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第三章(2) 山小屋1

 晴れ渡った山の陽射しは、痛みを覚えるほどに明るい。その光を白く反射した雪面は、さらに暴力的なほど(まばゆ)かった。


 アルベリクは窓際に椅子と小机を据え、窓からの豊富な光を利用して宝飾品の確認に勤しんでいた。


 燦然と瞬く宝飾品をルーペで一つ一つ改める。その度に、アルベリクの口から称賛の言葉が漏れた。


「素晴らしいな。これも、素晴らしい」


 それは、技師の士気を高めるための世辞などでは決してなく、ただただ彼の本心から出た、心よりの言葉だった。


 ナタリーはテーブルの前に座って白湯を飲みながら、彼の一言一言を嬉しそうに聞いていた。


 やがて、すべての品物を改め終わったアルベリクは、ナタリーに向き直って顔をほころばせた。


「よくやったじゃないか。特にこのロートシルトのブローチ。金を用いたことで、より真に迫る出来になったな。それに他の依頼の品も、新人とはとても思えん品質だ。スケジュールに遅れもせず、これだけの品を作れるとはな。いや、あっぱれなものだ」

「ありがとうございます……! なんだか、今日一日で、一生分褒められたような気がします……!」


 ナタリーはそう言って目を細めた。その笑顔は、窓から差し込む照り返しの陽を浴びて、アルベリクの眼に一層輝かしく映っていた。


 皇都ではなかなかお目にかかれない、素直でまっすぐな笑顔だった。


「これなら、次の仕事も、安心して頼めるというものだな。君と専属契約をしたのは、本当に幸運だった」

「私も、こうしてお仕事できて本当に嬉しいです。その子らを作る間、身に着けた人たちの笑顔を想っていました。手にとって、身につけ、鏡を見た瞬間、幸せそうに微笑む様子を……。こんな幸せなことってあるのかしらって、何度も思いながら日々を過ごしていました」

「そうだ。君の仕事は、人々に幸福な笑顔をもたらす。私は商人として、幾千回も顧客の笑顔を見てきたから判る。君の仕事は、そういう仕事なんだ」


 ナタリーは眼を輝かせ、アルベリクの言葉に何度も頷いてみせた。

 このような素直な反応を見るのは、アルベリクとしても気分が良かった。


 しかし、彼女の笑顔が続いたのは、この瞬間までだった。


「時に、例の手紙の件なのだが……」


 にわかに、ナタリーの表情に(けん)が宿った。


「この山小屋を引き払えという話ですね。あれについては、お断りしたはずです」

「わかっている。だが、こればかりは飲んでもらわねば困るのだ」


 納品物を手早くケースの中にしまいこむと、アルベリクはナタリーにまっすぐ向き直った。


「まず、この山小屋では、制作に必要な設備が足りない。皇都では、ここよりもずっと良い道具を使って精緻な工作が可能なのだ。それにここはマルブールから遠く、材料を運び込むだけで一苦労だ。そして、これが最も重要なことだが──」


 アルベリクは一旦言葉を切って身を乗り出すと、内緒事を話すように声を潜めた。


「ここにいると、競合の宝飾店の人間から君を隠すことが難しくなる。皇都を拠点とする私が頻繁にここに通えば、どんな馬鹿でもここに何かあると気づくだろう。皇都にいれば、その点をいくらでも誤魔化しようがある上、設備も最高のものを用意できる」


 アルベリクの話を黙って聞いていたナタリーは、眉ひとつ動かさずに、きっぱりと答えた。


「私はブランシャールと専属契約を結んでいます。それを覆す気はありません」

「たとえ大金を積まれても、か?」


 ナタリーの眉間に、不興げな皺が寄る。


「拾っていただいた恩を忘れて、鼻先にぶら下げられた金貨を掴むとでも? 私は、そんな不義理で卑しい真似など決してしません。師匠はそうした行為を最も嫌っていました。私も同じです」

「──設備面や効率に関してはどう考える?」

「師匠はこの山小屋で問題なくやってこられたではありませんか。デザイン案を綿密にやりとりして、じっくり時間を掛けてイメージを固めていって……時には顧客と直接手紙のやり取りもして……」

「それでは時間がかかりすぎるだろう。いずれ君にはガストンの二倍三倍……いや、十倍以上の仕事をこなしてもらいたいと思っているのだ。そのためには、デザイン案のやり取りも、もっと効率的に素早く行わねばならんし……」


 ()に雲がかかったのか、窓から差す光が一瞬のうちに翳った。


「……なぜ、それほどまでに切り詰めて仕事をしなければならないのですか? 今の十倍なんて……想像もできません。馬鹿げています」


 薄暗くなった部屋の中で、ナタリーの表情もまた暗く沈んで見えた。アルベリクは相手の表情をもっとよく見ようと、窓の側から離れ、テーブルを挟んで彼女と真向かいに座った。


「商売である以上、効率を追求するのは当然だろう。十倍という言葉に恐れをなしたかね? しかし、心配には及ばない。工作機械の使い方に慣れれば、君の生産性は今より遥かに上がるはずだ。──いいか、私の提案は、君にとってもメリットが大きいのだ。多くの仕事をこなせば、その分君の稼ぎも増える。老後に向けて、貯蓄は多いに越したことはあるまい?」

