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第七章(3) アルノー本邸3

 アルベリクとサラの二人は、庭園の片隅に据え置かれたベンチに腰掛け、めいめい物思いに耽っていた。かたやアルベリクは乾いた冬空を振り仰ぎ、一方のサラは、気まずそうな顔をぶら下げつつ、庭園に敷かれた石畳の継ぎ目を目で追っていた。


 天を仰いだまま、アルベリクが呻く。


「やってしまったな。あそこでギヨーム卿におもねることができなかったのは、失策だった。どうかしていた」


 痛恨の様子を見せるアルベリクに対し、サラは気遣わしげな様子で、慰めの言葉を贈った。


「そうかしら。あの蟋蟀のような男にやり返した時の貴方、堂々としていて、素敵だったわ」

「しかし、次に繋がらなければ、無意味だ」


 再び、気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 やがて、沈黙に焦れたサラが、顔を上げてアルベリクに問うた。


「これからどうするの?」

「状況次第では、商いを移すかもしれんな。パヴァリアは無理だろうから、諸侯連合か、はたまた極東まで逃げるか……。またイチからやり直しになるが……」


 これを聞くや否や、サラはぱっと眼を輝かせ、アルベリクに向かって身を乗り出した。


「私もついていく」

「君はやめておけ。ろくなことにならんぞ。着る服どころか食うものにも困る日々に逆戻りだ」

「構わないわ。二人でなら、どこでだって、なんとかやって行けるわよ」

「言うようになったじゃないか」


 アルベリクは眼だけ動かしてサラを見やり、さも愉快そうに笑った。その笑顔を引き出せたことに満足したか、サラもまた嬉しそうに眼を細めるのだった。


 と、その時、館の方から一人の小さな人影が、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。その人物は大きく手を振って、アルベリクに向かって呼びかけてきた。


「ブランシャール様!」

「ジョゼ殿」


 近づいてきた姿を見て、アルベリクがその名を呼ぶ。


 使用人のジョゼは、アルベリクに駆け寄ると、抱きつかんばかりの勢いで、彼の胸元まで身を寄せてきた。


 肩で息をしながら、彼女はアルベリクを振り仰ぎ見た。泣いているような、笑っているような、不思議な表情だった。


 彼女の様子を怪訝な表情で見守っていたサラが、その気安さを咎めるように、二、三度咳払いをしてみせた。すると、ジョゼは自らの醜態を恥じてか、頬を赤く染めてアルベリクから距離を取り、居住まいを正した。そして、サラに対しても、深々と頭を垂れた。


「……審査が済みましたので、こちらにお越しください」


 ジョゼはそう言って、手で館の方を指し示す。ブランシャールの二人は、不可解な面持ちで互いに顔を見合わせた後、ジョゼに従って館の方に歩みだした。


 アルノー夫人の品評会では、先述の通り、審査員の判断により明確な優劣が定められる。そして、この優劣は、展示される部屋の違いによって可視化される。劣等な作品は、一階の応接間に配され、優等なものは、二階の大広間に配されるという具合である。


 アルベリクは、無意識のうちに一階の応接間に足を向けていた。先程のギヨームとのやり取りから、ブランシャールの作品は劣等のものとして扱われるに違いないと思いこんでいたのだ。


 だが、そんなアルベリクを、ジョゼが静かに引き止めた。


「こちらですよ」


 どういうわけか、彼女は二階に続く階段に足を掛けていた。アルベリクは、慌てて(きびす)を返す。


「二階に行かれるのですか」


 アルベリクの問いに、ジョゼは気取った様子で首肯する。


 二階の大広間に足を踏み入れると、途端に視界が開けた。広々とした空間の中央に、ぽつねんと人集りができている。どうやら、優等を獲得したのは、一作品のみだったらしい。


 人集りに近づくと、案の定、そこにはあのボーマルシェの傑作『天の雪』が、まばゆい光を放ちつつ鎮座していた。


 作品の傍らには作者であるネイライが立ち、周囲に愛想を振りまいている。彼は、アルベリクの姿を認めるや、破顔して近づいてきた。


「アル」

「ネイライ。あんたが最優等か。おめでとう」

「それは、こちらの台詞だ。──俺は今、猛烈に感激している。お前なら、やってくれると思っていた」

「どういう意味だ」


 ネイライは答えず、離れたところに立っているジョゼの方に目配せをした。ジョゼは小さく頷いて、再びアルベリクたちを促す。


「ブランシャール様、こちらへ」


 案内されるさなか、アルベリクは大広間のソファーに座るギヨームの姿を見た。彼は椅子の肘掛けに肘をのせて頬杖をつき、至極不機嫌そうな顔でアルベリクたちを見送っていた。


