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第四章(1) 大聖堂

 極楽色のステンドグラスから差す()には、神の体温が宿るという。


 皇都の大聖堂には、その言葉を信じる敬虔な人々が、日々足繁く訪ねてくる。ある者は偶像の前に額づき、またある者は熱心に聖典を読み、彼らの内なる信仰心を神の御前に示していた。彼らの大部分は善良な人間であり、真に神を敬う心を持つ人々だった。


 ある聖人は言った。場が神聖性を帯びるのは、その場に集う精神が清廉であるためだと。その言葉が正しければ、この場は概ね神聖な場所であると呼んで差し支えないはずである。


 そのような場に、明らかに似つかわしくない人物の姿があった。


 彼は神を前にして祈るでもなく、ただ静かに椅子に腰掛け、信心深い人々の様子を眺めていた。その肩に、大きな手が触れる。振り向くと、一人の男が立っていた。綺羅びやかな法衣を身に纏った、恰幅のいい初老の男だった。


 皇都アコラオン管区の大司教、コンスタン・ルロワである。


「ブランシャール様。お待たせいたしました。奥が空きましたので、どうぞこちらへ」


 大司教は愛想よく笑い、アルベリクを促す。


 彼が案内したのは、聖堂の奥に設えられた応接間だった。壁紙から家具調度に至るまで、室内はあまねく贅を尽くした品で揃えられている。壁に掛かる絵画ひとつ取っても、皇都ベツレヘム教会の金満さが伺い知れた。


 部屋に据え置かれたマホガニーの机を挟んで、二人は向かい合わせに座る。天鵞絨張りの椅子の座り心地は、あくまで柔らかかった。


 慇懃に低頭平身しつつ口を開いたのは、客であるアルベリクの方だった。


「急な頼みとなってしまい恐縮です。ですが、早急に入用になりましてね」

「本来お貸しするものではないのですが、他ならぬブランシャール様の頼みですから」


 鷹揚にそう言いつつ、大司教は法衣の袖から小さな化粧箱を取り出した。彼が蓋を開くと、鈍く輝く一品の宝飾がその姿を現した。


 文様を施した円形の鋳造銀の中央に、暗い色をした橄欖石が嵌め込まれている。ごく簡単な造りの宝飾だった。


 ベツレヘム教会が販売する高級ロザリオ『贖宥の石』である。

 これを一瞥したアルベリクは、思わず顔をしかめそうになった。


 ──醜い。


 それが、一流宝飾店を仕切る人間の、率直な感想だった。


 使われている橄欖石はどこにでも転がっている粗悪品であるし、彫金の質も鋳造の質もお粗末だ。およそ宝飾品を取り扱う人間ならば、悪阻(おそ)を催す代物だった。


 しかも、この値段というのが法外で、およそ二億クルトもするのである。既にプチブルジョワ並であるアルベリクの年収を単位として計算しても、約十年分にもなる。

 あまつさえ、近々値上げされるという噂すらあった。このような代物が、神の名の(もと)に公然と売られているのである。まともな感性の持ち主なら、およそ正気の沙汰ではないと感じることだろう。


 しかし、当時、この贖宥の石を欲しがる人間は後を絶たなかった。大司教は高い需要を笠に着て、石の供給を絞り、高値に釣り上げ続けていた。聖職者にあるまじき、全く阿漕な商売であった。


 その辣腕商売人たる大司教は、今まさにアルベリクの前に座り、全く悪びれる様子もない。それどころか嘆かわしげに眉をひそめすらしている。そして、次のような言葉で、アルベリクの浅ましさを指弾するのである。


「借用の目的は、皇后陛下の生誕祭でしょうか。この贖宥の石を、よもや商売の小道具にしようなどと考えてはいらっしゃいますまいね?」


 内心、皮肉のひとつでも言いたくなる思いを懸命にこらえながら、アルベリクは必死になって微笑んだ。


「無論です。ただ、皇后陛下に不信心者と思われたくないのですよ。あのお方は信心深い方ですからな」

「左様に見栄を張るような振る舞いは、感心いたしません。この石は、あくまで貴方自身の魂の救済のためにこそあるのです」


 宗教家というのはなぜこうも、自らを棚に上げて説教をできるのだろう。そう心に思いつつ、アルベリクは贖宥の石を矯めつ眇めつ観察していた。しかし、醜いという言葉以外に、出てくる感想はなかった。


 大司教の語るところでは、この贖宥の石は見るものの心を映す鏡であるという。つまり、この石が醜く見えるのは、その者の魂が醜く歪んでいるためだということになる。アルベリクには、その理屈を否定することができなかった。


 見れば見るほど醜く思えてくるものだから、アルベリクは手にした贖宥の石を早々に化粧箱の中にしまい込んだ。


 箱を胸ポケットに収めると、彼は鞄の中から大きな革袋を取り出した。それを大司教の前に置いた瞬間、机の天板がどすんと音を立てる。大司教は素早く革袋の口を開き、中身を机の上にぶちまけた。途端に、眩い輝きが二人の顔を下から照らし出す。


 皇国金貨五十枚。約一千万クルト分の現金だった。


 大司教はそれを一枚一枚入念に改め、信用できる品質であると確証したのち革袋に戻してゆく。


 全ての金貨を革袋に収めると、大司教はしかつめらしい顔で再び説教を始めた。


「この皇都では、神の慈愛も金で贖うことができる。それは即ち、どんな人物でも、天の国への切符を手にすることができるということ。──聖者でも、凡骨でも、極悪人でも。この僥倖を、貴方がたはよくよく噛みしめるべきでしょう」


 アルベリクには、神妙な面持ちで頭を下げることしかできなかった。


「時に、この(つい)えは如何にして工面を?」


 何気なしに、大司教が問う。アルベリクは表情を固くしたままこれに答えた。


「最近、臨時収入がありましてね。しかし、なにぶんあぶく銭です。こういう金は、懐に入れず、神に捧げるのが良かろうと思いまして」


「左様ですか。殊勝な心がけ、大変結構なことです。しかし、くどいようですが、貴方のためを思って敢えて苦言を呈しましょう。借り物の数珠など、いくら(しご)いたところで、神のご寵愛など望むべくもありません。この贖宥の石は、貴方自身が贖い、貴方自身の持ち物とすることが肝要なのですよ。借りた切符では、天国行の馬車に乗ることなど叶わないのですから」


「無論、理解しております。ですが、私自身の稼ぎでは、なかなか……」


「アルベリク様にはこの二年で、五千八百万クルトをお納めいただいておりますね。残り一億四千二百万クルト、お早めに全額をご寄進いただいた方が、安寧の時間も増えるというものですよ」


 大司教コンスタンは、アルベリクの先払い分の金額と支払い残額を、さらりと(そら)んじてみせた。凡百の商人もかくやという金勘定の速さである。


 だが、アルベリクには、この大司教を揶揄する資格などなかった。


 貴族も、平民も、聖職者も、乞食も、金の下では皆平等。誰も口には出さないが、誰もがそれを知っている。


 乞食が卑しいのは、金がないからである。


 貴族や聖職者が尊いのは、莫大な金を持っているからである。


 金は、神よりも偉大である。


 それが、この皇都における、暗黙の信仰だった。

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