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第四章(3) 迎賓館

 生誕祭当日の空は、雲ひとつない快晴であった。天におわします神も、皇后陛下の生辰(せいしん)をお(よろこ)びになっている。そう人々は噂したと言われる。


 泰皇を除く皇族の生誕祭は、丸一日かけて執り行われる。一般市民に向けた祭典を夕刻までに済ませた後、宵の頃から王侯貴族向けの宴が催されることになっていた。


 空が宵闇色に染まる頃から、貴族街のあらゆる街路が、二頭立ての馬車で溢れかえった。アルベリクとルイーズの二人を載せた馬車も、ゆっくりと石畳の上を流れてゆく。目指すは皇都の中心にして、アルベリクの野心の終着点、『グリアエ』である。


 群れ成す馬車たちが向かっているのは、グリアエの外苑にある迎賓館であった。近年新築されたこの館は、旧館である皇国会議場を遥かに上回る、絢爛な設えであると噂されていた。


 正装したアルベリクの胸には、贖宥の石が鈍い光を発して揺れていた。この日のために、わざわざ大司教に無理を言い、大枚をはたいて借りてきたものだ。それだけ、この宴には期するものがあった。


 日夜社交場に出入りする身分の者たちといえど、皇族と交流する機会というのはさほど多くない。皇族の生誕祭は、その数少ない機会の一つだったのである。


 アルベリクの目当ても、この皇族との交誼にこそあった。わけても、本日の主役である皇后陛下には、是が非でも近づく必要がある。彼の主要な顧客もこの宴には多数出席すると聞いていたが、目当てはあくまで、皇后陛下ただ一人だった。


 宴に際して奮い立っていたのは、ルイーズにしても同様だった。絢爛な舞台で自らの美しい姿を披露することは、成人前の乙女にとって、大変晴れがましいことであった。たとえ、求められる役割が『マネキン』であったとしても。


 ──日中、宴のための身支度をしていたときのこと。


 ルイーズは自邸の化粧の間に凛と立ち、鏡に映る自らの姿に酔いしれていた。


 彼女の胸元では、蝶の姿を(かたど)ったブローチが、窓から差す陽の光を受けて煌いていた。その蝶は、まるでルイーズの胸中に呼応したかのように、何かを求めるような強い輝きを放っていたのだった。


 ひなげしの花のように美しく着飾ったルイーズは、しきりに胸元のブローチを気にしつつ、


「……このブローチ、私以外に似合う人がいるのかしら」


 うっとりとした表情で侍女や仕立て屋に向かってそう尋ねていたという。


 後に侍女からそんな話を聞かされたアルベリクは、密かにほくそ笑んだものだった。


(少なくとも、小娘をのぼせ上がらせる程度の効果はあったか)


 そして今、庭園に向かう馬車の中、アルベリクの隣には、件の絶世の美女──ルイーズが座っている。毛皮のコートを着こんでいるため隠れてはいるが、彼女の胸元には今もナタリーのブローチが、しっかりと抱きついているはずである。


 アルベリクはルイーズの方を一瞥もせず、からかうようにつぶやいた。


「そのブローチ、君はたいそう気に入ったようだな。──うむ、よく似合っている」


 見てもいないくせに何を、とでも言いたげに、ルイーズはアルベリクを横目に睨む。が、アルベリクはどこ吹く風であった。


 馬車の歩みはずいぶんと遅くなっていた。視線を進行方向に向けると、多くの馬車が、長々と列をなしている。車は既に迎賓館の敷地内に入っていて、各々入館の順番を待っているのだ。更に前方へと視線を滑らす。すると、広大な庭園のただ中に佇む館の姿が見えた。三階建ての建築物は、ガス燈の灯をその身に受けて、闇の中に威容を浮かび上がらせている。


 やっとのことでエントランスに至り、屋根付き馬車の扉が開く。すると、アルベリクは素早く降りてルイーズをエスコートした。鮮やかな緋色に染め上げられた絨毯の上に立つと、二人はおもむろに迎賓館の方へ歩み出す。向かう玄関の扉は開け放たれ、館の中の光を煌々と溢れさせていた。


 館内に入り、傍らに立つ皇室使用人にルイーズがコートを渡したとき、アルベリクはちらと彼女の姿を見た。刹那、彼はその心臓に衝撃を感じ、息を呑んだ。


 ──想像以上だった。


 ルイーズが身に着けた蝶のブローチは、想像以上に、良く似合っていた。彼女のためにあつらえたものだと語られれば、誰もが信じることだろう。それほどに、ルイーズの胸に留まる蝶の姿は、彼女の立ち姿との間で見事な調和を見せていたのである。


