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第八章(1) ブランシャール宝石店・執務室

 トーブマンのオークションと、アルノー夫人の品評会。宝飾界隈における主要な催しで話題を独占したものの、ナタリーの作品は未だ流行を生み出すまでには至っていなかった。


 装身具は、身につけられて初めて話題にのぼり、追随者を生むものである。これまでの売り出し方では、コレクターや宝飾業界関係者の間で話題にのぼりこそすれ、一般的な貴族やブルジョワジーの認知を得ることはできなかったのだ。


 こうした点や、先の品評会での反省も踏まえ、ブランシャールはブランド構築の戦略を立て直す必要に迫られていた。


 そんな折、ブランシャールの事務所に一通の手紙が届く。この手紙が、店内に小さな騒動を巻き起こした。


 封蝋の印璽が、皇室の紋章だったのである。差出人は、皇后陛下その人であり、手紙は直筆のものだった。


 内容はごく簡単なもので、ブランシャールの店主アルベリクを、聖地グリアエの奥の院に召喚する旨が書き付けてあった。招待ではなく召喚である。


 この手紙の内容が読み上げられた瞬間、執務室に集った幹部連の、アルベリクを見る眼が一瞬で変わった。


 これまでは、上司と部下という関係であれど、あくまで同じ土に立つ人間同士として、両者の間にはある種の気安い空気が流れていたものだった。


 しかし、今やアルベリクとその他の間には、明白な境界が生じていた。


 天上に連なる者と、そうでない者の差。翼を持つ者と、そうでない者の差。天国の錠前に差す鍵を持つ者と、そうでない者の差。そういう類の格差が、二者の間に深く広い溝を刻み、その心の距離を近づきがたいものにしてしまったのだ。


 そんな中、側近のローランだけは顔色一つ変えず、アルベリクに寄り添い、額を突き合わせて手紙を覗き込んでいた。


 彼は手紙を一読するなり、渋面を作った。


「……直筆の署名に割り印入りとは念が入っていますね。逃がす気はない、ということでしょう」

「そうだな。だがまあ、皇后陛下をダシに使った以上、こうなることは想定していた」

「何か問題でもあるのかね」


 人事のディミトリが、アルベリクではなくローランに向かってそう尋ねた。

 ローランは小さく頷き、幹部連に向かって要点を講釈し始めた。


「現皇室は、表向きには一枚岩のように見えますが、その実、大きく二つの派閥に分かれているのです。一つは、パヴァリアから来た者やベツレヘム教の関係者で構成される、通称パヴァリア派。皇后陛下はこちらに属します。もう一つは、泰皇陛下を筆頭としてグリアエ王国時代の復古を志向する、通称皇国派です」


「む……? 夫婦で派閥争いしているということなのか? それはまた……」


 ディミトリが、のけぞりながら顔をしかめる。


「夫婦としての仲はとても(よろ)しいと聞いています。ただ、いかんせんお二方とも公人である以上、それぞれの政治的立場というものがあるのです」


 ローランの語りに、アルベリクが後ろから身を乗り出して注釈を差し挟んだ。


「問題は、建前上にせよ主権が泰皇陛下にある以上、皇室御用達の道もそちらにあるということだ。これは言い換えれば、皇后陛下と懇意になればなるほど、国内での栄達が遠のくということになる」


「これまで、皇后陛下がお抱えになった業者は無数にありましたが、皆非公式の存在として扱われ、やがて雨上がりの水たまりのように消えていきました。噂では、皇国派の干渉によりお取り潰しになった業者もあるとかないとか……」


 二人の語る内容は、ブランシャールの未来に暗い影を投げかけるものだった。重苦しい空気が執務室に満ちる。

 ディミトリもまた、口髭の奥から低い唸り声を漏らして呟いた。


「いかにもまずいですな。断ることはできんのですか」


 この問いかけに対し、アルベリクは手にした手紙を目の高さまで掲げ上げ、ディミトリに向かってひらつかせてみせた。


「これは召喚状だ。反古にすれば叛逆の罪に問われる」


 彼は手紙を慎重な手付きで封筒に戻し、幹部連たちを凜然と見返した。


「しかし、これはむしろ好機(チャンス)だと俺は考えている。皇后陛下とはうまく距離を取りつつ、本命の皇国派に取り入るというのが、俺のプランだ。現に、アルノー夫人の品評会では第二皇子との面識を得ることに成功した。グリアエに出入りできるようになれば、皇国派と接触する機会も増えるだろう」


「なるほど……」


「何者でもなかったブランシャールが、ようやく掴んだ天国への切符だ。大事にせねばな」


 見上げた窓の外、空には重い雲が隙間なく立ち込めており、未だ冬半ばであることをアルベリクに思い知らせていた。

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