第七章(1) アルノー本邸1
そのブローチは弾けるほどの輝きを放ち、純白の台座の上にあってなお、夜空の星のように強く煌めいていた──。
赤目烏と呼ばれる黒衣の商人は、そのブローチを眼下に置いて、悔しげに歯噛みをしていた。
──品評会の当日。アルノー家本邸において最も広い応接間を利用し、朝一番から作品の展示が行われていた。白いテーブルクロスを掛けられた長机の上に、二十を超える粒ぞろいの作品が等間隔で並べられている。そのどれもが珠玉の作品であったが、とりわけ秀逸な作品の前には、黒山の人だかりができていた。
特に衆目を集める出品は二つ。言うまでもなく、ブランシャールとボーマルシェの作品である。
わけても最も多くの人目を集め、会場内の話題を独占したのは、ブランシャールの作品であった。
蓮と蝉をモチーフとしたブローチ。それはおよそ奇抜な作品であり、公式の場で淑女が身につける類のものではない。だが、この作品が何を目的として作られたものかは、誰の眼にも明らかであった。寄り添い合う二つの命の姿は、『比類なき魂との邂逅』という主題に相応しいものだった。
しかし、この作品を出品したのは、アルベリクの本意ではなかった。──結局のところ、ナタリーはアルベリクの要求──作り直しの要求に最後まで応じなかったのである。
一方のボーマルシェの出展作は、ブランシャールのものと比べると、まるで性格を異にしていた。
それは、雪の結晶をモチーフとしたブローチだった。小ぶりではあるが、雪よりも白いその輝きは、神聖不可侵にして、人の心の付け入る隙を与えなかった。
『天の雪』と題されたそのブローチは、ボーマルシェ会心の作であった。
しかし、同時にその輝きは、人の心に寄り添うどころか隔絶甚だしく、人の手の届かぬ遥か高みにこそ存在しうるものだった。
人ではなく、天に顔向けする──要するにネイライは、アルノー夫人の願いではなく、ギヨームの好みに迎合したのだ。
作品の傍らには、ネイライが気まずそうな顔をぶら下げて立っていた。アルベリクは、皮肉めいた笑いを口元に浮かべつつ、その男の顔を正面から睨みつけた。
「猪口才な真似をするものだな、ネイライ。口では威勢のいい綺麗事を語っておきながら、腹の中では俺を油断させ出し抜こうなどと目論んでいたわけか」
「違うぞ、アル。話を聞け」
「アルノー家からの手紙は、貴様のところにも届いただろう。よもや読んでいないなどとは言わせんぞ」
詰め寄られたネイライは、額に汗しつつ必死の抗弁をし始めた。
「ああ、読んだとも。あの手紙を読んで、この俺が奮起せぬはずがないだろう! ──しかしな、アル、これは、ボーマルシェ宝石店としての方針なのだ」
ネイライはそう言って、傍らに立つリュファスを横目で見やった。アルベリクは即座に視線を横に滑らせ、狡猾なパヴァリア商人の顔面を睨みつけた。
剣呑な視線を向けられたリュファスは、至極心外とでも言いたげに眼を丸くして、胸の前で手をひらつかせた。
「何を勘違いしているのか知らないけれど、これは決して、僕の一存というわけではないよ。ましてや、君への対抗意識などでは、決してない」
そう前置きした後、リュファスは自らの言い分を滔々とのたまい始めた。
「アルノー家からの手紙は品評会に参加予定の全ての技師に送られたわけだが、内容が内容だけに、ギヨームの耳にも入ったらしい。すると、それが彼の逆鱗に触れたらしくてな。追って、ギヨームからも手紙が届いた。先の手紙の内容に惑わされず、会の品格を厳守せよ──だそうだ」
「そんなものは、俺のところには届いていない」
「そうか。まあ、手違いだろうね。新参者には、そういうことがよくある」
白々しくそう語るリュファスの口元には、嘲りの笑みが隠しきれずに浮かんでいた。頬をひくつかせるアルベリクを愉快そうに眺めながら、リュファスは饒舌に語り続ける。
「アルノー家はこの品評会の主催でこそあるが、出品作の優劣を決めるのはあくまで審査員たちだ。言ってしまえば、ここではギヨームが王様なのさ。まあ色々とややこしいことだが、何度か参加すれば慣れるだろうさ。──今回はまあ、お勉強ということで」
語るだけ語り倒して満足したのか、リュファスは満面の笑みを見せた。
その横で所在なげに佇んでいたネイライが、取り繕うように語りかけてくる。
「出品作を一通り見たが、皆ギヨームの手紙に忖度した無難な作りだった。その中で、アル、お前のところだけは違った。ブランシャールだけは、夫人に寄り添った作品作りをしていた。それだけが、せめてもの救いだ。お前の出品したあの作品──。俺は、感動したよ。あれは、俺が生涯目にした中でも、最高の作品だ……!」
一通りの絶賛を口にするネイライだったが、その眼は、全く笑っていなかった。
アルベリクは心の中で、この男への評価を完全に改めていた。
ネイライが本気で夫人の為を思って作品に取り組んだというのであれば、その気持ちは必ずや、完成品に顕れてくるはずである。ところが、彼の作品からは、夫人への思いやりなど微塵も感じられなかった。それどころか、その作品から溢れる輝きには、『天』への憧憬──すなわち皇室御用達への野心がありありと見て取れた。
以前アルベリクは、久しぶりに会ったこの旧友のことを、『素朴で与し易い』などと心の中で密かに評していた。だが、それは単に表の顔に過ぎなかったのだ。この男は、腹の中に飼う強烈な野心と競争心とを、人畜無害な人当たりで覆い隠していたのである。
──こいつ、しばらく見ぬ間に、とんだ食わせ者に姿を変えたな。タヌキめが!
腹の底で毒づきつつ、表面上はあくまで平静を装って、アルベリクは傲然とした態度でネイライのおもねりに応じた。
「最高の作品、か。当然だろう。俺の店の技師が作った作品だぞ」
すると、ネイライの瞳に一瞬、妖しげな光が瞬いた。彼は油断なくアルベリクの周囲を眼で探りながら、こう問うた。
「そう、その技師の話がしたかった。今日の品評会に来ているはずだな。紹介してくれないか」
この申し出に、リュファスも同意して小さく頷く。
アルベリクは二人の背後に視線を送り、そこで『天の雪』を鑑賞する技師の名を呼んだ。
「リアーヌ、こっちに来い。ボーマルシェの方々を紹介しよう」
果たして、アルベリクに促されて二人の眼前に現れたのは、世にも美しい一人の女だった。大きな濃紺の瞳に、なめらかな白い肌、形の良いふっくらとした唇と、その美貌には非の打ち所がない。場を弁えた簡素なドレスに身を包んでいるものの、その肉体からは、隠し難い色香が馥郁と薫っていた。
案の定、彼女を見るなり、女好きするリュファスの目の色が変わった。アルベリクは非難がましい眼を彼に向けてはいたが、その内心、我が意を得たりとほくそ笑んでいた。
『指人形』サラは、蕩けるような笑顔を二人の商売敵に向けつつ、己の名を口にした。
「リアーヌです。よろしく」
【改稿内容:2024-1-15】
・サラの瞳の色が碧色になっていたのを、濃紺の瞳に修正しました。