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第四章(2) ブランシャール邸

 仕事を終えたアルベリクは馬車で郊外の邸宅に戻り、すぐに夕食の席についた。


 ブランシャール家の夕食は、家族水入らずで行われる。食卓につくのは、たった三人。現当主のフランク、その娘のルイーズ、そしてアルベリクである。


 アルベリクは貴族ブランシャールの姓を名乗っているものの、その血は平民のものだ。彼は養子なのである。


 ブランシャール家は皇国がまだグリアエという名の王国であった頃から宮中に仕える貴族であったが、度重なる戦争によって没落の一途を辿っていた。しかし、先代の時分に婿養子として迎えた豪商のフランク・シラが南方交易で大量の資金を獲得し、ブランシャール家は一転して指折りの富裕貴族へと返り咲いた。フランクはそのまま家督を継ぎ、今代(こんだい)に至っている。


 この家は先代からこちら子宝に恵まれず、二代続けて女児しか得られなかった。そのため、跡取りを養子に頼らざるを得なかったのだ。先代の時はそれが奏功した。今代も気鋭の商人を迎えることで、爾後を盤石にしたいと考えていた。


 その結果、直営の宝石商店で頭角を現してきたアルベリクに白羽の矢が立ったわけである。


 フランクの妻は既に鬼籍に入っている。したがって、今、このブランシャール家の夕餉の席で、かろうじて貴族の血を引いているのは、娘のルイーズただ一人だった。しかも彼女ですら、その血の半分は商人のそれなのである。


 しぜん、食卓では商売の話が先んじる。口を切るのは、当主のフランクであることが常だった。


 義父フランクは食卓の皿から目を上げると、やや心配げに眉を寄せつつ、アルベリクに向かって尋ねた。


「店の方はどうかね? 重要な技師を失ったと聞いたが」

「お耳が早い。ですが、ご心配には及びません。より強力な後釜をすでに発掘しております。『彼女』は先進的な感性を持ち、至極精巧な細工をなします。彼女と私の力をもってすれば、ブランシャールは必ずや、さらなる発展を遂げることとなりましょう」

「アル、君を養子に迎えた私の眼に狂いはなかったな。君は常に成果を出し続け、利益を我が家に供してくれる。重要なのはそこだよ。とても重要なことだ」


 妙に含みのある言い回しである。その意図するところに、アルベリクはおおよそ気づいていた。


 フランクは社交界に顔の効く人物である。当然、アルベリクの悪評にも聞き及んでいることであろう。彼は、それを踏まえた上でなおアルベリクを評価していると、そう言外に言っているのだ。