 ジョゼが案内したのは、大広間と別の大広間を繋ぐ、画廊とも言うべき小部屋だった。部屋の壁にはアルノー家に連なる歴代の主人たちの肖像画が飾られており、この家が皇国建国前から続く名門であることを証立てていた。


 この小さな部屋の一角に、異様な数の人集りが出来ていた。その人の数たるや、ネイライの『天の雪』を囲むそれより遥かに多い。アルベリクたちはその人集りをかき分け、輪の中心に近づいていった。


 やがて一行は、壁に掲げられた一つの肖像画に行き着いた。軍服姿の勇壮な男。それでいて、目元には優しげな笑みが隠しきれずに滲んでいる。それは、ベルティーユ・アルノーの夫であり、未だ戦地より帰らぬアルノー公の肖像画だった。


 この肖像画に寄り添うように、小さな額縁が掲げられていた。その額縁を見た瞬間、アルベリクは息を呑んだ。


 それこそ、まさしく、ナタリーの作った蓮と蝉のブローチに相違なかった。肖像画の傍に置かれた今、ブローチはかつてなく自然な輝きを見せており、最愛の相手に寄り添い眠るように、ゆっくりと瞬いていた。


 額縁の下に目をやると、そこに小さな紙片が貼られていた。紙片には、選評と思しき言葉が、短い言葉で書き付けてあった。


 アルベリクは紙片に近づき、書かれた文言に眼を滑らせる。


 ごく短い言葉だった。



《これこそが、私の求めていたもの。

 これ以外は、何もいらない》



 それは間違いなくアルノー夫人の筆跡であり、彼女の私的かつ純粋な想いそのものだった。


 絶賛とすら言って良い。普通の出品者ならば、諸手を上げて喜んでいるところである。


 だが、アルベリクは違った。彼は苦虫を噛み潰したような顔で、ナタリーのブローチをじっと見つめるばかりだった。


 ──ナタリーが宝飾に込めた想いは、間違いなく、夫人の心に届いた。


 二人の女たちは、宝飾を通じて、たしかに語り合ったのだ。住む場所も、身分も隔たる二人が、まるで、遠い異国の言葉で語らうかのように。


 アルベリクとて、ある程度までは、理解していたのだ。その言葉が響き豊かで、純粋な美しさを湛えていることも、その言葉の意味も。


 だが、彼女らの間に流れる、ある種の強い文脈的な共感のようなものだけは、彼にはどうしても理解できなかった。親密な二人の語らいを、彼はただ、羨望の眼差しで眺めることしかできなかったのだ。


 金糸の繊細な曲線の奥に秘められた想い。石の放つ僅かな囁き。


 千里を見通すアルベリクの眼をもってしても、それは見えなかった。地獄耳と呼ばれた耳にも、それは聞こえなかった。


 ──まだまだだな、アル。


 草葉の陰で、ガストンがせせら笑った気がした。


 一方、使用人のジョゼは、潤んだ瞳でアルベリクを見上げていた。彼女は涙声になりながらも、主催者としての責務を全うすべく、声を張り上げた。


「──ブランシャール様、それに、ご参加頂いた皆様。まずは心からの感謝の意を表したいと思います。ベルティーユ様の品評会は、これにて十年の歴史に幕を下ろします。長い間、想いを込めて作品作りに勤しんでくださった技師の皆様方には、多大なる感謝と、敬意とを抱かずにはおれません。また、この度、初参加にも関わらず、我が主のためにご尽力くださったブランシャール様にも、同様の敬意を覚えるものでございます。皆様、この素晴らしい匠を擁する商家に、心よりの拍手を──」


 彼女が語り終えるや、周囲を取り囲んでいた人々の間から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


 突然の事態に、アルベリクは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして眼を瞬かせていた。その肩を、誰かが親しげに叩く。隣室からついてきたネイライだった。


 人懐こい笑顔を浮かべて、彼は素直にアルベリクを褒め讃えた。


「おめでとう、アル」

「おめでとう、と、言われてもだな……。俺には、何が起きたのやら、さっぱりわからん」

「彼女の言ったとおりだ。終わらない夜が明けたのだよ」

「よく判らんが、ブランシャールが優等を取ったということで、良いのか?」


 違うだろうとは思いつつ、アルベリクは一応訊いてみた。案の定、ネイライは首を横に振る。


「いや、もっと大事なことだ。十年続いたこの会の本来の目的が、今日にしてようやく、達成された」


 ネイライはいかにも感慨深げにそう語った。

 しかし、である。今回初参加であるアルベリクにとって、十年の月日や品評会の目的など、正直なところ、知ったことではなかった。


 それゆえ、勝手に盛り上がり、興のそそらぬ理由で賛辞を贈ってくる人々には、薄ら寒い感情しか抱きようがなかった。

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