「私には、貯蓄など必要ありません。貴方は、お金のこと以外考えられないのですか?」


 ガタ、と、強い風を受け窓が鳴った。


「何を言う! 俺はより良い品を、より多くの人に届けたいがために──!」


 窓の外が、いよいよ暗く陰ってゆく。灰色の雲が、ゆっくりと山肌に這い出てきたのだ。

 今やわずかとなった窓からの光が、ナタリーの横顔をぼんやりと青く照らし出している。

 彼女の眼の奥には、疑念の光がありありと浮かんでいた。


「なぜ、そんなに必死なのですか?」

「君こそ、おかしいぞ。何が気に食わん?」


 アルベリクの問いにナタリーは答えず、さらに問いを被せる。


「なぜ、そんなに必死に、私を支配しようとするのですか?」

「支配だと? それは──」

「私が金の卵を産むガチョウだからですか……?」


 ざあっと、無数の粒が窓を叩く音がした。雨か、雪か。


 薄暗がりの中、両者は黙したまま睨み合っていた。アルベリクの低い声が、その重苦しい沈黙を破る。


「なんだ、それは。何の話だ」

「アンリさんから手紙が来たのです。以前、師匠の担当をされていた……」

「やつが? いったい、どんな手紙だ。見せてみろ」


 ナタリーは立ち上がり、そこではっと周囲を見渡した。部屋の中の暗さに気づき、彼女はテーブルの上のランプに火を入れる。それから、部屋の隅の戸棚を探って一通の封筒を取り出した。


 アルベリクは、ランプの灯りを頼りに手紙を読みだした。


 封筒には、便箋が四枚入っていた。一枚目には、自身がブランシャールを辞めさせられたことから始まり、己の娘が病気であることや、家賃や衣料の金にも事欠いているというような泣き言が書き連ねられてあった。

 そして、残りの三枚はすべて、アルベリクへの中傷や罵倒で占められていた。そこには、彼がいかに阿漕で、邪悪な商売をしているかが、具体的な事例と共に延々と紹介されていた。


 内容には身に覚えのあるものもあったが、概ね針小棒大の中傷であった。


 手紙の文字を一文字拾う毎に、アルベリクの眦が釣り上がってゆく。


 恐ろしい形相で手紙を読むアルベリクを、ナタリーは、ひどく悲しげな、憐れむような目で見つめていた。


「そこに書かれている内容が真実だとは思いたくありません。もし真実なら……」

「これが真実なものか! 一から十まで、全てデタラメだ! こんなものを真に受けるな!」


 アルベリクの手が、手紙の束をまとめて握りつぶす。その乱暴な音に、ナタリーの肩が小さく震えた。

 その華奢な身体から、か細くかすれた声が絞り出される。


「私も、それを読んだ当初は、ただのでまかせだと思っていました。きっと辞めさせられたことを逆恨みして、あることないこと書き付けてきたのだろうと……。でも、今日の貴方の態度を見ていると、なんだかすべてをでたらめだとは思えなくなってくるのです」


 隙間風を受けて、ランプの火が大きく揺れた。黒衣の商人の緋色の瞳は、その灯を映してさらに紅く燃える。


「俺を信じられないのか」

「信じたいです。信じさせてほしい。でも……」


 ナタリーは口を噤み、己の手元に眼を落とした。

 その視線の先、彼女の右手の中指に、銀の指輪がひとつ嵌っていた。

 蓮の花の装飾が施された指輪だった。


 ナタリーの白い指が、その蓮の花弁を一枚、そっとなぞる。慈しむというよりもむしろ、助けでも求めるかのように。

 その様子を、アルベリクは、こめかみをひくつかせながら眺めていた。


 彼女にとってはどうやら、目の前の人間よりも、そのちっぽけな蓮の指輪の方が、よほど信頼できるらしい。


 見覚えのある指輪であった。それはひどく見苦しく、正視に耐えない代物だった。


「……その指輪……」


 唸るような声が、アルベリクの喉から漏れた。


「これですか?」


 指輪に話題が向いた途端、ナタリーの表情がたちまち(ほころ)んだ。あるいは、この重苦しい空気を打開するきっかけとみなしたのかもしれない。


「これは、師匠の形見の指輪です。──これを見ていると、とても気持ちが落ち着くのです。いつも私の側にいて、私を導いてくれる。私の、大事な大事な、宝物です」


 がた、と、再び窓が戦慄(わなな)いた。吹雪が、山小屋を揺らす。


「──俺の前で、その指輪を見せるな」

「えっ……」


 絶句するナタリーから眼をそらし、アルベリクは吐き捨てるように続けた。


「そんな見苦しいものを、俺の視界に入れるなと言ったのだ。目障りだ」


 僅かの間、ナタリーは呆然とアルベリクの顔を見ていた。


 しかしそれは束の間のことだった。次の瞬間には、激しい怒りの色が、その瞳の中を燎原の火のように広がっていった。


「……ふ、ふざけないで……!」


 アルバールの山嶺は今やその獰猛な本性を顕にし、小さな人間の営みをその腕の中に包み隠してしまっていた。

 唸り狂う吹雪が、その粗暴な両手で山小屋の窓を激しく揺らす。いまだ日没には時間があるにも関わらず、窓の外は恐ろしく暗く、一面灰白色に覆われていた。


 ナタリーの口から、怒気を孕んだ声が漏れる。


「……取り消してください、今の言葉。たとえ貴方といえど、今の言葉は、決して許せません」


 一方のアルベリクは、ナタリーの手元を見ながら顔をしかめ、吐き捨てるように言い放った。


「何度でも言ってやろう。そんな屑のような指輪、捨ててしまえ。目に入るのも不愉快だ」


 ナタリーの眼に、ちらと火のような光が走った。と、彼女は椅子を蹴って立ち上がり、つかつかと足音を立てながら、机を回り込んでアルベリクのもとに歩み寄った。


 彼女はアルベリクの眼前に立つや、やにわに右の手を肩の上まで振り上げた。そしてその手を、なんの躊躇もなく、アルベリクの頬に向かって振り下ろした──。

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