 今の彼女の姿は、神話の中の乙女のように可憐であった。洗練された仕立てのドレスと蝶のブローチは、互いに共鳴しあって、ルイーズの美しさを極限まで引き立てていた。


 アルベリクが呆然と自らの婚約者の姿を眺めていると、彼女は口元に手を当てて笑い出した。


「少しは見直していただけた?」


 謙虚な言葉とは裏腹に、彼女の態度はやや挑発的だった。だが、それはあくまで冗談めかしたもので、馬車の中で見せたような嫌味たらしいものでは決してない。それどころか、ひどく愛らしくすらあった。外面良く振る舞うことに関して、彼女は並ならぬ才覚を発揮するのである。


(なるほど、これはしかし、ルイーズが自惚れるのも理解できるというものだ)


 明瞭になりつつある思考の中で、アルベリクはそんなことを考えていた。


 ◇


 サロンに足を踏み入れると、眩しさが二人の視界を覆った。すぐに目が慣れ、広大なサロンの全容が視野いっぱいに飛び込んでくる。


 三階まで吹き抜けになった天井、そのすべてを隙間なく覆うシャンデリア。部屋の奥行きは、向こうの壁が白くかすむほど深く、壁の全面には、上代から当代に至るあらゆる天才画家たちの作品が、ずらりと並べ掛けられていた。


 其処此処に配されたテーブルにはたっぷりの御馳走と酒が並ぶ。談笑する人々の合間を縫って、使用人たちが忙しそうに酒を運んでいる。壁際に陣取った楽隊は、流行りの曲を得意げに披露している。その周りに集った者たちは、めいめいの伴侶と手を取り合って、優雅に踊り揺れている。


 国内外の貴賓たちが一堂に会する様は、まさしく壮観であった。右を見ても左を見ても、目に入る人物は爵位持ちの大物ばかり。そして、身につける宝飾品も一級品ばかりであった。眩い灯りに照らされ、粒の大きな宝石たちがチカチカと瞬く。


 アルベリクはしばらくのこと、得難い眼福に酔いしれていた。これだけの美しい装飾品がこぞって集まったのも、ひとえに皇后陛下の人望の賜物であった。アルベリクは彼女の偉大さを、改めて慨嘆するのだった。


 すわ、ぼちぼち挨拶回りを始めよう。そうアルベリクたちが息巻いたところで、向かいから一人の若い貴族が近づいてくるのが見えた。


 (いな)、光り輝くイボガエルがやってきたという表現の方が妥当かもしれない。男は頭の天辺からつま先まで、大粒の宝石を隙間なく身につけており、彼が一歩踏み出すごとにシャンデリアから差す光を反射してチカチカと光っていた。


「ルイーズ。久しぶりだね」


 アルベリクにとって一面識もないその男性は、横聞きするに、ルイーズの元婚約者のようだった。彼はルイーズの姿をまじまじと見た後、ほっと熱いため息をついて呟いた。


「しかし、どうしたことだろう? 今日の君は、一段と美しく見える」

「いつもは美しくないと言うのね。ひどい人だわ」


 ルイーズが唇を尖らせる。すると、男は慌てた様子で彼女を宥めた。


「誤解しないでくれ。見違えたということさ」

「私、心を入れ替えたの。幼い頃の私はもういないとお思いになって」

「ああ、まったく綺麗になったね。君と別れたことを、今すこしばかり、悔やみ始めているところだよ」

「とても嬉しいわ。でも、ごめんなさい。生憎、私にはもう、真に私を愛してくれる方がいるの。今更そんなことをおっしゃられても、困ってしまいます」


 とんだ茶番である。アルベリクは思わず吹き出しそうになったが、どうにか耐えた。

 男はここにきて初めてアルベリクの姿に気づいたようだった。


「その方というのは、もしや、こちらの? 失礼、給仕かと思ってご挨拶が遅れてしまいました」


 そういって彼は、小馬鹿にしたようにアルベリクを睥睨する。


 使い古された侮蔑の言葉に、アルベリクはなんらの痛痒も感じはしなかった。むしろ彼の頭の中ではすでに、この歩く有形資産とでもいうべき男から、いかにして多額の金銭を搾り取ろうかという打算ばかりが駆け巡っているところだった。


 彼を敵に回すのは得策ではない。そう判断したアルベリクは、おもねりの笑みを浮かべ、男に向かって頭をたれた。


「アルベリクと申します。しかし給仕とは言い得て妙ですな。私は有る種、給仕の真似事もしておるのです。お仕出しするのは、食事ではなく宝飾品でございますが」

「宝飾商人ですか。それにしては、貧相な装い。特に胸についたしょぼくれたブローチときたら……」


 アルベリクは、はっとして男の言葉を手で遮った。次いで彼は、それとなく周りの様子に目を配りつつ、男に顔を近づけ、声を潜めて耳打ちした。


「失礼ながら、陛下の生誕祭において左様な言説はお控えなさった方がよろしいかと……」

「それはどういう……」


 アルベリクは、男の眼を見ながら、自らの胸元を指で叩いた。男の眼が、ちらと、一瞬だけその指を見やる。すぐに男は「むッ……!」と唸り声を上げて、アルベリクの胸元を二度見した。