「来年ルイーズが成人すれば、ようやく君を婿として迎えられるわけだ。今から婚礼が楽しみだよ」

「私もですわ、お父様」


 アルベリクの隣に座る少女が、可憐に微笑む。


 寸分狂いなく計算されて作られた笑顔は、まるで一個の工芸品のようであった。それでいて、溢れ出る気品と美しさは、一粒の無垢な真珠を思わせる。


 反面、彼女の笑顔には一切の感情的な熱量が存在しなかった。ただ純粋に、美しくあることを目指して作られた笑顔だった。


 彼女こそフランクの一人娘にして、アルベリクの許嫁、ルイーズ・ド・ブランシャールであった。


 ルイーズは微笑みを崩さぬまま、隣に座る将来の夫に眼を向ける。


「アルベリク様。この後、よろしければ私の部屋においでくださいませんか? お仕事のお話を聞かせて欲しいのです」

「楽しいお話はありませんよ、ルイーズ」


 アルベリクはナプキンで口元を拭いながら、そう答えた。フランクが哄笑する。


「まったくだ。この界隈は世知辛くていかん。私もできることなら、気楽な女に生まれたかった」

「では、私のお話を聞いてくださいましな。アントワーヌの奥様の噂話とか、色々……」


 ルイーズの瞼が僅かに持ち上がり、その眼の奥に意味ありげな光が宿る。アルベリクは見るともなしにそれを見ながら、穏やかに答えた。


「結構ですよ。お伺いしましょう」


 食事を終えると、婿養子とその許嫁は連れ立って食堂を出ていった。


 ルイーズの部屋の前まで来ると、アルベリクは扉を押し開いて許嫁をエスコートする。たおやかにお辞儀をしつつ、娘がそれに応える。


 部屋の中に入り、扉を後ろ手で閉めるや、アルベリクは無作法に腕を組み、扉に背を預けた。そして、ぶっきらぼうにひと言、訊いた。


「話が?」


 ええ、と言って、ルイーズは部屋の中央のソファにどっかと腰を下ろした。


「ああもう、あの淑女ごっこ、いつまで続けなきゃならないの? 許嫁にはもうこの通り、正体がバレてるっていうのに」

「口答えしてみればいい。またムチで打たれるだろうがな」


 ルイーズの整った顔が歪み、眼窩に暗い影が落ちた。彼女は心底うんざりしたように、腹の奥からため息をつく。


「本当に嫌になる。お母様が生きていれば、こんなことには……」

「それで? 話したかったのは愚痴か?」

「違うわよ、バカね。でも、ちょっとくらい休憩させて。疲れちゃった」


 彼女はソファの上に寝そべり、大きく伸びをする。それから片足をソファの下に投げ出し、ぶらぶらと揺らし始めた。


 この家で唯一貴族の血を引いているのが、彼女なのである。さしものアルベリクも見かねて、これをたしなめる。


「たとえ許嫁とはいえ、男の前でそんな姿を見せるべきではない。はしたないぞ」

「許嫁ねえ……」


 天井を眺めながら、ルイーズが物憂げにため息をつく。


 ふいに、彼女はがばり、と上体を起こし、アルベリクを正面からきつく睨みつけた。


「ねえ、アルベリク。お父様はああ言ってるけど、私は成人しても貴方とは絶対、ぜったいに、結婚しないわよ。お母様が生きていたら、きっと私に賛成してくれるはずだわ」

「その話は前も聞いたな。気慰めのたわごとかと思って聞き流していたが」

「バカ言わないで! 私は本気よ」

「ならば、具体的にどうするつもりだ」

「このまま行けば、駆け落ちすることになるわね」

「駆け落ちときたか。それは、オペラかボードビルの影響かね」

「貴方、信じてないわね。でも、もう心に決めた相手もいるのよ。誰か知りたい?」

「おい、冗談ではないのか?」


 ニタリ、とルイーズが嗤った。

 いたずらっぽく──と形容するには、多分に邪悪さを湛えた笑みだった。彼女の内奥にある恨みや憎悪、復讐心といった底暗い感情が、その笑みの表層からだらりとにじみ出ていた。


 ルイーズはどうやら本気らしい。彼女の表情から、それが知れた。

 彼女が本気でことを起こそうというのなら、相方の見当はついていた。


「……相手は、ローランか」

「なんだ、知っていたの」


 ルイーズはソファの縁に顎をのせ、つまらなそうに嘆息した。


 アルベリクがそのことに気付いたのは、とある(うたげ)の席上であった。ある富豪の南方進出を祝うという由で、大邸宅をまるごと会場にした大変大掛かりな宴だった。


 その宴も終わりに差し掛かり、しこたま酔ったアルベリクが風に当たるためテラスに出てみると、バルコニーの上に偶然二人の姿を見つけたのだ。


 二人はバルコニーと室内を仕切るカーテンの影に隠れるようにして身を寄せ合い、親しげに何事か囁き交わしていた。


 この両者の様子を見るに、どちらかというと、熱を上げて入れ込んでいるのはルイーズの方だった。他方のローランは、そんな娘をうまいことエスコートしている。アルベリクの眼には、そのように観察されていたものだった。


 しかしながら、二人の関係を知ったところで、アルベリクは何らの感情ももよおさなかった。


 そしてそれは、彼女自身の口から真意を告白された今にしても、同様であった。


 しょせん、彼女とアルベリクは、恋愛感情のないまま繋げられた縁なのだ。いっそ祝福すらできようというものである。


 ──しかし。


「待て。よりによって、やつが──ローランが、駆け落ちなどするわけがなかろう」

「知っていたのなら、話は早いわ。アルベリク。貴方、私とローランが結婚できるように、お父様にとりなしてよ。貴方だって、私みたいな小娘なんて娶りたくないでしょうから、いい話なんじゃない?」


