綺羅びやかで、かすかな風が吹くだけでその身を揺らし、眼を潰すほどの輝きを放つ。是が非でも欲しい、そう思わせる一品であった。


 しかし、アルベリクの長年の勘と嗅覚は、控えめだがはっきりとした警鐘を鳴らしている。この取引は、なにか(にお)う、と。


 男が一つ咳払いをする。無言の時間が長すぎたのだ。これ以上逡巡しているわけにはいかない。


 ──答えを出さねばならない。是か非か。白か黒か。


 アルベリクは心の中で悶えに悶えた挙げ句、血反吐を吐く思いで、このような場合の定型句を口にした。


「……残念ですが、当店では初取引の方には手付金をお支払いできない規則になっております。例外はありません。しかし、もちろん、これで交渉の終わりというわけでもありません。本件、前向きに検討させていただきますので、本日はお引取りいただけますでしょうか」


 アルベリクがそう言うと、男は嫌な顔ひとつせず、柔和に微笑んでみせた。


「承知いたしました。もちろん、構いません。私共の連絡先はこちらになります。いつでもお呼び立てくださいませ」


 男はそれだけ言って、粘るでもなくブランシャールを後にした。男の背中を見送ったアルベリクは、即座に店の中に取って返し、一人の部下を捕まえてこう命じた。


「今の男の跡を()けろ。気取られるな」


 ほどなくして、部下が尾行から帰ってきた。彼の報告によると、男はまっすぐ皇都の高級ホテルに戻ったという。そのホテルは、まさしく連絡先に書かれた通りの場所だった。そして、宿泊者名簿には、男が語ったとおり『中央トラク商会』の名が記されていたという。


 情報を集めれば集めるほど、男の正体は真に近づいてゆくような気がした。だが、現時点では、まだコインは裏も表も見せてはいない。最大の懸念である、盗品の筋が明らかになるまでは……。


 アルベリクはあらゆる手を尽くし、盗まれたブローチの情報を集めるよう手配した。情報の到着を待つアルベリクの焦燥たるや凄まじく、まさに居ても立っても居られないという状態だった。


 後日、ついにアルベリクは、アルノー夫人の(つて)で、盗まれたブローチの形状にまつわる文書を手に入れた。


 そこに記載された形状を見た瞬間、アルベリクは快哉(かいさい)を叫んだのだった。ブローチの中央には、先日その目で見た紅玉が、まさしくそのままの姿で描かれていたのだ。


 アルベリクは念の為、すぐに男の泊まるホテルを訪ねたが、男はすでに宿を出払った後だった。そして、その後、アルベリクの耳に『中央トラク商会』などという組織の名が聞こえることはついぞなかった。


 強い欲望は、あらゆるものを引き寄せる。良いものも、悪いものも──。しかるに、それを受け取る者は、多大な注意を払い、良いものだけを選び抜かねばならない。


 今回の一件は嚆矢(こうし)にすぎない。今後はさらに多くの魑魅魍魎が、アルベリクを謀り食い物にしようと、彼の元を訪れることだろう。


 油断してはならない。己の武器は、眼窩に収まる緋色の双眸のみ。その武器を駆使し、必ずや真なる希石に辿り着いてみせる。アルベリクはそう決意し、気持ちを引き締める。


 そうこうしている間にも、アルベリクの元にまた新たな石の情報が届いた──。

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