 アルベリクの胸に留まっているのが贖宥の石だと、男はようやくにして気づいたようだった。そしてそれと判るや、彼は気まずそうな顔になって身をのけぞった。


 間もなく男は二人に会釈をした後、何事か用事があると言いおいて、そそくさと去っていった。


「貴方のしょぼくれたブローチを見て様子が変わったわね。どうしてかしら?」

「勘違いとはいえ、神具を悪し様に言ってしまったことに、気がとがめたのだろうな」

「ひとつ不思議なのだけど、なぜ皆、そのしょぼくれた石を身に着けようとしないのかしら。そりゃ、みっともないかも知れないけれど、それさえ身に着けていれば、皇后陛下に気に入ってもらえるかも知れないでしょうに」


 ルイーズの言う通り、周囲の王侯貴族のほとんどは、みすぼらしい贖宥の石など身につけては居なかった。その代わりに、彼らはみな、きらびやかな宝飾品を身につけ、己の地位と財力を誇示していた。


 さらに付け加えると、こうした者たちの中には、ブランシャールの顧客の姿も散見された。彼らはブランシャールで贖った高価な宝飾をきらめかせ、たいそう誇らしげにしている。


「各々の心中はおおよそ推察できる。が、ここでそれを話すのは、得策ではないな」


 アルベリクは注意深く周囲を見回しながら、それだけ答えた。


 その後も、ルイーズの元婚約者と思しき人物が次々に現れては、口々に彼女の美しさを褒め称えた。これに対して、ルイーズは当初こそ戸惑った様子をみせたものの、すぐに満更でもなさそうな顔をして受け答えするようになった。


「さっきの男は、昔、私のことをじゃじゃ馬なんてほざいていたのよ。それが、『ああ、君がこんなに美しく成長すると知っていれば』なんて! 最高ね! あっ、ほら、前から来たあの男も、私の元婚約者よ!」


 ルイーズには、十人もの『元』婚約者がいる。といって、決して、引く手数多だったというわけではない。十回婚約して、十回とも破談になったというだけの話である。


 彼女は婚約当初こそ猫をかぶっておしとやかにするのだが、気を許すにつれて、段々と馬脚をあらわすようになるのが常だった。外面だけは良いが、家に帰ればわがまま気まま。気に入らないことがあればすぐに相手を面罵する。一度嫌いになった人間をとことん嫌う性格も災いし、逢瀬のたびに陰険な皮肉と呪詛を吐き散らす。おまけに我田引水を地で行く性格なので、婚約者たちは早晩、彼女の性格に嫌気が差してしまう。


 しかも、婿養子を前提とした婚約では持参金も期待できない。若く元気ばかり有り余る小娘が、夫より先に死んで財産を残す可能性も低い。彼女との結婚に経済的なメリットすらも無いことに、婚約者たちはみな、早い段階で気づいてしまった。そうして男たちは、なんやかやと理由をつけて、婚約破棄を申し入れてくるのだった。


 そうしたことが九回十回と繰り返された後、ようやく見つかった貰い手というのが、今ルイーズの隣にいる赤目の男だったのだ。


 しかし今や、ルイーズは得意満面であった。かつて己を棄てた面々を振り向かせ、見返すことができたのだから。ルイーズを棄てた男たちは皆、戸惑いとわずかばかりの後悔を滲ませながら、アルベリクの手前、気まずそうに去ってゆく。


 だが、彼らの誰も、気づかなかった。彼女の魅力の正体が、一体何であるのかを。


 ルイーズは最後の元婚約者を袖にした後、しばらくの間はおとなしく過ごしていた。が、やがて彼女はこらえきれなくなったようで、身体をくの字に折って笑い始めた。


 笑いに笑い、ひとしきり笑った後、彼女ははしゃぎ疲れたのか、軽くため息をついた。ゆっくりと姿勢を正し、すっと上げたその顔からは、満ち足りた気持ちがありありと見て取れた。


「アルベリク」

「なんだね」


 ルイーズの眼は、婚約者の方を見ようともせず、ただまっすぐ前を向いていた。だが、その唇から漏れたのは、アルベリクにとって意外な言葉だった。


「……ありがとう」


 彼女は、理解していたのだ。元婚約者たちの鼻を明かした力の源が、己の胸に輝く宝飾にあるということを。


 アルベリクは、珍しく殊勝なことを言う婚約者に対して、憎まれ口で返礼した。


「感謝されるいわれはないな。単に君が、マネキンとしての役割を全うしているだけだろう」

「……本ッ当に、貴方って可愛くない人ね」


 ルイーズは唇を尖らせ、不機嫌そうに言い捨てた。

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