 なかなかに前衛的な提案だった。


 この国の慣習上、養子の者が家督を継ぐには、現当主の血縁者と婚姻するほか道がない。

 それを放棄しろというわけである。しかも、許嫁の口から直接当主に口利きしろという。


 アルベリクにしてみれば、狂気の沙汰である。

 が、彼は辛抱強く話を聞くことにした。相応の見返りがあれば、どんな要求であっても交渉の卓につく。それが彼の流儀だった。


「……して、その対価は?」


 これはすべからく、真っ先に訊くべきことであろう。そうアルベリクは思っていた。


 だが、ルイーズの反応は、アルベリクの無意識下の予測から逸脱していた。

 彼女は馬鹿げているとでも言いたげに、片眉を吊り上げてみせたのだ。それから、傲然と言い放った。


「は? 今言ったじゃない。私と結婚しなくて済むようになる。貴方は、それだけで幸せでしょ?」


 アルベリクは絶句した。提案の内容があまりにも彼の常識から外れすぎて、罵りの言葉すら出てこなかったのだ。


 端的に言ってしまえば、ブランシャールの全権を、ただでローランにくれてやれということである。


 この要求を呑んでしまえば、アルベリクは事実上、単なるブランシャール家の居候と成り果てる。宝飾店や南部の鉱山の権利なども、全てローランのものになるだろう。


 ルイーズという娘は、それを分かっていながら、悪意を込めて嵩にかかった要求をしている。

 そんな女が、さしあたって今のところ、彼の許嫁ということになっている。この事実が、アルベリクを暗澹とした気持ちにさせた。


 彼女の言うとおりにして縁談を破談に追い込むのは、なるほど痛快かもしれない。しかし、そうなった後、アルベリクを待つのは、断崖から落ちるがごとき凋落であろう。


(ローランめ、何を考えている)


 彼は頭痛に顔をしかめつつ、努めて冷静に己の意見を開陳し始めた。


「話にならん。私の利益が薄すぎる。他に土産はないのか。金か地位に直通しそうなやつがいい。ここよりもっとでかい家の婿の話とか、皇室直属の役人の口とかな」

「……貴方、自分の立場がわかっているの? 薄汚い平民出のくせに」

「わかっているからこそ、損な取引はしたくない。そういう君こそ、自分の立場がわかっていないのではないか? この皇都では、才覚のない貴族の女などただの贈答品か、さもなくば宝飾品を展示するためのマネキンにすぎない。私が君の望みどおり動いたところで、君の父親が首を縦に振るとは思えん。それならば、多少なりとも才覚のある私と仮面夫婦になった方が、まだ得というものだ」


 ルイーズの顔にさっと赤みがさし、その眼が怒りに燃え上がった。食いしばった歯の間からは荒い呼吸が漏れ、その小さな肩は興奮とともにわなわなと震えはじめる。


 地の底から響くようなうめき声が、彼女の喉の奥から聞こえてきた。


「……殺してやりたいわ。貴方も、お父様も……」

「これは暴言だったな。君を傷つけたことは謝ろう。すまなかった」


 さして反省の色も見せず、アルベリクは白々しくもそう呟いた。

 むろん、これでは火に油である。

 ルイーズはついに癇癪を起こして立ち上がり、足音高くアルベリクの元に近寄ってきた。彼女は許嫁の鼻先で立ち止まると、鬼の形相で仁王立ちする。


 彼女の黒色の瞳は焦げるほどに()きついて、アルベリクを射抜かんとばかりに見上げていた。

 その細く白い喉が、悲鳴にも似た声を喚き散らす。


「私はね! 貴方のそういうところが大嫌いなのよ! 人を平気で傷つけるくせに、そうやって表面上取り繕って……!」

「奇遇だな。私も君が嫌いだ。対価もよこさず人を動かせると本気で信じている君のような甘ったれた人間を見ると、虫酸が走る」


 アルベリクの赤い瞳は、ルイーズの若い熱量を浴びてもあくまで冷ややかだった。彼は淡々と言を続ける。


「だが、私は君の如き人間でも、利用できる限り利用する。さしあたり、次の皇后陛下の生誕パーティーで、君にはマネキンになってもらおうか。君が身につけるのは、これから歴史に名を残すであろう天才技師の、最初の作品だ。君の如き無名貴族の娘が、彼女の作品の初御目見得に関与するという栄誉を賜わるのだ。この素晴らしい機会を、ありがたく享受したまえ」


 そう言い捨てると、アルベリクは一礼した後踵を返した。


「では、失礼する。良い夜を」


 黒衣の烏は、囀るだけ囀り倒して、自室へと去っていった。


 ルイーズはアルベリクの去った部屋の中でひとり、怒りに身を震わせながら立ち尽くしていた。


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